東海地方の私鉄と信長の足跡をたどる ⑥
犬山遊園駅から、モノレールが出ている。このモノレールは日本モンキーセンターと直結している動物園駅まで行く。古いモノレール車両に乗り込むと間もなく発車した。私は終点の動物園まで乗ろうと思っていたが、そこまで行くとモンキーセンターまで行くことになってしまうので、途中の成田山駅で降りることにした。
成田山駅は、成田山名古屋別院の駐車場にあった。長い階段を上り成田山を参拝した。汗をかいたが、かなり高い床にあり、犬山城や木曽川を望むことができなかなか素晴らしい眺めだった。
山を下り、しばらく犬山の市街地を歩き、犬山城に向かう。犬山城に近づくと老夫婦や中高年の女性客など歩く人が増えてきた。小高い山の上にある犬山城は1469年、尾張国の守護大名斯波氏の家臣である織田広近によって作られた。その後、増築されたが、今でも戦国時代から江戸時代初期の建築様式を残す貴重な城である。恐ろしく急な階段を登り最上階に出ると、素晴らしい眺めである。北西の方角にはゆったりと流れる木曽川、その向こうには美濃国、東から南にかけては濃尾平野と犬山の市街地が広がっている。
既に午後3時近くだがまだ昼食を済ませていない。歩き回ったり電車に乗っているうちに昼食のタイミングを失ってしまった。結局、犬山駅の中にあるハンバーガー店でハンバーガーを食べ、広見線の電車で新可児にでて、さらに乗り換えてみた景気の電車に乗った。山間に入り、線路の回りの景色はローカル線のそれである。大手私鉄でこれが味わえる区間と言ったら、東武鉄道東上線の小川町~寄居間であろうか。終点の御嵩は、寄居よりもはるかに小さな町だったが、中仙道の宿場町の面影を残しており好ましい風景だった。その後、新可児、犬山で乗り換えて名古屋に戻った。名古屋まで1時間少々だが、山間部から郊外の住宅地になり、だんだん住宅の密度が濃くなり、マンションや工場も見えてきて最後には名古屋駅前のビル街が迫ってきた。見時間時間だが劇的な風景の変化だった。
夜は地下鉄で栄に出て、味噌カツを食べて、繁華街をぶらぶらした。名古屋の夜は街の規模の割には町から賑わいが消えるのが早いようだ。
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