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2008年11月の15件の記事

ひかりよ、永遠に

 あなたは新幹線車両といえばどんなものを連想しますか?たぶん30代以上の人なら、丸いボンネットの0系新幹線車両を連想するのではないかと思います。この車両は、1964年、東海道新幹線開業とともに走り出し、それからマイナーチェンジを続けながら製造が続けられ、1986年、100系新幹線(2階建て車両のある新幹線車両)の量産が始められ製造が中止された。この車両の功績は、鉄道の可能性を世界中の人に知らしめたことであろう。1950年代から60年代にかけて、各国で自動車道の整備が進み、自動車の性能も飛躍的に向上した。また、この時期にジェット機が実用化され、機材の大型化が進み、航空機がお金持ちのための乗り物から、誰でも乗れる乗り物に成長しつつあった。そのため、旅客鉄道は一部の都市内の交通機関としての役割以外は衰退していくだろうと言われていた。
 しかし、新幹線は時速200キロメートル以上の高速性に加え、一度に1000人以上の人を輸送できる大量輸送能力、きわめて高いレベルの定時制と安全性を誇り、東京~大阪間を始めとする都市間輸送において、航空機や自動車に対し鉄道が高い競争力を持つことを世界に知らしめた。東海道新幹線の成功を受けて、フランス、イタリア、ドイツ、イギリスなどで鉄道復権のための取り組みが進められ、現在では高速鉄道の建設が多くの国で進められている。
 私が0系とであったのは1982年、箱根に旅行したときに東京から小田原まで乗った、親は私を新幹線に乗せて喜ばせようとしたのだろう。しかし、私は当時新鋭車両だった特急「踊り子」か小田急ロマンスカーに乗りかかった。当時既に0系車両は既に古びて見えたものである。実際に乗ってみてもみすぼらしかった。窓ガラスにはひびが入ってガムテープで補修してあった。国鉄末期の苦しい時期だったのだろう。次に乗ったのは高校の修学旅行、当時使用されていた、リクライニングできることと引き換えに、後ろ向きに固定されたシートだった。そのようなわけで、私と0系の出会いはどちらかと言うと不幸な出会いだった。画期的な車両だったことは理解しているが、出会ったタイミングが悪く、わたしはあまりいい印象を持てなかった車両であった。
 去年の12月、関西旅行の際に、お別れのつもりで新大阪から西明石までこだま号に乗った。これまで見えなかった0系の長所にはじめて気づいた。どっしりとして安定感のある走り、機能本位だけど質実剛健なインテリア、しかしあまりに気づくのが遅すぎた。それでも、鉄道史上画期的な車両に乗れて、それが走った時代に生きていたことを私は誇りに思います。 

空港にて

 私は駅や港、空港などが好きです。どこか遠い知らない町に行ける場所、つまり、住みなれた町にいながら非日常への世界を少しだけ体験できるからである。何をするわけではない、ただ黙って発着する列車を眺めたり、行き交う船を眺めたり、飛行機の離着陸を眺めたりするだけでいい。
 今日は空港近くの町に行く用事があったので、その帰りに空港によってみた。既に駐車場は真っ暗だった。ターミナルビルに入り、3階の展望デッキに上がる。日本航空のボーイング737が2機冷たい雨を浴びていた。ここ福島空港では、来年1月末で日本航空の福島-伊丹、福島-関空、福島-那覇線が運休になる。今日はその見納めに来た。小雨降る夜はある意味別れにふさわしい場面か。しばらく寒さを我慢しながら見ているううちに全日空のエアバス320とアイベックスエアラインズのポンパルディアCRJが着陸した。利用客の低迷がニュースになる福島空港だが、たくさんの人が飛行機から降りてきてにわかに活気付いた。
 やがて、伊丹に向かう客を乗せて日本航空機が離陸した。赤い日の丸を描いた垂直尾翼が雨雲の中に消えていった。天気のせいか、日本航空と福島空港の別れが近いせいか、それとも11月の雨の夜のせいか、私は胸が締め付けられるようなせつない気持ちになった。間もなくアイベックスエアラインズの伊丹行きと全日空の新地と生気が離陸する。間もなく福島空港の1日が終わる。私はせきたてられるようにターミナルビルを後にする。振り返ると、雨に濡れた滑走路の向こうに明日の沖縄行きになる日本航空機がこちらに顔を向けている。あと2ヶ月、無事故で飛んでください。

おひさしぶりです!

