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2010年11月の16件の記事

アラスカで犬ぞりにのってみたい

ブログネタ: 旅行費タダで行けるとしたら、どっちがいい?参加数拍手

 真夏のサハラ砂漠も魅力がありますが、行くのならこっちかな。きらきら光る星空の下、犬ぞりに乗って見たいと思います。イヌイット(エスキモー)の村に泊めてもらって、お礼にちゃんこ鍋でも作ってあげようかな。

平和は幻想か

 このところ日本の周囲が騒がしい。9月以来、尖閣諸島をめぐる日中の対立、そしてこのたび起きた北朝鮮による韓国の島への砲撃事件、なんだか不安をかきたてるような出来事が続いている。とくに、韓国と北朝鮮の間は、ひょっとしたら戦争状態になるのではないかという恐れがここ数日頭から離れない。
 北朝鮮は世界にも例を見ない、共和国という名の世襲王朝化しており、2代目の金正日は健康不安をかかえ、3代目と目される金正恩はまだ20代、そのうえ経済は破たん状態という極めて不安定な状態。一方中国も空前の経済成長を続け、ついに日本を抜いて世界第2位の経済大国に成長したが、チベットや東トルキスタンの民族問題、国内の経済格差の問題を抱えるなど、でかい図体のあちこちに爆弾を抱えている状態である。このような国にとって、国内の不満を抑えて独裁を維持するためには、外に敵を作って、不満のはけ口にし、外国に対して戦争の危機をちらつかせながら自分の思い通りに外交を進めるしか手はないのである。北朝鮮も中国も戦争を望んでいるわけではないだろう。
 しかし、そのよう戦争と平和の瀬戸際政策がいつ破綻するかわからない。私には悪い予感がする。もちろん、そうならないことを心から願っているが。

もう年末なんだね

 今日の午後駅前に買い物と散歩を兼ねて行った。さすがに風は冷たかった。駅前の店をいくつか回って、休憩を兼ねて駅前の漫画喫茶に入った。1時間ほど漫画を読んで、駅前広場に戻ると空はすっかり暗くなっていた。そして駅前広場には、白、青、オレンジなどの光が、まるで銀河のように輝いていた。早くもイルミネーションが始まったのだ。男38歳、今更イルミネーションに見とれるような歳ではないけれど、イルミネーションが始まっていることを知らなかったから、不意打ちを食らっって、思わず見とれてしまった。その後、夕食の買い物をして駅前からバスに乗って家へ帰った。バスの車窓からもう一度イルミネーションを見た。みなさんの町でも、いろいろな年末の行事が始まると思います。年末はあわただしいですが、これらの行事を楽しみたいものです。

ということは…

ブログネタ: 地球滅亡まであと1週間だと分かったら何をする?参加数拍手

 地球滅亡まであと1週間。それなら、旅行にでも行こうかなと思ったけれど、地球滅亡まであと1週間とわかっていたら、ホテルも交通機関もそれどころじゃないから、旅行を楽しむどころじゃないな。遠くにいる友達を訪ねて歩こうとも思ったけれど、これの前述の理由で無理でしょう。それなら、仕事もせず、自宅にこもって、こころゆくまで本を読んで、穏やかに地球最後の日を迎えようかと思う。

ダイエット国技館 11月場所結果報告

 さて、11月場所の結果ですが、○○●○●○○の5勝2敗です。昨年12月以来の通算成績は55勝29敗になりました。ちなみに体重は今月は1.2kg減、いい感じに減っています。

 今場所は東幕下43枚目で下が、来場所は東幕下29枚目に上がります。来場所も体重を減らして勝ち星を増やすように頑張ります。

フォトアルバムの追加です

このブログの右側のサイドバーに「東海道2010」のフォトアルバムを追加しました。ぜひご覧ください。詳しくはサムネイルをクリックしてください。

ノロウイルスに要注意

 最近寒くなってきましたね。寒くなってくると増えるのがノロウイルスの集団感染のニュース。今年は昨年の2倍のペースで感染者が増えているそうです。既に山梨県や奈良県で幼児や児童の集団感染が報告されています。ノロウイルスは抵抗力の弱い乳幼児や高齢者では重症化しやすいので、厳重な警戒が必要です。

