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2010年10月の15件の記事

東海道2010 その12

【8月14日 静岡県掛川市~静岡県静岡市】

 掛川を出発して、国道1号線を静岡市方面に向かう。山が両側から迫ってくると東海道53次の25番目の宿場町である日坂宿になる。古い建物が残されている。東海道の宿場町の場合、一定のパターンがあり、両側に山が迫り開発余地の少ないところは昔の面影が残されている場合が多い。関や藤川がそうである。ここを過ぎると東海道の難所の一つ、小夜(さよ)の中山の峠越えになる。私は国道1号線を外れ、狭い道に入り、急な坂を登っていく。スバルご自慢のボクサーエンジンは220馬力の馬力にモノを言わせてぐいぐい登っていくが、歩いて登るのは相当難儀なことだと思う。坂を登りきるとやや平たんな道になる。道の両側には茶畑と農家が点在するのどかな光景である。これで天気が良ければ鼻歌を歌いながらのドライブだが、掛川を出発する頃から降り出した雨が土砂降りに変わった。小雨なら風情があるが、土砂降りの雨はただただうっとうしい。

 小夜の中山の久延寺近くの駐車場にクルマを止め、雨が弱くなるのを待ったが、雨は一向に止む気配はない。土砂降りのせいかあたりはうす暗く、なんだか背筋が寒くなるような気がする。ここは江戸時代に東海道が定められる以前からの交通の難所で、西行の歌碑などがあるそうだが、この薄気味悪い気配に一刻も早くここを離れたくなった。とりあえず傘をさして駆け足で久延寺を参拝し、クルマを静岡方面に向け出発させた。しばらく走ると前方に近所のおじいさんが運転している軽トラックが見えた。夜道で人家の明かりを見つけたようなほっとした気持ちになった。つんのめるような下り坂を降りると24番目の宿場である金谷に着く。現在では、SLの運転で知られる大井川鉄道の乗換駅になっている。駅前で少し休憩して大井川に架かる橋を渡ると、島田市立博物館に着く。 

 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越される大井川」と歌に歌われたように、山や峠越えは厳しいけれど、足を前へ運び続ければ越えることができるが、川の場合はそうはいかない。東海道にはいくつもの大きな川があるが、江戸幕府は大井川や阿倍川には渡し船さえ認めなかった。蓮台や人足に肩車をしてもらって越えた。大雨の時期はこれらの川は川留めになって交通の大きな障害になった。博物館の展示物で面白かったのが、現在でも花嫁の髪型として生きている文金高島田が江戸時代に島田宿にいた女性に由来するものであるという部分であった。博物館の外には川越遺跡といって、大井川の川越にかかわる人足の番屋や川会所などが復元されている。ここだけ歩いていると江戸時代にタイムスリップしたようで面白い。いつのまにか雨がやんでいた。

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 島田から国道1号線で藤枝に進む。ここから先東海道は岡部宿、鞠子(まりこ)宿と日本坂の北側を回り込むようにして静岡に向かうが、私は焼津、大崩海岸、用宗と海側に道を進むことにする。私の職場に、静岡の大学で学んだ方がいて、大崩海岸は良いからぜひ行ってみるといいとアドバイスを受けたのである。地図で見ても山がほとんど垂直に海に落ち込む豪快な海岸で、地図を見るだけでわくわくしてくる。私にはもう一つ魂胆があって、焼津か用宗でおいしい魚を食べようと思っている。藤枝から焼津に向かう途中で給油をする。焼津港周辺で店を探すが、これだと思う店は見当たらなかった。焼津港を離れてすぐ、目の前に小高い山と海が迫ってきた。道は左右にくねりながら崖の上に出た。左は垂直に切り立つ断崖、右側は数十メートルしたに太平洋。わたしはこんな豪快な道路を見たことがない。これは予想外に面白いぞと思う。そんなところをしばらく走ると、トンネルがあり、トンネルの先は急カーブで道路が海上に架けられた橋になるところがある。ここは、大崩海岸の名の通り、非常にもろい岩肌で落石により被害が出ないようにするためだという。小さな駐車場があるのでクルマを止め写真を撮る。クルマを出ると眼鏡が一瞬で曇ってしまう。よほど気温と湿度が高いのであろう。間もなく用宗の町が見えてくる。ここはもう静岡市である。用宗港の近くの店で昼食にする。サバとマグロのづけがたっぷり載った丼を食べる。マグロはもちろんうまかったが、脂の乗ったサバがとてもうまかった。

