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2006年2月の19件の記事

「天使にラブソングを」

 歌って踊れるシスターさんたちのお話。クラブシンガー、デロリス(ウーピー・ゴールドバーグ)がある日殺人時事件の現場を目撃してしまう。警察に駆け込むがばれれば殺されるということで、裁判まで身を隠すようと言われた先が修道院。デロリスに修道院生活は退屈極まりなく耐え難い。何事にも厳格な修道院長と衝突するが、シスター達とは次第に仲良くなっていく。そこで彼女は修道院のオソマツな聖歌隊の指揮をすることになる。ロック調に編曲した賛美歌を歌って院長ににらまれるが、ミサは評判になる。その矢先、デロリスは殺人犯達にさらわれてしまう。シスターたちの活躍により、デロリスは無事救出。そして、ミサでの聖歌隊の歌は大成功を収める…!

 とにかく面白い!ロックのリズムに合わせて踊ってるシスター、それだけでおかしくなってきます。デロリスを救出すべく、神の言葉を借りてヘリコプターの操縦士に無理やり操縦させるシスター達の様子を見て、腹を抱えて笑ってしまいました。最後のミサで歌い場面では目頭が熱くなりました。テンポよくストーリーが進んでいくので、飽きることなく最後まで見れます。

 1992年アメリカ 主演 ウーピー・ゴールドバーグ 監督 エミール・アンドリーノ

模試

 高等部入試まであと1週間強、今日は過去問題を使って模試を行った。養護学校の高等部入試と言っても、想像がつきにくいかもしれないが、生徒が普段の学習で行っている教育課程(カリキュラム)ごとに試験を行う。私の勤務する学校の場合、通常の中学校と同じ、国語・数学・英語(外国語)・理科・社会の5教科で行う試験、国語・数学を生徒の実態に合わせて行う試験、自立活動の検査と言って、コミュニケーション・移動能力・指示理解などを測定する試験の3と通りで行われる。
 生徒達は緊張していた。初めての経験だし、それも当然だろう。それでも、一生懸命に試験に取り組んでいる生徒達、入試でいい点数を取ること、もちろん大切なことですが、真剣に1つの目標に向かって努力するとこ、苦しいことが多いとは思いますが、将来に向けて大事な経験になって欲しい。心からそう願っています。

美麗之島~台湾紀行 その12

【1月5日 再見!美麗乃島】

 1月5日、昨日の疲労が嘘のように体調がいい。朝食に和食を食べる。味噌汁、漬物、鯖の塩焼き、生野菜のサラダ、そして白いご飯。台湾の食事は美味しかったが、そろそろ和食が懐かしくなってきた。とくに、ご飯と味噌汁の美味しいこと、やっぱり私にとってのソウルフードなのだろう。今日は、疲れが残っていたら10時くらいまでホテルで休養して、ホテルのすぐそばのバス停から空港行きのバスに乗ろうと思っていた、しかし、ここに来て欲が出てきた。まだ2つやり残していたことがあった。ひとつは、孫文が台北に滞在した際に宿泊した旅館が「国父史跡記念館」として残っている。台北駅のすぐそばなので、ぜひ見ておきたい。もう1つは、台湾の鉄道のうち、日本の座席指定の快速列車に当たる「復興号」に乗っていないので、空港に近い桃園駅まで乗ってみたい。台北駅前息のバスに乗る。この道は中山北路といって、初日空港から台北駅行きのバスで通った道だ。その後、歩いたりバスに乗ったりして何度も通った道だ。この風景ともしばらくお別れになる。目頭が熱くなる。初めての海外旅行、そして、後半は一人旅、言葉が通じない国であるが、この国の人々も、この国の自然も私を優しく受け入れてくれた。本当にいい旅だったと思う。

 国父史跡記念館は閉まっていた。開館時間まで待っていては日本に帰る飛行機に乗り遅れてしまう。次回の楽しみにとっておくことにし、台北駅に向かう。今日も台北駅は混雑していた。私は9時10分発の復興号の乗車券を手に入れた。発車まではあと30分くらいあるが、早めにプラットフォームに下りて、行き交う列車を見ていた。
 復興号は数分遅れてやってきた。大分古い車両であるが、座席は少しだけリクライニングして、なかなか快適であった。復興号は空いていた。料金こそ安いが、速度が遅いためであろう。もっと遅く走れ、心の中で念じた。この国の風景を心の中に刻み付けたかった。

