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北海道の歴史を歩く 3

【8月6日 二風谷でイナウケを作る】

 平取の市街地を過ぎると間もなく義経神社がある。平泉で戦死したとされる源義経であるが、東北から北海道にかけて各地に義経の伝説が残っている。義経が後にチンギスハンになったのは荒唐無稽だが、日本人の判官びいきがそうさせるのだろうか。そこから沙流川(さるがわ)に沿って徐々に坂を上っていくと二風谷に着く。二風谷はアイヌ文化にとって重要な土地でありダム建設には相当な反対があった。結果的に反対を押し切る形でダム建設は行われ、1997年にダムは完成した。そのダム湖の周辺に二風谷アイヌ文化博物館がある。
 博物館の展示内容は充実していた。とくに目を引いたのが木工製品の数々である。食器などの民具の細かい造形は惚れ惚れするほどであった。狩猟民族であるアイヌ民族にとって、手先が起用であることは非常に重要なことで、恋に目覚めた少年は、意中の少女に木製のアクセサリーを贈るのだそうだ。そうすることで、手先が器用である、つまり、良い狩人になれる、甲斐性のある男であることをアピールするのだろうだ。手先の不器用な私は、もしアイヌ民族に生まれていたら今以上にもてなかっただろう。
 博物館の屋外にはアイヌ民族の家(チセという)がある。屋根だけでなく壁もかやぶきである。窓は3つと決まっていて、真ん中に囲炉裏がある。ここを歩いていると大和民族がやってくる前のアイヌ民族の集落(モシリ)を歩いているような気がする。
 博物館の駐車場の向かい側にもチセがあり、「ご自由にお入りください」と張り紙があったので入ってみると、何人かの人が木製の御幣のような飾りを作ったり布を織ったりしていた。私はしばらく見学をしていたが、御幣のような飾りを作っていたお兄さんからぜひ作ってみないかと誘われた。白っぽい広葉樹の木の幹をのみのような道具で削ると、削った部分がカールして御幣のようになるという単純なものだが、これが以外に難しい。結局、お兄さんの手を借りてやっと1つ作り上げた。このとき作ったイネウケは大事に持って帰り、今でも自宅の柱にくくりつけられている。
 この近くには萱野茂アイヌ資料館がある。萱野茂(1926~2006)は、二風谷生まれのアイヌ民族で、アイヌ文化の保存に大きな功績があった。途絶えていたイオマンテ(熊送りの儀式)を復興させたり、アイヌ語の辞典を作ったりした。この資料館も、アイヌ文化の貴重な遺産を集めたものである。後に参議院議員になり、アイヌ文化振興法の成立に尽力した。アイヌ民族の他、樺太(サハリン)のウイルタ民族などの資料などがあり面白かった。

 二風谷を離れ、帰りは沙流川に沿って富川まで下った。沙流川流域は水田も多く本州に戻ってきた気がした。日高富川インターチェンジから日高自動車道に入り、苫小牧が近づくと勇払平野のはるか向こうに苫小牧の工業地帯の巨大な鉄塔が夕陽をバックにしてシルエットになっていた。原野と工業地帯の対比があまりにも美しかった。

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