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ダイエット国技館10月場所結果報告

 今場所は、○○○●○●○の結果で5勝2敗、0.6kgの減でした。この結果、三段目から幕下に昇進することになりました。とりあえずは結果のみ報告します。

東海道2010 その11

【8月14日 静岡県浜松市~静岡県掛川市】

 今日は昨日と違って厚い雲が垂れこめている。相変わらず暑いことには変わりがないが、直射日光がやわらぎ、湿度が上がったのでプラマイゼロといったところか。今日は7時45分ごろホテルを出た。旅行なのに毎日毎日早起きで、我ながら感心する。さすがにお盆の朝なのでまだクルマは少ない。国道152号線から県道に左折すると間もなく東名高速道路浜松ICに着く。ここから掛川までは高速道路を使用する。

 磐田ICを過ぎて間もなく渋滞が始まった。電光掲示板によるとこの先菊川IC付近で事故があるそうだ。磐田から菊川までは20km以上ある。これはまずいことになったと思うが、渋滞とはいえ完全に停止しているわけではない。少しずつ動いているので、とりあえず次の袋井ICを目指す。袋井IC近くになると再び流れがよくなった。しかし、ICを過ぎてすぐ今度はクルマの流れが完全に止まってしまった。後悔先立たず、このままクルマの流れに身を任せるしかないだろう。

 掛川ICを降りると、「ヤマハリゾートつま恋」の大きな看板がある。野球の聖地は甲子園、小説家の登竜門が芥川賞と直木賞なら、フォークソング・ニューミュージックの聖地がつま恋で、登竜門がここで行われる「ヤマハポピュラーソングコンテスト」であった。ここから出た歌手は、中島みゆき、岡村孝子、チャゲ&飛鳥、長淵剛など、長い期間活躍した人が多い。JR東海道本線と東海道新幹線のガードをくぐり、掛川の城下町に入っていく。掛川は、山内一豊が豊臣秀吉から大名に取り立てられた際に与えられた領地である。後に彼が高知に転封になると、松平家、北条家、井伊家、小笠原家などが大名としてこの地を治めた。また、掛川の城下町は東海道53次の26番目の宿場町であった。

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 掛川は城下町の保存に努めていて、大手門や内堀代わりであったと思われる小川の周辺など、道路を石畳にしたり、電線を地中化したりしていた。天守は再建されたものだが、二の丸御殿は幕末に建築されたものが現在も残されている。天守から城下の眺めを楽しむ。さほど大きい城ではないから、城のつくりが手に取るようにわかるのが面白い。二の丸御殿では、高校の日本史の先生上がりと思われる方が無料でガイドをしていたので、いろいろお話を聞く。祭の道具に関する展示があったので、それを見ながら、江戸時代の祭は、がちがちの身分制だった江戸時代において、無礼講で楽しめる数少ない機会だったという話を聞いて、なるほどと思う。城のあちこちに白いユリが咲いていた。蒸し暑い掛川城に、白いユリは不思議な気がしたが、すこしだけさわやかな気分になった。

基本的には悪くないんじゃない

ブログネタ: 「子ども手当」 率直に言ってどう?参加数拍手

 子ども手当が始まって3カ月近くになりますが、私は社会全体で子育てを支えていこうというこのコンセプトには基本的に賛成です。ただ、現金給付という方法はあまり上等な方法だと思いません。また、所得により給付に差をつけることは必要だと思いません。ということで、以下のように変えればどうでしょうか。

1 現金給付からサービス給付に変更する

 保育サービス、医療、教育など子どもに関するコストを充実させることにお金を使う。とくに、いまや夫婦共働きが常識になり、保育サービス(学童保育などを含む)の需要が多いのに、供給が追い付いていないようです。子ども手当の給付の部分でサービスを充実すれば、母親を家庭に縛りつけることはなくなり、良質な労働力の供給が増え、経済成長にも一役買うと思うのですがいかがでしょうか。また、保育サービスの充実で新しい雇用も発生すると思います。

