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2006年1月の22件の記事

兄弟

 私たち兄弟は、近所でも評判の仲のよい兄弟だった。一番上の私はのんびり屋で空想家、上の弟は社交家で現実主義者、下の弟はおしゃれでクール。子供のころは夕方まで兄弟3人で外を走り回り、高校生のころは兄弟3人でよく旅行に行った。20歳を過ぎて、それぞれの仕事を持ち、弟2人は家庭を持つと、なかなかゆっくり会う機会もなかった。
 土曜の夜、久しぶりに兄弟3人でお酒を飲むことにした。駅前で集まると、たちまち懐かしい話題に花が咲く。考えてみれば、どんな友人よりも長い付き合いなのだから。それぞれが違う立場になったからこそ、分かり合える部分が大きくなった気がする。そして、弟達が私よりも少しだけ大きく見えた。それは、頼もしくもあり、ちょっと悔しくもあるが。
 これから先も、兄弟として助け合うとともに、最高の友人であって欲しいと思う。また飲もう!

嬉しいこと

昨日、前の勤務校の卒業生が働いているお店に行ってみた。この店は、和菓子を作っていて、団子がとても美味しい。久しぶりに実家に行くので、お土産として持っていくのにちょうどいい。前もって連絡しておかなかったし、土曜日なので、卒業生に会えるとは思っていなかったが、どんな様子か話だけでも聞いてみようと思った。
 お店に入り、団子の注文をして、ついでに、卒業生の近況を聞いてみたら、今日は出勤していると言うことで会うことができた。高等部にいたころよりも少しだけふっくらして美人さんになっていた。最近元気かと聞くと、とても元気だと答えが返ってきた。友達と会っているかと聞くと、高等部時代の友達と時々会っているそうで嬉しかった。団子ができるまでの短い時間だったが、会うことができて本当によかった。話し方にも、だいぶ自信がもてるようになったように感じた。
 卒業生が社会の中で頑張っている姿を見ることは、私にとっても本当に嬉しいことだ。今の生徒達に向き合うエネルギーが湧いてくる。大変なことも多いかと思うが、このお店に欠かせない人になるように一生懸命頑張って欲しい。
 余談だが、団子は家族に全部食べられてしまった。とくにずんだ(枝豆)団子は楽しみにしていたのに・・・。また団子を買いに行こう。

神経過敏

今朝目が覚めて、ああ、やっと1週間が終わったなと実感した。今週は今ひとつ調子が出ないままの1週間だった。元々人付き合いは苦手なほうだが、今週は職場の人の言葉1つ、もちろん悪意のないものなのだろうが、胸に突き刺さり、本当にこたえた。毎日仕事が終わるとくたくたであった。誤解の無いように言うと、職場の人たちは本当ににいい人たちで、優秀な人たちだ。だからこそ、うまく付き合えない私自身に腹が立っている。
 土日は、そんな私をリセットするために思いっきり楽しんできます。そして、笑って職場の人たちに合えるようにしたい。

美麗之島~台湾紀行 その7

【1月1日 ② 高雄にて】

 高雄駅前は混雑していた。今日のホテルは未定であるが、駅前ではなく、市街地西側の愛河以西で探してみようと思う。タクシーに乗り、地図で場所を指し示す。タクシーは高雄の市街地を走る。運転手が少し日本語を話せるので、ホテルのここと高雄の美味しいものについて話を聞く。結局、愛河から少し離れた小さなホテルに泊まることにした。フロントに行って2泊止まりたい旨を話すが、うまく伝わらない。私の英会話の腕前はかなりお粗末なものだ。筆談も交えてやっと通じ、部屋に行く。どちらかといえば安いホテルであるが、部屋は広く、少し高級感のあるインテリアだった。しばらくベットの上で横になる。

 夕方近くなり、ホテルを出て旗津半島に向かう。しばらく、住宅地と工業地が混じったようなところを歩き、貨物列車用の線路を渡るとフェリー乗り場がある。NT$10を払ってフェリーに乗ると、正面に夕日を背景に旗津半島がシルエットになっている。後ろには高雄の町並みに明かりがともり始めていた。どちらも息を呑むような美しさだ。
 10分ほどで旗津半島に着く。しばらく屋台の続く通りを歩くと海岸に出る。台湾海峡だ。すっかり暗くなっているが、波打ち際まで行ってみる。この海峡は、かつて台湾と中国が戦争の一歩手前まで行ったことがある。今日の様子を見れば、海鮮料理を味わっている家族連れや、海を眺めているカップル、そして、そんな人々の様子を見ている異国からの旅人である私など、平和そのものの風景である。この平和な風景が幻ではありませんように、そう心に強く願った。
 海鮮料理の店に入る。魚の種類を選ぶと、お店のほうで調理してくれるシステムのようだ。私は、白身の魚とつぶ貝のような貝を選んだ。それと、ビールが飲みたい。店内を見回すと、ビールを飲んでいるお客はいない。そういえば今までも食事のときにお酒を飲んでいる台湾の人はほとんど見かけなかった。ウエイターを呼んで
「ビーチュ」というと、通じたようで、店の奥にある冷蔵庫を指差して、あれか?と聞く。そうだと頷くとビールが出てきた。料理のほうもすぐに出てきた。つぶ貝のほうは、野菜といためてあった。白身の魚かと思ったのは、イカで、フリッターになって出てきた。台湾に来て感心することは、油を使った料理にもかかわらずしつこくないことだ、どちらも美味しくいただいた。
 
