日本史の故郷へ②
【3 日本史の故郷にて】
高松塚古墳は彼岸花が満開だった。こちらの人には当たり前なのかもしれないが、白い彼岸花が珍しかった。古墳は、保存工事中らしく、工事の足場やビニールシートに覆われていたのが残念だった。有名な彩色壁画はすぐ近くの資料館で見ることができる。高松塚から路線バスに乗り橘寺を目指す。バスの車窓から天武・地頭天皇陵が見える。地図を見ると、一帯遺跡だらけで、ただならぬ地である
橘寺を見るためにバスを降りた。この頃から小雨ではあるが雨が降り出した。私は旅の時には傘を持ち歩くことはほとんどない。雨男なのであるが、不思議と小雨で終わることが多い。これまでに行動に支障があるほどの雨が降ったのは福井で1度あったきりである。
橘寺は、聖徳太子が自らの誕生の地に作った寺である。創建当時は今よりももっと規模の大きな寺であったそうだ。ここでの一番の見物は、二面石という石で、善悪2つの顔が向かい合わせに彫られている。人の心の2面性を表したものであろう。
雨が激しくなったので、橘寺近くのコンビニエンスストアでビニール傘を買う。私が買った傘が最後の1本であった。レジでお金を払っていると、おじさんがやってきて、傘はないかと店員に聞いていた。きまりが悪いので、そそくさと店を後にする。
しばらく歩くと、板葺宮跡に着く。跡とは言っても、草地の所々に規則的に杭が打っているだけである。おそらく、発掘調査の跡だろうと思われる。板葺宮とは、皇極天皇・斉明天皇(女帝・同じ人物が2回天皇になった)時代の宮殿である。1500年近く前の歴史の舞台である。しかし、目を閉じると大化の改新の発端となった蘇我入鹿の暗殺事件の様子がありありと浮かんでくる。これが、史跡を旅する面白さである。いつの間にか中大兄皇子(のちの天智天皇)になりきって傘を剣のように振り回していた、近くにいた親子が後ずさりする。どうも、歴史上の人物にのめりこみすぎる悪い癖が出てしまったよう
だ。
そろそろ腹がへってきた。近くに店を見つけ、おすすめの煮麺(そうめんを温かい汁で食べるもの)と柿の葉寿司を食べる。素麺は、関東風の汁で食べると汁の味に麺が負けてあまり美味しくないが、関西風の汁だととても美味しい。
店を出ると、雨が上がっていた、岡寺へ向けて、坂を登る、今度は傘を持て余す。
岡寺は、だいぶ坂を上ったところにあった。急いで登ったので、ひどく汗をかいた。朱塗りの門が美しい。鐘を自由について言いそうなので、1回鳴らしてみる。奥の院の石窟の中の優しい顔をした仏様が印象的だった。
車道を歩いて山を下り、石舞台古墳に行く。この古墳の被葬者ははっきりしないが、飛鳥時代、聖徳太子と並ぶ政治家、蘇我馬子ではないかという説がある。とにかく、土に覆われていない不思議な古墳の謎について考えるのは楽しいものだ。さすがに疲れてきた、古墳見学を早々に切り上げて、バス停に座り込んで一休みする。
橿原神宮駅行きのバスは混んでいて座れなかった。再び小雨が降ってきた。次の目的地は飛鳥寺である。飛鳥大仏は日本最古の大仏である。面長で優しげな大仏である、奈良の大仏よりもいい表情をしているなと思った。寺の外に首塚というものがある。蘇我入鹿の首がここに埋められているそうだ。真偽のほどはわからないが、歴史の残酷さを感じながら手を合わせる。
この後、万葉文化館で、絵を鑑賞し、バスで橿原神宮駅前に出て、そこのホテルに泊まった。
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