2 所得により給付内容に差をつける

 現在の35歳(ちょうど子育て世代ですね)は、かつての35歳と比べると、年収が200万円下がっているなどという話を聞いたことがあります。所得が少ないことで、将来への不安につながり、子育てを躊躇させる原因にはなると思います。それを支援する意味でも所得の低い人を優遇する必要はあると思います。例えば年収いくらまではサービス給付のみ、いくら以下はサービス給付と「子育てカード」1万円、いくら以下は「子育てカード」2万円などというように差をつけていいと思います(これにより生活保護の母子加算は廃止となります)。この「子育てカード」は、商品券のようなもので、食料品(粉ミルクなどを含む)、衣料品、医薬品など、子どもが生活の中で使用するものに限って使用できるものです(学校の諸経費や塾の月謝などに使えるようにするのもありだと思います)。もちろん、親の酒代やパチンコ代には使えないようにします。


 お金をばらまくにしても、見境のない定額給付金(私は受け取りを拒否しました)などに比べれば上等な政策だと思いますが、上記のように改めれば、新たな児童へのサービスや、雇用を生み出すこともできると思うのですが、いかがでしょうか。

熱いハートに触れた日

 昨日、職場の人と一緒に阿武隈山地の日山(1057m)に登った。山頂からの眺めを楽しみ、笑いだす膝を騙しながら下山した。下山した後は名目津温泉という温泉に入り、かつての同僚と合流して二本松で少し遅めの昼食をとった。実はこの日、他にも気になることがあったので、何回かメールでやり取りをしていた。それは、かつて担任していた生徒が、千葉県で行われている全国障害者スポーツ大会に出場していて、緊張していないか、実力を発揮できるか心配していた。私たちが昼食を食べている頃、いよいよ試合だというメールが入った
 昼食後、高村智恵子の生家に行った。高村智恵子(1886年~1938年)は、福島県安達郡油井村(現在の二本松市)の造り酒屋に生まれた。日本女子大学を卒業後、画家として活躍しした。26歳のときに高村光太郎と出会い、その後同棲を始める。明治時代から大正にかけて、まだまだ女性が自分の生き方を自分で決めることが難しかった時代、この人は時代の最先端を行く女性だったと言えるだろう。生家の他に、記念館があり、智恵子や光太郎の作品が展示されている。私が心惹かれたのは、彼女が統合失調症(当時は精神分裂病)を発症して、療養生活を送っているときに制作した貼り絵であった。シンプルで素朴なのだけど、なんだろう、不思議な魅力があるとしか私の語彙では表せそうにもない。病になっても支えあった、智恵子と光太郎、ふたりの熱いハート、私には美しく光り輝いて見えた。
 智恵子の生家を出てすぐに、かつての生徒からメールが入った。残念な結果になってしまったことを詫びる内容だった。しかし、これまで練習を頑張ってきたことを知っている私には、大舞台に立ち力の限り戦った姿が目に浮かんできた私は「よくがんばった、胸を張って帰ってきなさい」と返事を送った。時代も立場も違うけれど、智恵子と光太郎、そして私の教え子、3つの熱いハートに触れて、私はすごくうれしい、そして胸の奥が熱くなった。そうか、私にも熱いハートの人に共感できるそんな部分が残っていたのかな、そんなシアワセな気分になった休日でした。そして、こんな素敵な休日を企画してくれた職場の方々に感謝しています。

東海道2010 その10

【8月13日 静岡県湖西市~静岡県浜松市】

 東海道53次の31番目の宿場である新居宿は、箱根と同じように関所が設置されていた。主要な街道の関所の中では、唯一当時の建物が残っている関所である。

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 関所の駐車場にクルマを止める。関所の建物はさすがにものものしい。とはいえ、正当な通行手形を手に入れれば、庶民でもお伊勢参りなどの旅ができたのだから、江戸時代の日本の交通制度は思いの外進んでいたと評価していいのかもしれない。面白いことに、男性と女性の身分改めは別々の場所で行われた。男性は表のお白州で通行手形と人相を調べられたが、女性は関所の建物の裏側で女性(関所の役人の妻など)によって改めが行われた。「入り鉄砲に出女」という言葉があるが、江戸にいる諸大名の妻などが許可なく国元に帰ることには幕府はずいぶん神経をとがらせていたのだろう。
 関所から宿場はすぐである。ここにも当時の旅篭が残っていた。当時のメニューとして、大きなウナギのかば焼きが皿の上に乗っている。正真正銘静岡産天然ウナギである。相手はろう製のイミテーションなのだが、ごくりとつばを呑む。今晩はウナギを食べようと思った。

