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2010年12月の19件の記事

一年間のお礼をこめて

皆様、大晦日の午後いかがお過ごしでしょうか。私は今福岡空港にいます。これから羽田行きの飛行機に乗るところです。まだお仕事の方もいらっしゃると思います、本当にお疲れさまです。また、旅の途中のかたもいらっしゃると思います、どうぞお気をつけて楽しい旅にしてください。
そして、このブログをご覧になった全ての皆様に御礼を申し上げます。どうぞ良い年をお迎えください。

九州の旅には

九州の旅には
年末年始、旅行や帰省等で遠くにお出掛けなる方も多いと思います。少しでもお得に移動したいと誰でも思うことでしょう。九州をお得に移動したい時にはJR九州の「2枚きっぷ・4枚きっぷ」たとえば、博多駅〜佐賀駅間の「2枚きっぷ」は、特急列車自由席利用の通常料金2500円のところ、1000円で利用できます。これは普通列車の通常料金1080円よりお得!
九州の旅にはJR九州の「2枚きっぷ・4枚きっぷ」くわしくはホームページで。

折尾駅のかしわめし

折尾駅のかしわめし
今日は北九州市に行きました。九州地方では鶏肉をかしわと呼びます。かしわめしの駅弁は鳥栖駅、博多駅、小倉駅等にありますが、その中でも折尾駅(北九州市)のかしわめしの評価が高いです。私も今日の昼食は折尾駅のかしわめしにしました。蓋を開けると、茶色のかしわ、黄色の錦色卵、そして海苔が鮮やかなコントラストを描いています。味のほうも、旨みのあるかしわ、鶏のスープで炊かれたごはんを錦糸卵が優しく包み、海苔が味を引き締めています。

いか・イカ・烏賊

いか・イカ・烏賊

 今日は佐賀県の唐津、呼子、名護屋に行きました。唐津では、菜畑遺跡(縄文時代晩期、日本で最古の水田がある)、唐津くんちの曳山展示場に行きました。名護屋では、豊臣秀吉が朝鮮遠征のために気づいた名護屋城とその資料館。そして、呼子ではイカを食べてきました。今回はヤリイカの活け造りとミズイカの刺身。ヤリイカの足はまだ動いております。さっそく活け造りをいただくと、まずモチモチとした身の歯ごたえ、ついでうまみとあまみが口の中いっぱいに広がります。これはうまい!今日は断続的に土砂降りになったり、竜巻情報が出る不安定な天候でしたが、それでもいい景色を見れたし、美味しいものも食べたし、まずまずの1日でした。

ロッテさんいかがですか?

ロッテさんいかがですか?
今日から福岡・佐賀の旅です。今日は大雪にも人身事故にも負けることなく、無事福岡にたどり着きました。福岡では福岡タワーにのぼりました。ここには名物があります、その名は「恋人の聖地」というハートの形のオブジェ(写真)です。うーん、これはすごい。しかし問題があるぞ、世の中には私のようなもてない者もいる。そんな私のような人のためにロッテのガムの自動販売機を設置したらいかがだろうか?なぜって?だって「お口の恋人、ロッテ」っていうでしょう。もちろん、私が売り上げの一部をいただきます。

旅に出ます

 明日旅に出ます。東京まで新幹線で出て、羽田から福岡までは全日空。明日の夜は福岡です。31日まで福岡県と佐賀県を回ります。旅先からブログの更新を行います。

東京で松子の足跡をたどる その3 府中・国分寺

 赤羽駅から埼京線の電車に乗り、武蔵浦和で武蔵野線に乗り換える。荒川にかかる長い橋を渡り、「となりのトトロ」の舞台であるといわれる所沢市松郷の近くの森をかすめて電車は走る。西国分寺で中央線と交差すると右側に東芝の大きな工場が、左側にはベージュ色の塀に囲まれた府中刑務所が見えてくる。

