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2010年2月の12件の記事

熊野・南紀~神々の棲む森、神々の棲む海 3

【12月27日 やさしい自然、やさしい風景】

 特急「南紀」は、伊勢市や鳥羽への参宮線が分岐する多気を過ぎると深い山に分け入る。人家もめっきり少なくなり、通過する駅も短いプラットフォームの無人駅ばかりになる。線路もカーブが多くなり、特急はわずかな直線を見つけてはエンジンをふかし加速しながら走っていく。久しぶりに少し大きな集落があると列車は速度を落とす。三瀬谷である。特急の停車駅だが、駅前に小さなマックスバリューがあるだけの集落で、ほかの幹線なら特急停車駅にならないような小さな町だ。三瀬谷を過ぎると右にカーブを切り宮川の鉄橋を渡る。はるか頭上には紀勢自動車道のコンクリート橋が見える。古い鉄道は地形に従って左右に細かいカーブがあるが、あちらは山があればトンネルを掘り、川があれば橋で越える。今は多気JCTから大内山ICまでのわずかな区間しかないが、これがもっと伸びたら、特急「南紀」にとって手強いライバルになるだろう。ひたすら山の中を走り、久しぶりに海が見えると紀伊長島に着く。ここまでで既に名古屋から2時間10分かかっている。最近の列車は速度が速いから、2時間10分も乗るとずいぶん乗ったなぁと思うようになったが、私が降りる新宮まではあと1時間8分、終点の紀伊勝浦までは1時間25分かかる。南紀はまだまだ遠いところなのだ。
 交通が不便なのは悪いことばかりではない。海に近いのに、列車で通り過ぎる川がどれもきれいなのだ。川族の石まで透けて見えるほどの清流ばかり、これにはさすがに感心した。

Photo

 列車は尾鷲に着いた。ここはやや大きな町でたくさんの乗客が大きい荷物を抱えて降りていった。改札口には久しぶりに帰る家族を待つ人が身を乗り出すようにして迎えていた。私の乗った最後部の車両がちょうど改札口の目の前だったので、感動の再会の様子を見ることができた。尾鷲は山も海も美しいけれど、人々は生きるためにはここを離れざるを得ない、しかし簡単には離れるわけにはいかない人がいる。そんな人が再開し束の間寄り添う。いい風景だなと思いながら見ていた。熊野市を過ぎると平野の中を走るようになり、特急らしい速さを取り戻す。熊野川を渡ると新宮に着く。名古屋から3時間18分、ずいぶん遠くに来たと思う。初めての新宮はうw議がいらないくらい暖かかった。ホテルにチェックインするとすぐにホテルを出て町を散策する。1時間ほど歩きまわり、ホテル近くの居酒屋に入る。お店のおねえさんは親切で、見どころをたくさん教えてくれた。

2月場所結果報告

 ダイエットの2月場所が終わりました。
 2月1日の1番計測では0.8kg減で○、4日の2番計測は0.6kg増で●、8日の3番計測は0.1kg増で○、11日の4番計測は増減なし(対前々回比減少)で○、15日の5番計測では0.2kg増で●、18日の6番計測では0.2kg減で○。ここまでで4勝2敗で勝ち越しを決めました。22日の5番計測では0.2kg増で●。結果は4勝3敗でした。1月末と比較した増減は、0.2kgの増加でした。
 今場所は勝ち越したというものの、通算で体重がわずかではありますが増加してしまったので、試合には勝ったが自分には負けたという形になってしまいました。来月は勝ち越しだけでなく、実際の体重も減少させたいと思います。精進あるのみ。目指せ関取!来月も戦います。

熊野・南紀~神々の棲む森、神々の棲む海 2

【12月27日 特急「南紀」の旅路】

 名古屋から和歌山県の新宮までは特急「南紀5号」で行く。発車まではあと1時間半近くあるので、地下街に行き昼食をとる。いろいろな店を見て回って、結局味噌煮込みうどんを食べることにした。土鍋の蓋を開けると、カレーうどんのような濃厚な色のスープが見えた。味噌でこんなに濃い色だったらしょっぱくてとてもじゃないが食べられないのではないかと思うが、そうではない。たしかに濃厚でコクがあるが、しょっぱすぎることはない。
 味噌煮込みうどんを食べてもさらに時間が余ったので、名古屋駅のプラットフォームに立って、行きかう列車を見ていた。既に年末の混雑期に入っているので、どの列車も混雑している。JR東海の普通列車はステンレスのシルバーのボディにオレンジ色の帯を巻いた車両ばかりでやや単調だが、中津川や豊橋、大垣などなじみのない地名を掲げた列車が発車していくのを見るのはやはり楽しい。