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 江戸時代は新居宿から次の舞阪宿までは浜名湖を船で渡ったが、現代は国道1号線、東海道本線、東海道新幹線の橋が並んでかかっている。前が詰まって、のろのろと進む私のクルマを東京方面に向かう新幹線が猛スピードで追い抜いていった。リゾートマンションが立ち並ぶ弁天島のコンビニで小休止して、舞阪に向かう。ここから国道を離れ旧道に入る。道の両脇には松並木がある。こちらの松並木はやさしげで女性的なたたずまいである。しばらく走ると国道1号線に合流する。前にスズキ・ワゴンR、後ろにスズキ・ジムニー、隣の車線にはスズキ・スイフト、少し離れた所にもスズキ車が見える。スズキ車のオン・パレードである。それもそのはずで、ここ浜松市はスズキ自動車のお膝元である。東海道本線の線路の向こうには、本社と工場が見える。やがて、東海道新幹線の線路が見えてくる。道路が渋滞しているから、線路の様子がよく見える。現在、東京と京都、大阪を結ぶもっとも主要な交通機関といったら東海道新幹線だろう。16両編成、定員1323人の列車が最短3分間隔で走っている様子をみると、あらためて東海道ベルト地帯の圧倒的な人口と産業の集積を実感する。

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 ホテルには4時前についた。ゆっくり風呂に入って、洗濯をして、7時過ぎまでホテルでのんびりした。駅前に出て、しらす干しとうざく(うなぎときゅうりの酢の物)でビールを飲んだ。ウナギは酢と合わせることでさっぱりとしてビールによく合った。

意外かもしれませんが

ブログネタ: 田舎の一軒家と都会のマンション、どっちがいい?参加数拍手

 私を知る人なら、意外な選択に思うかもしれませんが、田舎の一軒家か、都会のマンションかと聞かれれば、都会のマンションを選びます。もっとも、田舎とは何をさすのかという問題がありますが。
 この場合、都会とは、東京、大阪、名古屋の3大都市圏および、札幌、仙台、広島、福岡の地方中核都市の中心部と規定します。また、田舎とは、地方の町村部、および人口10万人以下の市部とします。そう考えると、田舎の自然環境の良さは相当魅力的ですが、年老いた時の生活の不便さを考えるとちょっと考えてしまいます。都会は人間関係が希薄とか言いますが、私の場合、適度に放っておいてもらうくらいがちょうどいいので、都会の方が性に合っているのかもしれません。
 でも本当の答えは、人口20~50万人くらいの地方の県庁所在地か中核市の郊外で公共交通機関が使い物になるところかな。田舎と都会のいいところがどちらも味わえるので。このくらいの都市だと文化環境や買い物の環境もそこそこ便利で、公共交通機関も機能しているので、歳をとっても生活できそう。一戸建てかマンションかは、別にどっちでもいいです。

東海道2010 その9

【8月13日 愛知県岡崎市~静岡県湖西市】

 岡崎は徳川家康が生まれ育った町であり、岡崎藩(本多氏→水野氏→松平氏→本多氏)の城下町である。また、東海道53次の38番目の祝までもある。味噌煮込みうどんや味噌カツに欠かせない八丁味噌は岡崎の特産である。岡崎の町を過ぎると、ようやくクルマの流れも良くなる。両側に丘陵が迫ってくると、間もなく藤川であある。国道1号線から外れると、道の両側に松並木がある。東海道の松並木がある。名鉄本線の踏切を渡り、松並木が途切れると37番目の宿場である藤川宿である。

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 地元の人が作ったと思われる、小さな資料館があり、そこのクルマをとめる。資料館を見学した後、宿場町を歩く。かつての脇本陣の跡は、石垣だけが残るが、工業が盛んな三河に、これだけ過去の雰囲気をとどめる宿場町が残っていることに感謝すべきであろう。藤川小学校前の高札場や、松並木まで歩いて往復してきた。松並木の下を歩くと心なしか風がひんやりとするように感じられる。東海道の松並木は、江戸時代の旅人を夏の直射日光から守る大切な役割を果たしたことだろう。

