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2009年7月の13件の記事

生まれるなら1835年ごろか




コネタマ参加中: 戦国、明治、鎌倉…生まれ変わるなら何時代?

 生まれ変わるならどの時代か。私は幕末から明治にかけての時代を生きてみたいですね。仮に1835年(天保6年)に生まれたとすると、6歳で水野忠邦らによる天保の改革(1841年・天保12年)、このころはまだ世の中のことがわけもわからず生きている幸せな時代。18歳で黒船来航(1853年・嘉永6年)、私なら黒船と異人見たさに浦賀までのこのこ出かけていったかもしれない。32歳で大政奉還(1867年・慶応3年)、これからどうなるのやらと不安になる、しかし少しだけ新しい時代に期待も。36歳で廃藩置県(1871年・明治4年)、威張っていた侍がおとなしくなったことに少しだけ気分がすっきりする。42歳で西南戦争(1877年・明治10年)、もう徴兵されない年であることにほっとする。54歳で憲法発布(1889年・明治22年)、憲法はなんだかわからないけれど世の中便利になってきたのでとにかく喜ぶ。59歳で日清戦争(1894年・明治27年)、69歳で日露戦争。そして、1905年(明治38年)日露戦争勝利の報道を聞き、やれやれと思いながら、70年の生涯を閉じる。この70年間は、日本史上稀に見る激動の時代で、平々凡々たる私ですら、歴史の中に生きていることを実感できる時代だったのではないかと思う。
 ちなみに、1835年生まれの有名人は、実業家の岩崎弥太郎、教育者の福沢諭吉、官僚の前島密(郵便制度の父)、小松帯刀(政治家)、土方歳三(新撰組副長)、いずれも幕末から明治にかけて大きな功績を残した人々です。

この時代に必要とされているものは

 「ドラえもん」に神成さんというおじさんが出てくる。のび太やジャイアン、スネ夫が野球をやる空き地の隣に住んでいて、誰かがホームランを打つとどういうわけか神成さんの家の窓ガラスを直撃する。そこでのび太が神成さんの家に謝りに行く役を押し付けられる…。というのがよくあるパターンだが、最近他人の子どもを注意できる大人はほとんどいなくなってしまったのではないかと思う。
 私は1972年生まれで、1980年代に子供時代を過ごした。この時代はまだ子どもを注意できる大人が残っていた時代で、私の弟が家から500円玉をくすねて近所のお店に買い物に行ったとき、お店のおじさんは小学校に入ったか入らないかの弟が500円を持っていることを不審に思い、弟に問いただした。多分今なら子どもがお金を持って買い物に行くのはコンビニだろうし、たいていのコンビにはお金さえ持っていればお客様で、分不相応なお金を持っていても注意することさえないだろう。

 最近、といっても、私は流行にとことん疎いから、もう何年も前からいたのかもしれないが、ローラーシューズをはいている子どもが増えた。ローラーシューズは砂の上や砂利の上じゃまともに滑らないだろうし、アスファルトの上も細かい凹凸があってさほど滑らない。スーパーマーケットやショッピングモールのフラットな床ならよく滑るので、ローラーシューズをはいた子どもが滑って遊んでいることがある。ことろがそういうお店は高齢者の人もいるし、視覚障害の人もいるし、松葉杖をついた人もいる、妊婦だっている、みていてはらはらすることも何度もあった。「お店の中は他の人にぶつかると危ないから滑ってはだめだよ」という言葉が何度も喉まで出かかったが、やっぱり言えなかった。でも、次は言おうと思う。悪いことを悪いと、危ないことを危ないと言われないで育つことの恐ろしさはあると思う。この時代に必要とされているのは、そんな「頑固親父」だと思う。私もそんな「頑固親父」になることも時には必要だろう。

知れば知るほど悲しくなる

 北海道のトムラウシ山での大量遭難事故、その後続報が入ってくると唖然とするような事実が明らかになってきた。旅行会社やガイドには人の命を預かるという自覚と責任感が感じられないし、お客のほうもあまりにも安易に考えてい他のことが伺える。今後も中高年者を中心に登山2をする人は多いと思うし、私自身も登山をする一人として自戒の意味も含めて、今回の事故の引き金となった問題点を挙げてみる。