Photo

 特急「南紀5号」が名古屋駅に入ったのは発車の5分ほど前であった。列車に乗り込んで席に落ち着くと間もなく発車となる。ディーゼルエンジンが軽くうなりをあげると徐々に速度が乗ってくる。電車とは違うディーゼルカーの味わいである。この日の名古屋駅を発車する列車のほとんどが混んでいたが、この列車は空いている。私の乗った最後尾の車両は7割くらいの座席が空いたままである。
 特急は速度を上げ濃尾平野を疾走する。弥富駅を通過するときに、右側に赤い名鉄の電車が一瞬だけ見えた。木曽川、揖斐川、長良川の鉄橋を次々と渡る。三重県に入るとすぐに四日市につく。大きな町である。かつて四日市ぜんそくという公害病が発生した町であるが、今は澄んだきれいな青空ががある。四日市を発車し、2駅ほど過ぎると、JR関西本線から伊勢鉄道線に入る。鈴鹿サーキット稲生駅を通過するとき、右側の遠くに鈴鹿サーキットのスタンドと観覧車が見えた。レースがあるときにはこの駅もにぎわうのだろうが、今日は人影も見えなかった。
 やがて津につく。ひらがなで1文字の駅は日本中探してもほかにないだろう。駅名の看板に書かれている「つ」という文字がウナギのように見える。三重県の県庁所在地だし、ここで大勢の客が降りるのかと思ったら、そうではない。後で理由を考えてみたら、名古屋から津まで行くお客は近鉄を利用するのだろうと思う。スピードこそJRと近鉄は互角だが、列車本数で圧倒的に近鉄は有利だ。
 津を発車すると次は松坂になる。職場の同僚とよく似た車掌は、車内改札、乗客の案内と大活躍である。私は最後部の車両のほぼ最後部の座席に座っているから、車掌と顔を合わせる機会が多い。何だかこの車掌に妙に親近感を持ってしまう。

これは宝物

 PCが新しくなったので、これまで撮り貯めた写真のデータを新しいPCに移し、整理した。ついでにピンボケの写真を廃棄したり、同じ被写体を移している写真の中からいいものを選び出していった。私がデジカメを使い始めたのは2002年からで、調べてみたら1年におよそ450~600枚のペースで写真を撮っていることになる。その写真を1枚ずつ見返してみると、「ああ、そんなことがあったな」、「こんなところに行ったんだ」と、記憶があいまいになりかけていたことが次々とよみがえってきた。写真の中にはずっとご無沙汰している人もいるし、この世ではもう会えない人もいる。それでも、写真を見ると、楽しかった思い出、胸が熱くなるような気持がよみがえってくる。これはとてもすごい宝物だと思う。

 そして、これからの構想ですが、撮りためた写真を地理や歴史を学ぶ児童生徒および地理・歴史に興味のある一般の方のための資料集として活用してもらうために、このブログと別に仮称「やえもんの地理・歴史写真資料室」として、独立したホームページを作り、地域別、史跡については時代別、植生、自然景観については気候区分別に検索できるようにしたいと思っています。

