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2007年9月の18件の記事

近代日本の青春時代へ⑨

9 坊っちゃんと歩く松山(上) (2007年8月10日)

 松山駅前のホテルにチェックインして、しばらく休憩を取る。松山駅前には路面電車が頻繁に発着している。松山市駅行き、道後温泉行きがあり、市内の主な観光地はこの電車に乗れば行けるようになっている。既に夕方近くになっているので、今日は市街中心部の大街道に最近できた坂の上の雲ミュージアムと松山城に行ってみることにした。オレンジ色に塗られた電車の中には、新しい電車も混じっていて、プラットホームと車内の間にまったく段差がないものもある。利用客も多い。道後温泉行きの電車に乗ると、間もなく踏切がある。電車が踏み切りを通過するのも妙だが、こちらは市街を走る路面電車、向こうは郊外に行く電車、性質が異なるのである。大街道で電車を折り、松山の繁華街を少し駅方面に戻ると坂の上の雲ミュージアムがある。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟(兄、好古 1859~1930、日本陸軍騎兵の父と呼ばれる。弟、真之 1868~1918、海軍で日本海海戦の参謀を務めた)の出身地が松山であることにちなんで今年4月にオープンしたものである。時間が押しているので少し急ぎ足の見学になったが、明治時代に多くの一般の人が「建白書」という方法で政府に提案や陳情をしていた。それだけ多くの人が当たらし時代に期待をしていて、近代化が多くの人々に幸せをもたらすのだろうと確信していた、そんな時代なのだろう。
 城に向かって歩く。細い路地沿いに秋山兄弟の生家跡があり、現在では団体の建物になっている。松山城は平山城で、天守閣まではかなり登らなければならない、暑いし疲れてもいるから、ロープウエィに乗って楽をすることにする。松山城からは瀬戸内海が見えた、広島行きのフェリーが出る高浜港だろうか。その向こうには島々が見える。天守閣は時間切れで入れなかったが十分堪能した。それにしても暑い。売店で愛媛県産みかん100%のジュースを飲む。おじさんがよく振ってくださいといいながら瓶を渡す。飲んでみると暑いせいもあるかもしれないが、こんなみかんの味の濃いジュースは初めてだ。値段は少し高いがジュースでここまで感動したのは初めてだ。
 
 再び電車に乗り松山駅前に戻る。駅近くの飲み屋さんで鯵の刺身とオコゼの唐揚げを肴に酒を飲んだ。新鮮な鯵は身の甘みも旨味も濃く、オコゼの唐揚げもグロテスクな会見に似合わずに繊細な味でうまかった。飲んだ後は道後温泉に行って温泉を堪能するつもりだったが、お酒が進みすぎて席を立つのが億劫になってきた。結局すっかりできあがってしまい、千鳥足でホテルに引き返した。いつの間にか涼しい風が吹いていた。

近代日本の青春時代へ⑧

8 キハ32と瀬戸の花嫁 (2007年8月10日)

