台湾紀行~東部編 4
【12月27日 伝統文化中心を歩く】
レストランを出たところで、蘇墺氏と握手をして別れる。わざわざ私のために休日に時間をとって来てくださったことは本当に頭の下がる思いである。基隆氏のフォードは海沿いに北に進む。基隆氏によると、かつて台北から蘇墺までは、山越え、あるいは海沿いに遠回りして3時間半くらいかかったそうだ。それが今では1時間ちょっと、劇的に便利になったと言う。そして、カーステレオから流れる都はるみのの演歌について色々聞かれた。私は演歌に詳しいわけではないが、曲の舞台や出てくる言葉の意味について知っている限り答えた。
クルマは伝統文化中心という施設に行く。ここはテーマパークであり博物館でもある。基隆氏夫妻はクルマの中で休んだので、仁愛先生とお孫さん、私の3人で見て回ることにした。台湾の伝統工芸、伝統的な生活様式、伝統的な芸術が展示・販売されている。中央部の広場では日本でいう蛇踊りのような踊りが披露されていた。もともと長崎の蛇踊りは中国発祥と聞いている。台湾も中国の福建省や広東省から来た人が多い。距離が離れているが、文化の共通性というものはあるものだ。激しく動く蛇の動きにしばらく見とれていた。
工芸品では、文の国中国の伝統を引き継いで、書道の筆や硯などが販売されていた。他に陶磁器などもあった。私が惹かれたのは竹細工である。竹細工は、それがあるだけで周りの雰囲気をアジア的にしてしまう不思議な力を持っている。ここでは小さなものから大きなものまでそろっている。私は竹細工の小物を数点購入した。その後、紙細工の展示を見に行った。孔雀や蓮の花、龍などをかたどった紙細工の内側に電球が入っていて、幻想的な光を発している。仁愛先生のお孫さんに、「美しいですね」と言ったら、じぶんのことを褒められたように喜んでいた。
最後に、台湾の伝統的な民家を見に行った。上から見るとコの字型をして、真ん中に庭のあるレンガ造りの平屋である。仁愛先生は子供の頃このような家に住んでいたそうで、展示されている生活用具について詳しく説明してくれた。外観は木造の日本の民家とレンガ造りの台湾の民家はだいぶ違うが、家の中に入るとなんとなく似ている。かまどなど台所の道具は日本の民家と共通するところが多かった。
その後、淡水魚の養魚場にトイレ休憩を兼ねて立ち寄り、日も暮れると宜蘭市の中華料理の店に入った。次から次へと仁愛先生の家族がやってきて、なんだか一族の食事会に乱入してしまったような格好になった。にぎやかに中国語が飛び交う楽しい食事会になった。基隆氏は私の取り皿が空になると次々と料理を勧めてくれた。仁愛先生は、私にビールを勧めてくれた。台湾では外で食事をするときにお酒を飲んでいる人をあまり見かけない。たまに見かけたら日本語を話している人だったりする。だから、美味しい料理をいただいたので、ビールも飲みたくなったがそれを口にできなかった。仁愛先生は戦中から戦後にかけて東京で仕事をしていたし、その後も何度も日本を訪ねているから日本人の習慣に詳しいのからだろう。これはとても嬉しかった。デザートのフルーツはとくにパイナップルが美味しかった。柔らかくて香りがいい。「おいしい」というと基隆氏は丸い顔をますます恵比須顔にしてパイナップルを勧めてくれた。
食事を終えると再び国道5号線に乗り雪山トンネルを越えて台北に向かう。高齢の仁愛先生はやや疲れている様子である。私にしても台湾に来るには時間もお金もかかる。90歳近い仁愛先生と再会できる機会があるかどうかわからない。これが本当の一期一会なのだろうなと思った。それにしても、バス停で少し話しただけの異邦人にこれだけ手厚いもてなしをしてくださったことは、本当に頭の下がる思いだ。仁愛先生の家の前で止まったとき、しっかり握手をしてから感謝の言葉を述べた。少し走ると私の泊まっているホテルの前に着く。基隆氏とも固い握手をする。この人たちとの出会いのおかげで、私はすっかりこの国が大好きになった。初めて訪れた外国でこんなにいい出会いがあるとは、私は何と幸せな旅人なのだろうと思った。
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