 桃園駅で列車を降りた。バスの場所がわからなかったので、中学生くらいの男の子に教えてもらった。目指すバス停はセブンイレブンの目の前にあった。次のバスまで20分くらいあった。その間におじいさんと話をした。戦前の日本に住んだ経験があり、その後も貿易の仕事で日本と台湾の架け橋として活躍された方で、日本のことを深く理解されている方だ。短い時間であったが、本当にいい方と出会った。手紙を送るから住所を教えて欲しいとおっしゃった。(その後本当に手紙をいただきました、2月17日のブログを参照してください)
 桃園駅からのバスは、郊外の住宅地を走る。30分ほどして、中正国際機場が見えてきた。私の旅もいよいよ終わりが近づいてきた。
 成田行きの飛行機は混んでいた。中正国際機場を離陸すると、すぐに雲の中に入って、地上の様子が見えなくなった。この旅で出会った人々の顔が思い出される。花蓮の英語の堪能な女性タクシードライバーは、今日もフレンドリーなお客を乗せて大魯閣渓谷を往復しているだろうか。高雄のホテルのお兄さんは今日も日本人客の下手な英語を必死に聞いているだろうか。私にバス代をおごってくれた女子大生3人は、今日は台北の大学のキャンバスで勉強しているだろうか。台南のにぎやかな銀髪長者のみなさまは、今日もウンジャンと大声でおしゃべりしているだろうか。そして、今日のおじいさん。
 本当に楽しい思い出をありがとう、美麗乃島、そしてこの国の皆様、再見!(さようなら)そして、謝謝!(ありがとう)                                                

※ 長い文章で、ところどころ読みにくい箇所もあったと思います。読んでくださった方には心より御礼を申し上げ  ます。よろしければ感想をいただければ幸いです。

舎監室より

 昨日は学校の寄宿舎での夜勤でした。私たちの学校には、遠方から来ている生徒や、集団生活の中で将来の自立に向けての経験をつもうとしている生徒が月曜朝から金曜夕方まで生活しています。
 
 昨日は、インフルエンザや風邪の影響で、生徒の数は少し少なかったです。それでも、みんなでテーブルを囲んで取る夕食は楽しい。夕食後は、自由時間、テレビを見る生徒、友達とお話しをする生徒、音楽を聞く生徒、それぞれが思い思いに過ごします。私は各部屋を回って生徒達と一緒に過ごします。そんな時、学校ではなかなか見られない生徒達のホンネの部分が聞けることがあります。その後の学習時間は、学校から出された宿題やそれぞれが自分で課題を見つけて学習をします。その間舎監の私は寄宿舎内を見回り戸締りの確認をします。就寝は生徒によりそれぞれですが、布団を引いたり、着替えをしたり、親に頼っていた生徒が多いので、入ったばかりの生徒は苦労していることも多いです。
 午後10時過ぎ、寄宿舎指導員や補助員との打ち合わせも終わり、私がひとりになれる時間がやってきます。私は鞄の中に文庫本を忍ばせています。昨晩は宮脇俊三の紀行文を持ち込みました。読んでいるうちにうつらうつらしてきました。11時30分過ぎ就寝。
 寄宿舎の朝はのんびりで、6時半を過ぎても静まり返っています。人の動きがあるのは厨房のみ。私も生徒達とテレビでトリノオリンピックを見ていました。フィギュアスケートの荒川静香が金メダルを取ったときには寄宿舎中にどよめきと拍手が起きました。朝食を取ると朝の集いがあり、舎監として生徒に話をする。私は、風邪やインフルエンザで休んでいる人が多いので、気をつけるようにとの話をした。これが終わると、私も生徒も学校に行かなければならない時間が迫っている。ゆっくりとした朝はあわただしく終わった。

ラストスパート

 私たちの学校でも卒業式の練習が始まりました。最初の練習と言うことで、卒業式までの日程の説明、卒業式の流れ、入退場の練習などをしました。卒業学年の担当になるのは3回目。過去2回は高等部だったので、これで学校生活の締めくくりという緊張感がありました、今回は中学部の卒業学年ということで、高等入試と言う別の緊張感があります。いずれにせよ、生徒達には一生で一度の「15の春」堂々と胸を張って卒業させてやりたい。これから、入試、卒業式と生徒達も私たちも目の回るような日々がやってくると思います。中学部生活のラストスパート!生徒達と一緒に手を取り合って思いっきり走り抜けます。私のことだからどこかでずっこけてしまうかもしれませんが・・・