 中村発8時4分の特急「南風10号」は高知に買い物やよさこい祭り見物にいるのだろうか、家族ずれやグループで満席近かった。一昨日見た景色を逆回転にして見る。窪川と土佐佐賀の間にあるループ線(鉄道は急勾配に弱いので、らせん状に大回りして勾配を緩和するもの)もしっかりと確認できた。窪川から予土線に乗り換えて宇和島に行くのだが、乗り換えの待ち合わせが1時間少々ある。駅の待合室でじっとしていてもしょうがないので駅の周辺を歩く。山を背にした小さな町は静かでクルマの通りも少なかった。それに反して駅は大きく。鉄道の要衝であることがわかる。
 窪川から県境を越えて宇和島まで行く予土線の列車はキハ32というやや小ぶりの列車1両である。国鉄末期にJR四国の経営の安定を図るために投入された車両である。長いベンチシートに、バスによくある円形の冷房噴出し口、電光掲示式の運賃表、両替機能付き運賃箱、鉄道車両とバスの中間的な車両である。座席がほぼ埋まった列車は中村方面に戻り、若井駅を過ぎると中村方面への路線と別れる。ここから四万十川に沿ってゆっくりと下っていく。中流域の四万十川もエメラルドグリーンの流れは変わらない。私も含めて観光客が多いようで、四万十川が右側に見えればカメラを構えた人は右に移動し、左に見えれば左に移動し、なかなか忙しい。半家(はげ)というすごい名前の駅を過ぎ、江川崎で小休止する。私はその間にトイレに行く。四国の普通列車はトイレ無しの列車が多い。合理化策なのだろうがやや不便だ。その代わりに運転手に言えばトイレが済むまで待っていてくれることになっている。江川崎からは登りになる。間もなく愛媛県に入ると駅ごとに宇和島に買い物や部活に行くのであろう、中学生や高校生が乗ってきて小さな車両は通路まで一杯になった。私は席を立って車両最後尾の貫通路のところに陣取って流れ去る景色を見ていた。普通の車両だったら車掌がいる場所だから、ワンマン運転のおかげである。務田から北宇和島は急な勾配を下る。この小さな車両にとっては過酷な環境だろう。
 宇和島駅前は椰子の木の並木がある。歩いたら面白そうだが、この暑さで長くは外にいられない。駅に戻るとベンチに座り列車の時刻を待つ。
 宇和島12時47分発の「特急しおかぜ22号」に乗る。車内で駅のコンビニで買った弁当を開ける。宇和島駅にはかつては名物の闘牛にちなんだ「斗牛弁当」などがあったがいつの間にか販売をやめた模様である。相変わらず海と山が近い。そして山の頂上付近まで柑橘類の果樹園が広がっている。みかんだろうか、それともいよかんだろうか、私は果物の中でもとくに柑橘類と梨が好きだ。いまは柑橘類の季節ではないけれど収穫の時期にきたらそれは見事だろうと思う。このまま特急に乗っていれば14時3分には松山に着くのだが、鉄道はこの先内子を経由する路線と伊予長浜を経由する路線に分かれる。特急は内子を経由するが私は景色の良さそうな伊予長浜経由の列車に乗ってみようと思う。13時18分八幡浜着、特急列車からここで降りる。ここから再び13時41分着のキハ32の列車に乗る。八幡浜を過ぎて間もなく昼夜峠を越える長いトンネルに入る。伊予大洲を過ぎるといよいよ内子経由の路線と分かれる。乗客は部活帰りの高校生、駅ごとに降りていきにぎやかだった車内はだんだん静かになっていく。伊予長浜を過ぎると車窓に瀬戸内海が広がる。山が迫っているが港を作るのに好都合な湾はない、波は静かでまるで湖の岸を走っているようだ。みていて気持ちのよい景色なので、つい「瀬戸の花嫁」を歌っている、といっても曲の冒頭とサビしか知らないが。太平洋を見て育った私にとってはこんなに穏やかな海は驚きである。水がきれいな上に遠浅なのであろう、海底の石が透けて見える。串という駅を過ぎると、松山の都市圏に入るのであろう、だんだん乗客が増えてきた。それにしても、「串」という字を見ると焼き鳥を連想してしまう。甘党の人なら団子を連想するのかもしれない、松山に着いたら焼き鳥を肴に一杯やろうと思う。
 伊予市で列車を乗り換え、坊ちゃんスタジアムの最寄り駅である市坪を過ぎると15時49分松山に着く。今日は夕方近くになってもさっぱり気温が下がる気配がない。

あなたの寿命は?

http://tool.stabucky.com/jumyo.htm

 あなたの生活習慣は健康的でしょうか?できれば元気に長生きすることが理想ですよね。このリンク先のチェックであなたの寿命を判定してみませんか。日本テレビの「世界一受けたい授業」の中でも行われた方法です。ちなみに私は77歳でした。みなさんはどうでしたか?