熊野・南紀~神々の棲む森、神々の棲む海 1

【12月27日 富士山を見ながら】

 旅の途中に目が覚めると、「あ、俺今何をしているのだろう」と思うことがある。今朝もそうだった。昨日まで仕事もしようでもあわただしくてバタバタしていたし、疲れもたまっていた。攻めて旅立ちは体調も気分もすっきりとさせたかったが、仕事や年末の準備もおろそかにできないし、せめて正月くらいは家族と過ごしたい。特に今年は甥が生まれたし、年末には弟が結婚した記念すべき年だから。東北新幹線やまびこ206号は、そんなうすぼんやりした頭でいる私を乗せ、大宮駅に向けて速度を落とした。
 東京駅でのぞみ161号に乗り換える。カモノハシのくちばしのような形の先頭部を持つ700系である。車内は台湾高鉄の700T型とそっくりである。新幹線車両に日本より台湾で先に乗るとはなんだか変な話である。東京を発車し、多摩川を過ぎるとまもなく武蔵小杉駅を通過する。武蔵小杉には既に東急東横線とJR南武線の駅があるが、今度新幹線と並行するJR横須賀線・湘南新宿ラインの駅もできる。それを見越してか真新しい高層マンションが立ち並んでいる。新横浜を過ぎ、相模川を渡る直前には圏央道の高架の橋げたが立ち並んでいた。小田原を過ぎるとみかん畑にたわわに実ったみかんがまぶしい。三島を過ぎると茶畑が増える。東海道新幹線の車窓は意外と面白い。そう思ってみているうちに富士山が見えてきた。少しだけ雲がかかっているがやっぱり形の整ったきれいな山だ。そんなことを書いたら太宰に冷笑されそうだが。静岡を過ぎ、安倍川、大井川と南アルプスを水源とする大きな川を渡るが、いずれも冬なので水量が少ない。越すに越されぬ大井川も歩いて渡れそうな感じである。
 浜名湖を過ぎると名古屋まではあっという間。私はのぞみ161号を名古屋で降りた。福島では冷たかった空気が名古屋では少しだけ暖かかった。

熊野・南紀~神々の棲む森、神々の棲む海 はじめに

 昨年の年末に和歌山県の新宮市、熊野三山、熊野古道、潮岬に行ってきた。私は紀伊半島に足を踏み入れたのは初めてであったが、森も海も神々しいほど美しいところだった。その理由の一つが、大阪からも名古屋からも近い場所にかかわらず、険しい地形に阻まれて、鉄道も道路も不便であることであろう。また、この地域の人たちが明るく、旅人をやさしく受け入れてくれたことが旅の印象をより明るくした。12月27日から30日までの短期の旅ではあったが、自然の美しさと人々の明るさ、やさしさを強く感じた旅であった。

Windows7デビュー

 私のPCデビューは1999年10月であった。初代のPCは、NECのLaVieであった。当時のOSはWindows98、ワープロからの乗り換えであったから、わけもわからず使っていた。ネットにつないだのが1999年11月、仕事に、プライベートにフル回転した。2002年6月には2代目のPC、SONYのVAIOにバトンタッチした。OSはWindowsXP。PCの性能が大幅に向上したのと、XPの使い勝手の良さもあり、快適なPC生活だった。その後ずいぶん長い期間にわたって2代目PCは現役であったが、このたび3代目のPCにバトンタッチすることになった。3代目のPCもSONYのVAIOで、OSはWindows7になった。98からXPになったときに、ずいぶんかゆいところに手が届くようになったと思ったら、7ではさらに便利に使いやすくなっていると思う。(まだごく一部の機能しか使っていないので何とも言えないが)。

友人とのコラボレーション

 昨日、学生時代からの友人を私の学校に招いてパン作りの授業を行った。友人は大学を卒業後、肢体不自由児施設勤務などを経て、パンやケーキの勉強をして、自宅で教室を開いたり、各地に出張して教えたりしている。私の学校でも、調理の学習をしてきたが、クッキーやクレープの授業はできても、パンに関しては私たちだけではどうにもならなかった。今回、パンの専門家である友人と私のコラボレーションでパン作りの授業を行うことになった。
 こんないい機会を私の学級だけで独占してしまうのはもったいないので、周囲の学級に声をかけてにぎやかに行うことにした。調理の学習は音楽や体育と並んで生徒に人気のある活動。しかも、パンを作る活動は教師も生徒もはじめてということで、授業はにぎやかに、楽しく進んだ。友人の明るいキャラがより一層この授業を楽しいものにした。
 今回作るパンはキャラクターパン。好きな動物やアニメのキャラクター、生徒の顔や奥様の顔を作る教員もいて、お互いのを見比べてさらに盛り上がった。オーブンでパンを焼くとなんともいえないいい香りが。パンはとても美味しくできました。遠いところ来てくれた友人には本当に感謝します。楽しい時間をありがとう。