ちょっと贅沢な午後

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 今日は暖かく、天気もいいので公園に行ってみる。雪もだいぶ融けている。日差しはすっかり春の陽気だ。1時間くらい散歩をして、おなかが空いてきたので昼食にする。今日の昼食は、鳥栖駅(佐賀県・JR九州)の駅弁「焼麦弁当」。近くのスーパーマーケットに行ってみたら、駅弁大会をやっていたので、いくつかある駅弁の中からこれを選んだ。中身はかしわめし(九州では鶏飯のことをこのように呼ぶことが多い)と幕の内弁当風のおかず、そして鳥栖駅名物焼麦(しゅうまい)。かしわ飯のよく味のしみた鶏肉に、海苔の香りがおいしい。しゅうまいも冷たい状態で美味しく食べられるにはよほどの工夫があったのだろう。
 公園を出て、少し車を走らせると、山のふもとの田んぼにたくさんの白鳥たちが羽を休めていた。白鳥の姿は本当に優美だ。羽を広げているところを写真に取れなかったのは残念だ。休日の午後、のんびりと、そして、少しだけ贅沢な時間を過ごすことができた。

美麗之島~台湾紀行 その11

【1月4日 空中散歩と淡水の夕陽】

 今日は1日台北市内と近郊を見て歩く。はじめに、ホテルの近くのバス停からバスで龍山寺に行く。龍山寺は捷運(地下鉄)のほうが便利だが、バスなら市街地の様子をゆっくり眺めることができる。中山北路はオフィスやホテルが多いが、台北駅を過ぎろとデパートや商業ビルが増え、西門駅を過ぎると東京で言えば上野や浅草のような下町の雰囲気になってくる。台北の路線バスは、電光掲示板で次のバス停が表示されるから、漢字さえ読めれば利用できる。タクシーや捷運では見ることのできない台北を見ることができるから、ぜひ利用して欲しい。

 捷運の龍山寺駅前でバスを降りる。龍山寺は1737年に建立された、台湾で最も古く、そして有名なお寺のひとつです。孔子廟などとは違い、お寺のつくりは派手である。奥のほうから歌声が聞こえてくる。何だろうと思って入ってみるとお経のようだ。台湾ではお経は唱えるのではなく歌うのだろうか。ここでも、おばあちゃんが私に線香を2本持って、頭の上にかざす台湾式の参拝の仕方を教えてくれる。

 龍山寺を出ると、捷運に乗り、国父記念館に行く。国父とは、辛亥革命の立役者、孫文の業績を後世に語り継ぐために作られた。捷運の駅を出て、小学校の校舎をちらりと見ると、大きな建物が現れた。建物の広々とした前庭があり、色とりどりの花が咲いている。ここでも衛兵の交代を見ることができた。中正祈念堂に比べると雰囲気はのんびりしたものである。内部には、孫文と中国の革命の歴史が展示されている。日本語での説明もあった。もうひとつの展示室には、台湾の人々の書道や絵画の作品が展示されていた。

 並木道の通りを歩く。台北の町の様々な顔を見た。台北駅周辺はアジア的なエネルギッシュさを感じた、龍山寺付近は下町の香り、そして、このあたりは、近未来都市的な整然さである。もっとも、行き交うバスは極彩色に塗られているが。目の前に台形を重ねたような不思議な形のビルが現れた。現在世界で最も高いビルである台北101である(地上101階、地下5階、508メートル)下層階のショッピングモールやレストランはまだ開いていないようでひっそりとしていた。エレベーターに乗り換え、89階の展望台に登る。展望台の料金はNT$350と、台湾の物価になれた私には高く感じる。このエレベーターの速度は世界最速であるそうだ。たしかに、ものすごい加速感である。
 残念ながら、薄く霞がかかっていたが、やはりすばらしい眺めだった。台北という都市の立地条件がよくわかった。淡水河と基隆河(淡水河の支流)が作る小規模な盆地にできた町だ。この広さに270万人の人が住んでいるのだから、びっくりする。南側には山が迫っていて、お茶が栽培されているそうだ。

 台北101を出ると、ラーメンの昼食をとり、バスで民権西路駅まで行く。ここから捷運に乗り換え、北投駅で、一つ目小僧のような電車に乗り換える。北投駅と新北投駅を往復している電車である。右にカーブをしながらゆるゆると走るとすぐに新北投駅である。新北投は温泉地として名高い。駅のすぐ前に公園があり、温泉博物館があるという。椰子の木の囲まれた公園を歩くと、古いレンガ造りの建物がある。これが温泉博物館である。内部は和風のつくりでかつて、日本統治時代に公共の浴場として建てられたようである。公園内に浴場があった。ここで一風呂浴びようとタオルを用意してきたが、「水着を着用してください」という表示があった。残念ながら水着は持ってきていない。残念だが諦めるしかないようだ。坂を上ると地獄谷がある。90度近い高温の温泉が湧き出しているところである。ものすごい湯煙である。