 1983年、暴力団に追われた松子と洋一は、生き延びるために覚せい剤を使用し警察に逮捕される。松子は懲役1年、洋一は懲役4年の判決を受け、服役する。1984年、36歳になった松子は、府中刑務所で服役している洋一を待つために、刑務所に近い国分寺市西元町のアパートを借り、北府中駅前の美容室に勤めることになる。ここで、洋一との生活を夢見ながら生活を送ることになる。この時代の松子はかわいい、30代後半の女性にかわいいというのはおかしいのかもしれないが、それ以外にうまく表現する言葉を私は持っていない。しかし、この時期は、松子がその一生の中で、人を信じ、未来を信じることのできた最期の時期でもある。そんな松子のあしあとをたどってみたいと思う。

 Photo

 北府中駅で電車を降りる。都心に近い赤羽と違い、郊外の府中は風が冷たい。階段を登り改札口を通ると、右側の通路は東芝の従業員専用通路である。私は左側の通路を歩き、府中街道にかかる立体歩道をわたる。北府中駅には駅前広場がない。その代わりに小さな公園がある。府中街道沿いには雑居ビルが並んでいる。松子が勤めた美容室はまさにそんな場所である。お昼には少し早いが、北府中の駅前の店で昼食をとる。腹が満ちたところで、府中街道を北に進む。私は、満腹するまで食べたが、この時期の松子は、3年後に会えるはずの洋一のためにいじらしいほどの努力をする。30代後半になって以前の体型を維持することが難しいことは、この年齢になった方なら誰でもわかると思う。そして、それを3年間完璧に続けたのだ。

 府中街道を北に進むと、間もなくベージュ色の高い塀が現れる、府中刑務所である。「塀の中の懲りない面々」でご存知の方も多いと思うが、この刑務所は犯罪傾向の進んだ成人男性の受刑者を処遇する施設で、ひらたくいうと暴力団関係者が多い。刑務所の塀だから、もっとくすんだ鼠色の塀を想像していた。しかし、どんなに明るい色の塀でも、この塀の内側は社会と完全に隔絶された場所である。愛する男がこの塀の内側にいる、それなのに、満期を迎えるまでは決して会うことが許されない、そのうえ、松子自身は既に36歳、決して若いとはいえない。だからこそ、松子は洋一との生活という、最後のチャンスに賭けたのだろう。朝晩の仕事の行き帰りには、刑務所の塀を見上げながら「おはよう。今日も1日がんばろうね」「おやすみ」と塀の向こうにいる洋一に声をかけ続けた。私には、府中刑務所にいる知り合いはいない(はずだ)が、松子と同じように塀を見上げてみる。そこまで深く人を愛せる松子のことを考えると涙が出そうになる。しばらくして、制服を着た刑務所の職員がやってくるが、私の方をちらりと見るとそのまま通り過ぎて行った。

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 府中刑務所の塀が尽きると、まもなく東八道路という道路と交差する。この交差点の少し先から国分寺市である。右側に学校が見えてくる。国分寺四中である。この学校の一角に史跡の展示スペースがあり、一般に公開している。ここから、かつての武蔵国分寺を目指す。この国分寺四中と武蔵国分寺があった一帯が国分寺市西元町、つまり松子が住んだ場所である。このあたりは、住宅地の中に林や畑が混じり、東京の郊外としてはのんびりとした場所である。ここを松子は毎日自転車で通ったのだなとおもう。気候が良ければ快適なサイクリングができそうである。。私は、国分寺を参拝して、近くにある資料館を見た。武蔵国分寺は、現在は小さい建物になっているが、かつてはかなり大きく、武蔵野線の西側まで遺構が広がっているのだそうだ。これが、現在まで畑や林が残っている理由なのかなと思う。武蔵国分寺から、国分寺駅を目指す。しばらくは曲がりくねった道に、農家風の家と新しく建てた家、アパートが混じった住宅地が続く。

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 やがて、国分寺駅のバス通りにでると、商店やマンションが立ち並ぶようになる。国分寺駅の手前は急な坂になっている。国分寺駅は北府中駅とは比べ物にならないほど大きな駅で、ずっとのどかなところを歩いてきたから、その違いに驚いた。
 
 1987年、洋一出所の朝、松子は洋一のために食事を用意して、この日のために体型を保つ努力をして、洋一を迎えに行った。しかし、愛情を知らないで育った洋一は、結局松子と一緒に生活をすることはなかった。松子の愛情が洋一にとってあまりにも重すぎたのだろう。この後、松子の人生は急速に崩壊に向かうことになる。わたしはやるせない思いを抱えながら中央線の電車に乗り込んだ。


