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東海地方の私鉄と信長の足跡をたどる 8

 矢場町から地下鉄に乗り、神宮西で降りる。少し歩くと大きな神社がある、熱田神宮である。1960年5月19日、桶狭間の合戦を前にした信長がこの神社で戦勝祈願をした。相手は圧倒的に優勢な今川勢、このときの信長は何を思っていたのだろうか。境内には大きな楠の木がある。枝を大きく広げ、幹は太く立派で堂々たる姿である。しばらくこの楠に見とれていた。

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 参拝を済ませ、名鉄神宮前駅から各駅停車の電車に乗り、名古屋市南東部の住宅地を走る。名古屋市から豊明市に入り、中京競馬場前駅で降りる。駅から少し住宅地を歩くと桶狭間古戦場跡がある。(ただし、桶狭間とされる場所はこのほかに数箇所ある)南北が小高い山に囲まれて、大群の移動には不利そうな土地である。そのなかの斜面に小さな公園として残されている。今川義元の墓もあり、花も供えられている。義元はここで死ぬとは露ほども思っていなかっただろう。無念さは想像を絶するものがある。歴史はしばしば残酷な運命を人にもたらす。私も義元と名も無き兵たちの冥福を祈った。

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 この後慌しく電車に乗り、1つ名古屋側の有松駅で降り、東海道沿いに残る古い町並みを見て、また電車に乗り、名古屋を過ぎ新清洲で降りた。お昼時になったので駅前の中華料理店で台湾ラーメンを食べる。これは、台湾の担仔麺をもとに作られた名古屋のご当地ラーメンで、ひき肉やニラ、もやしなどと唐辛子を炒め、醤油ベースのスープと麺に合わせたものである。ピリッと辛い味がなかなかいける。(台湾の担仔麺は辛くないが)
 これから、清洲城に行く、清洲城は1555年から63年にかけて信長が本拠地とした城であり、信長の死後織田家の後継者を決める清洲会議が行われた場所でもある。さらに、江戸時代の尾張藩は始めのうち清洲城に置かれた。それだけ重要な史蹟のはずなのだが、この史蹟はちっとも大事にされていない。明治時代に建設された東海道本線は清洲城跡の真ん中を通っている。戦後に東海道新幹線がその脇に建設された。その後、清洲城の天守閣が再建されたが、これは写真や図面をもとにした再建天守閣ではなく、当時の典型的な建築様式をもとに作られた城ということだ。その上天守閣の作られた場所は当時の城跡ではなく川むかいだ。このようなことから、信長の足跡をたどる上では欠かせない場所なのだが、行くべきか避けるべきか迷っていた。
  東海道本線と新幹線に分断された城跡は静かだった。幸か不幸か「天守閣」は閉館日だった。当時の本物の天主台だったところは小高い丘になっている。石の上に腰をかけ目を閉じる。いつの間にかすぐそばを走る列車の音も聞こえなくなる。私が頬で感じている風の匂いから排気ガスのにおいが消え、草と木々の匂いがしてくるようになった。私はいつの間にか450年前の清洲城にいた。信長が城下町を見上げながら何か思案している。遠くでは田植えをしている人々の姿が見える。城の中を忙しく走り回っている侍たちがいる、猿みたいな顔の男がいるが彼が秀吉かもしれない。

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 そろそろ2008年に戻らねばならない、私は後ろ髪を惹かれる思いで工場と線路に挟まれた殺風景な道を歩いてJR清洲駅に向かった(終)

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