名月と月見そば

Photo

 この学級の担任はよくダジャレを言う。生徒のほうもすっかり慣れっこになって、今週はなんか言うのかな。などと予想しあっているらしいので、まぁお互い様だろう。今日、給食を食べながら生徒達と月見について話をしていた。月見のときにどんなものを飾ったり食べたりするのか生徒達に聞いてみた。「ススキを飾ります」「おだんごを食べます」「梨やぶどうを食べます」なるほど、そうだよね。ところがある生徒が「月見そば」といった。確かに名前に月見と入っているけれどお月見と月見そばは関係がないよと言おうとしたら、「ダジャレだよ」と言われてしまった。これは1本取られた、お株を奪われた。なかなか気の利いたダジャレではないか。
 家に帰って月見そばを作ってみた。名月を見ながらの月見そば、なかなかのものでした。

近代日本の青春時代へ⑦

7 亜熱帯の海は宝石箱 (2007年8月9日)

 土佐清水の街は深い入り江の奥にあるわずかな平地にある。入り江の波は静かで、長閑そうな港町である。しばらく港の中を歩く。漁港町は朝が早い、すでに午後2時近く、まちは静まり返っている。港町の食堂で最近土佐清水市が売り出し中の鯖を食べてみる。5年前に長崎で食べた鯖の刺身の味が忘れられず、ここでも鯖を刺身で食べる。脂が乗っているが上品な味で、鯖と言う魚を改めて見直す。胃が満足したところで、いよいよ竜串に向かう。カーブの多い道路を20分ほど走ると竜串海岸に着く、海岸の小さな店が観光船のきっぷ売り場で、一条神社であったおじさんの名刺を差し出すと、お一人様なのに団体割引料金で切符を売ってくれた。漁港のような小さな港の防波堤に沿って歩くと、小さな船があり、これが船底の一部がガラス(またはアクリル)張りになっていて、海中を見ることができる構造になっている観光船である。ほどなく改札係のお兄さんが来て私のきっぷをチェックすると、出航まで20分ほどあるので竜串海岸を見てきてくださいという。防波堤の外はそれはそれは見事な景色で、丸太がごろごろと横倒しになったような形の岩が波に洗われていた。丸太と丸太の間には小さな潮溜まりがあり、そこにはフグの稚魚や名前はわからないけれどたくさんの魚の稚魚、イソギンチャク、たくさんの生き物達が住んでいた。フグの稚魚は潮溜まりに指を入れてみると一人前に膨らんで私を威嚇していた。私は時間を忘れて生き物たちと戯れていた。私は出航時間に少し遅れてしまったが、船は待っていてくれた。さっきの改札係のお兄さんがそのまま船長になった。港を出ると急に激しい縦揺れと横揺れがやってきた。とくに縦揺れがひどく、船の先端近くにいた私はいのあたりに不快感を覚えた。これはまずいと思い、船の中央部まで下がると気にならない程度のゆれになった。10分ほどすると船長さんは船を停めた。見てみると海中にはたくさんの襞のような模様のついた見事なさんごがあって、青や茶色の魚たちが気持ち良さそうに泳いでいた。船長さんが船室に下りてきたので、魚の名前について教えてもらう。美しい青色の魚はソラスズメダイ、茶色で、目のあたりが黒い魚はクロホシイシモチ亜熱帯の海は本当に華やかです。船はこのあと、波の侵食で面白い形の岩がたくさんある見残しに接岸して私達は上陸できることになっていたが、今日は波が荒く接岸できなかった。

 再び土佐清水に戻り、足摺岬へと急ぐ。途中に中浜と言う小さな集落がある。ここから幕末から明治初期にかけて活躍した人物がいる。中浜万次郎(ジョン万次郎 1827~1898)である。彼は漁師であったが、14歳のとき遭難し、アメリカ船に救助される。その後アメリカで英語や数学、航海術などを学び、1851年日本に帰国する。その直後の黒船来航。同じ土佐出身の坂本龍馬は自ら進んで激動の時代に足を踏み込んだが、かれは時分の思いとは関係なく、時代が彼を表舞台に引き上げた。英語を話せる貴重な人材として、薩摩藩や幕府に用いられ、通訳として活躍した。坂本龍馬も彼からアメリカ滞在時の話を聞き、大いに影響されたそうだ。そんな彼を生んだ仲間は集落は、いまでは何事もなかったかのように静かである。
 足摺岬は天然の亜熱帯植物園になっている。美咲から見える海はどこまでも遠く、地球の丸さを実感する。足摺岬のすぐそばには、四国88箇所霊場の38番札所である金剛福寺がある。自転車でやってきた学生さんのグループに話を聞くと、自転車で88箇所全てを回るそうだ。暑い中本当にご苦労様ですといった。
 足摺岬から中村を目的地にしてカーナビを頼りにクルマを走らせる。これまでなかったくらい狭い道で、すれ違い困難どころか通行困難な道を走る。西に傾いたが南国の強い太陽、時々現れるコバルトブルーの太平洋、風光明媚なところだがエアコンの効いた涼しい車内で冷や汗をかきながらのドライブになる。やっと国道321号線に戻ると、ドッと疲れが出た。中村はまだまだ先だ。息はよいよい、帰りはこわい(福島弁でこわいは疲れるという意味があります)こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ。