 こうやってブログを更新するのは久しぶりです。ここ1週間ほど、疲れてそんな気力もなかったり、あまりに疲れて帰宅したらそのままバタンキューだったりして、すっかり更新が滞っていました。疲れてはいますが元気です。これから年末に向けて忙しくなります。このブログをご覧の方もそうだと思います。どうぞ元気にお過ごしください。書きたいことは色々あるので、エネルギーが回復次第書いていきます。
 それにしても、最近の経済危機、当面の注目は、アメリカの大手自動車会社GM(ゼネラル・モーターズ)が連邦破産法を申請するか(つまり事実上の倒産をするか)です。自動車産業は部品製造、販売店など非常の裾野の広い産業なので、倒産といった事態に一体どれだけの影響が出るのでしょうか。考えただけでも恐ろしいです。そしてインドでは、イスラム原理主義者と思われる団体によるテロ活動。世の中の動きからも目を離してはいけないと思います。

やさしいね(BlogPet)

やえもんの「やさしいね」のまねしてかいてみるね

私がた。
わたしはかなりそそっかしいほうで、よくあることだが不注意で足首を痛めた...

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

やさしいね

 私が不注意で足首を痛めた。わたしはかなりそそっかしいほうで、よくあることだがたいていの場合、数分後には何事もなかったかのように歩いている。しかし今回はなかなか直らない。あまりの痛みのひどさに整形外科に通院してレントゲンも撮ったが、骨にはなんら異常がないというlことだった。
 家は掃除が行き届かなくなり、日に日に汚くなっていく。料理も痛い足を引きずって買い物をするのが億劫というより激しい苦痛になってしまって、コンビニ生活。まぁそこは気楽な一人暮らしだから何とかなるとして、問題は仕事のほう。身体を使う仕事だからこれはかなり厳しい。ところが学級の生徒達が私に非常に優しくなった。ある生徒は、朝、生徒が登校前に1日の予定をホワイトボードに書くことを私の代わりにやってくれた、誤字があるけれどまあ許そう。別の生徒は私が足を引きずって歩いているのを見て、心配して車椅子を持ってきてくれた。私は「そんな大げさにしなくてもいいよ」と言ったけれど、その気持ちはとても嬉しかった。本当にいい学級だなぁ、こんなときに改めて実感する。

通話(BlogPet)

きのうは津軽鉄道へ通話しないです。

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

今年を漢字1文字で表すと何になりますか

 今年も早くも11月15日、残すところ1ヵ月半です。ところであなたは2008年を漢字1文字で表すと何になりますか?
 ちなみに1995年は「震」、阪神大震災がありました。地下鉄サリン事件も世界を揺るがせる大事件になりました。1996年は「食」、夏に病原性大腸菌O-157による食中毒事件が多発しました。1997年は「倒」、北海道拓殖銀行や山一證券などの大型倒産がありました・1998年は「毒」、和歌山毒カレー事件がありました。199年は「末」、ミレニアムというそれまで聞いた事のなかった言葉が急に聞かれるようになりました。2000年は「金」、シドニーオリンピックでの高橋尚子の金メダルはあまりにも劇的でした。2001年は「戦」、煙を上げ崩れ落ちる世界貿易センタービルの映像は衝撃的でした、ビンラディンは今いずこに。2002年は「帰」、北朝鮮に拉致されていた日本人のうち5人が帰国しました。2003年は「虎」、長く低迷を続けていた阪神タイガースが18年ぶりに優勝をしました。2004年は「災」、新潟県中越地震、スマトラ島沖地震と災害が続いた1年でした。2005年は「愛」、愛地球博が開催されました。2006年は「命」、飲酒運転による重大な交通事故が発生しました。そして、2007年は「偽」、食品の偽装問題が次々と明らかになりました。以上は漢字能力検定協会が選んだ今年の漢字です。
 今年の漢字を私が予想すると、「憂」です。夏以降アメリカを震源とする金融不安が世界中に広がり、日本も再び深刻な不景気に見舞われるのではないかという不安に襲われています。また、中国産食品の汚染が次々に発見され、食の安全が改めて問われています。来年は同じ「ゆう」でも「悠」になってほしいものです。