 夕暮れが近づいてきた。捷乗り運に乗り、終点の淡水で降りる。すぐバスに乗り、紅毛城に行く。ここは、スペイン人が建設し、のちにイギリス領事館として使用された。レンガの色は美しいが、地下には監獄があった。地上には広い中庭のある優雅な空間、支配するものと支配されるものの大きな隔たりを感じた。ここから見下ろす淡水河の眺めは美しかった。さらにバスに乗ると漁人碼頭に着く。海産物の販売所や、レストラン、遊歩道があり、台湾っ子のデートスポットになっている。私はレストランに入り淡水河の河口を見下ろすことのできるテラスにある席に座り、コーヒーを飲みながら台湾での最後の夕陽を見ることにする。
 だんだん海と空の色が変わってくる。少しずつ空が青みを増し、やがて藍色になる。海は夕陽によってオレンジ色に染まる。本当に美しい。やがて、オレンジ色の太陽は名残惜しそうに西の海へ沈んでいった。 旅の終わりを実感した。私もっとここにいたい、心からそう思った。私は埠頭に出た。星が見えた、同じ星を中国の人も、日本の人も見ているだろう。初めての海外旅行、感じること、考えることが多すぎて一言ではいえない。しかし、1つだけわかったこと、国境を越え、もっと人々が理解しあえば、きっと世の中はよくなるだろう。
 階段で転んだ。さっきの紅毛城でも転びかけた。大分疲れている。今日は早めにホテルに帰ろう。

美麗之島~台湾紀行 その10

【客家人の里へ 1月3日】

 朝食をとりにホテルのレストランに行く。こじんまりとしたレストランには、おばさんとおばあさんの2人組がいた。親子だろうか。「ニイザオ(おはようございます)」と声をかけると「ザオ(おはよう)」と笑顔で返事が来る。気持ちがいい。おかゆとピータン(アヒルの卵の塩漬け、チーズのようなコクがある)、炒めた野菜の朝食を食べる。美味しいが、だんだん生野菜が恋しくなってきた。
 ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらい、高雄駅に行く。この町ははじめは無機質な町だと思っていたが、とても面白かった。第一印象は当てにならないものだ。

 高雄駅の窓口には長い行列ができていた。私は8時30分の「自強号」の指定席を取った。乗車券のほかに小さな切符のようなものがついてきた。これは、座席のホルダーに入れておけば、眠っていても検札のときに車掌に起こされることはない。日本では見たことのないサービスだ。私は新竹まで乗り、新竹で昼食を取る時間がないので、駅弁を買っておいた。
 発車直前に、ぱっとしないおじさんが私の隣に乗ってきた。ちらりと切符が見える、私と同じく新竹までの切符を持っていた。おじさんは英語で「日本から来たのですか?」と聞いてきた。私はそうですと答えると、おじさんは「何の仕事をしているのですか?」と聞いてくる。私は「養護学校の教員をしています」と答えたつもりであったが、私の英語力では十分に伝わらなかった。そのおじさんは私に名刺を見せた。北京にある中国有数の有名な大学の中国史の教授であった。新竹にも同じ名前の大学があるから、姉妹校なのかもしれない。そうだとすれば、予想以上に大陸(中国のことを台湾の人はこう呼ぶ)と台湾の文化・学術の交流は予想以上に進んでいるようだ。喜ばしいことである。
 教授氏は、弁当を開けて食べ始めた。見ると私と同じ駅弁だった。教授氏は、私が持っている中国会話の本に興味を示していた。指で指すだけで相手に意味が通じるように字や絵が大きく書いている。私は、せっかくの機会なので、故宮博物館の展示品や、私の名前の中国語読み、竹のように節のたくさんある椰子の木の名前(ビンランと言うそうである)たくさんのことについて質問してみた。教授氏も養護学校について興味を持ったようで、私に色々質問してきた。あわただしいが楽しい時間だった。

 自強号が新竹の駅に着き、教授氏に別れを告げて、内湾線の乗り場に向かう。台湾には行き止まりのローカル線がいくつか残っており、内湾線もその1つである。ステンレスボディの真新しいディーゼルカーに乗る。軽やかに新竹駅を出ると、たちまち車窓の風景はひなびてくる。畑が多くなり、日本でもなかなか見られなくなった屋敷林もある。バナナがたわわに実っていて、手を伸ばせば届きそうだ。このあたりは客家人が多く住んでいる。客家人とは、中国人の一部で、独自の言語を持ち、団結心が強く、勤勉で倹約家が多いことで知られる。中国では福建省や広東省で独特なドーナツ型住居に集団で住んでいる。台湾では、普通の民家に住んでいる。
 だんだん山が高くなり、谷が狭くなると終点の内湾に住む。このような立地にある集落を谷口集落と言う。日本のローカル線の終点はこのような地形のことが多い。列車の折り返しまで40分ほどあるので、内湾の小さな集落を歩いてみる。客家料理の看板を出した店が何軒かある。ここはちょっとした行楽地になっているのだろう。人通りが多く、にぎやかだった。私は自強号の車内で駅弁を食べたばかりだから、ここではみかんのジュースを飲むだけにする。台湾のみかんは日本ののみかんそっくりだが、皮が薄い。少し酸味があり、私は台湾のみかんのほうが好きだ。最近の日本のみかんはやたら甘すぎる。
 再び新竹駅に戻り、自強号で台北に向かう。台北駅に降り立つと、故郷に戻ってきたような不思議な感じがする。今回のホテルは日本から予約しておいた、旅の後半だし、疲れているからホテル探しは避けたかった。

