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2008年3月の16件の記事

なごり雪

 今朝目が覚めると雪が降っていた。かなり大粒の湿り雪だった。かなりの勢いで雪が降っているのに、道路にも地面にもいっこうに雪は積もらない。もう気温が高いのだろう、たぶんこの冬最後の雪だろう。この雪を見ているうちにフォークソングの名曲「なごり雪」を思い出した。この歌が発表されたのが1974年、私はまだ2歳のときだからずいぶん古い歌である。卒業だろうか、離れ離れになってしまう男女の姿を春の淡雪に例えた歌である。私も別れだけなら何度と無く体験してきたな、友人の別れに立ち会ったこともあった。「なごり雪」のなかでは別れの場所は駅だったけれど、こちらの場合は空港だった。
 雪は昼前にはやみ、夕方には雪はすっかりなくなっていた。明日からは新年度、今度は出会いの季節。新しい世界に踏み出す人に心よりエールを送ります。

大阪・京都・神戸 私の三都物語 ⑩

【10 旅の終わりに】

 帝塚山は、明治時代に開かれた高級住宅地である。阪堺電車の走る通りを外れると、区画が広くゆったりとして落ち着いた住宅地になっている。万代池という池のほとりで一休みすると、再び阪堺電車の線路を越え、住宅地を西に進む。左手にお嬢様学校として知られる帝塚山学院、右手に南海帝塚山駅が見えてくる。その前方に木々に覆われたこんもりとした丘が見えてくるが、これが古代の豪族である大伴金村が眠る帝塚山古墳である。この古墳のてっぺんの高さが20m、おそらく古墳自体の高さは10m.ほどだろうから、この周囲の標高は10m.程だろうと推定される。

 帝塚山古墳を過ぎると急な下り坂になると共に、高級住宅地から、家と家が接しそうなほど混みあった普通の住宅地になった。前方に大きな森が見えてきた。全国の住吉神社の総本社である住吉大社である。住吉大社は海の神である住吉三神と仲哀天皇の后である神功皇后を祀っている。明日は元日なので、すでに露天が準備をしていたが、それを掻き分け、4つある本殿を一つ一つ参拝していった。このあたりまで来ると、上町台地も周囲と2~3m.程度高いだけである。この神社の南にはその名の通りの姿をした細井川が流れており、大阪城から始まった上町台地の旅もこれで終わりにする。あとは、大阪空港に行き、飛行機で福島に戻るだけである。既に午後1時を過ぎ、歩き回ったからかなり空腹であるし、大阪での最後の食事だから大阪らしいものを食べようと思ったが、なかなか適当な店が見つからなかった。歩き疲れて足も痛いので結局南海電鉄住吉大社駅の中にあるハンバーガー店でハンバーガーとフレンチポテトを食べた。
 
 再び阪堺電車で天王寺に戻り、地下鉄で梅田に出て、阪急梅田駅から空港行きのバスに乗る。阪神高速池田線の渋滞を心配していたが、とてもスムーズに走り30分ほどで伊丹空港のターミナルビル前に着いた。福島行きの離陸まで1時間半ほどあるので、土産物を買い込んだり、10分100円のインターネットで福島県の天気を調べたりしていた。大阪は晴天であるが福島は12月としては記録的な大雪になっているようだ。空港からはクルマを運転して帰ることになっているから心配になる。落ち着かないまま過ごしているうちにたちまち離陸の時間が迫ってきた。

 福島行きの飛行機は、50人乗りのボンバルディアCRJという飛行機である。小さな飛行機だがジェット機である。バスに乗り飛行機のそばまで行き、タラップを登って搭乗する。座ってしまえばさほど狭さは感じない。ただ窓が低いところにあるので外がやや見にくい。外は既に暗い。家々の明かり、店の看板、車のヘッドライトが小さな光のかけらとなって飛行機の小さな窓から見える。私は腰を前にずらし、のけぞるような姿勢になって光の宝石箱に見入っていた。そのうちにキャビンアテンダントさんが飲み物を持ってきた。わたしはコンソメスープを選んだ。スープを飲み終えると、疲れがでてきたのかしばらくうとうとしていた。やがて、目が覚めると飛行機が降下を始めていた。左側の窓に町街明かりが続いている。栃木県の佐野上空であろうか。間もなく大雪の福島に着く。旅は間もなく終わる。(終)

仕事したかも(BlogPet)

