東海道2010 その11
【8月14日 静岡県浜松市~静岡県掛川市】
今日は昨日と違って厚い雲が垂れこめている。相変わらず暑いことには変わりがないが、直射日光がやわらぎ、湿度が上がったのでプラマイゼロといったところか。今日は7時45分ごろホテルを出た。旅行なのに毎日毎日早起きで、我ながら感心する。さすがにお盆の朝なのでまだクルマは少ない。国道152号線から県道に左折すると間もなく東名高速道路浜松ICに着く。ここから掛川までは高速道路を使用する。
磐田ICを過ぎて間もなく渋滞が始まった。電光掲示板によるとこの先菊川IC付近で事故があるそうだ。磐田から菊川までは20km以上ある。これはまずいことになったと思うが、渋滞とはいえ完全に停止しているわけではない。少しずつ動いているので、とりあえず次の袋井ICを目指す。袋井IC近くになると再び流れがよくなった。しかし、ICを過ぎてすぐ今度はクルマの流れが完全に止まってしまった。後悔先立たず、このままクルマの流れに身を任せるしかないだろう。
掛川ICを降りると、「ヤマハリゾートつま恋」の大きな看板がある。野球の聖地は甲子園、小説家の登竜門が芥川賞と直木賞なら、フォークソング・ニューミュージックの聖地がつま恋で、登竜門がここで行われる「ヤマハポピュラーソングコンテスト」であった。ここから出た歌手は、中島みゆき、岡村孝子、チャゲ&飛鳥、長淵剛など、長い期間活躍した人が多い。JR東海道本線と東海道新幹線のガードをくぐり、掛川の城下町に入っていく。掛川は、山内一豊が豊臣秀吉から大名に取り立てられた際に与えられた領地である。後に彼が高知に転封になると、松平家、北条家、井伊家、小笠原家などが大名としてこの地を治めた。また、掛川の城下町は東海道53次の26番目の宿場町であった。
掛川は城下町の保存に努めていて、大手門や内堀代わりであったと思われる小川の周辺など、道路を石畳にしたり、電線を地中化したりしていた。天守は再建されたものだが、二の丸御殿は幕末に建築されたものが現在も残されている。天守から城下の眺めを楽しむ。さほど大きい城ではないから、城のつくりが手に取るようにわかるのが面白い。二の丸御殿では、高校の日本史の先生上がりと思われる方が無料でガイドをしていたので、いろいろお話を聞く。祭の道具に関する展示があったので、それを見ながら、江戸時代の祭は、がちがちの身分制だった江戸時代において、無礼講で楽しめる数少ない機会だったという話を聞いて、なるほどと思う。城のあちこちに白いユリが咲いていた。蒸し暑い掛川城に、白いユリは不思議な気がしたが、すこしだけさわやかな気分になった。
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