 軽く酔いがまわり、いい気分でフェリー乗り場に戻る。フェリー乗り場には長い行列ができていた。そのとなりに、漁船のような小さな船があって、おじさんが客寄せをしていた。並ぶのが面倒だったので、それに乗る。私のすぐ近くに高校生くらいの女の子3人が立っていた。大きな声で話している。中国語はわからないが、水に飛び込む真似をしているから、英語で、「誰か向こう岸まで泳いでいこうよ」と声をかけてみた。向こうにうまく通じたようで、クスクスと笑っていた。フェリーを降りて、バスに乗って戻ろうと思ったが、さっぱりバス停が見当たらない、さっきの女の子達に聞いてみると「私たちについてきて」と言う。そのとうりついていくと、バス停があった。バス代を払おうとすると、私たちが払うと言う。せっかくなので彼女達の好意に甘えることにする。バスの中で彼女たちと話をする。高校生だと思っていたら、大学生で、台北の大学に通っているという、今日は学校が休みなので高雄に遊びに来たそうだ。この後コーヒーでもおごろうかと思っていたが、今日中に台北に帰らなければならないということで残念だが、3人の写真を撮って別れる。
 彼女達と別れて、高雄の町をぶらぶら歩く。愛河のまわりは公園が整備されていて気持ちよく歩くことができた。今日の午後高雄の町を始めてみたときには殺風景な町だと思ったが、だんだんこの町が好きになってきた。

星空

 今日は1日体調が今ひとつで、気分も落ち込んだままだった。何とか仕事を終え、家へ向かって徒歩で帰宅した。こんな日は視線も自然と下向きになってしまう。「これではいけない」上を見上げると、それはそれはきれいな星空。最近、星空をゆっくり眺める心のゆとりさえなかったなぁ。道のまんなかでしばらく冬の星空を見上げていた、寒ささえ気にならなかった。

ホリエモン逮捕

 今晩、ライブドア社長のホリエモンこと堀江貴文氏が逮捕された。一昨年の近鉄バッファローズの買収騒動以来メディアをにぎわせていたホリエモンが逮捕されたということで、今晩のニュースはホリエモン一色だった。
 私とホリエモンは同じ33歳、はじめて名前を知ったのは近鉄バッファローズの買収騒動のとき、あまりに正体不明で、何物だかさっぱり理解できなかった。その後、ニッポン放送買収騒動、総選挙に立候補など次々と世間の注目を集めた。
 何のためにこんなことをと思ったが、ひとつには、ライブドアと関連会社の株価を上げるためにも知名度を高めたかったのだろうと思う。ライブドアという会社はIT企業を装いながらも、実際にはマネーゲームを行うための道具、時価総額だけが風船のようにに膨らんでいるが、中身は伴っていない。おそらく、この会社は遠くない将来消えてなくなっていくことだろう。
 ホリエモン、そして、ライブドア、かれらはどこにいくのだろうか?

美麗之島~台湾紀行 その6

【1月1日 ① 莒光号 往高雄】

 1月1日朝、相棒の目覚めを待って関羽廟に行く。市街地の中にある関羽廟はすでにたくさんの人が来ていた。三国時代の蜀の皇帝、劉備に仕えた関羽(?~219)は、今では商売の神様として人々の信仰を集めていた。門前でお菓子を売っていたおばあちゃんから月餅を買う。生身は餡ではなくパイナップルだった。

