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ひかりよ、永遠に

 あなたは新幹線車両といえばどんなものを連想しますか?たぶん30代以上の人なら、丸いボンネットの0系新幹線車両を連想するのではないかと思います。この車両は、1964年、東海道新幹線開業とともに走り出し、それからマイナーチェンジを続けながら製造が続けられ、1986年、100系新幹線(2階建て車両のある新幹線車両)の量産が始められ製造が中止された。この車両の功績は、鉄道の可能性を世界中の人に知らしめたことであろう。1950年代から60年代にかけて、各国で自動車道の整備が進み、自動車の性能も飛躍的に向上した。また、この時期にジェット機が実用化され、機材の大型化が進み、航空機がお金持ちのための乗り物から、誰でも乗れる乗り物に成長しつつあった。そのため、旅客鉄道は一部の都市内の交通機関としての役割以外は衰退していくだろうと言われていた。
 しかし、新幹線は時速200キロメートル以上の高速性に加え、一度に1000人以上の人を輸送できる大量輸送能力、きわめて高いレベルの定時制と安全性を誇り、東京~大阪間を始めとする都市間輸送において、航空機や自動車に対し鉄道が高い競争力を持つことを世界に知らしめた。東海道新幹線の成功を受けて、フランス、イタリア、ドイツ、イギリスなどで鉄道復権のための取り組みが進められ、現在では高速鉄道の建設が多くの国で進められている。
 私が0系とであったのは1982年、箱根に旅行したときに東京から小田原まで乗った、親は私を新幹線に乗せて喜ばせようとしたのだろう。しかし、私は当時新鋭車両だった特急「踊り子」か小田急ロマンスカーに乗りかかった。当時既に0系車両は既に古びて見えたものである。実際に乗ってみてもみすぼらしかった。窓ガラスにはひびが入ってガムテープで補修してあった。国鉄末期の苦しい時期だったのだろう。次に乗ったのは高校の修学旅行、当時使用されていた、リクライニングできることと引き換えに、後ろ向きに固定されたシートだった。そのようなわけで、私と0系の出会いはどちらかと言うと不幸な出会いだった。画期的な車両だったことは理解しているが、出会ったタイミングが悪く、わたしはあまりいい印象を持てなかった車両であった。
 去年の12月、関西旅行の際に、お別れのつもりで新大阪から西明石までこだま号に乗った。これまで見えなかった0系の長所にはじめて気づいた。どっしりとして安定感のある走り、機能本位だけど質実剛健なインテリア、しかしあまりに気づくのが遅すぎた。それでも、鉄道史上画期的な車両に乗れて、それが走った時代に生きていたことを私は誇りに思います。 

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