 ここからは厚生労働省ホームページ「ノロウイルスに関するQ&A」よりの要約です。

1 ノロウイルスによる胃腸炎とはどのようなものか?
   ノロウイルスは手指や食品などを介して、経口で感染し、ヒトの腸管で増殖し、おう吐、下痢、腹痛などを起こし ます。

2 どのようにして感染しますか。
   このウイルスの感染経路はほとんどが経口感染です。ウイルスに汚染された二枚貝を生や加熱不十分なまま 食べた場合、井戸水、などを通じての経口感染、ノロウイルスに感染した食品取扱者が調理した食品を通じての  経口感染、その他飛沫感染や患者のふん便などを通じた感染もあります。

3 ノロウイルスによる食中毒は、日本でどのくらい発生していますか?
  年間300件前後、患者数は少ないとして8000人弱、多い年で2万7000人ほどです。

4  どんな時期にノロウイルス食中毒は発生しやすいのですか?
  11月くらいから発生件数は増加し はじめ、12~翌年1月が発生のピークになる傾向があります。

5  ノロウイルスに感染するとどんな症状になるのですか?
  潜伏期間(感染から発症までの時間)は24~48時間で、主症状は吐き気、嘔吐、下痢、腹痛であり、発熱は軽 度です。通常、これら症状が1~2日続いた後、治癒し、後遺症もありません。また、感染しても発症しない場合や 軽い風邪のような症状の場合もあります。

6 発症した場合の治療法はありますか?
  現在、このウイルスに効果のある抗ウイルス剤はありません。このため、通常、対症療法が行われます。特に、 体力の弱い乳幼児、高齢者は、脱水症状を起こしたり、体力を消耗したりしないように、水分と栄養の補給を充分 に行いましょう。脱水症状がひどい場合には病院で輸液を行うなどの治療が必要になります。
  止しゃ薬(いわゆる下痢止め薬)は、病気の回復を遅らせることがあるので使用しないことが望ましいでしょう。

7 予防のためには?
 ・患者のふん便や吐ぶつには大量のウイルスが排出されるので、食事の前やトイレの後などには、必ず手を洗い ましょう。 下痢やおう吐等の症状がある方は、食品を直接取り扱う作業をしないようにしましょう。
 ・ 胃腸炎患者に接する方は、患者のふん便や吐ぶつを適切に処理し、感染を広げないようにしましょう。
 ・特に、子どもやお年寄りなど抵抗力の弱い方は、加熱が必要な食品は中心部までしっかり加熱して食べましょ  う。また、調理器具等は使用後に洗浄、殺菌しましょう。

友との別れ

 10年ほど前のこの時期、中学校以来の友人との別れをした。別に彼が死んだわけでもないし、彼が遠くに引っ越してしまったわけでもない。私は彼に「今後一切私に関わるな」と絶交を宣告した。止むにやまれず長年の友人を切り捨てることはは本当につらいことだった。

 彼と知り合ったのは、中学校1年生の時、私の実家の近くに彼の一家が引っ越してきた時からだった。スポーツ万能な彼と運動音痴な私は、一見接点がないように見えて、実はとてもウマがあった。学校に行き帰りによくバカな話をしたものだった。そのころから彼には夢があった。彼は音楽で成功したいと思っていた。彼の夢を聞くのは本当に楽しかったし、彼の成功を心から望んでいた。
 高校も同じ学校に進学した。そして、かれとの友情にもいささかの変化もなかった。卒業後は私は養護学校教員を目指し大学へ、彼は音楽への道を目指し専門学校に進学した。それでも、夏休みや冬休みには彼をはじめ、中学校時代の仲間たちと集まって酒を飲んだ。この時は最高に楽しい時間だった。私はこの仲間たちといつまでもこうして会えたらいいなと心から思っていた。