 ホテルに戻り、相棒と別れる。相棒は今日日本に帰り、私は旅を続ける。台北駅からオレンジ色と白に塗り分けられた莒光号(日本の急行列車に相当)に乗る。スピードは自強号に比べると遅いが、シートは自強号と同等である。
 しばらく地下を走り、地上に出ると樹林駅、台北の西側の住宅地である。ここから私の隣の席におじいさんが乗ってきた。切符がちらりと見えた「彰化」と書かれている。およそ2時間30分ほどかかる。
 桃園を過ぎると建物の間隔があいて、畑も見られるようになる。バナナの木に実がついているのが見える。子供のころは台湾バナナをよく見かけたが、さいきんはあまり見ない。味が濃く美味しいバナナだったのだが。海がちらりと見える。もうすぐ新竹、特産品はビーフンだ。このあたりは風が強いのであろう。海岸線には木がまばらにしか生えていない。
 竹南から線路が二手に分かれる。一方は海沿いに走る線路で、こちらはこれといった町はないが、平坦で走りやすい。もう一方は、内陸を経由し台湾第三の都市である台中を通るが、勾配がきつい。この列車は後者の台中まわりで走る。だんだん山の中に入る。この路線も今では大分改良されているが、以前は特急が坂を登りきれなく立ち往生してしまうなど難所だったようだ。盆地に下りると台中、人口100万を数える大都市である。今回は日程の都合上やむなく通過するが、次回はゆっくり歩いてみたい。間もなく、台湾の新幹線(台湾高鉄)の線路と交差する。傍目にはいつでも開業できるように見えるが、まだ1年近くかかるらしい。

 彰化駅の手前で海沿いに走る線路と合流する。おじいさんが下りていくとすぐに私と同じくらいの女性が座る。台北からの乗客もこのあたりで半分以上が交代したようだ。正午も既に回っており、昼食にする。台北駅で買った駅弁を開けてみる。豚肉の排骨とがんもどき、温野菜がご飯の上に載っている。豚肉にかかっているスパイスの味にすっかりなれ美味しくいただく。
 気候もこのあたりから熱帯に代わったようで、椰子の木が多くなってきた。台湾にはそんなに長い川はないはずなのだが、どの川も広い河川敷を持っている。大雨への備えだろうか。
 隣の席の女性は気持ちよさそうに眠っている。台北を発車して4時間近く、私も少し眠ることにする。
 うつらうつらしているうちに嘉義駅に着く。この駅を過ぎるとまもなく北回帰線を越える。北回帰線とは、夏至の日に太陽の真下になる地点で、北緯23度27分にあたる。子供のころ世界地図を見てこの言葉にとても不思議なものを感じた。そして、大人になって北回帰線を超える日が来ることが信じられない気がした。夢にまで見た北回帰線、線路の右側にUFOのような形をした建物が見えてきた。私は子供のように窓ガラスに顔を押し付けるようにして見ていた。
 台湾の古都台南を過ぎて、隣の女性は目を覚ました、そして岡山に着くとむっくりと起きあがって列車を下りた。こんどは少し若い女性が席に着いた。いいタイミングで目が覚めた女性も見事だが、効率よく指定券を発売する台湾の鉄道のシステムも見事なものだ。
 台湾高鉄の終着駅になる左営を過ぎると間もなく高尾の市街地に入る。5時間45分で台湾をほぼ縦断したことになる。

写真を追加しました

台湾旅行のフォトアルバムに新しい写真を追加しました。今回は高雄や台南など台湾南部の写真が中心になります。

プロフェッショナル

 給食でもっとも大事なことといえば、衛生的で栄養のバランスがとれ美味しいことだろう。しかし、肢体不自由養護学校の給食では、それに加えて特別食への対応という難しい問題がある。特別食とは、咀嚼(食べ物をかむこと)や嚥下(食べ物を飲み込むこと)、消化などに問題を抱えた生徒が多い。そして、身体の健康を維持するための食物が不適切な状態や不適切な介助があればそのような生徒にとっては生命を危険にさらすこともありえる。誤嚥性肺炎などと呼ばれる状態がそれだ。
 そのため、私たちが食べるものと同じ「普通食」と呼ばれるものから、おかずを細かく切った「刻み食」、調理後煮込んで軟らかくした「煮込み食」、ミキサー等で流動化した「ペースト食」と生徒の実態によってきめ細かく食事を提供するようにしている。

 私の学校の栄養士さんは、そのような多様な状態の生徒に合わせて栄養のバランスがとれた美味しい給食を作ってくれるばかりではなく、生徒の好きなものまで把握して、好きな食材だけ別にペーストにしてくれるなど、きめ細かい仕事をしてくれる。本当に頭の下がる思いです。この学校で一番のプロフェッショナルは栄養士さんだと思っています。本当に毎日ありがとうございます。

