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  私の記憶の中にある父は、職業人としては最高に格好よかった。仙台から東京までの電車の運転をしていた。あるときは時速130kmで疾走する特急列車を、あるときには、東北・北海道と東京を結ぶ寝台特急(ブルートレイン)を、あるときには貨物列車を。幼いころの私は、父が運転する電車が通る時間を調べておいて、家の近くの公園に行って、眺めていた。夜には、懐中電灯を持って行って、振りながらエールを送ったこともあった。実際父は、有能な運転士だった。大きな事故を起こさず、運転技術においては高い評価を得ていたらしい。

 一方、家庭人としての父は、だらしがなかった。酒癖が悪く、人付き合いもうまくなく、トラブルが多かった。そんな父を、いつの間にか私は嫌っていた。中学生のころからだろうか、「あんな男にはなりたくない」と思うことが多かった。どこか、私と父が似ていることを知ってしまったこともあるだろう、思春期に入り、親離れが始まったからかもしれない。

 高校卒業後、私は故郷を離れ、父と話すことも少なくなった。私は、父の変化に気づいていなかった、気づこうとしなかったのかもしれない。長年のストレスの多い仕事は、父の身体も精神もすり減らしていたに違いない。病気になり、昨年3ヶ月入院することになり、不本意な形で職場を去ることになった。

 そして、昨日と今日、父と母と私で福島県内の田島の祇園祭と、駒止湿原、田子倉ダム、柳津虚空蔵尊に行ってきた。天候にも恵まれ、よい景色も見れ、美味しい食べ物も食べることができたが、すっかり老け込んでしまった父の姿を見るのはつらかった。いつかはこうなることはわかっていたが、まだ62歳、人生はこれからのはずなのだが・・・

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コメント

お父様のこと、語りつくせぬものがある事でしょう。
親と子の関係は離れてみたり、近ずいてみたりするものだと思います。辛い思いをするのは、やはり子の役目なのではないでしょうか。
でも、大切な時間を過ごす事が出来て、よかったですね。

やえもんさんて、機関車やえもんという本から、とった名前ですね?違ったらごめんなさい。

偶然ですが、私も明日から福島県の方に旅行に行ってきます。
息子に合わせたスケジュールなんで、名所には行けませんが。

 そうですね、父とは誰よりも長い付き合いですし、その割には腹を割って話し合ったことは少ないですからね。それでも、これからもずっと元気でいてくれるのが当たり前だと思っていたので、少なからずショックです。

 私のHNは、「機関車やえもん」からとったものです。この名前は学生時代の友人がつけてくれました。

 ちょうど今は旅先ですね、よい旅になりますよう祈っています。

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