 彼が専門学校を卒業した後、かれは音楽の道で生きていくために色々な挑戦を続けていた。しかし、音楽の道を志す者は多くても、それで生活ができるのはほんの一握りの者だけである。ちょっと才能があるだけではどうにもならない世界なのだろう。結局、彼は音楽の道を断念して、地元に戻った。ちょうどそのころ、いつまでも続くと思われた好景気が終わり、日本は深刻な不況の時代に入った。彼はなかなか納得できる就職先を見つけることができず、さまざまな職業を転々とした。彼に会うたびに、私は彼の表情からかつての光が失われていくのを感じていた。
 私は大学を卒業後、教師になった。その2年後、結婚をすることになった。そのことを彼に話したら、かれは心から喜んでくれた。そして、披露宴で余興をやると申し出てくれた。私は、彼の申し出をありがたく受け入れた。我は自作の曲を弾き語りしてくれた。こんな嬉しいプレゼントはこれまでの生涯でなかった。
 私が結婚後も彼との関係は続いたが、ある時、彼が平日の夜私の家を訪れたいとの連絡があった。私は彼の訪問を喜んで、妻と共に彼が来るのを待った。彼は見慣れない男を一緒に連れてきた。彼の要件は、私をマルチ商法の仲間になってほしいというものであった。私が使っている台所洗剤や歯磨きと彼らが取り扱っている商品との比較テストを始め、自分たちが扱っているものがいかに優れているのか話し始めた。しかし、彼らの比較テストの方法に非常に疑問を感じたし、その商品自体に全く魅力を感じなかった。それ以上に友人と一緒に来た男の何かに取りつかれたような表情を見て、異常なものを感じた。
 その後も、友人は私の家にやってきた。友人は、自分たちのビジネスがいかに素晴らしいか、たくさんの成功者が出ていることを熱く語ったが、私の心には全く響かなかった。それよりも、私は彼が哀れでいたたまれなくなった。つかめもしないものをつかもうと必死につかもうとしている彼の姿を見たくはなかった。あるとき、彼を駐車場まで送っていくとき、私は彼に告げた。「もう来ないでくれ、俺は今後お前と一切かかわるつもりはない」。その時、彼は悲しそうな表情をして、私に背を見け歩きだした。私は彼の背に向け「この馬鹿野郎が、見損なったぞ」と叫びたかった。しかし、そんなわけにはいかず、足元の砂利を蹴っ飛ばした。泣きたいほどつらかったし、悔しかった。しかし、私も安穏な生活を守るためにはこれしか考えられなかった。それ以降、彼から連絡が来ることはなかった。中学校以来の仲間もこれをきっかけに完全に解散してしまった。

 その後、彼がどこでどうしているのかわからない。私の知るところ彼のその後を知っている人はいない。今、彼はどこの空の下でどんな星を眺め、何を思っているのだろうか。かれが語っていた夢のような成功は手にしたのだろうか(そうとはとても思えないが)。いずれにせよ元気でいてほしいと思う。お互い元気でいればまた会えると思うし、そうあってほしいと思う。

ただいま教育実習中

 私の学級には先週から教育実習生が入っています。私の母校である大学の学生さんです。実習最初の日、緊張した面持ちで教室に入った実習生さんですが、1週間がたち、すっかり学級の一員となりました。男ばかりの学級に女性の実習生が入って葉っぱばかりだった学級に花が咲いたようになりました。そういえば、教室に来るお客さんもだいぶ増えました。
 あさってには研究授業、それに向けて、先週後半から指導案作りや教材作りに毎日休む間もなく頑張っています。私も、そんな実習生さんのの姿を見ながら、自分の実習の頃を懐かしく思い出しています。私と比べれば、今回の実習は、生徒とかかわるコツをよく知っているし、実習に取り組む態度は本当にまじめ、私の方がなんだか彼女に教えられることが多いくらいです。今の気持ちを忘れなければきっといい教師になれそうな気がします。残りの4日間がんばれ!至らない指導教諭からのメッセージです。