※8月9日分の写真をアップしました。そちらもご覧ください。

近代日本の青春時代へ6

6 エメラルドグリーンの水竜に抱かれて (2007年8月9日)

 中村の市街地を出て、国道441号線を北に進む。中村の市街地が途切れるとトラクターが国道を走る農村地帯になる。国道から左側に入る道に入り、しばらく行くと四万十川がエメラルドグリーンの帯となってゆったりと流れている。高知県津野町の不入山を源流とする四万十川は、同県四万十町窪川で太平洋まで5キロ程度のところまで接近するが、山に阻まれ、海から遠ざかるように西へ流れる。いくつかに支流を集めて四万十市の江川崎から南へ流れ中村城の西側を流れ太平洋に注ぐ。全体としてSの字をひっくり返したような形に流れている。「日本最後の清流」とよばれていることはご存知の方も多いと思う。
 間もなく見えてくるのは佐田沈下橋。四万十川にはこのような欄干がない橋がたくさんある。増水時に欄干が抵抗となり橋が破壊されたり洪水の原因になったりすることを防ぐ目的があるそうだ。暑い日だが、沈下橋の上で川風に吹かれるとさすがに気持ちいい。中村駅から四万十川めぐりをする観光バスもここで下車し観光をしている。川の底が透けて見える。福島だって川の底が透けて見えるような川はいくらでもあるが、これだけの推量があり、しかも下流域でこれだけ澄んだ水が流れている川はそうはないだろう。
 クルマに戻り、さらに上流を目指す。この先に三里沈下橋があるので、そこまで行ってみようと思う。道はますます狭くなる、やがてすれ違いが困難なほどの道幅になる。対向車が来る。すれ違いできる場所まで百メートル以上もバックしたこともあった。しかし、景色は素晴らしい。四万十川に注ぐ沢が道路端に小さな滝を作っている。そして水竜のように左右に身をくねらせながらも悠々と流れるエメラルドグリーンの四万十川。
 三里沈下橋は、観光客は私だけだった。他にはキャンプの親子が数組いた。私の目の前で40歳くらいの父親が沈下橋から四万十川に飛び込む。それを見ていた小学校高学年くらいの娘が歓声を上げる。きっと中のいい親子なのだろうな、ほほえましくなる情景である。私も泳いでみたくなったが、着替えも水着も持ってこなかったので断念する。

 ここから国道441号線に出て、中村の市街地を通り四万十川最下流にある四万十大橋を渡り国道321号線を経て漁業の街である土佐清水を目指す。カーナビと到着予測では3時間近くかかると表示されているが、これはあまりにも遅すぎる。どれだけ詰めることができるだろうか。
 中村市街地を過ぎ、四万十大橋を渡る。四万十川の両側はずっと山ばかりだったが、中村からは平野が広がる。相変わらずエメラルドグリーンの水の色は変わらないが、平野に出たら左右に蛇行することをやめまっすぐ流れている。エアコンの効いた車内は快適そのもので、景色もいいし道路も空いているし快適この上ないドライブだ。60~70km/hを維持している。カーナビの到着予想が1分、また1分と早くなっている。四万十川を小さくしたような清流に沿って走る。高知県の川は本当にきれいだ。まもなく、左側にコバルトブルーの太平洋が見えてくる。さっきから早い車につつかれていたが、道が狭く適当な場所がなかった。砂浜を見下ろす駐車場があったのでそこに入り後ろのクルマを先に行かせる。ドアを開けるとメガネが真っ白に曇る。白い砂浜にコバルトブルーの海、どこまでも明るく清らかな風景だった。結局カーナビの予測の半分ほどの1時間30分ほどで土佐清水に着いた。