ガーベラは、仕事したかも。

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

大阪・京都・神戸 私の三都物語 ⑨

【9 上町台地を行く 12月31日】

 世界を見渡してみると、どんなに時代が変わっても政治・経済上重要であり続ける栃がある。例えばトルコのイスタンブールはローマの時代からアジアとヨーロッパをつなぐ重要な土地であり、ローマ帝国(ビザンツ帝国)が1000年以上にわたって都をおいた。中国の洛陽は東周の時代以来、2800年の歴史を誇る都市で、地図を見れば明らかなように、山岳部と中原(中国北部から中部の沿岸地方の平野部)の境で、黄河が流れ重要な土地である。日本で言えば大阪がこの条件に適するだろう。西に瀬戸内海、東に淀川や大和川を経て京都・奈良に通じる。日本の都市としては第一級の立地条件である。その心臓部であるのが上町台地である。大阪城から天王寺を経て住吉大社に続くなだらかな丘陵である。今日はその上町台地を歩いてみたい。

 梅田のホテルで4度目の朝を迎えた。同じホテルに4泊もするのは始めてである。もう、すっかりマイルームと化して、ガイドブックはここ、洗面用具はここと物の置き場が決まっている。のんびり朝のニュースを見て、8時過ぎに朝食のバイキングに行く。毎日朝早く出発していたから、今日くらいは朝はのんびりとしたい。9時少し前にホテルを出ると風が冷たい。この旅行の前半は暖かかったが、すっかり冬らしくなった。今日福島に帰るが、福島は大雪の予報が出ている。

 すっかりおなじみになった天満橋駅で地下鉄を降り、コートの襟を立てて大阪城に向かう。大阪城の緑の向こうには大阪ビジネスパークの高層ビルが見える。高さがまちまちではなく、大体そろっているから美しく見える。現在ある大阪城は大阪夏の陣で落城した後、将軍徳川秀忠によって再建されたものである。秀吉の大阪城は現在の大阪城の地下に埋もれている。それ以前は浄土真宗の総本山の石山本願寺があり、寺内町を形成していた。この寺内町が「小坂」であり、それが「大坂」→「大阪」となり現在に至っている。寒いが、大阪城の堀に沿って歩道があり、ジョギングをしている人がいる。私は大阪城内に入る。天守閣は今日は開いていないが、この立派な天守閣と石垣を見るだけでも十分満足する。大阪城の立地条件は最高である。東と北は大川、寝屋川、平野川が流れ、天然の堀になっている。西側は急な坂である。弱点は南側だけである。さすがの家康もこの城を落とすのにはそうとう苦戦した。
 
大阪城を出ると、南側に大きな通りがある。大阪市を東西に貫く中央大通である。高架で阪神高速東大阪線、地下には地下鉄中央線が走っている。この通りを東にJR森ノ宮駅方面に歩いても、西側に本町・弁天町方面に歩いても急な下り坂になっており、上町台地が周囲とかなりの標高差があることがわかる。大阪城から中央大通をはさんで南側には、難波宮跡がある。645年、大化の改新の際に中大兄皇子(天智天皇)によって都が作られた。その後藤原京、平城京を経て、744年聖武天皇によって再び都が置かれた。今は広い公園になっていて、当時の建物の基礎部分だけが残っている。近くには大阪府庁をはじめとする官庁街があり、1400年近くにわたって上町台地北端のこの地が大阪の心臓部であったことを実感する。坂道を登ったり降りたりしたからうっすらと汗をかく。コートを脱いだ。北風がセーターのすき間から身体を冷やす。これがとても心地よい。

近くの谷町四丁目駅から地下鉄谷町線に乗り、3つ先の四天王寺前で降りる。こんどは、聖徳太子が建てた四天王寺を見に行く。駅前の雰囲気が、官庁街の谷町地4丁目駅とは違って、下町的な商店街である。四天王寺の仁王門、五重塔、金堂、講堂などの主要な建物は、戦後の再建された鉄筋コンクリート作りである。少々残念であるが、当時の姿をいくらかでも伝えているのであればよしとしなければならないか。日本は木造建築物が多く貴重な文化遺産が戦火や火災で度々失われている。ここから天王寺駅に向かってなだらかに坂を下っていく。

ガーベラ(BlogPet)

ガーベラはガーベラがほしいな。
ガーベラってどこにあるかな

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

彼岸

 2008年になったと思ったらもう彼岸。いつのまにか寒さも和らぎ、日中は暖かいと思えるようになってきた。今日は午前中に墓参を済ませ、昼過ぎに車に乗って帰り、あちこち立ち寄りながら戻り、午後6時過ぎに自宅に戻りビールを開けたら、まだ外はうっすらと明るい。それにしてもずいぶん日が長くなったものです。ビールはもちろんうまかったけれど、まだ外が明るい時間に飲むビールは少しだけ背徳的な味がしました。

中国大丈夫?