今年の冬の旅は

 福岡県・佐賀県を予定しています。テーマは「魏志倭人伝の国々へ」です。この地域は中国や朝鮮半島に近く、日本で最初に稲作が始まった地域である。(福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡など)また、中国の魏(220~265、後漢が滅んだ後の三国のひとつ)の歴史書の中に倭(現在の日本)についての記述があり、これが日本の歴史がまとまって記述された最初のものである。これによると、邪馬台国と呼ばれる女王が治める国があったこと、倭人の生活様式などが記録されている。いわゆる「魏志倭人伝」である。魏志倭人伝に出てきた地名はおおむね残っており、対馬国は現在の対馬、一大国(いきこく)は現在の壱岐、末廬国(まつらこく)は唐津市を中心とする東松浦半島地域、伊都国は現在の糸島市、奴国(なこく)は福岡市、現在でも福岡市中心部を流れる川を那珂川(なかがわ)という。ここまでは魏志倭人伝に出てくる地名の場所がほぼ確定しているところである。不弥国(ふみこく)は福岡市東部の宇美であるとする説があるが、確たる証拠はない。その先の投馬国(とうまこく)、邪馬台国(やまたいこく)については謎に包まれている。
 そんな弥生時代のロマンンを秘めた地域を歩いてみたいと思った。もちろん、冬の博多や玄界灘の味覚も味わいますよ!現在わくわくしながら企画中。旅行記は1月上旬からアップ予定です。

東海道2010 その14(終)

【8月15日 静岡県三島市~東京都中央区】

 7時過ぎに朝食をとるために1階の食堂に行く。朝食にはそれはそれは立派なアジの干物が出た。食べてみると柔らかくてすこぶるうまい。人は見かけによらないけれど、ホテルも見かけに反してなかなか良かった。朝食後三嶋大社に散歩がてら参拝に行く。三島はとても水がきれいな町で、小川の水は透き通っていた。そこを鴨の群れが気持ちよさそうに泳いでいた。見ている私も暑さを忘れ気持ちが爽快になった。

Photo

 8時過ぎに三島を出発する。市街地を抜けるとすぐに箱根の山の登りにさしかかる。さすがに「箱根の山は天下の険」と歌われただけあって、かなりの急こう配である。しかも、坂を登る途中から、周囲は牛乳瓶の中を走っているような濃霧になってきたう。箱根峠をこえて、芦ノ湖畔に着いたが、一向に霧が晴れる気配はない。箱根関所跡なども見ようと思っていたが、この霧ではどうしようもない。諦めて先を急ぐ。ここから国道1号線から離れ、旧東海道を走る。甘酒茶屋まで降りたら急に霧が晴れた。私はここで休憩をすることにした。抹茶を飲みながら茶屋のおばさんと話をする。かつて、徒歩で旅をしていた頃は、このような茶屋の存在はどれだけありがたかっただろうか。

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 箱根湯本から国道1号線に戻り、小田原市街を通る。ここから平塚にかけての国道1号線は私の大好きな道だ。片側1車線で広い道ではないが、湘南らしい明るい風景が楽しめる。ところどころに松並木があったり、たまに海が見えたりして、運転していて楽しい道である。
 昭和の大政治家である吉田茂をはじめ、伊藤博文、大隈重信らの別荘がある大磯でクルマをとめる。ここは、かつては東海道8番目の宿場でもあった。ここの公園内に町営の博物館があったのでみてみた。今回は海水浴に関する展示をしていた。大磯は明治時代、医師の松本順によって日本で最初の海水浴場が開かれたところである。昔の水着や風俗に関しての展示はとても面白かった。