へとへとの金曜日

 学校にとって2学期は最もハードな学期です。単に期間が長いだけでなく、文化祭、遠足、運動会、研究会など、たくさんの行事が集中するので、その準備や後片付けに追われるからです。私も楽団を招いてのミニコンサートと宿泊体験学習が終わったと思ったら学習旅行の準備に終われる毎日です。今年の異常な気候とあいまって、とくに今週は夕食を済ませると電気とPCを(ひどい日にはテレビをつけたまま)バタンキューの毎日です。しばらくブログの更新も滞っていました。今日はやっと1週間の仕事を終えて、金曜日の楽しみであるビールを飲んでほっと一息ついたところです。身体は疲れているけれど、仕事を成し遂げた満足感で気分は最高です。この週に一度のビール、最近は私の学級の生徒もすっかりネタにして、金曜の朝になると「先生、今日はビールの日ですね」などと言ったり、月曜の朝、それぞれの週末を発表しあうときには「先生、金曜の夜は?」と聞いてきます。私は「決まっているだろう」というと、生徒は「ビールでしょう」と言います。そんな彼らが成人したら一緒にビールを飲んだらきっと楽しいだろうな。そんなことを考えました。金曜の夜は私にとって1週間の中で最も幸せな時間です。

編成(BlogPet)

きょうガーベラは夕陽編成するはずだったの。
でも、ゆずで宇宙っぽい満喫したかった。

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

近代日本の青春時代へ⑤

5 四万十川の憂鬱 (2007年8月9日)

 今日は薄曇でとても蒸し暑い。一昨日は7時前に家を出たし、昨日は8時前にホテルを出たからこのところ毎日早起きをしていたが、今日は9時に中村駅前のレンタカー営業所に行けばいいので、8時くらいまで寝ていてもかまわないのだが、いつも通り5時40分にスイッチが入るように目が覚めた、することもないのでテレビのニュースを見ていて、7時の朝食バイキング開始に間に合うようにレストランの前に並ぶ。

 9時きっかりにレンタカー営業所に着く。私が一人でレンタカーに乗るときには1000~1300ccクラスのクルマを予約することにしている。このクラスでは過去に日産マーチ、日産キューブと日産車が続いているが、今回は三菱コルトだった。ボンネットからフロントガラスまでが一本のラインになっているワンモーションフォルム(同時期のホンダフィットなどもワンモーションフォルムを採用している)
 カーナビの目的地を為松公園(中村城址)にセットし、中村市街地を西に進む。室町時代に関白一条教房が応仁の乱の戦乱を避けてこの地に移り住み、中村を京都に似た町並みに整備した。以来100年近くにわたって一条氏は高知県西部を支配するが、5代目の当主の一条兼定は暗愚な武将で家臣の信望を失いついに四国の覇者、長曽我部元親に滅ぼされた。クルマ一台がやっと通れる急坂を登り為松公園に着く。ドアを開けるとメガネが曇る、よほど気温と湿度が高いのだろう。コケが生えて滑るコンクリートの歩道を歩きながら考えた。本当に兼定は暗愚な男だったのだろうか。歴史は勝者によって都合よく書き換えられることはよくあることだ。例えば、日本書紀の武烈天皇に関する記述として「妊婦の腹を割いて、胎児を見る」「人を木に登らせて射落す」などのは、日本書紀の著者が勝者、つまり継体天皇の子孫達に使えた人々が記述したものだからであろう。つまり武烈天皇から継体天皇への政権交代を正当化するために敗者である武烈天皇のことをことさら悪く書いたとしか考えられない。
 郷土資料館がある。四万十川で取れたアカメという魚(本来は海の魚であるが、川の下流にも住む)の標本がある、体長1メートルにもなる大きな魚である。標本を見ながら圧倒される思いで見ていた。歴史のコーナーでは土佐一条氏に加えて幸徳秋水に関する展示があった。幸徳秋水(1971~1911)も近代日本の青春時代を生きた一人である。彼は、ジャーナリストとして帝国主義への批判、日露戦争への反対を唱えたが、1910年の大逆事件で明治天皇を暗殺しようとした疑いで逮捕され、翌年死刑になった。しかしこの事件は社会主義思想が広がることを恐れた政府によるでっち上げの事件で、冤罪であると言われている。
 中村市街地に戻り、一条神社を参拝する。おじさんとおじいさんの2人組がいて、竜串、見残しにぜひ行くように勧められる。そういえば一昨日の特急列車に乗り合わせたおじさんからも勧められた。当初の予定には入っていなかったが、行ってみようと思う。急に大粒の雨が降り出した。二人にお礼を言うと石段を駆け下りてクルマに戻った。