 藤川を出発して国道1号線に戻る。国道1号線は名鉄本線の線路に沿って走る。本宿駅を過ぎてすぐに、愛知県立岡崎養護学校の看板があった。「1リットルの涙」の木藤亜也が通った学校である。もっとも、彼女は昭和時代の人物で東海道とはあまり関係ないが。
 東名高速道路の、音羽蒲郡ICを過ぎてすぐに、国道の南を走る旧道に入る。狭い旧道を走ると、36番目の宿場である赤坂宿、そして有名な御油の松並木、35番目の宿場である御油宿がある。御油の松並木のそばの空き地にクルマを止めて、松並木を見る。ここの松並木は天然記念物に指定されている。

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 それにしても、なんて立派な松並木なのだろう。見ていて惚れ惚れする。男性的で豪快な枝ぶりである。それと素晴らしいのは、この景観を維持するために、あえて車道を狭くしたという地元の人々の英断である。車道を広くしたら確かに通行は便利だろうが、そんなことをしたら、景観は台無しだし、車のタイヤに松の根元を踏みつけられたら、松並木の維持もおぼつかないだろう。もしかしたら、何の得にもならない松並木など伐採して道を広げろなどという暴論が出るかもしれない。歴史遺産を守るためには多少の不便を甘受することはやむを得ない場合がある。松並木を21世紀に残した人々には本当に敬意を表したい。
 豊橋市内に入ると、国道から離れて、旧街道を走る。伊奈駅を過ぎると国道に戻り、JR飯田線を跨ぐと豊橋の市街地に入る。豊橋市役所近くの交差点で、国道1号線は左に曲がる。既に午後1時を過ぎ、空腹だが、なかなかここだという店が現れない。さんざん迷った挙句、次に飲食店が見えたら問答無用で入ろうと決めた。すると、福島県に本部のあるラーメンのチェーン店が見えた。ここまで来てチェーン店に入らなくてもと思うが、自分で決めたルールだから、守ることにする。
 豊橋を過ぎると、二川、JR二川駅の周囲が、33番目の宿場である二川宿である。ここからは、旧東海道から離れるが、新所原~鷲津と、JR東海道本線沿いのルートを行く。新所原駅の手前で、愛知県から静岡県に入った。畑の中に住宅地と工場が点在する丘陵地をしばらく走り、東海道新幹線をくぐると間もなく新居宿である。

人間ってすごいよな

 8月以来ずっと気になっていた、南米チリのコピアポ鉱山の落盤事故で、地中630mの坑内に閉じ込められた33人の作業員の救出作業は、ついにカプセルで地上に引き上げる作業が始まり、ついに11人目までが無事に地上に帰還した。私は、8月にこのニュースを耳にしたときに、まさか全員が無事に生還できるとは思っていなかった。人間の体力や精神力が、地中で長期間持ち続けるとは思っていなかった。これは、閉じ込められた作業員たちの不屈の精神力と体力、心から作業員の方々を励まし続けた家族をはじめとするチリの人々の熱いハート、そして救助にあたった人々のプロフェッショナルとしての適切な仕事の賜物であったと思う。地球のほぼ反対側である日本から、心からお祝い申し上げたい。

 この出来事は、私も本当に励まされた。人間をもっと信頼していいのかな、そう思えるようになった。何より、救出された方々が、早期に通常の生活に戻ることを心から願っています。

これかなぁ

ブログネタ: 今年の”カー・オブ・ザ・イヤー”どれだと思う?参加数拍手

 ノミネート車から選ばれた10ベストカーは以下の通り
トヨタ マークX
日産 マーチ
ホンダ CR-Z
マツダ プレマシー
スズキ スイフト
フォルクスワーゲン ポロ
メルセデス・ベンツ Eクラス・セダン(E350 BlueTEC アバンギャルド)
BMW 5シリーズ セダン/ツーリング
プジョー RCZ
ジャガー XJ

 この10台の中から、日本カー・オブ・ザ・イヤーを選ぶとなると…迷いますね。最後まで残ったのはホンダ・CR-Zと、フォルクスワーゲン・ポロの2台。ホンダ・CR-Zは、ハイブリッド車にして、スポーティモデル。一方、フォルクスワーゲン・ポロは徹底的に効率化、ダウンサイズしたガソリンエンジンを搭載したコンパクトカー。そんなことで、この両者とも方法は違いますが、地球環境問題、エネルギー問題への対応とクルマを走らせる喜びを両立させることを目指した、きわめて高い理想を掲げたクルマです。どちらも選びたいところですが、私はハイブリッド車の可能性を広げた、ホンダ・CR-Zを選びたいと思います。