 大磯を出ると、国道1号線は混んでいた。混雑を避けようと、より海側をはしる国道134号線に出てみたが、これは大失敗だった。茅ヶ崎西ICから新湘南バイパスを走った。横浜市に入るとクルマの流れが悪くなる。少々いらいらしたが、横浜新道に入ると、スムーズに流れるようになった。横浜新道から首都高速道路三ツ沢線に入り、横浜駅の北側をかすめ、首都高速1号羽田線に入る。羽田線は思ったよりも空いていて、100km/h位の速度でクルマが流れている。羽田空港の滑走路を一瞬かすめ、平和島PAには11時45分ごろ着いた。この時間に着いたのは狙ってのことであった。トイレを済ませ、11時55分ごろクルマに戻り、NHK第一放送が聴けるようにクルマのオーディオのスイッチを入れた。全国戦没者追悼式典のラジオ放送を平和島PAで聴くためである。ラジオに合わせて1分間の黙とうをして、天皇陛下のお言葉を拝聴する。亡き祖父が何度も言っていた言葉を思い出した。「戦争だけは絶対にしてはいけないぞ」。
 天皇陛下のお言葉が終わると、静かにクルマを発進させた。次の鈴が森ランプで首都高速を降り国道15号線に出る。京浜急行青物横丁駅から北品川駅にかけてが最初の宿場である品川宿である。
 品川駅を過ぎるといよいよラストスパート。お盆のためか、スムーズに進む。泉岳寺、浜松町と飛ぶように進み、いつの間にか新橋である。山手線や京浜東北線の電車で何度となく走ったとところであるが、クルマで走るのはやっと5回目くらいであろうか。人通りの多い銀座を過ぎると、12時30分少し過ぎに日本橋に到着した。これで、京都三条大橋から東京日本橋まで、一部寄り道をしながら現代の東海道を走りきったことになる。

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おひとりさまの老い支度の準備

 私は今、38歳、独身。日本の男性の平均寿命(正しくは0歳児の平均余命)は79.0歳、38歳男性の平均余命は42.15年。どちらを基準にした場合でも間もなく人生の折り返し点に立つことになる。これまでの38年間、長いようであっという間に過ぎてしまった。私があと何年生きるのかはわからないが、そろそろ人生の終わり方を考えなければならない時期なのだろうと思う。これからの人生で何をした方がいいのか、何を捨てなければならないのか、ゆっくり考えてみたいと思う。こんなことを書くとじじむさいと思われそうだが、40歳手前の時期は、死亡率が急上昇を始める年齢である。死を身近に感じ始める年齢なのだと思う。おひとりさまには、家族がある方とは違った老い支度、言い換えれば死に支度があるのだと思う。それをこれkらゆっくり考えていきたいと思う。

東海道2010 その13

【8月14日 静岡県静岡市~静岡県三島市】

 用宗で昼食を済ませると、静岡ICから東名高速道路に乗り、静岡市内をショートカットし、次の清水ICで降りる。清水はかつて東海道53次18番目の宿場である江尻宿である。
 高速道路のように立派なバイパスから、旧道に移り、JR興津駅の先で身延へ向かう国道52号線に入る。東名高速道路をくぐってすぐに、右側の山に向かう細い道に入る。この道をしばらく走ると、小さな峠がある、ここがさった峠である。小さな駐車場にクルマを止め、ミカン畑の中をモノレールに沿ってしばらく歩くと、木製の展望台がある。ここに立つと、太平洋と山々のわずかな隙間にJR東海道本線、国道1号線、東名高速道路が身を寄せ合うように並んでいる。はるか向こうには富士山が見えるはずなのだが、雲がかかって見ることはできない。しばらくの間この絶景を楽しんでいた。楽しんでいるうちに妙な考えが浮かんでいた。ここを走る東海道本線、国道1号線、東名高速道路、そして下の写真の左側の山中を走っている東海道新幹線はいずれも日本の大動脈といえるものである。もし私が日本に敵対する国の政治指導者なら間違いなくここを爆破するだろう。そうすれば日本の人と物の流れを麻痺させることができる。本気なのか冗談なのか自分でもわからなくなってきた。