 中国チベット自治区の暴動は一向に収まる気配がなく、ついさっきのNHKニュースによると、中国政府の発表によると死者13人、チベット亡命政府(インド・ダラムサラ)の発表によると、死者は少なくとも80名になった。ここまで大きな暴動になった原因は私にはわからない。しかし、私は1989年の天安門事件を思い出す。民主化を求める人々に対して、中国政府は戦車を投入して、発砲をしたり、戦車で踏み潰したりした。政府発表で300人以上の犠牲者が出た。この事件まで、私が最も好きな国と言えば中国だった。長い歴史と豊穣な文化、温和で素朴な人々それが中国のイメージだったガ、この事件以降最低の国になった。チベットに対しても、暴動が起きるような原因を作ってきたのではないかと思う。今後のチベット情勢の推移に注目したい。もちろん、天安門事件の再現のような事態にならないように切に願いたい。またあのような事態になるのでは、平和の祭典であるオリンピックを開催する資格は無い。そして、どんなに政治・経済・軍事大国になろうとも、決して尊敬される国にはならないだろう。

今年もアイツがやってきた

  日本は四季の変化がはっきりしている国、四季それぞれに風物詩があり、それが俳句の季語などになって日本文化に大きな影響を与えてきた。現代人の私達だって、梅の花が咲けば春の訪れを感じ、夏には花火を楽しみ、秋になれば部屋にススキを飾って月見をし、冬至にはカボチャを食べる。日本の四季の変化が私達に豊かな恵みや潤いを与えてくるものばかりではない。3月から4月にかけては私にとって厄介なアイツが来る。       昨日あたりから福島にも本格的にアイツがやってきました。アイツを99%除去するというマスクをつけても、残り1%が私の鼻の中に入ってきて悪さをする。眼鏡があるとはいえ、目に対しても容赦ない。不快感があると気分まで憂鬱になってくる。家の掃除をしようと思ってもなんとなく気分が乗らない。外出する気にもならない。結局1日のほとんどをゴロゴロして過ごした。杉や檜は建築用材として非常に重要だし、私自身がその恩恵を受けているわけだから全部切り倒せなどとは言えない。それにしても今年も花粉症の季節は気が重いです。

嬉しいこと言ってくれるねえ

 私の学校には寄宿舎がある。仕事をしていて煮詰まってくると、寄宿舎に行って生徒達と話をしてきて気分転換をする。職員室は、何かと気疲れするけれど寄宿舎なら気が楽である。
 今日は高等部の生徒は帰宅したため食堂はがらんとしていた。私の学級の生徒がひとりで椅子に座っていた。
「今日の授業はどうだった?」などと話をしていたら、その生徒がポツリと「来年も先生のクラスだといいな」といった。いつもなら、「○○先生が担任のほうがいいな」などと言っているから、そんなことを聞くのは初めてだ。それにしても、そんな言葉を聞くとやっぱり嬉しい。私も「そうだね、そうなるといいね」と言った。年度末、教師も来年度のことで戦々恐々としているが、生徒だって来年のことは気になっているのだろう。このところ情緒不安定気味になっている私がひさしぶりにほっとした一瞬でした。

ガーベラ(BlogPet)

ガーベラは追加しなかったよ。

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

高雄捷運開業

 台湾南部の工業都市である高雄市(人口151万人、台湾第2位)に捷運(地下鉄)が開業した。今回開業したのは、高雄市を南北に走る紅線で、南部の小港駅から、高雄国際機場駅(空港)、デパートなどが集まる三多商圏駅、六合夜市も近い美麗島駅、台湾鉄路局乗り換えの高雄駅、台湾高鉄(新幹線)乗り換えの左営駅、などを結び、高雄市の北隣の頭橋郷にある頭橋駅までのおよそ27kmを結ぶ。3月9日に開業し、当初の1月間は無料開放される予定である。高雄市ではこのほかにも海東西に走る橘線として、海鮮料理が美味しい旗津半島への入り口になる西子湾駅から美麗島駅、高雄市東部を経て、東隣の鳳山市の鳳山駅を経て大寮郷の大寮郷の大寮駅までおよそ14kmが建設中である。これにより、日本人の観光客にとっても高雄での移動がよりすむーずになることと思われる。

ぷは~っ!