美麗之島~台湾紀行 その5

【12月31日 大魯閣渓谷】

 大晦日の台北は蒸し暑かった。台北駅の切符売り場には長い列ができていた。今日は台湾東部の花蓮まで列車で行き、バスで大魯閣(タロコ)渓谷を往復し、夜の列車で台北に戻る行程である。幸い8時30分の「自強号」(日本でいうと特急列車)の指定席が取れた。シルバーのスマートなボディにオレンジとレッドの鮮やかな帯が入った「自強号」がプラットホームに入ってきた。5歳くらいの男の子が「ツージャンハオ!(自強号)」と声を上げた。台湾の男の子も電車が好きなのだと嬉しくなった。私も、電車を見ると大喜びする子供だった。常磐線を走る「ひたち号」や「みちのく号」を見ては目を輝かせていた。懐かしくも嬉しい光景だ。
 車内に入って驚いたのがシートのつくりが贅沢なこと!座席と座席の間隔は日本の特急列車を超えていて、むしろグリーン車に近い。腰を下ろすとすぐに発車した。通路側に座った相棒は早くも寝る体制に入った。
 台北の郊外をゆっくりと走る。高架橋を作る工事が行われているためだろうか。基隆への線路が分かれると、山間の渓谷になりカーブが多くなる。ずいぶん遅い特急だなと思っているうちにスピードが上がった。山間部から宜蘭平野に出たからである。宜蘭平野は、水田が広がり、家の周りには椰子の木やバナナが植えられている。植物の種類こそ違うが、どことなく日本の農村風景を見ているみたいだ。
 有名な炭酸泉のある蘇墺新駅をすぎると、台湾の中央山脈がそのまま海へとつながる険しい地形が続く。山の中を走ったと思ったら、海沿いの断崖を走る、そう思っているうちに長いトンネルに入る。めまぐるしくも楽しいものだ。時折見える海の色が美しい。福島の海の色はエメラルドグリーンだがここの海は本当のマリンブルーだ。
 大きなセメント工場がある。このあたりの山は石灰岩や大理石の岩盤でできているのだ。台北から2時間30分で花蓮駅に着く。

 花蓮駅に着くと、タクシー運転手が何人も近寄ってくる。私たちはバスで行く予定だから、彼らを振り切って観光案内所に向かう。観光案内所でバスの時刻を尋ねるが、1時間30分ほど空いている。今日中に台北に帰らなければならないことを考えるとちょっと厳しいことになった。ちょうどそのとき、女性のタクシー運転手が声をかけてきた。相棒と顔を見合わせたが、ここはタクシーを使う以外にはないだろう。料金交渉をする。運転手はNT$2,200を提示したが、私たちは1,800までまけさせた。
 
 花蓮駅を出ると、片側2車線の道路を快調に走る。私たちは昼食をまだ済ませていなかったので、運転手に何か美味しいものはと聞いて、道路沿いの弁当屋を勧められた。値引きさせたこともあり、運転手の分の弁当も買っておいた。それにしても英語が上手な運転手だ。私は英語力はかなりお粗末だが、相棒はワーキングホリデーで海外で生活した経験もある。2人の会話になかなか入っていけないのが悔しい。

 両側に並木が続いているが、よく見ると枝の折れた木が多い。秋の台風でやられたそうだ。以前は見事な緑のトンネルだっただろうと思うと残念だ。間もなく東西縦横公路のアーチがある。台湾中西部の台中と東部の花蓮を結ぶこの道路は、地形が険しく陸の孤島であった台湾東部の開発のため、退役軍人たちの手を借り作られた。しかし、難工事でたくさんの人が命を落とした。タクシーを止め、写真を撮る。再びタクシーを進め、大魯閣ビジターセンターで渓谷に住む動物や植物の展示を見て、弁当を開く。弁当に「池上米」と書かれている。台湾で有名な米どころだ。炊き込みご飯になっているが確かにうまい米だ。
 脇道にそれてすぐにあるのが長春祠。この工事で亡くなった人の霊を慰めるために作られた。断崖をくりぬいて作られた道を進むと中国風の小さな祠がある。それにしても何と深い谷だろう。見上げると100m以上はあるだろうか。しかも、切り立った崖はほとんど垂直である。私は日本でいくつもの渓谷を見てきたが、こんなに険しい渓谷は始めてみた。地球は人知を超えた芸術作品を作ったのだ。息を呑んだ。
 このほかにも、景勝地ではタクシーを止め、私たちに説明してくれる。幸い、私でも聞き取れる早さで説明してくれるので何とかわかる。九曲洞といって、垂直に近い崖に横穴を空けて道を作ったところもある。現在は立派なトンネルもできて、歩行者もゆっくり歩けるが、祖国の発展のため困難な工事に挑んだ人々の執念を感じる。
 そんな景色が一変した。小さな盆地があり、お寺やホテルが建っている。小さな公園には僅かであるが梅の花が咲いていた。大魯閣渓谷観光の拠点、天祥であろ。さっそく、お寺の七重の塔に登って見る。桃源郷、この言葉がぴったりの風景だ。風も台北や花蓮の町とは違ってさわやかだ。お土産物屋で梨を買う。日本では完全に季節が番うが、台湾では今が季節なのであろう。みずみずしくなかなかの梨であった。
 もと来た道を花蓮駅まで戻った。帰るころには英語で冗談を言い合えるほどリラックスしていた。
 帰りはすぐの列車は予約がとれす、18時の自強号になった。しばらく花蓮駅の周りを歩いた。帰りの列車では疲れていたのか私もたちまち眠ってしまった。