東海道2010 その8

【8月13日 三重県四日市市~愛知県岡崎市】

 8月13日、昨日までとうってかわって快晴になった。今日はひときわ暑くなりそうだ。8時過ぎにはホテルをチェックアウトを済ませる。今日は静岡県浜松市を目指す。

 国道1号線を北に進み、桑名市を目指す。四日市から桑名までは、工業地帯あり、住宅地ありで、建物がほぼ両側に途切れずにあった。片側1車線で流れは良くないが、海側に並行して国道23号線(名四国道)があり、そちらがバイパスの役割を担っているのであろう。

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 桑名は、東海道53次の42番目の宿場町である。また、ここから名古屋側は揖斐川、長良川、木曽川と大きな川の河口があるため、宮(名古屋市熱田区)までの間を七里の渡しという航路で結んだ。そのため荒天時には多くの人が宮と桑名で足止めを食らうことになった。その七里の渡しの船着き場の跡が残っている。
 桑名を出て、現代の七里の渡しである伊勢湾岸自動車道に入る。揖斐川の橋の上は、湾岸長嶋ICで降りようとする人で渋滞が起きていたが、そこを過ぎれば極めて順調である。それにしても、まっすぐな高速道路である。通常高速道路は居眠り防止のために適度にカーブがあるが、この高速道路は周囲が全くの平地であるため、カーブが作りようがないのであろう。そのため、クルマの流れはすこぶる速い。日本のアウトバーンである常磐道沿線で育った私が言うのだから間違いない。その代わり橋は多い。揖斐川に続いて長良川、木曽川を渡り、高々と名古屋港を名港トリトンと呼ばれる3連の長い斜張橋で高々と渡る。東海ICを過ぎると内陸に入り、豊明ICで高速道路を降り、国道1号線に戻る。
 豊明市から知立市に入る。ここはかつて東海道53次の39番目の宿場町である池鯉鮒宿(ちりゅう)があった。そうとうな難読地名である。クルマをとめて、コンビニでひと休みする。太陽はアスファルトを焼き、猛烈に暑い。コンビニで買い物をするわずかな時間のうちに車内の空気は熱くなっていた。エンジンをかけ、冷たい空気がふきだすとほっとする。再びクルマを走らせ、やや単調なドライブに飽きてきたころ、矢作川を渡り岡崎市街地に入っていく。

修学旅行

 6日(水)から8日(金)まで修学旅行の引率で出張していました。行き先は東京都。三鷹市のジブリ美術館、千葉県浦安市の東京ディズニーランド、港区の東京タワーでした。宿泊したホテルは千代田区のホテルメトロポリタンエドモントでした。

 学校を貸し切りバスで出発して、東北道を南へ、バスをはじめとする乗り物が大好きな生徒は、行く前から「バス、バス」と大喜び、私としても喜んでもらえれば悪い気がしない。途中宇都宮で少し早目の昼食をとる。わが学級はなかなかの食欲である。この点においては我が学級は相当優秀なのではと思う。心配していた東京外環道の渋滞もなく、環状8号線は立体交差化が進み、すいすい進みいつの間にか荻窪、西武池袋線と西武新宿線の姿を見ないまま荻窪までワープしてしまった。ジブリ美術館は中は狭いが、トトロやジジやキキなど、生徒の好きなキャラクターがたくさんいたのでずいぶん堪能できた。再びバスに乗り、飯田橋のホテルに着くころにはすっかり夕方になっていた。夕食はフレンチのコース、みんな喜んで食べていた。夜は興奮してなかなか寝付けない生徒もいましたが、それはそれ、大目に見なければ。私が高校生のときにはもっと悪いことをしていたので。

 2日目はディズニーランド、ある生徒は、ずっと前からミッキーマウスと写真を撮ることを楽しみにしていたので、この日は朝から「ミッキー、ミッキー」と言いながら踊っていました。そして、お昼前、ついにミッキーマウスと対面、大喜びで一緒に写真に写り、固い握手をしました。その後は、乗り物の好きな生徒の希望で、蒸気船マークトゥエイン号とウエスタンリバー鉄道に乗りました。この日は、他県の特別支援学校の団体の姿もあり、山形県の特別支援学校の先生と、トイレ待ちの間にいろいろお話させていただきました。

