東海道2010 その4
【8月11日 福井県敦賀市~滋賀県大津市】
私が運転するスバル・フォレスターは、福井県と滋賀県の境にある山々を超えている。すでに福島県郡山市を出発して8時間近く、運転する私も疲れが見えてきた。ようやく山が低くなると右側奥に丸い形の湖が見えてきた。余呉湖である。余呉湖が見えて間もなく、賤ヶ岳SAに着く。この一帯で1583年、織田信長の死後、織田家の主導権争いを発端として、豊臣秀吉と柴田勝家で争われた賤ヶ岳の戦いが行われた。この合戦で秀吉が勝利し、天下の形勢は大きく秀吉有利に動いていく。一方、敗れた勝家は越前国北の庄城(福井市)で、妻の市(信長の妹)と共に自害した。私は15年ほど前の12月、冷たい雨が降り続く福井で、勝家の運命を思い涙をこらえながら北の庄城址に立ちつくしたことを思い出した。
賤ヶ岳SAでガソリンを給油してすぐに出発する。やがて平野が広がる。しかし、太平洋側の平野とはどこか違う。とくに冬に通るとわかるのだが、このあたりは、気候的に日本海側の影響が強く、名古屋が晴れでも、関ヶ原を超え、滋賀県に入るとどんよりとした曇りになることがある。間もなく米原(まいばら)、東海道新幹線、東海道本線、北陸本線の乗り換え駅である鉄道の要衝であるが、道路の方も、名神高速道路と北陸自動車道、国道8号線、国道21号線が接する要衝になっている。
名神高速道路に入ると、途端にクルマの流れが悪くなる。北陸道をほぼ常時100km/h以上で快走してきたのが、50km/h程度の鈍足になる。石田三成が城を築いた佐和山を右に見ると間もなく彦根市の市街地である。クルマの流れは一層悪く、ときどき停止するほどになる。クルマが止まってしまうと、緊張感が緩んで、一気に眠気が出てくる。秦荘PAで休憩をする。あまりの暑さに、エンジンをかけたままエアコンを効かせて仮眠をする。外気温は38℃、
マナー違反とは分かっているが、こうしないと仮眠中に熱中症で死んでしまいそうな暑さである。
仮眠を終えると、いくらか流れが良くなっていた。私は近江の田園風景が好きだ。黒い板壁の民家が、この地区の田園風景を格調高いものにしている。さらに好ましいことに、割と新し家も、伝統的な街並みになじむような色使いをしていることが好ましい。草津JCTで、新名神高速道路が合流すると、再度渋滞が始まった。それから間もなく、瀬田東ICで名神高速を降りると間もなくJR瀬田駅近くのホテルに着いた。時間は午後4時前、700kmを9時間30分で走ったことになる。さすがに疲れた。ホテルにチェックインして自分の部屋に入ると、そのままベットに横になりひと眠りした。
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