10万キロ

 今日は金曜日までの疲れがドッと出て午前中は土曜日恒例の掃除をする気力も出ず、ひたすら眠っていた。昼過ぎやっと体力も気力も回復して、今回の週末ひそかに楽しみにしていたドライブに出発した。今回のドライブはただのドライブではなく、途中で私のクルマ(スバル・フォレスター)の走行距離が10万キロを越える記念すべきドライブである。現在のオドメーターの数値から、地図で計算して、猪苗代湖に向かえばちょうど10万キロで湖畔に達することがわじゃり、目的地を猪苗代湖とその周辺に決めた。

Photo

 結果は、猪苗代湖畔にたどり着いた時点での走行距離が10万1キロ、惜しくも10万キロちょうどの写真は取れませんでしたが、無事故で10万キロを越えることができたのは嬉しいかぎりです。これからも無事故、無違反で20万キロを目指したいです。そして、まだまだ見ていない日本の美しい景色をこのクルマに乗って見に行きたいです。青森県の十和田・八甲田、下北半島。秋田県・岩手県の八幡平、石川県の能登半島、岐阜県の乗鞍岳、飛騨高山、長野県の安曇野、美ヶ原、八ヶ岳、山梨県の富士五湖、群馬県の草津温泉、静岡県の御前崎、浜名湖、寸又峡・・・・・挙げていけばきりがないほどある。

宇宙旅行 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 宇宙旅行
「もしも宇宙に行けたら、宇宙でしてみたいことはどんなことですか?」
 あまりに月並みだけど、宇宙から地球をじっくり眺めてみたいです。かつて人類初の宇宙飛行を行ったソ連のガガーリンが「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言った。私もぜひ見てみたい。宇宙にはたくさんの惑星が発見されているが、そのほとんどが生物の生存に適さない星である。たくさんの生物を育む地球、もしかしたら宇宙で一番美しいかもしれない星地球、ぜひ地球を外から眺めてみたいです。

写真を掲載しました

 現在少しずつ書いている「近代日本の青春時代へ」の写真を掲載しました。紀行文の進行に合わせるように写真を掲載していきたいと思います。こちらぜひお楽しみください。

播磨屋橋(BlogPet)

きょうガーベラは、播磨屋橋も編成されたみたい…

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

寝起き (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 寝起き
「朝起きて最初にすることは何ですか?」
布団から起き上がる・・・それは当たり前ですよね。暖かい時期はお花にをあげます。きれいに花が咲いているとそれはそれは嬉しいものです。

近代日本の青春時代へ④

4 宿毛の夕陽にふられる (2007年8月8日)

 再び播磨屋橋にもどり、昼食を取り土産を買う。あちこちで土産を見て歩くのは私の性に合わないので、1箇所で買って自宅宛に配達してもらうようにしている。それにしても暑い、これでは街歩きどころではない。今回の旅ではこのような事態を予想して、暑い時間はできるだけ移動時間にするように工夫している。今日はこれから高知の路面電車で適当なところを往復し、高知駅16時27分の特急で高知県西部の宿毛に向かうことにしている。