会津・多摩・江戸~新選組の足跡をたどる ①

【10月26日 会津若松】

 SL「郡山会津路号」で会津若松駅に着いた。帰りは17時過ぎの快速列車と決めてある。およそ4時間あるが、その間に会津若松に残る新選組隊士の足跡をたどってみたいと思う。

 言うまでもないが、新選組と会津藩のかかわりは非常に深い。清河八郎が幕府に提唱して結成された浪士組に近藤達が参加して京都に上ったが、意見の相違から近藤や芹澤鴨たちが分裂して作った組織が新選組の起こりである。そしてその当時の京都の治安維持の責任者である京都守護職にあったのが会津藩主、松平容保である。後に新選組は会津藩預かりの別働隊として幕末の京都を治安維持のために走り回った。もし山口県出身の方が居れば気を悪くするかもしれないが、私はそう見ている。
 しかし、情勢は会津藩と新選組に味方せず、鳥羽・伏見の戦い(京都府)で大敗北を喫した。江戸に撤退した新選組は、甲陽鎮撫隊と名を改めて甲州街道を西に進むが、勝沼の戦い(山梨県)で破れ、再起をかけて流山(千葉県)に結集したところを新政府軍に包囲され、局長である近藤を失うことになる。
 その後会津戦争に参加するが、ここでも武装の差は歴然で、有名な白虎隊の自刃のエピソードがあるように、会津藩は死に物狂いで戦ったが敗れた。その後、旧幕臣の一部と北海道に逃れ榎本武揚らと蝦夷共和国の設立を目指したが、ここでも破れ、幕末に華々しく活躍した、「最後の武士」である新選組は6年間の活躍を終えた。

 会津若松駅から、マルーンに塗られた「まちなか周遊バス」に乗る。このバスは、会津若松駅→七日町→野口英世青春館→鶴ヶ城(県立博物館も近い)→御薬園→会津武家屋敷→東山温泉→会津武家屋敷→飯盛山(白虎隊士終焉の地)→会津若松駅と市内の主な観光地を循環するバスで、およそ30分ごとに運行されている。

 七日町駅でバスを降りる。駅前すぐの阿弥陀寺には新選組三番隊組長を務め、会津戦争の後は土方らと別れ会津に残った。後に、会津藩が青森県下北半島に移されると(斗南藩・・・むつ市田名部に藩の本拠を置いた)、斉藤もここに移住した。後に東京で警視庁に勤めたり、学校の守衛をしたりして過ごした。そんな斉藤の花に手を合わせた。この人は謎が多く出身地さえ確定していない。なぜ会津戦争以降会津藩と行動をともにした理由もわからない。わかっているのは彼がここに眠っていることのみである。私なりに推測すると、幕末の動乱の時代、自分達の損得を考えず自分の信じるもののために命をなげうって戦った会津武士の生き様が斉藤の生き様と共鳴したかもしれない、と考える。重ね重ね、山口県出身の方を不快にしてすみません。

 七日町駅に戻ると、まだ時間がある。七日町駅は「駅カフェ」して整備され、会津地方の和菓子や民現品が購入できるし、コーヒーを飲むことができる。コーヒーを飲むには時間が少々足りないが、時間がある人はゆっくりしてもいいだろう。