この街の味

今日は仕事でとても疲れた。仕事帰りにスーパーに行って買出しをして、家に帰って料理をすることを考えているうちに億劫になってきた。それでは・・・またあの店に行ってみようと思った。あの店とは、職場から自転車で10分少々のところにあるラーメン屋さん。トンコツラーメンがとても美味しく、とくにやわらかい豚角煮の乗った「角煮トンコツラーメン」が好きだ。秋にはじめてこの店に行ってから月に1度くらいこの店に通っている。この街に引っ越してきて、はじめてできたなじみの店、いわばこの街の味になったわけだ。すこしだけこの街での生活に慣れてきたのかもしれない。

美麗之島~台湾紀行 その4

【12月30日 ② 基隆・北部海岸・台北の夜】

 台北駅は巨大な建物だ。線路は地下を走っているので、博物館か記念館に見える。窓口に「電車 基隆」と書いた紙を差し出し、指で「2」と示すとたちまち切符が出てきた。地下のプラットホームに降りるとダイヤが乱れているようで、しばらく待つことになりそうだ。今日は朝から歩きどおしで疲れていたのでベンチに座る。隣に座っている女の子が教科書を広げて一所懸命に勉強している。横から覗いてみると「五代十国」と書かれているから歴史の教科書であろう。
 遅れていた電車がやってきた。シルバーのボディにブルーのラインが入った電車だ。雰囲気は日本の電車に近いが、窓がやや小さいこととシートがビニール張りであることが違う。次の松山駅から地上に出て台北の郊外を走る。日本と違って、一戸建て志向がないのだろうか、アパートが続いている。だんだん山が迫ってきてくる。台北は盆地の中の町である。ちょっとした山を越えると基隆は近い。基隆も両側が山に囲まれて坂の多い町だ。いつのまにか雨が降り出した。


 雨降りの基隆駅に降り立った。港町らしい風情があるというこの町をゆっくり歩こうと思っていたが、この雨ではどうしようもない。とりあえず近場ということで港に向かって歩き出したが、ずぶぬれになりそうで少し眺めただけで引き返す。どうしたものかと相棒と相談しているうちに、基隆から淡水という町まで台湾の北部海岸を走るバスがあることを思い出した。駅前の観光案内所に行って淡水行きのバス乗り場を英語で尋ねると日本語で答えが返ってきた。案外日本語が通じるものだ。
 間もなくバスがやってきた。運転手に英語で料金を聞いたが、私たちの発音が悪かったのかうまく通じなかったが、指で「1」「5」「0」とサインしてくれた。2人分なのでNT(台湾の通貨、新台幣とも言う)300を運転手に渡す。
 バスは基隆駅を発車すると、すぐに急な坂道を登り始める。振り向けば基隆港がだんだん小さくなる。崖にへばりつくように建物が軒を接するように建っている。私は3年半前に訪れた長崎の風景を思い出す。しばらく山を越える。バスの運転は日本と比べるとやや荒い。発進や停止が急だ。それが気にならないくらい車窓が変化に富んでいて面白い。せっかくの景色だが相棒は気持ちよさそうな寝息を立てている。テレサ=テンの墓地があるという金山から海岸線に出る。台湾近郊のリゾート地になっているのだろう。日本で言う民宿のような建物やレストランが並んでいる。だんだん日が暮れてきた。もう少し明るければ言うことないのだが。夕方の海岸は寂しげだ。やがて、完全に暗くなり、バスは闇の中を走る。相棒はやっと目を覚ます。
 やがてにわかに車窓に明かりが増えた。淡水の町に入ったようだ。それまでが寂しい海岸が続いていたから、高層マンションの明かりやお店の看板がやたらまぶしく、別世界に来たようだ。