Photo

 さった峠を出て、由比まではひたすら細い山道だ。由比も山と海に挟まれた細長い平地なので、平坦な道ながら狭い。由比が16番目の宿場、次の蒲原(かんばら)が15番目の宿場。数字の上からも江戸がだんだん近くなったことがわかる。

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 富士川を長い橋で渡ると、富士市の南の郊外を進む。新幹線の新富士駅の先で国道1号線から離れ、吉原を走る。ここが富士市の旧市街で、14番目の宿場である吉原宿があった場所でもある。目の前に富士山があるが、中腹から上は雲に覆われに見えない。その富士山を左に見ながら住宅地の中を走ると岳南江尾駅に着く。ここにクルマを止めて、吉原駅までの岳南鉄道に乗ることにする。古びた岳南江尾駅には丸っこい赤い前頭部に白い帯をしめた電車と、同じく丸っこい緑の前頭部に白い帯をしめた電車が停まっていた。私は赤いきつねと緑のたぬきというカップ麺を連想してしまった。こんどの発車は赤いほうである。かつて京王井の頭線を走っていた電車である。相当古い電車であるが、それなりに手が入っていて、あまり見ずぼらしくはない。私のほかに数人のお客を乗せて発車した電車は、駅ごとに徐々にお客を増やす。吉原の中心部である吉原本町でお客が入れ替わる。ここを過ぎると工業地帯になる。日産車などのトランスミッションを製造するジャトコ、日本食品化工、大昭和製紙などの工場が見える。終点の吉原駅の周囲は工場や倉庫、それらに勤める人向けのアパートなどが多かった。東海道本線と岳南鉄道の乗り換え駅だから店くらいあるだろうと思っていたが、折り返しの電車を待つ40分ほど身の置き場に困った。しょうがないので、頻繁に行き来する東海道本線の電車を見て過ごした。
 岳南江尾駅に戻り、県道22号線を三島に向けて進む。ぎりぎり2車線になる程度の狭い道だが、ここを走るのは勝手知った地元の人ばかりなのだろう。私はそのペースに合わせて結構なスピードで走る。周囲は住宅地に田畑が混じる。そのようなところをしばらく走り、いったん国道1号線に合流して、すぐ分岐する。JR下土狩駅付近からは交通量が増え、流れが悪くなるが、ここまでくれば三島はもうすぐ。JR三島駅近くのホテルには4時30分ごろに着いた。

 ホテルを見上げてつぶやいた。「何の因果でこんなところに泊るのか」そう言いたくなるくらい古いホテルだった。もっとも中に入るときれいで、フロントの方の対応もよかった。部屋の水回りは、さすがに古さは隠せないが、最初に外観を見たときのショックに比べればなんてことはない。しばらくホテルで休んで、三島駅から電車に乗り沼津に出た。沼津の駅前を歩きまわって、中華料理店でビールを飲みながらチャーハンを食べた。沼津は12番目、三島は11番目の宿場、明日の昼ごろには江戸の日本橋に着くだろう。この旅もいよいよ終わりが近づいた。

悪いことだけど、気持ちはわかる

 尖閣諸島近海での海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事故の映像が動画投稿サイト「You Tube」などに流出した件で、検察当局は石垣海保または第11管区海上保安本部(那覇)から流出した可能性が高いとみて同日までに現地へ計13人を派遣、パソコンのハードディスクの履歴などの集中調査に乗り出した。

 もしこれが事実とすれば、公務員が職務上知りえた情報をこのような形で流出させることはとんでもないことである。現在、検察による調査が八じまっているので、ここ1、2日位で流出させた人が逮捕されることになるかもしれない。