 夜は台北駅の近くのデパートでお菓子や烏龍茶などを買い込む。日本の家族や友人、生徒達へのお土産である。その後、西門町に行った。東京で言えば渋谷のようなところだろうか、レコード屋に行くと、平井堅の「大きな古時計」が聞こえてきた。CDやDVDも日本のものが多い。台湾の若い人は日本文化への関心が高いそうだ。夕食は安くて美味しいものを食べようと思って、ガイドブックには載っていない中華料理店に入ってみた。メニューは漢字ばかりだが、適当に頼んでみようと思ったが、ウエイトレスのお姐さんが不安に思ってしまったらしく、店の奥からシェフを呼んできた、そのうちに、隣の席のおじさんが何事かとやってくる、私は素直にガイドブックに載っている店に行けばよかったと後悔した、そういう店なら日本語のメニューもあるし、日本人の扱いにも慣れているだろう。そのうちに、隣の席のおじさんが英語でメニューの説明を始めた。そこまでしなくても、と思ったが、ありがたく説明を聞く。結局、ビールと、チンジャオロースとエビの炒め物を注文した。
 ビールも、料理もうまかった、しかし、言葉の通じない日本人の様子が心配だったのだろう、ウエイトレスもシェフも、私の様子を見に来る。私は「ハオツー(おいしい)」と言った。シェフは安堵したような表情で戻っていく。はじめは冷や汗も出たが、いい店に入ったものだと嬉しくなった。
 

台湾からの手紙

 台湾の知人からの手紙が届いた。台北郊外の駅前でバスを待っている間に会った。日本に住んだ経験もある初老の男性で、その後も仕事の関係で東京に勤務していたこともあり、また日本各地を旅行していたこともある、かなり日本のことにはかなり詳しい方である。日本の最近のことについて話をした後、手紙を送るからぜひ住所を教えて欲しいと言われた。少し躊躇したが、悪い人には見えなかったので、住所を教えてみた。それから10日ほどして、本当に手紙が来た。便箋にびっしりと、これまでの日本とのかかわりが記されていた。そして、ぜひ台湾に来て欲しい、歓迎しますと記されていた。それに対し私は、台湾でたくさんの人々に親切にされた感謝の気持ちを伝えた。そして昨日、再び返事が来た。
 この関係、私にとって本当に嬉しい。人生の先輩として、私たちにはない経験をしている人として、たくさんのことを教えてもらいたいと思っています。

連絡帳

 養護学校では、家庭と学校の間に毎日連絡帳のやり取りがある。学校、家庭でそれぞれあったことを書く。こらがちょっと面倒だと思うときもある。それでも、自分で学校のことを話すことが難しい生徒だからこそ、私たちが頑張って伝えていかなければいけないし、家庭での生活を知るためにも、連絡帳はぜひとも必要だ。それと同時に、普段はゆっくり話せない保護者との間の意思疎通にも役立っている。
 一番嬉しいのが、生徒の成長を保護者とともに喜べること。先日授業参観があり、その次の週の連絡帳で、保護者が、とても喜んでいた。なかなかみんなと一緒に活動に参加できなかった生徒が、落ち着いて喜んで取り組んでいたことをとても喜んでいた。私にとっても、保護者の方に喜んでもらうことが何より嬉しい。連絡帳は私の勇気のモトにもなる。

デゴイチ走る

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今日、私の自宅のすぐそばにあるJR磐越西線をD51型蒸気機関車(通称「デゴイチ」)が牽引する列車が走った。今回は乗客ではなく、沿線から見ることにした。今日は寒気が入って氷点下の寒い日だった。それでも列車が通過する時間近くになるとカメラを持った人が集まってきた。やがて、蒸気機関車特有の力強い汽笛が聞こえてきた。思いのほか速い速度でやってきたデゴイチは、あっという間に私たちのそばを走り去っていった。そして煙を残していった。人間の作った機械の中で、こんなに力強く、美しいものはそうはないだろう。