【会社側、ガイド側の問題点】

①ガイドがガイドじゃない
 今回のツアー登山では、15人のパーティに4人のガイドがついた。(ただし、うち1人のガイドは次のパーティの受け入れをするためにヒサゴ沼避難小屋に残ったので、遭難時にはガイドは3人)このうち、トムラウシ山登山の経験があるのは1名のみ、残り2名のガイドは、行ったことのないところをどうやってガイドするつもりだったのだろうか。また、そのようなガイドにツアーの引率をさせた会社は、あまりにも山をなめすぎていたと批判されても仕方がない。

②山の気象を甘く見すぎていた
 パーティがヒサゴ沼避難小屋を出発したときの麓の新得(178m.)の気温(16日5時)は、20.7℃、同じ時間のトムラウシ山頂(2141m.)の推定気温は、標高100m.ごとに気温が0.6℃下がるという経験則を適応するとおよそ8.7℃。次々と行動不能者が出た12時頃だと新得22.6℃、トムラウシ山山頂10.6℃になるだろう。当日は強風が吹いていたから、体感温度は氷点下になっていたと考えていいだろう。しかも雨に濡れると気化熱で体温が奪われる。そのような状況で高齢者が多いパーティーが10時間30分(登山口までの予定時間)も行動できると考えること自体あまりにも考えが甘かったと言えよう。

③コースを甘く見ていた
 ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ山山頂を経て、登山口まで10時間半の行程を予定していたが、この間に避難小屋などの施設は一切ない。それならば、パーティの全員を収容するテントなどの準備もなかったようだ。つまり、ある程度避難小屋を離れてしまうと、天候が悪化しようと体調が悪化するものがいようと、神風特攻隊のごとくひたすら前進するしかないという状態になってしまった。

④ゆとりのない日程
 今回のコースは、千歳空港で集合して、その日のうちに大雪山の麓の温泉に入り、2日目山に入り大雪山に登り避難小屋泊、3日目もも1日山を歩きヒサゴ沼避難小屋泊、4日目トムラウシ山に登り、トムラウシ温泉泊、5日目には千歳空港解散という余裕のない日程であった。これがガイドに無理な出発をさせる原因になったのかもしれない。せめて2日程度の予備日が欲しかったと思う。

【お客の問題】

①不十分な装備
 創作にあたった人によると、亡くなった人の中には、スラックスに長袖シャツと言うまるで本州で日帰り登山に行くような装備の人もいたらしい。そのような装備で体感温度氷点下の山に放りされたら、たとえ野口健や植村直己といえども生きて帰れたかどうか。ツアーでも十分な準備が必要な山であることは間違いない。

(;-_-)=3 フゥ

 今日から三連休。やっぱり普通の土日+1日というのは嬉しいものである。連休が始まるまでは、押入れの中の不要物を整理しようとか、カーテンを洗おうとか、山に行こうとか、色々考えていたことがあったけれど、いざ連休があると、これまでの疲れが出たのか、10時過ぎまで布団から出られずゴロゴロして、遅めの朝食を済ますと13時ごろまでソファーの上で横になっていた。結局今日したことは、家で本を読んだことと、「踊る大捜査線」を見たことくらいです。たまにはこんな休日もいいかな。これで疲れが取れて、明日からは休みを満喫できそうです。