 しかし、どうも私の気持ちはすっきりしない。なぜ政府はこのビデオをここまで国民に公開しなかったのだろうか。これだけ大きなニュースになったのに、一切公開されることはなかった。それはなぜだろう。日本側、中国側のいずれか、あるいは双方に隠さなければならない重大な行為があったのではないかという疑念がわいてくる。情報がないから、ネット上の掲示板では、海上保安庁の職員が殉職したらしいとする情報さえ飛び交っている。真偽のほどはわからないが。

 恐らく日中関係の悪化を恐れて情報を隠したのと思われるが、そんなに情報を隠し通せるものではない。太平洋戦争のミッドウェー海戦で日本海軍が大敗北を喫したときには、政府と軍部は徹底的に情報を隠したが、数日もしないうちに、中学生も敗北を知るところとなっていた。(宮脇俊三著「時刻表昭和史」より)どだい情報など隠し通せるものではない。現在の情報化社会ならなおさらだ。

 また、どうしてそこまで中国に気を遣うのだろう。確かに中国は歴史的にも文化的にも関係が深い。現在は、日本にとっても有力な貿易相手国であり、多くの企業が工場を中国に移転している。だからと言って、領海を侵害されようが、教科書の内容に干渉されようが、黙っているのはおかしい。こんなことで政府が何も言えなくなるようでは、いずれ日本は中国の属国になれないのかもしれない。自由な発言が許されず、基本的人権が認められていないあんな国の言いなりになるのは私は絶対に嫌だ。

本音で言えばどちらもいらない…けれど

ブログネタ: 神様がくれるとしたら、どっちを選ぶ?参加数拍手

 できればどちらもいらないですが、あえて言えば過去に戻れる力でしょうか。

 人生は先が見えないから面白いと思うのです。明日どんな人に会うか、来週どんなものを食べるか、来月旅先でどんな景色に出会うか、来年度どんな学級を担任するか、10年後どんな人が私の周囲にいるのか、そして、いつ私が死ぬのか。これが、前もってわかったらこんなつまらない人生は他にないでしょう。あえて言えば、半年後、1年後の株価が分かれば安全な株式投資ができることくらいでしょうか。

 一方過去のほうですが、私は過去の世界に数々の恥と後悔を残してきたので、もし過去からやり直せるのであれば、もう少しうまく世の中を渡っていけるのではないか、と思ったこともあります。しかし、みっともなく、かっこ悪いのが私の人生、もし、スマートに器用に生きたのなら、それは私の人生でなくなってしまう気がします。それでも、私の38年の人生の中で、この人にこんなことをしてあげればよかったと思うことは多々あります。お互い生きていればこれからの人生で取り返すこともできますが、もう亡くなってしまった人にしてあげることはあると思います。そのためだったら過去に戻ってもいいかなと思います。

この人たちもJALを応援しています

http://www.youtube.com/watch?v=UZo9Fcxj5wc&feature=related

 これを見て懐かしいと思うのは35歳以上の人でしょうか。堀ちえみ主演のテレビドラマ「スチュワーデス物語」です。ドジでのろまな亀」こと松本千秋を演じる堀ちえみのちょっと大根な演技が何ともいえず良かった。日本航空の全面協力で撮影され、同社の訓練所やボーイングB747、マクドネル・ダグラスDC10など、当時の国際線の花形旅客機を使用してロケを行うなど、現在では考えられないお金と気合の入ったドラマであった。このころは日本航空も元気いっぱいだったのだろうな。そして、今ほど海外旅行が一般的でなかったから、スチュワーデスへの憧れは強かった。だからこんなちょっとクサイけれど力の入ったドラマが作られたのだと思う。
 宴で寝具テーマの時、B747機をバックに、訓練生が歩くところはしびれるくらいかっこいいです。今は元気のない日本航空ですが、競争が非常に激しい航空業界で生き残って、いつの日かこんなドラマを作れるほど元気になることを願っています。

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