 バスは城下町のなごりをとどめる狭い道を走る。小型のバスだからすいすい走るが、最後部のオーバーハング部に座っているせいかたて揺れがひどい。混雑している日は通常のバスがすぐ後に走るから、バスに酔いやすい人はそちらにしたほうがいいかもしれない。
 バスを奴郎ヶ前(やろうがまえ)で降りる。降りて路地をしばらく歩くと天寧寺がある。この寺は、室町時代から戦国時代にかけて会津地方を支配した蘆名氏によって建てられたものである。ここに新選組局長の近藤勇と土方歳三の墓がある。坂道を登ってずいぶん奥の方に墓があった。近藤と土方の墓は並んで建っていた。新選組がこれだけの活躍ができたのは、この2人がそろって初めて可能になったのだろう。生まれた多摩でもなく、主な活躍の場となった京都でもないが、新選組にとって直接の上司になる会津藩の城下町で眠ることができるのは、彼らにとっても本望のことであろう。振り向くと鶴ヶ城と会津若松の市街を一望にすることができる。私も無意識のうちに「いい眺めだなぁ」とつぶやいていた。

ガーベラは民家がほしいな(BlogPet)

ガーベラは民家がほしいな。
民家ってどこにあるかな

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

山頂より

山頂より
今日は山に登っています。中腹から歩いて40分、ついさっき山頂に着きました。寒いですが、おにぎりを食べてしばらくのんびりします。

家電

 家の電話機が壊れてしまった。通話は問題なくできるが、留守番電話機能が使えなくなってしまった。今や携帯電話を使うことが当たり前になって、固定電話は徐々に影が薄い存在になってきたが、仕事関係など、固定電話にかかってくる電話は依然多い。そのうえ、私は一人暮らしであり、加えて家にじっとしていることが苦手な性格で、しばしば旅に出るから、留守番電話機能は必須の存在である。
 今まで使っていた電話機は大学3年のときに買ったものである。それまではただのプッシュフォンを使っていた。当時の実家の電話が黒電話だったからプッシュフォンであるだけでなんだかおしゃれに見えたものである。3年になり、ゼミ長(まぁ学級委員長)になり、ゼミの運営について電話でやり取りする機会が増えたり、ボランティア活動を積極的に行うようになり、ボランティア先との電話連絡が増えると、ただでさえ外出がちな私は、「あいつはいつかけてもつかまらないやつだ居留守でもしているのではないか」とか「別宅がある(つまり誰かと同棲している)のではないか」とか言われるようになった。私は居留守などしていないし、同棲もしていない。これは根も葉もない噂を立てられかねないと危機感を持ち、乏しい財源からひねり出して留守番電話機能のある電話機を購入した。言うまでも無いが、学生が携帯電話を持つなど考えられない時代であった。
 それから14年間、苦楽をともにした電話機であったが、肝心の留守番電話機能が故障し、やむなく買い替えとなった。名残惜しいが、新しいスマートな電話機を使いこなすのも楽しみである。

妊婦「たらい回し」報道について

 ここしばらく「妊婦たらい回し」事件についてのニュースを聞かない日はない。ことの起こりは東京という、医療崩壊とあまり縁のなさそうな地域で、脳内出血を起こした妊婦が8つの病院から受け入れを断られ、結局子どもこそ助かったものの妊婦は死亡したことがありました。それ以前にも奈良県で出産中に脳内出血を起こした妊婦が18の病院をたらい回しにされた挙句死亡したことがありました。この問題についてのマスメディアの報道についていくつか疑問があるので私なりに問題点をまとめてみました。

 まず1つは、本当にたらい回しなのかということです。出産中あるいは目前の妊婦の脳内出血は非常に難しい案件であると言うこと。このような状態の患者を治療するには、①脳外科の医師がスタンバイして、手術室も開いていること。②CTの技師もスタンバイしていること。③ICU(集中治療室)に空きがあること。④緊急の帝王切開が必要となるので、産科医がスタンバイし、手術室がスタンバイしていること⑤胎児の状態が悪くなっていることも考えるので、NICU(新生児集中治療室)が開いていること。以上の①~⑤の全ての条件がそろわなければ受け入れることができない。たとえ廊下のソファーでもいいから受け入れて欲しいなどという報道を聞いたことがありますが、脳内出血を起こした妊婦を廊下のソファーに受け入れて一体何ができるのでしょうか。