 3日目は東京タワー。高さ150メートルからの景色はなかなかのものでした。学級のみんなで東京ドームの形をしたペットボトル。(中身は静岡県伊豆の国市で採取されたミネラルウォーター)を買い、六本木を経て国立競技場近くの日本青年館ホテルで昼食をとりました。実はここは、私が中学校の修学旅行で泊まったところです。懐かしさと、こういう形で生徒と私が同じ場所で思い出を共通できることがとても嬉しかったです。帰りのバスの中では、さすがに疲れたのかうとうとする姿も見られました。

 一つの行事を無事に終わらせたときの達成感、これはこの仕事をする上での醍醐味でしょう。昨日はそんな興奮で疲れを感じませんでしたが、教唆さすがに疲れが出ました。でも、この興奮と達成感があるから、この仕事を選んでよかったと思えるのだと思う。

ダイエット国技館 8月、9月場所結果報告

8月場所

 西三段目10枚目
 結果は●○○●○○● 4勝3敗

9月場所

 東三段目2枚目
 結果は○●●○○○● 4勝3敗

 勝ち越したとはいえ、体重は横ばい状態、なかなか前には進めません。それでも、増えていない分よしとしましょう。

10月場所は

 東三段目1枚目
 5勝2敗以上の成績で幕下に昇進します。今場所はしっかり体重を減らして幕下昇進を決めます。

東海道2010 その7

【8月12日 三重県亀山市~三重県四日市市】

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 関宿は東海道の旧宿場町の宿場町の中でも、最もかつての姿をとどめているところの一つであろう。東海道は通った地域は、江戸時代から現代にいたるまで、この国で最も人口が集積して産業が栄えた地域である。この旅に出る前に懸念していたのが、単に1号線を走りましたで終わってしまうことであった。しかし、山中の小盆地である関は発展に限りがあった、そのため古い姿を21世紀までとどめたのであろう。よく見れば、あちこちに21世紀が見え隠れするものの、これだけ宿場町の面影をとどめていることろはそうはない。銀行の営業所も街並みに会うように作られている。
 草津宿は本陣を見たが、今度は旅籠を見る。一部の人しか泊まれなかった本陣と違って、旅籠は宿賃さえ払えば、武士から百姓、町人に至るまでだれでも泊まることができた。料金を払って中に入ると、江戸時代の建物ながら、小ざっぱりしてなかなか良い。便利なビジネスホテルに泊まるのもよいけれど、こんな旅籠で1泊できたらいいだろうなと思う。もっとも、当時の旅籠は余程空いていない限り基本的には相部屋だろうから何日も連続したらプライバシーの確保できるビジネスホテルに逃げ込みたくなるだろうが。
 関宿を歩いているうちに雨が降ってきた。傘をさしながら古い町並みを歩くのは好きだ。雨は日本の風景をよりやさしく、奥行きを深くする。だから私は小雨くらいなら雨を苦にしない。さすがに土砂降りだと閉口するが。ここと関係する面白い話がある。「あいつならこの程度が関の山だろう」などといういい方があるが、この「関の山」とは、ここ、関宿の山(関東では山車、仙台では山鉾という)があまりに立派だったので、「これ以上のものはない」という意味でつかわれるようになったといか。

 関宿を出ると、国道1号線をJR関西本線に沿って東に向かう。東名阪道の亀山ICがあるが、四日市ICまで20km以上の渋滞となっている。もし疲れていたら四日市まで高速利用も考えていたが、わざわざ渋滞の中に突入する必要はない。このまま一般道を進むことにした。ICを過ぎてすぐに、1号線から外れ、かつで東海道53次の46番目の宿場町であった亀山の市街地に入る。亀山の駅前広場にクルマをとめて休憩をする。この町は平地と山地の境にあり、鉄道では関西本線と紀勢本線が分岐し、JR東海とJRの西日本の境界駅に駅になっている。道路では、東名阪自動車道、伊勢自動車道、新名神高速道路、名阪国道(自動車専用道路、通行無料)が接する。この交通の便の良さが、シャープの液晶工場をはじめとする工場の集積に結びついたのであろう。

