近代日本の青春時代へ⑨
9 坊っちゃんと歩く松山(上) (2007年8月10日)
松山駅前のホテルにチェックインして、しばらく休憩を取る。松山駅前には路面電車が頻繁に発着している。松山市駅行き、道後温泉行きがあり、市内の主な観光地はこの電車に乗れば行けるようになっている。既に夕方近くになっているので、今日は市街中心部の大街道に最近できた坂の上の雲ミュージアムと松山城に行ってみることにした。オレンジ色に塗られた電車の中には、新しい電車も混じっていて、プラットホームと車内の間にまったく段差がないものもある。利用客も多い。道後温泉行きの電車に乗ると、間もなく踏切がある。電車が踏み切りを通過するのも妙だが、こちらは市街を走る路面電車、向こうは郊外に行く電車、性質が異なるのである。大街道で電車を折り、松山の繁華街を少し駅方面に戻ると坂の上の雲ミュージアムがある。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟(兄、好古 1859~1930、日本陸軍騎兵の父と呼ばれる。弟、真之 1868~1918、海軍で日本海海戦の参謀を務めた)の出身地が松山であることにちなんで今年4月にオープンしたものである。時間が押しているので少し急ぎ足の見学になったが、明治時代に多くの一般の人が「建白書」という方法で政府に提案や陳情をしていた。それだけ多くの人が当たらし時代に期待をしていて、近代化が多くの人々に幸せをもたらすのだろうと確信していた、そんな時代なのだろう。
城に向かって歩く。細い路地沿いに秋山兄弟の生家跡があり、現在では団体の建物になっている。松山城は平山城で、天守閣まではかなり登らなければならない、暑いし疲れてもいるから、ロープウエィに乗って楽をすることにする。松山城からは瀬戸内海が見えた、広島行きのフェリーが出る高浜港だろうか。その向こうには島々が見える。天守閣は時間切れで入れなかったが十分堪能した。それにしても暑い。売店で愛媛県産みかん100%のジュースを飲む。おじさんがよく振ってくださいといいながら瓶を渡す。飲んでみると暑いせいもあるかもしれないが、こんなみかんの味の濃いジュースは初めてだ。値段は少し高いがジュースでここまで感動したのは初めてだ。
再び電車に乗り松山駅前に戻る。駅近くの飲み屋さんで鯵の刺身とオコゼの唐揚げを肴に酒を飲んだ。新鮮な鯵は身の甘みも旨味も濃く、オコゼの唐揚げもグロテスクな会見に似合わずに繊細な味でうまかった。飲んだ後は道後温泉に行って温泉を堪能するつもりだったが、お酒が進みすぎて席を立つのが億劫になってきた。結局すっかりできあがってしまい、千鳥足でホテルに引き返した。いつの間にか涼しい風が吹いていた。
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私も10年近く前に広島や四国を一人旅したことがあり、やえもんさんの文を懐かしく読んでいました。
四国に住む人は本当にやさしい人が多く、それは、四国八十八ヶ所のお遍路さんの多く訪れる土地だからだと聞きました。
お遍路さんが八十八箇所を巡り諸行を達成するのにその通り道である四国の各地の人はお遍路さんにおにぎりや飲み物を分けてあげるのだそうです。それが習慣だったそうです。
だから今でも旅に来るものにはやさしいのだ、と聞きました。
私は夕日が沈む瀬戸内の湾のキレイさが忘れられません。
投稿: まっきー | 2007.10.03 10:57
四国は地味なイメージがありますが、実際に行ってみるととても味わい深い地方です。まっきーさんはとてもいい旅をされたようですね。今度その話もぜひ聞かせてください。
投稿: やえもん | 2007.10.04 23:33