東京散歩~松子と歩く北千住 下

 日ノ出町に入り、右手に保育園の建物と狭い運動場が見えた。その向こうには建物よりも高い堤防が見える。堤防沿いの道路を横切ると鉄製の階段がある。ちょうどおばあさんが階段を降りてくるところだったので、端によって松。おばあさんは「こんにちは、いい天気ですね」と知り合いに話すように私に話しかけてくる。私も「暖かくて、いい日ですね」と答える。お互い無言で通り過ぎるよりはるかに気持ちがいい。

Photo

 階段をのぼり、後ろを振り返る。北千住駅の建物がすぐ近くに見える。距離は少々離れているのだが、遮る高い建物がないためであろう。その右には、日ノ出町団地の建物も見える。反対側にを振り返ると広い河川敷があって、その向こうに荒川が見える。荒川の対岸には首都高速中間環状線と東京拘置所が見える。かつてはロッキード事件の田中角栄やライブドア事件のホリエモンらが収容され、現在も連合赤軍事件の坂口弘、オウム真理教事件の麻原彰晃らが死刑確定囚として収容されているはずである。さらに上流には東武伊勢崎線、つくばエクスプレス、JR常磐線、地下鉄千代田線の鉄橋が並んでいて、頻繁に電車が行き交っている。ずっと家が建ち並んだところばかり歩いてきたから、広々とした河川敷は気持ちが良い。河川敷は運動場になっていて、サッカーや野球をしている人たちもいるし、自転車に乗っている人たちもいる。私は土手の草の上に寝転んで思いっきり身体を伸ばした。青い空が見えた、雲ひとつない。目を閉じると頬に触れる草の感触、冷たいけれど優しい風の匂い、すべてが好ましい。

Photo_2

 松子はここで川を眺めながら泣いていたそうだ。なぜだろうか。それは、多分、すがすことのできる人をすべて失い、故郷である福岡県大川市大野島へ帰るすべを失った松子にとって最後に残されたものが、故郷を流れる筑後川に似た北千住の荒川の風景だけなのだろう。この風景がこの世で最後に松子に残された縁なのだ。私は上半身を起こして改めて荒川を見た。チクショウ、こんないい風景を見ているのにどうして涙が出そうになるのだろう。
 30ふんほど荒川の河川敷にいただろうか。風に吹かれているうちに身体が冷えてきた。私は東武伊勢崎線の鉄橋近くまで行き、土手を降りた。再び両側に家やアパートが建ち並ぶ細い道を歩くと少し大きな公園に出た。ここは千住旭公園という。親子で追いかけっこをしたり、ボールで遊んでいる姿が見られる。そういえばここまで歩いてきて、北千住駅や牛田駅の周囲と荒川河川敷の運動場で野球やサッカーをしている人を除けばすれ違うのは高齢者ばかりだった。だから少しばかり面食らった。2001年7月9日深夜、松子はここに名刺を探しに来て、たまたまここにいた5人の少年に暴行を受け、自室に戻るも内臓破裂で死亡した。松子はかつて殺人を犯しているから、自業自得と言えるともいえるかもしれないがあまりにも無残な死であった。
 そんなことを考えていると、ここに長くいることはできず、北千住駅東口に向かって歩き出した。松子は死の当日、通院先の病院で18年ぶりに旧友に会った。かつて刑務所で一緒に臭い飯を食った者同士だが、かたや現在は芸能事務所社長、一方松子は心を病み、姿は醜くなり、希望を失った人生の敗残者。旧友だからこそ絶対に見せたくない姿だっただろう。松子は事務所の千束美容師として働かないかと誘われ、連絡先として名刺を渡される。しかし、松子は旧友も、自分自身も信じることができず。帰り道の千住旭公園で名刺を捨ててしまう。その夜、松子に変化が起きた。人を信じてみよう、そして自分を信じてみようと思った。松子がシザーを持って髪をカットする真似を始めた時、松子にとって13年以上止まっていた時間が動き出した。だめでもともと、やってみようと思った。そのためには公園で捨ててしまった名刺がいる。
 松子の人生は、不運と松子自身の男を見る目の無さ、そして情にもろい性格と強い意思を持てなかったことにより、破滅へと進んでいった。殺人、覚せい剤取締法違反で2回も刑務所に入った。結果だけを見れば悲惨で不幸な一生なのかもしれない。しかし、一生懸命に行き、一生懸命に働き、一生懸命に人を愛し、人に裏切られることも多かったけれど、人生最後の数時間、人を信じよう、自分を信じよう、未来を信じようと思えるようになった松子は、最後は幸せにこの世を去っていったのかもしれない。私が架空の世界の住人にここまで思い入れを持ったのは高校生のとき読んだ太宰治の「人間失格」の大庭葉蔵以来だろう。大庭葉蔵、川尻松子、そして私。そろいもそろってダメ人間だと思う。しかし大庭葉蔵と私のダメ人間っぷりは方向性が違う気がする。川尻松子と私はダメ人間の方向性がどこか似ている気がする。だからまだ見ぬ姉のような親近感が持てるのだろう。そう考えているうちに北千住駅東口の直前まで来てしまった。回れ右をして商店街で買い物をしてから帰ろうと思う。

