近代日本の青春時代へ⑤
5 四万十川の憂鬱 (2007年8月9日)
今日は薄曇でとても蒸し暑い。一昨日は7時前に家を出たし、昨日は8時前にホテルを出たからこのところ毎日早起きをしていたが、今日は9時に中村駅前のレンタカー営業所に行けばいいので、8時くらいまで寝ていてもかまわないのだが、いつも通り5時40分にスイッチが入るように目が覚めた、することもないのでテレビのニュースを見ていて、7時の朝食バイキング開始に間に合うようにレストランの前に並ぶ。
9時きっかりにレンタカー営業所に着く。私が一人でレンタカーに乗るときには1000~1300ccクラスのクルマを予約することにしている。このクラスでは過去に日産マーチ、日産キューブと日産車が続いているが、今回は三菱コルトだった。ボンネットからフロントガラスまでが一本のラインになっているワンモーションフォルム(同時期のホンダフィットなどもワンモーションフォルムを採用している)
カーナビの目的地を為松公園(中村城址)にセットし、中村市街地を西に進む。室町時代に関白一条教房が応仁の乱の戦乱を避けてこの地に移り住み、中村を京都に似た町並みに整備した。以来100年近くにわたって一条氏は高知県西部を支配するが、5代目の当主の一条兼定は暗愚な武将で家臣の信望を失いついに四国の覇者、長曽我部元親に滅ぼされた。クルマ一台がやっと通れる急坂を登り為松公園に着く。ドアを開けるとメガネが曇る、よほど気温と湿度が高いのだろう。コケが生えて滑るコンクリートの歩道を歩きながら考えた。本当に兼定は暗愚な男だったのだろうか。歴史は勝者によって都合よく書き換えられることはよくあることだ。例えば、日本書紀の武烈天皇に関する記述として「妊婦の腹を割いて、胎児を見る」「人を木に登らせて射落す」などのは、日本書紀の著者が勝者、つまり継体天皇の子孫達に使えた人々が記述したものだからであろう。つまり武烈天皇から継体天皇への政権交代を正当化するために敗者である武烈天皇のことをことさら悪く書いたとしか考えられない。
郷土資料館がある。四万十川で取れたアカメという魚(本来は海の魚であるが、川の下流にも住む)の標本がある、体長1メートルにもなる大きな魚である。標本を見ながら圧倒される思いで見ていた。歴史のコーナーでは土佐一条氏に加えて幸徳秋水に関する展示があった。幸徳秋水(1971~1911)も近代日本の青春時代を生きた一人である。彼は、ジャーナリストとして帝国主義への批判、日露戦争への反対を唱えたが、1910年の大逆事件で明治天皇を暗殺しようとした疑いで逮捕され、翌年死刑になった。しかしこの事件は社会主義思想が広がることを恐れた政府によるでっち上げの事件で、冤罪であると言われている。
中村市街地に戻り、一条神社を参拝する。おじさんとおじいさんの2人組がいて、竜串、見残しにぜひ行くように勧められる。そういえば一昨日の特急列車に乗り合わせたおじさんからも勧められた。当初の予定には入っていなかったが、行ってみようと思う。急に大粒の雨が降り出した。二人にお礼を言うと石段を駆け下りてクルマに戻った。
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