美麗之島~台湾紀行 その9

【1月2日 ② 台湾の古都へ 下】

 やがてバスの右手に運河が見えてきた。これは台南運河といい、17世紀、オランダと鄭成功(1624~1662 中国、明に時代の軍人、母親は日本人)が争った激戦の地である。運河の向こう側には高層ビルが並んでいる。台南は人口70万、台湾第四の都市に成長している。
 バスは大道りをはずれる。間もなく安平に着く。このあたりは17世紀には島だったそうだ、その島の最も高い場所に安平古堡がある。1624年、オランダ人が台湾統治の拠点として築いた。1644年、李自成の乱により明が滅んだ。その後、鄭成功は明の皇帝の一族を擁立し、台南からオランダ人を追放し、ここを拠点に清への抵抗運動を行った。レンガ造りの城壁は当時のまま残っている。赤いレンガにツタの緑が美しい。それにしても熱い。売店があり、アイスキャンデーを売っていた。1本取ってみるとヤクルト味のアイスキャンデーだった。上着も脱いで半袖Tシャツ1枚になる。一番上の建物に登ってみると、町並みが良く見える。住宅地の中に椰子の木がたくさん生えている。

 台南市街地に向けて歩く。赤い色の門をくぐり、細い路地に入る。中学生くらいの制服を着た生徒達が歩いている、社会科の見学学習だろうか。日陰ではおじいさん達が円卓を囲んで昼食を取っている。再び運河沿いの大通りに戻る。市街地方面にバスで出ようと思ったが、あまりの暑さにタクシーを拾う。冷房の効いたタクシーは気持ちが良いが、料金はバスの5倍以上もした。

 赤嵌楼は、安平古堡とは対照的な中国風の建物だ。ここもはじめはオランダ人によって建てられ、後に鄭成功、清と主が代わっている。椰子に囲まれた広い庭があり、鄭成功と重臣達の像がある。建物内部には彼らが使った船の模型もある。市街地にありながらのんびりできる場所だ。ここからは少し歩いて担仔麺を食べに行く。台南名物の麺で、エビからだしを取ったスープがコクがあり、うまかった。もっとも、暑い日だったから、食べ終わるとたちまち汗まみれになる。近くにあったデパートに行き、身体を冷やす。デパートの名前を良く見てみると「新光三越」とあった。

 帰りは電車にしようか高速バスにしようか迷っていたが、ちょうど平快車があったのでそれに乗る。暑い中歩き回ったせいか、疲れていてたちまち眠ってしまった。目が覚めると高雄の駅に差し掛かっていた。

 一度ホテルに戻りしばらく休む。夜、六合夜市に行く。台北の夜市に負けない活気があった。食べ物の屋台を一通り見て回り、ステーキの屋台に入った。台北の士林夜市で、ステーキが美味しそうだったが、他のものを食べた後だったので諦めた経緯がある。現れたステーキは、大きかった。日本で食べるステーキに比べると肉はやや堅かったが、にんにくのたっぷり効いたソースがうまかった。ホテルまでは1時間近くかけて歩いて戻った。
 

カウントダウン

 私の学級は中学部3年生、教室に31~1までのカウントダウンカレンダーを用意して、卒業までの日数をカウントダウンしている。その数字が「25」になった。いよいよ卒業を意識せざるを得ない時期になってきた。まだまだ準備はこれからだ、生徒達とのんびりとした時間を共有するのも後僅か、もっとこういうことをしておけば・・・というのはたくさんあるが、せめて残りの日数を心穏やかに過ごしたい。

いいね!

 毎週木曜夜の英会話、別にTOEICで何点取ろうとか、ビジネスで英会話を使おうとか、そんなたいそうな野望はないけれど、せめて、海外での旅行に役に立てばいい、そんな軽い気持ちではじめた。それでも、講師の話を聞き取ったり、自分で話してみたりするうちに、英語を使うことがだんだん楽しくなってきた。
 他にも楽しいことがある。講師のアメリカンジョーク、そしてなにより、一緒に英語を勉強している仲間がいることである。性別も年齢も職業も様々であるが、同じ目的を持った人たちと時間を共有することは本当に楽しい。2時間程度の時間だがあっという間に過ぎてしまう。
 私にとって木曜夜のこの時間は最高のリフレッシュの機会になっている。
 