人間ってすばらしい

ブログネタ: 2010年、一番あなたの印象に残ったニュースは?参加数拍手

 今年気になったニュースは数あります。
 1月はハイチ地震。地震の規模以上に大きな被害が出たのは、ハイチが長引く経済の不振と政治の混乱によって国民の生活・医療水準が低かったことが大きな原因であったそうです。そういう意味では天災であると同時に人災と言えるでしょう。
 2月はバンクーバーオリンピックを押しのけてチリ地震。この地震によって起きた津波は太平洋の対岸の日本まで押し寄せました。
 3月はワシントン条約の会議で大西洋と地中海のクロマグロの禁漁が審議されたこと。結果的には否決されましたが、漁業と資源保護の兼ね合いは、魚介類の輸入大国である日本にとって今後ますます頭の痛い問題になりそう。 4月はタイの政情不安。これまで、国民の敬愛を受け、政治の争いの調停者であったていたプミポン国王の健康不安で、タイの先行きに暗雲が垂れこめてきた。
 5月、6月は普天間基地移設問題に端を発する政治のドタバタ。
 7月、8月は記録破りの猛暑、室内で亡くなる高齢者が相次ぎました。そして、東京都足立区の生存していれば111歳の男性が自宅でミイラ化したした遺体で発見されたことにはじまる高齢者の所在不明の問題。これは暑い夏に背筋が寒くなるニュースでした。
 9月、10月は尖閣諸島近海での海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件と、それに続く日中間の緊張関係。日本を含む東アジアが不安定であることを改めて認識した事件でした。
 11月は黄海での韓国と北朝鮮間での砲撃事件。もしかしたら朝鮮戦争の再燃を予感させる事件で下。
 12月は東北新幹線の八戸~新青森間の開業。

 と、たくさんのニュースがありましたが、最も印象に残ったのは、チリのコピアポ鉱山の落盤事故で、地下700mの地点に閉じ込められた33名の作業員が、69日間も地下生活に耐え続け、全員が無事救助されたニュースです。人間の精神と肉体の強さ、団結の大切さ、そしてたくさんの人々の努力と祈りが通じたこのニュースは、2010年、私にとってもっとも強く印象に残ったニュースです。

これが男のクリスマス・イブイブ

 私の隠れた趣味になりつつあるのがお菓子作りです。とはいえ、元々ぶきっちょであるうえにあまり手の込んだことは苦手なので、簡単なお菓子ばかり作っています。今日は、明日のクリスマスイブの日、寒い中一緒に仕事をする同僚の方々のためにクッキーを焼きました。
 クッキーミックス(本当にお菓子に詳しい人には笑われそうですが)、バター、卵を混ぜ、生地を半分に分けます。片方はそのままプレーンクッキーに、もう片方はココアパウダーを入れてココアクッキーにします。その生地を麺棒でよくのばします。久しぶりにやったので、打ち粉をするのを忘れていたので、生地が麺棒にくっついて悲惨なことになりました。まぁ、それも楽しみのうち。伸ばした生地を型抜きします。型にも粉をふります。星型とハート型の型を使います。その間に、オーブンを予熱しておきます。これが結構時間がかかるのです。そして、いよいよ焼きます。クッキングシートの上に型抜きした生地を並べ、170℃で13分、いよいよクッキーの焼き上がりです。

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 どうです、結構おいしそうでしょう。これをラッピングして明日プレゼントします。こんなクリスマス・イブイブはいかがでしょうか。クッキー作りはオーブンさえあればさほど難しい技術も特別な道具もいらないので、お菓子作りに縁遠かった男性諸氏にこそお勧めしたいです。

