東海道2010 その14(終)
【8月15日 静岡県三島市~東京都中央区】
7時過ぎに朝食をとるために1階の食堂に行く。朝食にはそれはそれは立派なアジの干物が出た。食べてみると柔らかくてすこぶるうまい。人は見かけによらないけれど、ホテルも見かけに反してなかなか良かった。朝食後三嶋大社に散歩がてら参拝に行く。三島はとても水がきれいな町で、小川の水は透き通っていた。そこを鴨の群れが気持ちよさそうに泳いでいた。見ている私も暑さを忘れ気持ちが爽快になった。
8時過ぎに三島を出発する。市街地を抜けるとすぐに箱根の山の登りにさしかかる。さすがに「箱根の山は天下の険」と歌われただけあって、かなりの急こう配である。しかも、坂を登る途中から、周囲は牛乳瓶の中を走っているような濃霧になってきたう。箱根峠をこえて、芦ノ湖畔に着いたが、一向に霧が晴れる気配はない。箱根関所跡なども見ようと思っていたが、この霧ではどうしようもない。諦めて先を急ぐ。ここから国道1号線から離れ、旧東海道を走る。甘酒茶屋まで降りたら急に霧が晴れた。私はここで休憩をすることにした。抹茶を飲みながら茶屋のおばさんと話をする。かつて、徒歩で旅をしていた頃は、このような茶屋の存在はどれだけありがたかっただろうか。
箱根湯本から国道1号線に戻り、小田原市街を通る。ここから平塚にかけての国道1号線は私の大好きな道だ。片側1車線で広い道ではないが、湘南らしい明るい風景が楽しめる。ところどころに松並木があったり、たまに海が見えたりして、運転していて楽しい道である。
昭和の大政治家である吉田茂をはじめ、伊藤博文、大隈重信らの別荘がある大磯でクルマをとめる。ここは、かつては東海道8番目の宿場でもあった。ここの公園内に町営の博物館があったのでみてみた。今回は海水浴に関する展示をしていた。大磯は明治時代、医師の松本順によって日本で最初の海水浴場が開かれたところである。昔の水着や風俗に関しての展示はとても面白かった。
大磯を出ると、国道1号線は混んでいた。混雑を避けようと、より海側をはしる国道134号線に出てみたが、これは大失敗だった。茅ヶ崎西ICから新湘南バイパスを走った。横浜市に入るとクルマの流れが悪くなる。少々いらいらしたが、横浜新道に入ると、スムーズに流れるようになった。横浜新道から首都高速道路三ツ沢線に入り、横浜駅の北側をかすめ、首都高速1号羽田線に入る。羽田線は思ったよりも空いていて、100km/h位の速度でクルマが流れている。羽田空港の滑走路を一瞬かすめ、平和島PAには11時45分ごろ着いた。この時間に着いたのは狙ってのことであった。トイレを済ませ、11時55分ごろクルマに戻り、NHK第一放送が聴けるようにクルマのオーディオのスイッチを入れた。全国戦没者追悼式典のラジオ放送を平和島PAで聴くためである。ラジオに合わせて1分間の黙とうをして、天皇陛下のお言葉を拝聴する。亡き祖父が何度も言っていた言葉を思い出した。「戦争だけは絶対にしてはいけないぞ」。
天皇陛下のお言葉が終わると、静かにクルマを発進させた。次の鈴が森ランプで首都高速を降り国道15号線に出る。京浜急行青物横丁駅から北品川駅にかけてが最初の宿場である品川宿である。
品川駅を過ぎるといよいよラストスパート。お盆のためか、スムーズに進む。泉岳寺、浜松町と飛ぶように進み、いつの間にか新橋である。山手線や京浜東北線の電車で何度となく走ったとところであるが、クルマで走るのはやっと5回目くらいであろうか。人通りの多い銀座を過ぎると、12時30分少し過ぎに日本橋に到着した。これで、京都三条大橋から東京日本橋まで、一部寄り道をしながら現代の東海道を走りきったことになる。
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