東京散歩~松子と歩く北千住 中

 北千住は大きな駅だ。上野から土浦、水戸、いわき、仙台を結ぶJR常磐線。浅草から久喜、太田、伊勢崎を結ぶ東武伊勢崎線。秋葉原からつくばを結ぶつくばエクスプレス。代々木上原、霞ヶ関、北千住を経て、JR常磐線に乗り入れる地下鉄千代田線。中目黒から六本木、銀座を経て、東武伊勢崎線に乗り入れる地下鉄日比谷線が走っている。人の流れは多くはこれらの列車の改札口に向かっている。残りの人の多くは駅前にバス乗り場や丸井がある西口に向かう。私はこれらの人の流れに逆らって東口に向かう。

 東口は駅前広場もない。大きな駅を出ると細い道があって、その両側に商店が建ち並んでいた。さっきまでのめまいがしそうな人ごみから一変して静かな商店街である。商店街を東に向かって歩くと間もなくロッテリアがある。小説で、松子の甥が松子の死語部屋を片付けに来たときに立ち寄った店だ。何てことないことだが、こんなことを発見しながら町を歩くのは楽しいことである。それにしても、なんて懐かしい風景だろう。地方では、クルマ社会が進むところまで進んでしまって、ここのような駅前の商店街はすっかり寂れてしまった。ここではまだまだ健在である。お肉屋さんからはメンチでも揚げているのだろうか。油の香りが漂っている。油の香りはしない代わりに厳重にパックにつめられているスーパーマーケットのものよりきっとうまいだろう。後で寄ってみることにする。

Photo

 T字路に突き当たって右に曲がる。小説の中での描写によると、松子が住んでいたのはここを左に曲がった方角だが、先を急ぐ必要はない。回り道をしながら進もうと思う。しばらく行くと商店街から住宅地に変わり、大きな通りを渡る。間もなく踏切が見えて来る。東武伊勢崎線の踏切である。踏み切りを渡って右に曲がると牛田駅がある。ここの駅は一風変わっている。駅自体は都市近郊の平凡な駅なのだが。細い通りを挟んですぐにもう1つ駅がある。京成本線の京成関屋駅である。普通、こういう場合、駅名を共通にして乗り換えの便を図るのだが、東武と京成は仲が悪いのか駅名は別々になっている。しかし、お互いの駅が出入り口が向かい合っているから乗り換えは便利である。もっとも出入り口が背中合わせにあったら利用者としてはたまらないだろうが。
 牛田駅を過ぎ、最近増えたミニバンなら屋根がつぶれてしまいそうな低いトンネルで線路をくぐると間もなく柳原千草園がある。狭い園内ながら、様々な季節の草花が植えられている。真冬のこの時期は花をつけているのは椿ぐらいだが、春から初夏にかけては、色とりどりの花が咲くだろう。松子はこの近くに13年も住んだのだから、何回かはここで花を愉しんだ、そう思いたいし、そうであって欲しいと思う。なんだか、小説の中の架空の人物でなく、幼い頃生き別れになった姉か伯母の足跡をたどっているような気分になってくる。