 金曜日はそわそわしている。午後2時過ぎに授業が終わると、仕事と会議をこなし、できるだけ早く職場を後にする。家で飲むこともあれば、外に出て駅前の居酒屋で飲むこともある。心と身体は疲れているけれど、琥珀色の液体が疲れた心と身体を優しくもみほぐしてくれる。最初の1杯目の「ぷは~っ」は私にとって最高の時間だ。
 ここまで読んでも「なんのこっちゃ?」と思う方もいらっしゃると思うので、簡単に説明をします。金曜の夜は、私が週に一度お酒を飲む日。生徒達もこのことを知っていて、金曜日は朝から「今日はビールの日ですね」などと言っている。
 一度だけ思いっきりぜいたくな「ぷは~っ」をしたことがある。全日空の「超割」を使って、福島空港から新千歳空港までの格安のチケットを入手したときには、仕事が終わったらクルマで福島空港に乗り付けて、福島発新千歳行きの最終便(といっても1日2便しかありません)に乗り、新千歳空港からJRで札幌に出て、札幌でツブ貝やカキを肴に「ぷは~っ」をしたことがあった。こんなぜいたくはめったにできないが、また機会があったらやってみたい。

大阪・京都・神戸 私の三都物語 ⑧


【8 びゅわーんと播州平野の鉄道を楽しむ(下) 12月30日】

 三木駅前で所在も無く過ごしていたが、折り返しの列車の発車までは40分以上も無い。時間を潰せそうな本屋さんやショッピングモールなども見当たらない。そこで、線路に沿って、厄神に向けて歩いてみることにした。駅の裏側に回ると、三木鉄道に沿って走る県道がある。この道路に沿って歩けば三木駅の列車の発車時間さえ覚えておけば三木鉄道はきめ細かく駅があるから乗り遅れることはない。南側にはなだらかな山、北側には三木鉄道の線路、その向こうには住宅地と田、車が多いが、澄んだ空と冷たい空気が心地よい。駅のそばに大きな神社のある高木駅に寄り道して、2つ目の別所駅まで歩く。古い木造駅は、ここ数年補修された形跡が無く、この小さい鉄道会社の厳しい経営環境を物語っている。ここから列車に乗り厄神に戻る。
 厄神からJR加古川線に乗る。厄神の小さな車両基地を右に見ると、列車は左にカーブを切り、水量の多い加古川を渡る。川、水田、民家、低い山々、日本の農村の原風景の中を列車は走る・車内は混んでいて座れないが、車窓を堪能している。粟生駅は、加古川線の他、神戸の新開地まで行く神戸電鉄、私がこれから乗る北条鉄道が乗り入れていて、小さいながらもターミナル駅になっている。多くの乗客が降りたが、北条鉄道に乗り換えたのは私を含めて2、3人だった。北条鉄層の車両はレールバスと呼ばれる、軽量・小型の車両で、窓のサッシなどバスと同じような作りである。当時バスボディの大手メーカーだった富士重工(スバル)の製造である。走り出すと車体が軽いのか、加速はなかなか警戒ながら、フワフワと縦揺れがする。車窓は、これまでよりも一層ひなびてきて、完全な農村風景になる。目に前に急に市街地が現れると終点の加西市の中心部にある北条駅に着く。もっとも、市街地をはさんで北側には中国自動車道が走っていて、大阪駅前まで高速バスで1時間10分。北条鉄道から、加古川線、山陽本線経由でも神戸電鉄、阪神電鉄経由でも1時間半はかかるし、2回の乗換えが必要になる。