 
 終点の捷運(地下鉄)淡水駅前でバスを降り、捷運で士林夜市に行く。台北にいくつかある夜市のなかで、ここが一番規模が大きいとされる。夜市は八角(中華料理でよく使われるスパイス)と臭豆腐(豆腐を発酵させた食品らしいです)の匂いとたくさんの人々の熱気が満ちていた。これは面白いぞと思った。いろいろな屋台を物色しながら歩くのは楽しい。私達は魯肉飯(豚の細切れ肉を醤油やスパイスで煮込んでご飯にかけた料理)と排骨(豚のスペアリブ)のスープをいただいた。台湾料理は独特のスパイスが苦手だという人もいるが、私はとても美味しくてたちまち平らげてしまった。

美麗之島~台湾紀行 その3

【12月30日 ① 台北いま・むかし】

 12月30日、台北は曇り空だった。8時前にホテルを出る。中山北路(台北市を南北に走る大通り)は既にスクーターやバスがたくさん走っていた。台湾の人たちの運転は荒い。日本がおとなしすぎるのかもしれないが、赤信号でも交差する道路に人やクルマがいなければ進むのが台湾流。台湾に来たばかりの私は、横断歩道を歩くのも少し怖い。

 捷運(日本で言う地下鉄)中山駅に行く。駅の中には香ばしい香りが漂っていた。パン屋さんには焼きたてのパンが並んでいた。ここでパンを買い捷運に乗る。民権西路駅から地上に出て次の圓山駅で降りる。西に5分ほど歩くと椰子の木に囲まれた孔子廟がある。公園の少ない台北の人々にとって孔子廟は貴重な緑地なのだろう。おばさんたちがおしゃべりをしていたり、子供たちは体操をしていたりする。私たちもおしゃべりをしているおばさんたちの近くに座り、さっき買ったパンを広げる。頭上を頻繁に飛行機が通過する。台北の市街地東部に松山機場があるので、そこに着陸する飛行機だろう。
 腹も満ちてきたところで、参拝に行く。大成殿(本殿)であるが、屋根のツバメの尻尾のような反り返りが美しい。台湾では今でも孔子は精神世界の中で大切な地位を占めているのであろう、たくさんの人が参拝に来ていた。私も彼らのまねをして台湾式のお参りをする。線香を両手で持って高くかざし頭を下げる。学問のご利益があるかもしれない。すぐ近くには、医学の神様を祀る保安院もありそちらもたくさんの人が参拝していた。
 
 再び捷運に乗り、台北駅を過ぎ中正紀念堂駅で下車する。間もなく信じられないような巨大な門と、そのはるか奥に巨大なドーム状の屋根を持つ建物が現れる。これが中正紀念堂である。中正とは中華民国~台湾の政治家である蒋介石(1887~1975)の字(あざな=日本で言う雅号に近いもの)である。高さが30メートルある高い門には「大中至正」と刻まれている。蒋介石の好きな言葉だということだ。門の先には左右2つの建物を挟んでサッカーコートが楽に取れそうな広場があり、その奥に紀念堂がある。広大さに圧倒されていると、相棒は北京の天安門広場に比べればたいしたことはないと言う。それはそうだろうが、大陸国家と島国を比べるのは酷だ。おそらく台湾東部で産する大理石で作ったのだろう、まぶしいほどに白い。蒋介石の没年齢と同じ89段の階段を上ると建物の中には椅子に座った巨大な蒋介石の像があり、衛兵が直立不動の姿勢で立っている。個人崇拝は好きではないが、このあたりの感覚は日本人的な視点で見てはいけないのだろう。まもなく、衛兵の交代が始まった。交替の衛兵が紹介石像に敬礼すると、こちらを向いて銃をくるくると回したり、床に打ち付ける。15分くらいかかっただろうか、彼らの動きにはまったく乱れはない。さすがにこれには感服した。

 早めに炒飯の昼食を済ませると、捷運とバスを乗り継いで故宮博物院に行く。中国の歴代王朝は、文化遺産の収集に殊のほか熱心だった。例えば北宋の徽宗、清の乾隆帝、彼らにとって絵画、書、陶磁器、玉器、その他の中華文明の文化遺産を保持することは中華文明の継承者であることを国の内外に示す手段だったのであろう。辛亥革命で清が滅亡した後、かつての宮殿(紫禁城)に作られたのが現在の北京故宮博物院である。その後、国民党と共産党の内戦があり、国民党が敗れて台湾に政権を作ったが、故宮博物院の文化遺産の一部も台湾に持ち込んだ。そのため、北京と台北に故宮博物院があるのである。台北の故宮博物院は規模こそ小さいものの、収蔵している文化遺産の質量ともに北京に劣るものではない。イギリスの大英博物館、フランスのルーブル美術館、アメリカのメトロポリタン美術館とともに、台北・北京の故宮博物院が世界四大博物館と呼ばれている。
 「天下為公」と大書されたのアーチを見て、故宮博物院に入る。紫禁城をイメージしたものと思われる建物は一部改装中であったが、内容はさすがにすばらしかった。私は陶磁器が好きで、とくに宋代の磁気が好きだ。唐三彩や、明や清の時代のコバルトブルーに彩色した磁器も悪くないが、宋代の少し青い色が入った磁器の美しさは格別だ、何と深く神秘的なのだろう。混雑しているにもかかわらず、しばらく見入っていた。その他にも、日本、中国をはじめアジア各国の仏具の展示が面白かった。少し早足で回ったが、見終わった時には足が棒になっていた。
 