大量遭難

 昨日、北海道の大雪山系のトムラウシ山(2141m.)と(2052m.)で2パーティと1個人、合わせて10名が亡くなる史上稀に見る大量遭難事故が発生した。このうち8名は旅行会社が企画した登山ツアーの客とガイドで、大雪山(旭岳)からトムラウシ山を縦走するコースの最終日であった。近年、深田久弥の100名山ブームで、中高年の方の登山が活発になっている。
 当日朝は激しい雨と風の非常の荒れた天候だった。宿泊していたヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ山の山頂を経て、新得町の登山口まで下山する日程だったが、荒天の中安全な避難小屋を出発した理由を知りたい。(写真で見た限り、避難小屋は丈夫そうな建物で、ここにいれば雨が降っても風が吹いても死ぬことはなさそうなところである)。あくまでも推測だが、ツアー登山の弱点があるのかもしれない。経歴も体力も技術もばらばらな人がにわかにパーティーを組んだ。次の予定があり急いでいる人がいれば、ガイドも強く反対できないのかもしれない。また、会社側としても、1日日程が遅れれば帰りの飛行機の予約がパーになってしまうかもしれない。そうなれば既に観光シーズンになっている北海道で団体の予約を入れるのは困難なのかもしれない。生き残ったガイドの方が詳しい事情を話して、今後の事故防止に役立てて欲しい。

岬めぐりの銚子電鉄 6

後日談~銚子電鉄は走り続けるか?

 私が銚子を旅したゴールデンウイークごろから、銚子電鉄について、あまりよくない噂が流れていた。それは近々銚子電鉄が運行を停止するだろうと言うものであった。銚子電鉄は以前にも軌道や踏切の整備を国土交通省から勧告されていた。そちらのほうは徐々に手を入れているが、今度は車両のブレーキシステムが現在の基準に合っていないことなどを理由に車両の置き換えを勧告されたというものである。現在銚子電鉄で使用されている車両は、デハ701、702(1942年製、近江鉄道→銚子電鉄)、デハ801(1050年製、伊予鉄道→銚子電鉄)、デハ1001、1002(1960・1961年製 営団地下鉄→銚子電鉄)の5両であるが、このうち701、702、801が置き換えなければならない車両である。仮に韓国がなかったとしても、67年~48年という歳月を経た車両であるから、遠からず置き換えが必要になることは避けられない。しかし銚子電鉄の体力では新車の導入は絶望的である。それなら中古車はどうか、それも難しい。銚子電鉄の規格が低すぎて、例えばJRの車両を入れようと思ったら、車両の裾ががプラットホームに激突してしまう。もっと小型の車両でなければならないが、現在ではそんな車両を使っている会社はあまりない。車両がなければ営業ができなくなってしまう。これはいよいよ危ないかと思われた。
 ところが、最近願ってもない話が舞い込んできた。四国の伊予鉄道が、京王電鉄から中古車を購入するので、それで余剰になる電車のうち4両を銚子電鉄に譲渡するというのである。この電車は1959年~62年に製造された京王2010系電車で、やはり50~47年物の老朽車両には変わらないが、ブレーキシステムなど、際軽減の基準は満たす車両である。引退予定の3両は非常に味のある電車で、惜しいが、これにより安全性が向上し、銚子電鉄がこれから先も走り続けるのなら、それもいいかと思う。岬めぐりの小さな鉄道が、これからも多くの人に親しまれ、安全運行を続けることを願ってやまない。

岬めぐりの銚子電鉄 5

4 外川~犬吠~笠上黒生~銚子

 外川から乗った電車は、車掌さんが慌しく動き回っていた。見てみると戸袋の窓ガラスが割れていた。私も若い車掌さんを手伝って応急処置を手伝う。
 犬吠は土産物屋を併設した屋や大きな駅で、駅前には廃車を再利用したレストランもある。さすがに人も多い。はじめに、山に向かって歩く。地球の丸く見える丘展望台を目指す。展望台からの景色は良かった。東には犬吠埼、そして太平洋。本当に地球が丸く見えるようだ。南には外川の港町、西には九十九里浜に続く海岸、北には銚子市街と利根川河口。惜しむらくはあまりの強風で長い時間たっていられないことである。
 展望台の前からバスに乗り、犬吠埼で降りる。灯台を見て、波しぶきがかかりそうな海食崖の遊歩道を歩く。銚子駅まで歩いて戻るとさすがに喉が渇いた。さっきの電車レストランでアイスコーヒーを飲む。古い電車を徹底的に改造してあった。
 佃煮やぬれせんべいを買いこむといよいよ帰り道に着く。途中の笠上黒生駅で電車を折り、交換(単線の鉄道での列車のすれ違い)をみるために1本電車を遅らせる。これで銚子電鉄のすべての駅に降りたことになる。
 この駅で笠上という俳優か女優が黒生ビールのテレビCMでもやったら面白いだろうなと思う。そんなバカなことを考えながら20分あまりを過ごす。やがて、銚子行きの電車がやってきた。もう既に今日だけで何度も乗った区間だが最後となると車窓を見るのにも気合が入る。本銚子の坂を下ると銚子市街地に入る。今日何度目かのデキ3を見ると間もなく調子駅である。私は駅前の店でさらにお土産物を見て、銚子市役所に止めたクルマで帰途についた。