 亀山を出ると、1号線に戻る。間もなく鈴鹿市に入る。ホンダの主力工場である鈴鹿工場は右側の鈴鹿川の向こうにある。高速道は渋滞のようだが、国道は50km/hくらいで流れている。このくらいで流れていればさほどいらいらしない。JR関西本線を高架橋で渡ると石薬師、ここは44番目の宿場町である。更に走ると、2008年4月に乗った、近鉄内部線の内部駅が見えてくる。旅の途中に見覚えのある景色を見ると不思議とほっとするものだ。ここで国道から離れ、内部線に沿った旧東海道を走る。しばらくして1号線に合流するが、そこは日永追分といって、東海道と伊勢街道の分岐点であった。そこを過ぎると四日市の市街地に入る。近鉄四日市駅に近いホテルにクルマをとめたのが午後4時過ぎ。エアコンをかけ、熱いお茶を淹れ、土山の道の駅で買った、お茶の外郎(ういろう)を食べる。なかなかおいしかった。

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 午後6時近くなって涼しくなったのを見計らって外に出る。四日市といえば産業都市というイメージがあるが、市街地はきれいに整備されていた。近鉄四日市駅を過ぎて、海のそばにあるJR四日市駅のそばまで歩いた。ホテルの近くまで戻り、カツオの刺身とつくね(これがとてもおいしかった)を肴に三重県の地酒を飲んだ。話のうまいお姐さんがいて、ずいぶん話も弾んだ。店を出るころにはホロ酔いをやや通り越していたが、気持ちよく飲めたのでよしとする。

東海道2010 その6

【8月12日 滋賀県草津市~三重県亀山市】

 草津の市街地に入った。私は国道1号線から外れ、細い道に入った。市街地をしばらく進むと、草津宿本陣がある。本陣とは、大名や幕府役人、旗本などが宿泊するための施設であり、宿場町によっては複数設置されることもあるものである。入場料を払って内部に入ると、さすがに本陣だけあって立派である。草津宿は、東海道と中山道の、当時の最重要幹線の宿場町だけあってさすがに立派である。ここの宿帳にはいろいろな人の名前が残っており、浅野内匠頭や吉良上野介、土方歳三など歴史が好きな人なら目を輝かせるような名前が並んでいる。この本陣の柱も、いろいろな人生、いろいろな時代を見続けていたのか、そんなことを考えていると不思議な気がする。土方を見つめた柱が150年近い歳月を経て渡すを見つめる。なんだかくすぐったいような気持ちになる。

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 本陣から少し歩いたところにう札宿街道交流館があった。当時の宿場町で出された食事などが再現されていてなかなか面白かった。近くの蕎麦屋で天ぷらそばを食べる。関西といえばそばよりうどんなので、注文してからはっとしたが、なかなかおいしい蕎麦であった。再び本陣に戻り、東海道と中山道の追分(道の分岐点と)と、そのすぐそばの草津川の跡を見る。草津川は、川底に土砂の堆積が進み、周囲の市街地よりも川底が高くなったので、別の場所に移された。気にしなければ、「変なトンネルがあるな」で終わってしまう場所なので、一度見てみることをお勧めします。
 国道1号線に戻り、草津の市街地を出ると、国道1号線と8号線(金沢、新潟への国道)が分岐する。現在の追分である。国道1号線を選び、JR草津線に沿って甲賀市へ向かって進んでいく。甲賀市の中心部である水口の市街地の入り口で1号線から外れ県道に入る。このルートがかつての東海道のルートである。水口城跡の駐車場に車を止める。水口は甲賀市の市役所があるものの、町自体は小さい。かつては水口藩がおかれ、東海道53次の50番目の宿場町であった。近江鉄道水口石橋駅の近くには、宿場町の入り口として、道がフォーク状に3つに分かれているところなど、かつての面影がわずかながら残っている。それでも、最近建てられた家でも、近江の伝統的な板壁の様式を可能な限り守っているあたりはさすがだと思った。

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 水口を出て、東海道を四日市に向け進む。忍者で有名な甲賀は、右手の山の向こうである。山が迫って平野が尽きてきた。そんなところに、道の駅「あいの里土山」がある。周囲を散歩したら、茶畑が広がっていた。滋賀県と茶は結びつかなかったが、すぐ近くの京都府の宇治が茶どころなのだから、甲賀が茶どころであっても何の不思議もない。お茶とお茶を使ったまんじゅうと外郎をかった。なお、このあたりにあったのが49番目の宿場である土山宿である。

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 新名神高速道路の高架橋をくぐると、まもなく鈴鹿峠、近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の境である。ずいぶん急な道で、かつてはかなりの難所であっただろう。徐々に山を下りながら進み、国道25号線と豪州すると間もなく47番目の宿場町である関宿である。

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