 

あなたの日本語大丈夫?

 ワープロソフト「一太郎」や日本語入力ソフト「ATOK」などで知られるJUSTSYSTEMのサイトに「全国一斉日本語テスト」がありました。送り仮名や慣用表現、ら抜き言葉など普段使われる日本語の力を試すものです。以下のURLをアドレスバーにコピーしてテストを行ってください。

http://www.atok.com/nihongotest/?w=atokcom

 ちなみに平均点は60点ということです。私がやってみたら74点、平均点は超えましたがまだまだ努力が必要なようです。

美麗之島~台湾紀行 その2

【12月29日 台北まで】

 成田空港第1ターミナル、キャセイパシフィック航空のカウンターには長い列ができていた。今日は日本から海外へ出国する人のピークの日だという。私と相棒はすぐに並ぶことは諦めて、展望デッキに行って離着陸する飛行機を眺めていた。テレビやネットや本の中でしか見たことのない国の飛行機が行き来している。社会科の教員として非常に恥ずべきことなのだが、世界の中の日本って、今ひとつ実感できずにいたから、とても新鮮なことだ。
  離陸までの時間が迫り、チェックインカウンターに行く。まだ列は短くならないがやむをえない。30分近く待たされてチェックインを済ませると、出国審査、私の真新しいパスポートに日本出国のスタンプが押された。初めての海外旅行なので、どんなことを調べられるのかと思ったら、手荷物をちょっと見るだけで簡単にパスできた。
 
 15時40分、キャセイパシフィック航空451便は成田空港を離陸した。北へ向かって離陸するとすぐに南へと向きを買え、東京湾、横浜上空と進む。富士山の噴火口を上から見上げる。国内線は富士山を横から見ることになるので、初めての経験だ。憧れの女性の裸をいきなり見てしまったような、不思議な気持ちになる。
  南アルプスの山々が白く輝いて神々しい。伊勢湾から淡路島、四国山地と、飛行機の小さな窓の外に流れる景色は美しく、楽しいものだ。一方相棒は座席モニターに流れる映画に見入っている。こいつは時々カチンと来ることを言うが、気を遣わなくていいから、一緒に旅行するのは楽だ、こちらがしばらくふくれていればまるく収まるのだから。高知県の宿毛上空だろうか、気流が悪くなった影響でしばらく揺れた。宮崎県の上空になったはずだが、雲が厚く下界が見渡せない。身のぱさついた魚の機内食を食べるとすることがない、映画も途中からでは面白くない。窓の外を見ると、夕焼けが雲を茜色に染めている。飛行機は西へ進んでいるから、夕焼けはなかなか没しない。「きれいだな」、ひとりでつぶやいてみた。
 飛行機は降下を始めた。主翼の照明が雨粒を照らし出している。そして、明かりの少ない台北中正機場に着陸した。はじめての台湾は雨がしとしとと降っていた。 飛行機のドアが開き、いよいよ台湾の空気を吸う。暖かく、湿った空気だ。私は大きく息をした。なんとなくスパイスの香りがした。

 中正機場は、殺風景だ。入国管理の職員も表情が固まっているように見えた。そう見えたのは、初めての海外で私が緊張しているからだろうか。
 大分待たされて荷物を受け取る。台北市内行きのバスは数社が競合しているようだ。私たちがまごついていると、台湾の方と思われる女性が英語で話しかけて、バス乗り場を教えてくれた。「謝謝!」と中国語でお礼を言うとにっこりしてくれた。私の緊張もこれですこしほぐれた。

 台北行きのバスは、日本なら田舎バスでしか見ないような古いバスだった。空港を出てしばらく一般道を走る。日本では見ないような看板が並んでいる。よく見ると日本企業の看板も多い。バスは高速道路を走る。やっと気がついたが、台湾では右側通行だ。
 淡水河にかかる長い橋を渡ると台北市だ。新しい建物が多い。車は予想以上に日本車が多かった。もう夜8時近いが台北の町はまだまだ活気にあふれていた。
 