 駅前にビルがあり、ショッピングモールやクリニックが入っている。その一角のラーメン屋さんで昼食をとり、折り返しの列車に乗る。帰りは揺れにもなれて、うとうとしながら粟生に戻った。
 粟生からの加古川線の列車も満員だった。1両だし、向きを変えられる快適なシートが災いし、座席数が少なくなっている。だんだん前方に山が迫ってくると西脇市に着く。この列車はここで終点になる。ここから先谷川までは列車本数が極端に少なくなる。私が乗るのは13時41分発(第4土曜運休)だが、その前の列車は10時12分(第4土曜運休)になる。第4土曜にいたっては、その前の列車は8時20分になる。今日の日程作成にあたっては、この西脇市~谷川間が鍵となった。西脇市発13時41分、反対側から谷川発12時17分の列車を軸に、それに乗り継げるように逆算してプランを立ててみた。その結果、西脇市発13時41分の列車を軸にするこの日程李落ち着いた。
 西脇市を過ぎると徐々に山が迫ってくる。とはいえ、なだらかな中国山地だから、山あいの湿っぽさは無い。左側から急カーブで福知山線が迫ってくると終点の谷川に着く。
 谷川駅はその名の通り加古川が作る狭い谷底にある。空気はいっそう冷たく、雪もちらついてきた。駅前の小さな商店で熱い缶コーヒーを買った。小さな駅は待合室まで一杯だったので、雪がちらつくプラットフォームで缶コーヒーを飲んだ。冷え切った身体を120円の缶コーヒーが心地よく暖める。120円で買える小さな幸せ。
 10分ほど遅れてやってきた篠山口行きの電車は座席もほとんど埋まっていた。車窓は一層山深くなる。しばらく走ると小さな盆地に出る。終点の篠山口である。ここから大阪までの快速電車に乗る。大阪~宝塚~篠山口間の福知山線は、国鉄時代とJRになってからで最も大きく姿を変えた路線の1つである。国鉄時代はディーゼルカーや機関車が牽引する客車が1時間に1本(他に城崎方面への特急・急行列車が1本)走るのみであったが、現在では1時間に快速電車が6本、普通電車が4本、特急列車が1本走るようになり、列車の速度も大幅に向上した。民営化によるサービス改善のモデル的路線であった。沿線の三田市が1990年代を中心に全国有数の人口増加率を示した要因のひとつは、福知山線のサービス改善により大阪方面へのベッドタウンとしてニュータウンの建設が相次いだことによるものだろう。しかし、2005年4月25日、宝塚発同志社前行き快速列車が、塚口~尼崎間のカーブで、制限速度の70㎞/hを大幅に超える116㎞/hで進入し、脱線、横転し107名の方が亡くなる大きな事故がおきた。その後ダイヤの見直しや、新型ATSの接地が行われた。列車は、宝塚で大勢の人が乗りこみ、満員になった。私は進行方向左側の窓際に座って窓の外に目を凝らす。川西池田までは落ち着いた住宅地、北伊丹からは線路沿いに工場が増える。猪名川の向こうにはダイハツ工業の大きな工場が見える。車内は、これから大阪に遊びや買い物に行くのだろうか、楽しそうなにぎやかな声があふれていた。快速列車は塚口駅を通過するとスピードを落とす。事故現場となったカーブはこの先にある。車内のにぎやかな声がぴたりとやんだ。列車はブレーキをかけてゆっくりとカーブを通過する。列車は何事も無かったかのようにカーブを通過した。左カーブから右カーブに代わると間もなく尼崎に着く。