Photo_2

 柳原千草園を出ると、再び太い道を渡る。その先には柳原稲荷と言う神社がある。ここを過ぎると道はますます細くなる。間違ってもクルマでは入りたくないような道である。もっとも、北千住駅、牛田駅、京成関屋駅が徒歩圏内になるから、クルマは必要ではないだろうが。中学校を右に見ながら進むと、間もなく住所が日ノ出町に変わる。松子が晩年を過ごした場所である。


シアワセノカオリ

 週末にパン作りを行った。友人にパン作りの講師をしている人がいて、こんど私の学校でパン作りの授業に招こうと思っているので、その前に私も一度体験しておこうと思った。
 小麦粉、砂糖、塩、卵、バター、イーストと材料を用意する。イーストをぬるま湯で溶く。日本酒のような香りがする。フードプロセッサーで材料を混ぜ合わせ、溶いたバターを加えて手で混ぜる。色といい形といい脳みそである。生地を発酵させると餅のように見事に膨れる。餅みたいと言えば、焼く前のパンの生地って、餅みたいに延びるんですよね。それを丸め、さらに発酵させる。だんだん出来上がりが見えてくると気分が盛り上がってくる。形成をしてデコレーションをする。魚の形にしてみたり、アンパンマンの形にしてみたり、ドラえもんの形にしてみたりする。これを焼き上げるとなんともいえない良い香りがしてくる。そして焼きたてのパンのおいしいこと。思わず目的を忘れてしまいそうになった。
 焼きたてのパンの香りのする家にはきっと幸せな人が住んでいる。わたしはそう思っている。

東京散歩~松子と歩く北千住 上

 人には運命の出会いと言うものがあるが、場所だって運命の場所があると思う。「嫌われ松子の一生」の主人公である川尻松子が転落人生の果てにたどり着いたのが東京の北千住だった。

 1988年、40歳の松子は、すがるべき人をすべて失った。やくざの男と同棲していた松子は、覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役1年の判決を受け刑務所に服役する。出所後は男の服役する府中刑務所の近くで働き、出所を待った。出所の日、松子の姿を男は、逃げ出してしまう。愛情を知らないで育った男にとって、情の深い松子の愛情はあまりに重すぎたのかもしれない。男はその後松子が転落する原因を作った2人の男を社会から抹殺した。ひとりは教師時代の松子をレイプした校長を、もうひとりは松子が学校を追われる原因となった盗難事件を起こしたのみならず、覚せい剤取締法違反で逮捕される原因を作った自分自身を。すがるべき相手を失った松子に残されていた相手は、長年絶縁していた身内しかなかった。しかし、15年ぶりに帰った実家では、妹の死を知らされ、弟からは冷たく追い返される。長年会っていないとはいえ、松子は肉親の情にすがるしかなかったのであろう。その後、東北の各地を転々とした松子は安住の地を見つけることができず、常磐線の列車で東京に向かった。上野に着く直前に荒川の鉄橋を渡るが、その風景が故郷の福岡県大川市の筑後川に似ている。そう思った松子は、荒川の鉄橋を渡ってすぐの北千住で降り、そこを流転の人生の最後の地とした。ここで過ごした13年間は、誰にも心を開かず、これまで会った人を恨みながら、やがて心を病み、近所の人からは「嫌われ松子」と呼ばれながらも生き続けた。最後は虫けらのように殺され生涯を閉じた。

 前置きがだいぶ長くなってしまったが、私にとっても北千住は気になるところだった。常磐線の沿線で育った私は、東京に行くときはいつも常磐線の列車だった。利根川を渡ると千葉県、江戸川を渡ると東京都。しかし、私が本当に「東京に来たな」と思うのは荒川を渡って北千住に差し掛かるあたりからだった。そんな思い入れのある場所であるが、常磐線から東武伊勢崎線や東京メトロ日比谷線などに乗換えをしただけで駅から外に出たことはなかった。一度歩いてみたいと思い、大相撲を観戦した翌日の1月17日(日)、午前9時前、日暮里から常磐線に乗って北千住駅に着いた。

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