ハッピーバースデー

私のクルマ(スバル・フォレスター)が間もなく4回目の誕生日を迎える、今日は仕事が終わったらスバルのディーラーに行って、12ヶ月点検を受けてきた。2年8ヶ月前に中古車で購入した。購入した当時の走行距離は3万2千キロほど、現在は7万6千キロ、ずいぶん走ったものだ。足跡を記した都県は、青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・新潟・静岡の15都県になる。色々な思いでもできた。岩手県の三陸海岸では、鮭の遡上を見ることができた。静岡県の三保の松原では、富士山と初日の出を見ることができた。これから先も、青森の小川原湖、新潟の笹川流れ、静岡の大井川渓谷、公共交通機関ではなかなか行くことのできない日本を見てみたい。私の雑な運転に文句も言わず黙々と走ってくれるクルマであるが、今度の週末はぴかぴかに磨いてあげよう。

今になって思うこと

 私が駆け出しの教員だった頃の話です。出張で1日、あるいは2日、3日と学校をあけることがありました。次の日学校に行くと、いつもある生徒が「心配したよ」と声をかけてくれます。私は、出張だから心配することないよということをなんとか頑張って伝えようとしました。それでも、彼にとって「学校を休むこと」=「病気になる、または体調が悪い」と思い込んでいて、なかなかわかってもらえませんでした。
 それでも、今になって思うことは、駆け出しの教員で、トンチンカンな失敗ばかりしていた私のことを心配してくれたその生徒のやさしさを褒めてあげればよかったな、今となっては遅いのですが、そう思います。本当に生徒達から教えてもらうことが多いです。教員としてだけでなく、人間として大切なことを。

美麗之島~台湾紀行 その8

【1月2日 ① 台湾の古都へ 上】

 朝の高雄の町はのんびりしていた。新年を春節(日本で言う旧正月)で祝う台湾の人々にとっては平日(ちなみに1月1日は開国記念日といって、1912年に孫文が中華民国の成立を宣言した日で、祝日になっている)であるが、通勤の人ものんびりと歩いている。昨日の旗津からのバスの車中で、愛河のほとりの公園前にバス停があることをチェックしていたので、そこまで歩く。公園の前には歴史博物館があり、日本統治時代に建てられた建物がきれいな状態で保存されている。バスは、何系統もあるようで、とりあえず先に来たバスの運転手に「カオシュン チァーツァン?(高雄駅)」と聞いてみる。私の発音が悪かったせいか、運転手には通じなかったが、乗客のおばさんが英語で「248路バスに乗れ」と言う。台湾の人たちの親切さには、毎度のことながら感謝しています。しばらく待つと248路のバスがやってきた。高雄のバスの料金はNT$12均一で(日本円で40円ほど)日本の物価水準から見るとかなり安い。

 高雄駅のプラットホームはにぎやかだった。台湾南部を通り、花蓮行きの「自強号」、台北経由松山行きの「復興号(日本の快速列車に相当)、各駅停車の電車、人口150万人を数える高雄市は、今年中には新幹線も開通し、捷運(地下鉄)も工事中ということで、数年後には大きく変わっているかもしれない。もともとは「打狗」という小さな漁村だったそうだ。
 
 今日の目的は大きく分けて2つ、ひとつは台湾の古都である台南市に行くこと。もうひとつは「平快車」に乗ることである。「平快車」とは、電車と同じ各駅に止まる列車であるが、日本では20年位前に姿を消した「鈍行列車」をイメージすれば近いだろうか。走行中でも自由にあけることのできる扉、レトロなというより本当に古びた内装、今ではテレビや映画でしか見ることのできない昔ながらの鉄道の旅が残っている。
 発車20分前にはプラットフォームに入っていた。デッキのステップは木でできている。相当に古い車両である。デッキの妻面にはドアすらなく、本当のオープンデッキ状態である。車内に入ると、エアコンこそあるが、古びた内装は在りし日の鈍行列車の旅を思い出すには十分である。もっとも、シートはボックス席ではなく、前後に向きを変えることのできる2人がけの席だが。

 車内を観察しているうちに発車した。往事の日本の鈍行列車に比べて静かな発車だ。小学生の頃乗った日本の鈍行列車は、発車のたびに前後に大きな衝撃があった。「ドーン」という衝撃があるから「ドーン行列車」なのかなと思ったくらいである。車内は空いている。私の乗った最後尾の車両女性客と、初老の車掌さんがいるだけである。私はしばらくデッキで過ごす。今日の高雄はひときわ暑い。でっきには涼しい風が吹いて気持ちがいい。車両こそ昔を思い出させる車両だが、車窓には椰子の木やバナナの木、ときにはサトウキビ畑もある。家の作りも違う。昨日の「莒光号」に比べるとスピードが遅い。そののんびりささえ心地よい。

