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北海道の歴史を歩く 12

【8月10日 湧網線に沿って】

 かつて北海道には網の目のように鉄道路線が整備されていた。日本は道路整備が遅れていたし、自動車の信頼性も低く、寒さが厳しい北海道では鉄道が最も確実な交通機関であった。現在でもその傾向はわずかに残っていて、峠越えをしなければならない帯広、釧路への特急は冬になると乗客が増えるそうだ。
 そのような鉄道も、1980年代になると国鉄の膨大な累積赤字の解消と、道路整備による交通環境の変化、過疎化による乗客の減少によって次々と廃止された。網走からサロマ湖岸に沿って中湧別までを結ぶ湧網線もそのひとつである。
 
 網走監獄を出て、国道238号線、通称オホーツク国道を西へ進む。網走の市街地が尽きると左側に網走湖が見えてくる。鏡のような穏やかな湖面である。その網走湖と国道の間に自転車道がある。これがかつての湧網線の跡である。国道は線路に沿って続いている。カーブはあるが、交通量も少なく見通しもいいので、80㎞/hで走っていてもバイクや地元ナンバーの車に抜かれていく。網走湖から能取湖の湖岸に出ると間もなく卯原内駅跡である。ここで車を止め、駅跡に残っている蒸気機関車と客車を見る。昔懐かしい旧型客車である。ドアが自動で開閉しないので、走行中でも開けっ放しにできる。
 さらに進むとオホーツク海に出る。オホーツク海に面した小さな漁港のある町が常呂である。ここは近年ではカーリングの町として知られる。2006年のトリノオリンピックでは、女子カーリングチームのうち3名が常呂出身者であった。ここが網走を出て以来はじめての町らしい町である。常呂からオホーツク海にそって少し進むと常呂遺跡がある。ここは縄文時代、続縄文時代、擦文時代と、複数の時代にまたがる遺跡である。竪穴式住居も時代により微妙に形態が異なるところが面白かったが、湿った森の中にある遺跡なので蚊がたくさんいた。数か所刺されて腕を掻きながら遺跡を後にした。

 いよいよ日本第3位の面積を誇るサロマ湖畔に出る。何と言ったらいいのだろう、これこそ絶景というのだろうか。山があるわけでもない、町があるわけでもない、まっ平らな湖面とまっ平らな平地が広がっている。有ではなく、無の絶景、クルマを道路わきに止め、しばらく絶景に見入っていた。
 サロマ湖畔の計呂地駅は、駅の建物とSLと旧型客車が残されていた。旧型客車の車内に入れたので、ニスの塗られた重厚な窓枠や座席など、懐かしい鉄道風景を楽しんだ。すでに午後1時過ぎでさすがに空腹である。道の駅でホタテフライやホタテの甘露煮の定食を味わった。オホーツク沿岸はホタテの用癪が盛んである。それにしても牡蠣やホタテなどの二枚貝は何とうまいのだろう、進化の方向を間違えてしまった。もし彼らがまずかったら人間の手にかかって命を落とすことがなたっただろうに。
 道の駅からしばらく畑の中を走ると道の駅上湧別、かつての中湧別駅である。ここは、4方向に鉄道が伸びていたジャンクションであったが、すべての鉄道が廃止されてしまった。それでも、かつての駅のプラットホームや車掌車などが残されていた。ここでしばらく休憩をして、帰りは能取岬からオホーツク海の眺めを満喫して網走に戻った。2日間旅を共にしたブルーバードシルフィに別れを告げた。

 今晩はこの旅の最後の晩餐になるので、市街地の居酒屋で飲んだ、刺身のほか、ソウハチというカレイを焼いてもらった。ソウハチは中学生の頃読んだ紀行文の中で絶賛されていて、一度食べてみたいと思っていた。20年以上かかったが、ついにその機会がやってきた。ソウハチの味はとてもよかった。脂が乗っていてうまみもあった。酒もかなり進んだ。隣の席に座っていた、おじさんとの話も弾んだ。ホロ酔いをちょっと通り越して火照った身体で浴びる風が心地よかった。いい夜だった。

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