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美麗之島~台湾紀行 その8

【1月2日 ① 台湾の古都へ 上】

 朝の高雄の町はのんびりしていた。新年を春節(日本で言う旧正月)で祝う台湾の人々にとっては平日(ちなみに1月1日は開国記念日といって、1912年に孫文が中華民国の成立を宣言した日で、祝日になっている)であるが、通勤の人ものんびりと歩いている。昨日の旗津からのバスの車中で、愛河のほとりの公園前にバス停があることをチェックしていたので、そこまで歩く。公園の前には歴史博物館があり、日本統治時代に建てられた建物がきれいな状態で保存されている。バスは、何系統もあるようで、とりあえず先に来たバスの運転手に「カオシュン チァーツァン?(高雄駅)」と聞いてみる。私の発音が悪かったせいか、運転手には通じなかったが、乗客のおばさんが英語で「248路バスに乗れ」と言う。台湾の人たちの親切さには、毎度のことながら感謝しています。しばらく待つと248路のバスがやってきた。高雄のバスの料金はNT$12均一で(日本円で40円ほど)日本の物価水準から見るとかなり安い。

 高雄駅のプラットホームはにぎやかだった。台湾南部を通り、花蓮行きの「自強号」、台北経由松山行きの「復興号(日本の快速列車に相当)、各駅停車の電車、人口150万人を数える高雄市は、今年中には新幹線も開通し、捷運(地下鉄)も工事中ということで、数年後には大きく変わっているかもしれない。もともとは「打狗」という小さな漁村だったそうだ。
 
 今日の目的は大きく分けて2つ、ひとつは台湾の古都である台南市に行くこと。もうひとつは「平快車」に乗ることである。「平快車」とは、電車と同じ各駅に止まる列車であるが、日本では20年位前に姿を消した「鈍行列車」をイメージすれば近いだろうか。走行中でも自由にあけることのできる扉、レトロなというより本当に古びた内装、今ではテレビや映画でしか見ることのできない昔ながらの鉄道の旅が残っている。
 発車20分前にはプラットフォームに入っていた。デッキのステップは木でできている。相当に古い車両である。デッキの妻面にはドアすらなく、本当のオープンデッキ状態である。車内に入ると、エアコンこそあるが、古びた内装は在りし日の鈍行列車の旅を思い出すには十分である。もっとも、シートはボックス席ではなく、前後に向きを変えることのできる2人がけの席だが。

 車内を観察しているうちに発車した。往事の日本の鈍行列車に比べて静かな発車だ。小学生の頃乗った日本の鈍行列車は、発車のたびに前後に大きな衝撃があった。「ドーン」という衝撃があるから「ドーン行列車」なのかなと思ったくらいである。車内は空いている。私の乗った最後尾の車両女性客と、初老の車掌さんがいるだけである。私はしばらくデッキで過ごす。今日の高雄はひときわ暑い。でっきには涼しい風が吹いて気持ちがいい。車両こそ昔を思い出させる車両だが、車窓には椰子の木やバナナの木、ときにはサトウキビ畑もある。家の作りも違う。昨日の「莒光号」に比べるとスピードが遅い。そののんびりささえ心地よい。

 「平快車」は、台南駅の長いプラットホームに滑り込んだ。たくさんの人が降りていく。ここは台湾の中でもひときわ史跡の多い町である。駅舎は、日本統治時代に建てられたものである。なんとなくだが上野駅に似ている気もする。私はここから、台南の歴史の始まりである安平に行こうと思うが、できればバスで行きたいが、タクシーの運転者が寄ってくる。別にタクシーが嫌いなわけでもないが、バスで行けるのならそちらのほうが私の好みに合っている。警察官がいたので、手帳に「公車 往安平(バス 安平行き)」と書いてみせる。すると、警察官は、バスの乗り場を知らないらしく、バスを待っているおばあさん達に聞いてまわって、ここだと2番のバス乗り場まで連れて行く。「シエシエ(ありがとう)」というと、きつい顔をした警察官がにっこりと笑う。バスの時間まで少しあるようなので、バスターミナルをぶらぶらしていると、さっきの警察官がバイクに乗ってやってきた。そして、さっきのバス停を指差す。親切な人である、感謝します。手を振ると彼も手を振り替えしてくれた。なんだかこの町ではいいことがありそうな気がした。

 しばらくしてバスがやってきた。料金がわからないので、運転手に「How much?」と尋ねると、運転手の後ろに座っていたおじいさんが「18元(NT$)だよ」と教えてくれた。バスは台南の町を走る。台北や高雄に比べると、落ち着いた町並みである。バスの車内はおじいさんやおばあさんが多い。運転手にもしきりに話しかけている。そのとき、びっくりするような言葉を聞いた。運転手のことを「ウンジャン」と呼んでいたのだ。日本語でも運転手のことを「運ちゃん」と言うことがあるだろう。もしかしたら日本語の名残かもしれない、そう思ってさっきのおじいさんに尋ねてみた。すると、きれいな日本語で返事が返ってきて、「お兄さん、日本の人でしょう」、それからは車内のおじいさん、おばあさんから質問攻めである。歳はいくつか、観光できたのか、仕事は何をしているか。逆におじいさん達に私が何歳に見えるか訊いてみた。「24歳」とのこと、私は歳より下に見られることは少ない、しかも、9歳も若く見られたと言うことは嬉しい。日本人が童顔に見える性だろうか。あるおじいさんが、85歳だよという、私は75歳くらいだろうと思っていたから、これにもびっくりした。日本語で教育を受けた世代である。植民地で、差別的な待遇を受けたと思われるが、いまだに日本に関心を持ってくれて、日本人の旅人に声をかけてくれる台湾の銀髪長者(日本で言うお年寄り)の方々には、涙が出るほど嬉しい。
 バス停ごとに銀髪長者たちは下りていく。顔なじみに挨拶をしていき、私にも「さようなら」と声をかけてくれる。言葉には表せないほど感激した。

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