 高知の路面電車は、南北に走る高知駅~播磨屋橋~桟橋通期五丁目の路線と、東西に走る後免町~播磨屋橋~伊野間の路線からなる。東西の路線は全長20km.を越え、路面電車としては長い路線である。そこで、東側の後免町までの区間は次回の楽しみに取っておいて、西側の区間だけ乗ることにした。電車は高知市街の中心部から、だんだん住宅地にさしかかる。相変わらず乗客は多い。下駄代わりに利用されているようで、頻繁に乗降がある。鏡側にかかる橋を渡ると、片側1車線のあまり広くない道を電車が走る。つまり、電車が来るとクルマは対向車繊維寄って電車を通すことになる。ドライバーにとっては迷惑だろうが、車が走るようになるずっと前から電車が走っているのだろうから、すっかり地元のマナーとして定着したのだろう。やがて郊外から農村風景になり、およそ40分で伊野に着く。このような電車がクルマ万能時代に打ち勝って地域の足として定着していることが本当に嬉しい。いつまでも路面電車が走り続けてほしいと思う。
 路面電車の伊野駅からJRの伊野駅までは歩いて5分ほど。JRの列車まで少し間があったので駅前の喫茶店でレモンスカッシュを飲む。店で絞ったレモンジュースを使っていて、程よい酸味が心地よく疲れが吹き飛ぶ。発車直前に駅に行ったら1両の列車は座席がほとんど埋まっていた。

 高知駅に戻り、ホテルに行って荷物を受け取るとしばらく時間が余った。早めにホームに入り、かつて東北地方の国鉄線で活躍した車両と同じ形式の車両の写真を撮ったり、椅子のかけ心地を試したりしていた。その後自由席の長い行列に並んだ。
 高知駅17時27分発の特急「南風13号」は、高知駅をほぼ満席で出た。再び伊野を過ぎると仁淀川の鉄橋を渡る。高知県は四万十川が清流として知られているが、仁淀川も川の底が透けて見える清流である。カーブが多いが、高知までの区間に比べてややスピードが出ていないようだ。既に稲刈りを終えた田圃もある。社会科の授業で習ったと思うが、高知県は水稲の二期作が行われている。刈り入れ直前で倒れてしまった稲もある。なぜ二期作を行うかというと、気温が温暖であることが大きな理由だと思うが、台風の被害を防ぐこともあるのかと思う。稲は刈り入れ近い時期になると穂が重くなり強風に対して弱くなる。高知県はとくに台風の被害が多い。8月の上旬までに刈り入れをすれば台風の被害にあう確率が低くなるし、9・10月の台風シーズンは二期作目の成長途中でまだ背が低く倒れにくい。そんなことを考えながら乗っていた。
 須崎で車内が少し空いた。窪川から土佐くろしお鉄道線に入る。窪川は四万十川上流の町だが、そこから長いトンネルで山を下り、土佐佐賀は海沿いの町である。このあたりの地形の変化は目まぐるしい。高知県西部の中心地の中村(四万十市)でほとんどの乗客が降りる。私も中村に泊まる予定だが、線路はその席宿毛まで続いているので、宿毛までいったん行ってから中村に引き返す。そろりそろりと列車は宿毛駅に滑り込む。
 宿毛は夕陽がきれいな町だそうだ。私は1時間後の普通列車で中村に引き返そうと思っていた。それまでの間駅の近くの松田川にかかる橋から夕陽でも見ようかと思っていた。時間は18時40分過ぎ、日没の遅い四国にも夕闇は迫っていた。しかし、駅の掲示には19時37分の列車は9月2日まで運休とあった。その次の列車は宿毛発20時43分、あまりに遅すぎる。結局18時53分の特急で中村に戻った。さっき私が乗ってきた列車の折り返しそうである。さっきの列車にも乗っていた車掌が不思議そうな顔で私を見る。

ホンモノのチカラ

 今日、私の学校で日本有数の交響楽団のメンバーによる弦楽四重奏のコンサートがあった。私の学校では毎年芸術鑑賞会を行っているが、とても予算不足で呼べないような豪華なコンサートになった。このコンサートはある生命保険会社の社会貢献活動の一環として、社会福祉施設や特別支援学校(昨年度までの盲学校、聾学校、養護学校)への音楽のプレゼントとして行われたものです。
 有名なクラシックの曲、アニメやテレビ番組で児童生徒に身近な曲、最後には本校の校歌を演奏していただきました。本格的なプロのによる演奏はなかなか聞けないもの。耳だけでなく全身を働かせて音楽の楽しさ、素晴らしさを感じていました。終わった後生徒にどの曲がよかった?と聞いてみたら、「校歌!」「千の風になって!」「世界に1つだけの花!」などの答えが帰ってきました。
 私も教頭と共に、学校側の窓口として生命保険会社や楽団の方と事前の打ち合わせや当日の細かい準備、司会進行などをしましたが、大きな会社の本社でバリバリ仕事をしている方と一緒に仕事をして、段取りのよさ、話題の豊富さ、色々な意味で衝撃を受けました。一流会社のバリバリのビジネスマンの仕事の仕方は私も大いに勉強になりました。

運動したの(BlogPet)

きょう、朝食したかったの♪
それでガーベラは、編成したよ♪
でも、きょうやえもんと、運動したの?