 私たちは台北駅の近くでバスを降り、近くの安宿に泊まった。飛び込みだがツインの部屋が空いていた。日本ならまともなホテルには泊まれない値段だが、狭いもののそこそこきれいな部屋で、バスルームも許容範囲内の清潔さだった。

3学期のスタート

 今日は始業式、生徒たちと久々の再会であった。みんな風邪もひかずすこぶる元気そうであった。今日から3学期、中学部3年生にとっての3学期はとても短い。これから、高等部入試、卒業式とあっという間に過ぎてしまう。生徒たちの健康が大事なことは言うまでもないけど、私の健康も大事、風邪をひかずに生徒たちの中学部生活のしめくくりを有意義なもののするために頑張ろう!

美麗之島~台湾紀行 その1

 16世紀、東アジアにやってきたポルトガルの船乗りが台湾の沖を通りかかった際に「ILHA FORMOSA!(イラ・フォルモサ=おお、何と美しい島よ!)」と思わず声をあげたそうだ。マレー=ポリネシア系の人々の住むこの島は、中国本土から近いにもかかわらず、歴史も表舞台に出てくるのは遅かった。17世紀になると、オランダ、スペイン、中国の人々が拠点を築いた。アジアに覇をとなえた明帝国滅亡の際、明の皇族を擁立して、日本人を母に持つ鄭成功は台湾を根拠地として新しい王朝、清を悩ませた。やがて清の統治が安定すると、福建省を中心とする華南の人たちが移り住んだ。
 19世紀末、衰えた清帝国は日清戦争で破れ、この島を日本に譲り渡すことになった。50年間の日本による統治は基本的なインフラの整備という功の面があれば、一方で罪の面もあっただろう。敗戦後中華民国がこの島の支配者になった。共産党との内戦に敗れた中華民国(国民政府、国民党)は、台湾にもともと住んでいる人と摩擦を引き起こしながらも、戒厳令を施行し、厳しい政治のもと、大陸の中華人民共和国に対抗していた。1980年代から政治的な民主化も進み、「アジアNIES」あるいは「4頭の龍(韓国、台湾、香港、シンガポール)」とよばれ、驚異的な経済成長を遂げた。一方、1971年に国連の議席を失い、政治的には孤立しているという矛盾した状況も抱えている。
 地理的にも、歴史的にも、経済的にも日本とのかかわりが深く、親日的な人も多いこの国に、私は以前から熱い視線を送っていた。初めての海外旅行だが、この国の「今」を見てこようと思う。

写真を掲載しました

 台湾の写真を掲載しました。今回は台北市と花蓮県の太魯閣渓谷の写真です。引き続き台南市、高雄市、台北県淡水鎮の写真も掲載します。どうぞお楽しみにしてください。

かぜひいた

 昼間は半袖Tシャツで過ごせる台湾から厳寒の福島に戻ってきて案の定風邪をひきました。多少のどが痛いくらいでそんなにひどくはないのですが、もうすぐ3学期であり、今日は3連休の初日でもあり、家でゆっくり身体を休めていました。普段読んでいない本をゆっくり眺めていました。私は本屋さんが好きで、買っても読んでいない本がたくさんあるのでいい機会になりました。年末年始はだいぶ動いたので、今度の3連休は心穏やかにのんびりとすごしたいと思います。

帰国

 先ほど台湾から帰国しました。台湾は半そでTシャツでいられるほど暖かかったのですが、福島はとても寒いです。
 今回の旅は、いろいろなことを考えさせられました。このたびの記録をじっくりと書いていきたいと思います。時間はかかるかと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。また、写真のほうは早めに掲載します。そちらもどうぞお楽しみに。

台湾の街角から

台湾を旅して一番うれしいのは、台湾の人達の優しさです。バスの乗り場を知りたい時、観光地までの道を知りたい時、私が片言の英語で話すと、一生懸命に聞いてくれて、丁寧に答えてくれます。だから海外にもかかわらず心配することなく旅をすることができます。この国の人の優しさ、私は大好きです。

北回帰線から謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。皆様はどのような新年を迎えられたのでしょうか?私は高校時代以来の相棒と台湾の台北に来ています。テレビのカウントダウンに合せて、相棒とビールで乾杯をしました。 29日に日本を出て、台北市内、東部のタロコ渓谷を見てきました。相棒は今日帰国します。私は今列車で南部の高雄に向かっています。また台湾からブログの更新をするかもしれません。
どうぞ今年もよろしくお願いします。また、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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