バンザーイ

 この仕事をしていると、時々「バンザーイ」と叫びたくなるほど嬉しいことがある。今日は久しぶりにそんな出来事があった。今日、仕事をしていると、国語の先生が1枚の紙を持ってきた。先月行われた漢字検定の結果であった。どうですかと聞いたら、「○○さん合格ですよ」という嬉しい答え。
 この生徒は今回が3回目のチャレンジ、今回こそはと意気込んでいた。担任である私もそれに応えるべく、星一徹(おおげさだなぁ、それに古い)になったつもりで合格を目指して特訓をした。その努力が報われて、合格ラインを軽々と越え、満点近い点数で合格となった。明日登校したら思いっきり褒めてあげようと思う。私達大人だってそうだと思うけれど、身近な人に褒められることは何よりも嬉しいと思う。これを新たなエネルギーにして、来週の入試も頑張って欲しい。担任はあまりの嬉しさに、今夜はビールで祝杯を挙げていました。

大阪・京都・神戸 私の三都物語 ⑦

【7 びゅわーんと播州平野の鉄道を楽しむ(上) 12月30日】

 バイキングの朝食を早々と済ませ、午前7時前にホテルを出る。昨日までは暖かかったが、今日は肌寒い。昨日まではホテルのクローゼットに仕舞われっ放しだったコートが、今日は威力を発揮しそうだ。大阪駅から東海道線の普通列車に乗り新大阪駅に向かう。淀川を渡り、新大阪駅に着く直前に、3月のダイヤ改正で廃止になる寝台急行「銀河」とすれ違う。
 新大阪駅はたくさんの人が行き交っていた。どのホームにも新幹線を待つ人が行列を作っていた。しかし、一番端の20番線だけは閑散としていた。ここからは岡山・広島方面への「こだま」と博多方面への「ひかりレールスター」が発着する。そんな20番線から「こだま635号」が発車した。この列車は1985年に登場した東海道・山陽新幹線初のモデルチェンジ車で、2階建てのグリーン車と食堂車があることで話題になった。いまは2階建て車は廃車となり、山陽新幹線の「こだま」で余生を送っている・この列車ががらあきのまま発車すると、プラットフォームはますます閑散とする。「500系のぞみ」やら「700系ひかり」などが発着する他のプラットフォームと同じ駅とは思えない。
 発車20分ほど前になって、見覚えのある丸いボンネットが新神戸側から近づいてきた。これが「こだま639号」、初代新幹線車両の0系を使った列車である。1972年生まれの私にとって、子供の頃絵本や図鑑で見た新幹線車両といったら、丸いボンネットのこの車両だった。「びゃわーん、びゃわーん走る、青いひかりの超特急」などという歌を子供の頃よく歌っていたことを思い出す。東京オリンピックがあった1964年に登場し、当時世界中で叫ばれていた「鉄道斜陽論」(旅客鉄道は旅客機や自動車に押されて衰退するだろうとされた仮説)を吹き飛ばし、鉄道の安全性、高速性、定時性、大量輸送力を遺憾なく発揮した。日本の新幹線の成功がその後、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、イギリス、ベルギー、オランダ、アメリカ、韓国、台湾などで高速鉄道を開発することにつながった。そのため、この0系新幹線は日本の鉄道史上最高傑作と評する人もいる。私もまったく同感である。
 車内整備が終わり、ドアが開く。通路を挟んで3列と2列のシートが並んでいた車内は、グリーン車並みに通路を挟んで2列-2列に改められたため、シートはきわめてゆったりしている。そのほかは角ばった天井のエアコン吹き出し口などかつての0系を思い出させる部分が多く残っていた。走り出すと、現在の車両と違って、加速は鈍重だが、どっしり感のある走りで、快適な乗り心地だ。新神戸を過ぎ、トンネルをいくつか過ぎると市街地が開けてきて西明石に着く。新大阪を発車して30分ほどでまだまだ名残惜しいがここで降りる。ここで「のぞみ」に道を譲るので10分ほど停車する。私は、乗り継ぎの電車の時間を気にしながら、最後尾の車両に行って、もう乗ることが無いと思われる0系とのお別れに、最大の特徴である丸いボンネットを撫でた。「たくさんの人たちに夢と希望を与えてくれてありがとう。そして本当にご苦労様でした。私達はあなたが鉄道の新しい時代を築いたこと、世界中の高速鉄道の魁になったことを忘れません。さようなら。」そう心の中でつぶやくと後ろを振り返らずに階段を下りた。

 西明石駅から新快速電車に乗り換えて加古川で降りる。加古川から播州平野を走る加古川線とそこから分岐する2本のローカル鉄道に乗る予定である。加古川駅からシルバー地に色々な色がパッチワーク状に塗られた電車に乗る。加古川を発車すると、山陽本線とは明らかに社葬が違う。農地が増え、家の作りも古びたものが多い。3つ目の厄神で降りる。駅の周囲には黒い壁に銀色の屋根の古い作りの家が並んでいる。ここで3月末に廃止になる三木鉄道に乗り換える。1両のディーゼルカーは車内は古びていた。座席はほぼ埋まっていた。後ろのほうに座っていたおじさんが、朝から1杯引っ掛けてきたのであろうか、とても陽気である。少しでもお客を増やそうとする経営努力の跡なのだろうか、わずか6.6km.の鉄道に9つの駅がある。そこを14分かけて走る。終点の三木駅は国鉄時代からの古い駅舎であった。三木には、1578年から80年にかけて豊臣秀吉と別所長治によって戦われた合戦があり、長期にわたる篭城戦になり、最後は城内の食料も水も絶え、「三木の干殺し」とよばれる悲惨な戦だったらしい。城主の別所長治の切腹により戦は終結する。時間があればそんな三木城址を見てみたかったが、駅の中に張り出されている地図を見ると、折り返し列車の発車までに見てくるのは困難な距離であった。

夜のドライブ(BlogPet)

やえもんの「夜のドライブ」のまねしてかいてみるね

このところのガソリンのガソリンの高騰で、できるだけクルマにしてきたが、できるだけクルマにしてきたが、できるだけクルマには乗らないようには乗らないようにしてきたが、今...

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

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