恩師

 誰にだって、恩師と呼ぶべき大きな影響を受けた師との出会いがあるだろう。私にも、何人も恩師と呼ぶべき師との出会いがあった。小学校5・6年の担任からは、チームプレーの大切さ、正直であることの大切さを学んだ。中学校1年の担任からは一生懸命やることの大切さを学んだ。その他、担任、教科担当をはじめ、私には大事な恩師が何人もいる。
 その恩師のひとりの訃報に接した。大学のゼミの教授である。私はゼミの学生の代表のようなことをしていたから、先生と話すこともよくあった。卒業してからも、2年に一度同窓会を開き、先生を囲みにぎやかに過ごすことが私たちの大きな楽しみであった。前回は2年前のゴールデンウイークに行った。先生のご自宅から会場の温泉までクルマで3時間、先生を送っていった。相変わらず少々頑固で、辛口なところもあったけれど楽しかった。昨年の秋、先生にあう用事があった。先生から蕎麦をご馳走になりながら、次回は秋に行いましょうという話をした。もし、先生がお元気なら、今年の秋に先生を囲み同窓会を開くはずだった。
 私が先生から学んだことは、単なる教育制度や教育しに関する知識ではなく、特別支援学校の教員をする上での基本的な精神だと思う。私がそれをどれだけ学べたかはわからない。それでも、原点に返って、さらに頑張ろうと思う。それが先生への最大の恩返しになると思うから。久しぶりに学生時代のテキストを取り出して、読みながら思いを新たにした。

おすすめのブログです

 エムエムさんのブログ「日常彩彩」を紹介します。
http://love-heart.way-nifty.com/blog/

 社会の出来事、身の回りの出来事を、時には冷静で厳しい目で、またあるときには優しく暖かい目でみています。とくに社会の出来事については、私も「そのとおりだ!」とモニターに向かって叫んだことも何度もあります。
 ぜひ一度ご覧ください。

冷やしたぬきそば




コネタマ参加中: 冷やし中華vsそうめん、夏に食べたいのはどっち?

 やっぱり夏といったら冷やしたぬきそばでしょう。湯がいたそばをきゅっと冷たくして、天かす、のり、ねぎ、あとキュウリやわかめ、かまぼこなんて入ってもいいねぇ。とにかく具はあんまりごてごてしないほうがいい。ん、まてよ、冷やし中華かそうめんのどちらか。それならやっぱり冷やしたぬきそばだな。(これだから「話を聞かない男」だなんていわれるんだよ)