 次に、妊娠・出産は本当にリスクが無いことかということです。妊産婦10万人あたりの死亡率は、2005年で4,4人同年のアメリカは10人、日本は相当低いとはいえ、決して皆無ではないこと。妊娠・出産は祝福すべきことではありますが、安全なことだなんで絶対には言い切れないこと。ちなみにアメリカでは妊産婦の死亡率がやや上昇しています。これは、医療訴訟の多発によって、週によっては産科医がほとんどいなくなってしまった州があるからだと言われています。

 3つ目は、まるで産科医を悪者のように報道する姿勢についてです。奈良の妊婦が死亡ときの報道はすさまじいものでした。しかし、冷静に見てみると、医師は最善を尽くしていましたし、受け入れを断った側にも止むを得ない(上記の条件を満たせない状況にあった)事情があったそうです。しかしマスメディアの報道はまるで医師や病院を殺人者のように扱っている野のでした。医師や病院を叩くことでこの問題が本当に解決するのでしょうか。

 この問題の解決には、医師の養成から医療制度全般について見直していく必要があるのだと思います。誰だって激務の割には待遇で報われず、悪くすれば名前がテレビで報道され、悪者のように扱われ、法廷に引っ張り出される産科医の仕事なんてやらないでしょう。医師の激務を少しでも軽減する方法、産科医の人を医療訴訟から守るためのしくみ(明らかな故意が認められない限り刑事訴追されないとか)など、提案するような報道を望みます。

翼の折れたTK

 今朝、眠い目をこすりながら新聞を読んでいると、「小室哲哉逮捕へ」という見出しが目に入ってきた。小室・・・誰だったかなと思い出すまでおよそ1分。1980年代から90年代にかけて、TMレボリューションやglobeで数々のヒット曲を出しただけでなく、1990年代後半には、trf、安室奈美恵、華原朋美、鈴木あみなどに多くの曲を提供し、一時期ヒットチャートの上位を独占したことを思い出した。もっとも、最近は自分自身も、提供した曲も泣かず飛ばずで、売り上げが大幅に落ちていることろへ、事業での失敗、過去の女性関係の処理のための慰謝料などで多額の借金を抱えているとも聞いたことがある。今や多くの人にとって過去の人となりつつあり、このニュースを聞いて、そんなやつが居たなと思い出したのは私だけではないだろう。

 彼には度重なる女性問題の他今回の詐欺事件もあり、人間としては評価できないが、彼の作った音楽があれだけ売れたと言うことはやはり彼の音楽的才能は本物なのだろう。私も「My Revolution」や「恋しさとせつなさと心強さと」、「Can You Celebrate」などいいなぁと思った曲がある。

 かつてあれだけ脚光を浴び、世間の評判と地位とお金を手にした男、それから10年ほどで経済的にも音楽的にも落ちぶれ、挙句の果てには容疑者となった小室、一体何を思っているのだろうか。

博したかったみたい(BlogPet)

ガーベラは、博したかったみたい。

*このエントリは、ブログペットの「ガーベラ」が書きました。

鬼が笑うよ

 いよいよ11月、今年のカレンダーもすっかり薄くなってしまいましたね。
 さて、10月末のある日、場所はやえもん学級の教室。

A子さん  「先生」
やえもん 「ん、どうしたの?」
A子さん 「今年は節分の日に豆まきやるのですか?」
やえもん 「う~ん、どうしようかな(そんな先のこと決めてないよ)」
       「今年はみんな受験生だし、ひとつ派手にいきますか」

 私たちは目の前の行事や仕事ををこなすのにアップアップしているのに、生徒はそんな先のことまで考えているのですね。それにしても10月末に節分のことを考えているとは、節分のことだけにこれが本当の「来年のことを言うと鬼が笑う」ですね。

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