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維新の風に吹かれて~山口紀行④

【9 萩城下と晋作くん】

 12月25日。萩の朝は、小雨で始まった。日本海側に来ていることを実感した。
 ホテルの近くのバス停から、西回りの循環バス「晋作くん」に乗る。10分もかからずバスは指月(萩)城の広い駐車場に着いた。8時少し過ぎの萩城は、眠ったように静かで、周りにはだれの姿も見えない。傘を差して小雨降る中お城の見学に行く。
 天守閣跡に行く。不安定な石段を登る。中国地方の太守から、周防・長門の2カ国に減らされた歴代の藩主の心境はいかばかりのものであっただろうか。この城に立地を考えれば、野望があったような気がする。北側を山に、東と西を海に、南側を松本川に囲まれたこの城は攻めにくく守りやすい。
 城の北側の山は12月の末だというのに、木々の緑が濃い、照葉樹林というのだろうか、東北地方では見られない森林である。指月神社に参拝し、階段を下りようとすると、おじいさんとおばあさんが階段の下から拍手を打っている。まるで、私に向かって拍手を打っているようで妙な気持ちになる。
 お城の石垣に添って歩くと、海岸に出る。海岸の向こうには萩野町が見える、こういうお城は珍しいだろう。
 萩城を後にして、敵方の「新撰組」(NHKの大河ドラマ)の看板を横目に、城下町へ歩く。口羽家屋敷の門が見えた。庭先で掃除をしているおばさんに声をかけると、色々と説明してくれた。押入れに見せかけた避難口など、武家屋敷ならではの仕掛けが面白かった。やっと観光客も動き出してきたらしく、60歳くらいのおばさんと、私より少し年上と思われる娘の親子など、女性が多かった。
 鍵の手になっている小道を歩くと、萩学校教員室がある。明治20年ごろに作られた黙想の建物で、現在でも萩高等学校の一隅に保存されている。アイボリーとベージュに塗られたおしゃれな建物で、当時の萩の人たちの目を驚かせただろうと思われる。
 萩博物館という真新しい建物があった。戊辰戦争を子供の喧嘩にたとえた風刺絵が面白い。戦争で迷惑をこうむるのは、名も無い庶民達である、せめてもの権力への抵抗だろうか。地域の小・中学校と協力して、総合的な学習の時間に、昔の食料や郷土の歴史について研究したことを、博物館の展示で取り上げている。こうした取り組みは、子供たちの歴史への関心を育てることにつながり、とてもよいことだと思う。
 先ほどの口羽家が武家屋敷の代表的なものなら、こちらの菊屋家は商家の代表的なものである。御用商人の屋敷ということで、武家屋敷に比べて豪華な作りである。倉には千両箱がいくつも入りそうな地下室があった、莫大な財力の一端が想像できる。
 近くには、木戸孝允の生家がある・医者の家ということで、さほど大きな屋敷ではないが、このあたりは、古い町並みをよくとどめており、うっかり、幕末に踏み込んでしまったような錯覚を覚える。
 小さな街の割にはにぎやかなアーケードを通り、野山獄に行く。ここは、吉田松陰が投獄されたところである。当時は監獄も身分別であり、この野山獄は上士用の監獄であった。現在は身分制度も無くなり、武士の子孫も百姓の子孫も同じ刑務所に入るようになった。いい時代になったといってよいだろう。雨が激しくなってきた。傘を差していても身体が冷える。急ぎ足でホテルに戻り荷物を受け取る。ホテルのフロントマンの笑顔を見て少し元気になる、こういったちょっとした対応の差で、その街の評価が変わってしまうことがあるのだ。

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