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仙台見てある記~序章

 今日、仙台に行ってきた。朝一番の高速バスに乗って、仙台の町を診て歩き、駅前などで買い物をして、「天地人」に間に合うように帰ってきた。こんな感じの小旅行を年に1~2回ほどしているし、過去5年間住んでいたこともあった、私にとって思いで多き町である。
 私がはじめて仙台を訪れたのは1982年8月、10歳のときである。家族旅行で青葉城と仙台七夕の見物に行ったときである。ちょうど東北新幹線が開業したばかりでピカピカの仙台駅に降り立ち、駅前で青葉城行きのバスを探した。ちょうど青葉台行きのバスが来たのでそれに乗った。街路樹のケヤキの緑がまぶしい青葉通りをバスは走った。初めての仙台の印象はすこぶる良かった。やがてバスは東北大学の川内キャンパスを両側に見ながら青葉山の上り坂に差し掛かる。ちょうどその頃母が厄介なことを他の客から聞いた。仙台にお住まいの方は察しがついたかもしれないが、青葉台行きのバスは青葉城に行かないのである。結局そのお客に教えられたとおり、理学部前のバス停で青葉城に行くバスを待った。
 父だったか母だったか忘れたが、冗談で、10年後にはおまえもここにいるかも知れないと言った。私は冗談じゃないと思った。私は決してできのいい子どもではなかった、当時の私は大学とはずっと頭のいい人が行くところで、私のような頭の悪い者が行くところではないと思っていた。当時の夢は高校を卒業した後に国鉄に入り車掌になることであった。
 青葉城から見た仙台の街は美しかった。眼下に流れる広瀬川、その向こうに広がる市街地、エスカレーターはデパート、エレベーターは市役所か病院くらいにしかない町で過ごした少年であった私には、緑が多く、しかも都会的な景観であった仙台の魅力にどっぷりはまった。

 いつしか時は流れ、怠惰な小学生は怠惰な高校生になった。田舎の進学校と言えるかどうか怪しい高校に通い、可もなく不可もない成績をとった私は、志望校から滑り止めまですべての大学に落ちた。浪人するか他の道を探すか迷ったが、結局浪人することにした。私の性格を考えると、地元で浪人をしたのでは結局サボってしまいそうな気がした。親には迷惑をかけるが他の場所で浪人しようと思った。そのとき東京と仙台が念頭に上がったが、小学生のときの思い出が頭の片隅にあったのか、仙台での浪人を選んだ。
 仙台で住んだのは、広瀬川のすぐそばの下宿だった。一番町のアーケードからも歩いて20分少々と便利な場所だった。勉強に疲れると広瀬川の河畔を散歩した。この年はこれまでの生涯の中でもっともよく勉強した年だった。その甲斐あってというか、その甲斐も無くというか、この年は本命はだめだったが、滑り止めの2校に合格した。その2校から、仙台にある大学を選んだ。学校こそ違ったが、10年前に両親のいずれかが言った言葉どおりになったわけである。
 大学に入り、4年間はとても充実した。勉強もそこそこ頑張った、たくさんの仲間ができた、サークル活動やボランティア活動もした、ゼミではとりまとめの役もやった。そういえば恋愛けっこうした。あんな顔で…。短期間だが同棲のようなこともした。私にとって青春時代そのものであった。
 就職をして福島県に戻ったが、隣県でもあり、先述のように時折訪れては懐かしい思い出を振り返ったり、変化に驚いたりしていた。そうしているうちに仙台との付き合いも27年になった。これを機会にもう一度新しい形で仙台とお付き合いしてみようと思った。

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