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

近代日本の青春時代へ③

3 龍馬の見た海(2007年8月8日)

 朝食を済ませ、ホテルのフロントに荷物を預け、高知駅に行く。今日は桂浜~五大山と高知市内観光をして四万十市の中村に向かうことにしている。南国土佐の太陽は朝8時前にもかかわらず強烈だ。路面電車に乗って桟橋通五丁目行きの電車に乗る。OLさんや学生さんで座席はほぼ埋まっていたが、終点に向けて徐々に空いていき、桟橋通五丁目の駅で降り立ったのは私1人だった。この駅はすぐ目の前に船が見えるが高い防波堤に阻まれ海は見えない。桂浜への幹線道路がすぐそばを走っていて、そこで桂浜行きのバスを待つ。バスはすぐにやってきた。トンネルをくぐると浦戸湾沿いの住宅地を走る。高知の代表的な観光地である桂浜行きのバスだが、私のほかは数人のどう見ても観光客には見えないおばあさんだけ、高知の観光業界の先行きを案ずる。
 「まもなく終点、長浜営業所です」のアナウンスを聞いて心臓が止まりそうになる。しまった、桂浜と長浜を間違えてしまった。平静を装ってバスを降り人目につかないところでガイドブックの地図を見る。幸い長浜は桂浜に行く途中である、次のバスを待つか、たいした距離ではなさそうだからタクシーを拾ってもいい。待つほどなく桂浜行きのバスが来る、こちらは観光客で通路までぎっしりだった。案ずるのは高知の観光業界ではなく私のそそっかしさだった。間もなく、歓声が上がる。何事かと振り向いてみるとコバルトブルーの太平洋が広がっている。
 バスはヘアピンカーブの急な坂を登って降りると桂浜に着く。バスを降りるとまずは坂本龍馬象を見る。太平洋を見つめる龍馬、一体何が見えたのだろうか。明日の日本への希望か、それとも欧米列強に翻弄される立ち遅れた日本の姿か。彼にとって海とは運命的なつながりがある。土佐から剣術就業のため江戸に出た1953年、アメリカのペリーが浦賀に来航した。その後幕府の海軍操練所で航海術を学ぶ、その後に亀山社中、海援隊を結成し私設海軍、貿易会社として大活躍した。かれの活躍は近世から近代へと時代の変革の原動力になった1人であろう。私も海を見た、龍馬ほどの構想力も野心もない私だから、龍馬の生き様は本当に光り輝いてまぶしく見える。
 それにしても暑い。アイスクリンを食べ、土佐闘犬センターに行く。土佐犬の子犬のかわいいこと、まるでぬいぐるみである。それに比べると成犬の貫禄のあること、道端でばったり会うことは絶対に避けたい犬である。横綱としばらくの間柵越しの対面をして闘犬センターを後にする。さっきの山を登り、坂本龍馬博物館で坂本龍馬関係の資料を見る。最も感心したのが、龍馬の歩いた足跡を日本地図上に電光掲示で表したもので、土佐、江戸、京都、大阪、長州、長崎、薩摩・・・・交通機関が発達していない時代とは思えないほどの足跡を残している。

 桂浜からバスに乗り浦戸大橋を渡る。ずいぶん高い橋で眺めが素晴らしい。渡り終えると温室が並ぶ農業地帯になる。しばらく走ると五台山の細い道を登る。私は五台山の展望台から高知市外と浦戸湾の眺めを楽しみ、四国88箇所の31番札所の竹林寺を参拝した。白衣に傘をかぶったお遍路さんがたくさんいた。私と同じ位の年齢の女性のお遍路さんもいた。

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