 まじめに答えるならそうめんです。それでもやっぱり冷やしたぬきそばが好きです。

七夕の夜はライトダウン

 以前、夜の地球を人工衛星から撮影した写真を見たことがある。日本をはじめ、韓国、台湾、中国の沿岸部、東南アジア、西ヨーロッパ、アメリカなど人口の多い国や先進国は町明かりが宇宙からでもくっきり見えた。もしかしたら、人類は地球上から真っ暗闇を無くしてしまうかもしれない。そんなことを考えてしまうほど明るいのである。
 明るいことは悪いことではない。人間は真っ暗闇では行動が制約される。もし、たいまつやろうそく、石油ランプや白熱電球、蛍光灯から発光ダイオードにいたる一切の照明器具がなかったとしたら、私たちの生活はいったいどうだっただろうか、考えただけでぞっとする。
 便利ということは、裏を返せばそれだけエネルギーを使い、地球に負担をかけていることにもなる。残念ながら私たちは地球を完全に離れて生きていくことは難しいし、人間のエゴだけで地球をおかしくしてしまっていいはずはない。私たちはエネルギーを使い、便利さを教授しながら、地球の環境のこと、地球の未来の住人(人間も含むし、人間以外の生き物ももちろん含む)のことだって考えなければならない。そのために、日本政府をはじめとする「チーム・マイナス6%」では、「クールアース・デイ CO2削減ライトダウンキャンペーン」を行っている。具体的には、7月7日の20時から22時まで、全国のライトアップ施設などで消灯を実施すると言うものである。
 私たちもこれに同調し、たまには消灯生活をしてみるのも楽しそうである。周囲の家がいっせいに消灯すれば、普段は見えない星もきっときれいに見えるだろう。家族や友人と電気を消してキャンドルを囲んでみるのも楽しそうだ。もちろん一人でキャンドルの灯りを眺めながら過ごすのも悪くはないだろう。テレビも消して虫の音やカエルの鳴き声に耳を傾けたっていい。こういうことは我慢をするのではなく、新しい楽しみを見つけるつもりで行ったほうが幸せになれるし、無理なくできる。私も明日は電気を消し、テレビもパソコンも消し、星を眺めたり、夜の風に吹かれたりしてみるつもりだ。

「チーム・マイナス6%」ホームページ
http://www.team-6.jp/index.html

岬めぐりの銚子電鉄 4

3 銚子~海鹿島…西海鹿島~外川

 銚子から再び外川行きの電車に乗る。すでにお昼近くだが、犬吠埼を目指す観光客の数は多い。今度は海鹿島駅で降りる。周囲は住宅地とキャベツ畑である。この駅は関東で最も東にある駅である。次の電車がおよそ30分後なので間が持たないので、1つ手前の西海鹿島駅まで歩く。それでも次の電車まで15分くらい時間があったので、狭い西海鹿島駅のホームにあるベンチに座ってうとうとする。いつもならこんなときには径庭電話でウエブにつないでニュースのチェックなどを行うのだが、キャベツ畑の中のあまりにものどかな海鹿島駅にそんな行動は似合わない。15分があっという間に過ぎた。世の中便利になったが、この「のんびりした時間」は何物にも代えがたいものであろう。

 今度は終点の外川駅を目指す。犬吠駅で半分以上のお客が降り、今日始めて座席にありつく。だが、2分ほどで終点の外川だ。この駅は今回で3回目だが、来るたびいいなぁと思う。古いのである、これがまた良い。安っぽいレトロ調などではない。長年潮風を浴び、人の手垢がついた古さなので。手書きの発車時刻表、木造の駅舎、古風な出札窓口、すべてがいい感じなのだ。この駅舎は、おそらく1923年(大正12年)の開業時から使われているのであろう。
 外川は坂の多い漁港の町だ。細い道を降りて漁港まで行く。漁港では漁船が気持ち良さそうにゆらゆなと波に揺られて昼寝をしてきた。私はしばらく漁港の町を歩いて、寿司屋に入った。寿司もうまかったが、このあたりの名物なのであろう、甘くてつるっとした食感の伊達巻がとくにうまかった。

言える立場じゃないけれど




コネタマ参加中: 女の人の車内メイクってどう思う?

 私には妻がいるわけでもなく、娘がいるわけでもなく、彼女がいるわけでもないのでそんなこと言える立場じゃないけれど、できればやらないほうがいいと思う。昔々、その昔。私が二十歳のときの話。当時付き合っていた彼女が、約束の時間ぎりぎりに私の住むアパートに駆け込んできた。当時の私のアパートは坂道の一番上にあって、駆け込むとなると息を切らして走ってこなければならないから、申し訳ないな~と思った。しかし彼女は、用事があって化粧をする時間がなかったようで、私の前で化粧を始めた。正直男としてはこれは萎えるな~。まぁ、向こうは向こうで理由があるし、こっちの勝手な思いだけど。そのため、初めてベッドに誘うつもりが…(これ以上書いたら下品だな)
 なんだかだいぶ脱線しましたが、やっぱり公衆の面前での化粧はあまりお行儀がいいものではないと思います。しかるべき場所でお願いします。

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