 「平快車」は、台南駅の長いプラットホームに滑り込んだ。たくさんの人が降りていく。ここは台湾の中でもひときわ史跡の多い町である。駅舎は、日本統治時代に建てられたものである。なんとなくだが上野駅に似ている気もする。私はここから、台南の歴史の始まりである安平に行こうと思うが、できればバスで行きたいが、タクシーの運転者が寄ってくる。別にタクシーが嫌いなわけでもないが、バスで行けるのならそちらのほうが私の好みに合っている。警察官がいたので、手帳に「公車 往安平(バス 安平行き)」と書いてみせる。すると、警察官は、バスの乗り場を知らないらしく、バスを待っているおばあさん達に聞いてまわって、ここだと2番のバス乗り場まで連れて行く。「シエシエ(ありがとう)」というと、きつい顔をした警察官がにっこりと笑う。バスの時間まで少しあるようなので、バスターミナルをぶらぶらしていると、さっきの警察官がバイクに乗ってやってきた。そして、さっきのバス停を指差す。親切な人である、感謝します。手を振ると彼も手を振り替えしてくれた。なんだかこの町ではいいことがありそうな気がした。

 しばらくしてバスがやってきた。料金がわからないので、運転手に「How much?」と尋ねると、運転手の後ろに座っていたおじいさんが「18元(NT$)だよ」と教えてくれた。バスは台南の町を走る。台北や高雄に比べると、落ち着いた町並みである。バスの車内はおじいさんやおばあさんが多い。運転手にもしきりに話しかけている。そのとき、びっくりするような言葉を聞いた。運転手のことを「ウンジャン」と呼んでいたのだ。日本語でも運転手のことを「運ちゃん」と言うことがあるだろう。もしかしたら日本語の名残かもしれない、そう思ってさっきのおじいさんに尋ねてみた。すると、きれいな日本語で返事が返ってきて、「お兄さん、日本の人でしょう」、それからは車内のおじいさん、おばあさんから質問攻めである。歳はいくつか、観光できたのか、仕事は何をしているか。逆におじいさん達に私が何歳に見えるか訊いてみた。「24歳」とのこと、私は歳より下に見られることは少ない、しかも、9歳も若く見られたと言うことは嬉しい。日本人が童顔に見える性だろうか。あるおじいさんが、85歳だよという、私は75歳くらいだろうと思っていたから、これにもびっくりした。日本語で教育を受けた世代である。植民地で、差別的な待遇を受けたと思われるが、いまだに日本に関心を持ってくれて、日本人の旅人に声をかけてくれる台湾の銀髪長者(日本で言うお年寄り)の方々には、涙が出るほど嬉しい。
 バス停ごとに銀髪長者たちは下りていく。顔なじみに挨拶をしていき、私にも「さようなら」と声をかけてくれる。言葉には表せないほど感激した。

星と音楽のひととき 2月

 今日は仕事が終わってから、プラネタリウムに行き、「星と音楽のひととき」に行った。これは、特定のアーティストの曲と、星や風景の画像を楽しみながら金曜の夜を過ごすという趣旨のもので、青少年向けの番組が多いプラネタリウムの中ではちょっと一風変わった番組になっている。
 今月の特集は小田和正、今回取り上げられた曲は、「ラブストーリーは突然に」「キラキラ」「woh woh」「言葉にできない」など。これまで彼の曲はあまりじっくりと聴いたことはなかったが、改めて聴いてみて、透き通った声の男性ヴォーカルの魅力に酔いしれた。なかなかいいじゃないかと思った。映像のほうも、東京の夜空に続いて、カナダのオーロラが映し出されて、その神秘的な姿にうっとりとした。
 この後、駅近くの居酒屋に行ったら、お酒も料理も美味しく、何とツイている金曜の夜だろうと嬉しくなった。

 「ラブストーリーは突然に」の歌詞ではないが、「あの日、あの時、あの場所で出会えなかったら」・・・・・・・このブログでの皆様との出会いには本当に感謝しています。暖かいコメントに励まされています、

雪の降る夜に

※雪がしんしんと降っています。ふと思いついた詩です。
30歳過ぎてこんな青臭い詩を書くのも恥ずかしいですがどうぞご覧ください。


雪の降る夜に 僕は雪を踏んで歩く
真っ白になった町を 僕は歩く
物音のしない町を 僕は歩く

子供の頃夢見た
生クリームとウエハースでできた町の夢を
そこには悩みなどない 苦しみなどない

いつのまにか汚れちまったのだろう
もしも 大人になることが汚れることなら
僕は覚めない夢を見ていたかった

僕の手のひらに 雪が落ちる
雪はあっという間に 融けて消えた
夢は夢でしかない

街頭の明かりが町を照らす
誰もいない 何も聞こえない
僕は歩き続ける 行き先も知らず

雪の降る夜に 僕は雪を踏んで歩く
真っ白になった町を 僕は歩く
物音のしない町を 僕は歩く

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