西部警察と西武鉄道の素敵すぎるコラボレーション

 YouTubeの動画です。画質は少し残念ですが、内容はとても面白いです。西部警察と西武鉄道。ふたつの「せいぶ」と名乗る組織が手を結んだらこんな面白い動画になりました。

http://www.youtube.com/watch?v=6zzU06PM4KY&feature=related

イルミネーション

 最近楽しみにしているものがある。私の家から歩いて10分ほど行ったところに、それはそれはみごとなイルミネーションがある家がある。しかも、隣り合った2軒が競い合うようにイルミネーションをつけている。この時期。仕事の帰りや買い物のついでに少し回り道をしてイルミネーションを見に行くことがある。見に行くとはいっても、個人の家のものだから、じっくり立ち止まって眺めるわけにはいかないから、歩いて通り過ぎる時に鑑賞するだけだが、それはそれは見事なものだけである。少し昔なら、電気代がすごいことになりそうだが、現在は消費電力の少ないLEDのイルミネーションが主流だから、電気代もそんなにかからないのだろう。それにしても、この2軒の関係がどうなのか気になる。もしかしたら、お互いライバル意識が強く、引くに引けなくなっているのかもしれない。そんな想像をしながらイルミネーションを鑑賞するのも楽しい。こんな私でも、イルミネーションのおかげで少し楽しい気分になれました。これが私のクリスマス、なのかな。少し早いですが、メリークリスマス!

さかなクングッジョブ!

 かつて秋田県の田沢湖にはクニマスという魚がいた。クニマスは田沢湖のみに住むサケ科の魚である。非常においしい魚で、地元の人でもめったに食べることのできないごちそうであったそうだ。しかし、1940年、戦時体制の日本は、玉川の水を田沢湖にひいて水力発電を行うことになった。玉川の上流には名高い玉川温泉がある。玉川温泉はph1.2と、胃液やレモン果汁も真っ青の強酸性であり、さらに湯量の非常に豊富な温泉である。こんな恐ろしい水が田沢湖に注ぎ込むようになったのだから、田沢湖に住む魚にとってはたまったものではない。クニマスをはじめ、ほとんどの魚は死に絶えた。とくにここにしか棲まないクニマスはこれで絶滅となってしまった。ここまでのくだりは、かつて「釣りキチ三平」という漫画を通じて知っていた。

 しかし、とっくに絶滅したと思われていたクニマスがひっそりと生き延びていたのだ。場所は山梨県の西湖であった。ことのおこりは、京都大学の教授がさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことに始まる。さかなクンはクニマスの近縁であるヒメマスを取り寄せた。その中に、西湖から取り寄せたものの中に明らかにヒメマスと異なるさかなを発見した。これを京都大学で解剖したところ、70年前に絶滅したと思われていたクニマスであることが明らかになった。実は、クニマスが絶滅する少し前、人工孵化の研究をするために各地の湖に受精卵が送られたそうだ。その中で西湖に送られた受精卵が無事に生き延び、西湖に定着したのだろう。現在、田沢湖は酸性化した水を中世に戻す取り組みが行われている。その成果が徐々に表れているそうだから、いずれクニマスが田沢湖に帰る日がやってくるかもしれない。そうなったら、一度クニマスを味わってみたいと思う。とにかく、夢のある話です。さかなクン、グッジョブ!

東京で松子の足跡をたどる その3 赤羽

 川尻松子は8年間の刑期を終え、1982年東京に戻った。松子は34歳になっていた。松子は北区の赤羽にアパートを借りた。美容師を一生の仕事として再出発を図ろうとした。本当は賢治と一緒に店を持ちたいと思っていた。しかし、賢治は待ってはくれなかった。それはそうだろう。たった2カ月同棲しただけ、それのみならず殺人を犯したことを隠していた女を8年間も待つことはどう考えたって無理だろう。松子もわかっていただろうが、かすかな希望にすがりたかったのだろう。
 松子は銀座の美容室で働くことになった。強引に押し掛けて採用をせまったが、美容室のオーナーも松子の腕と、再出発を図ろうとする覚悟をかったのだ。松子の再出発は順調に進むかに見えた。しかし、松子は孤独だった。クリスマスイブも年末年始も一人で過ごした。そのころ、刑務所で知り合った友人に再会した、新しい仕事と夫を得て輝いている友人の姿を見て、引け目を感じ、友人に背を向けるようになった。そんな孤独な松子の心の隙間を埋めるように、松子は運命の再会をする。かつての教え子龍洋一である。松子が学校を追われる原因となった盗難事件を起こし、現在はヤクザになり、覚せい剤の密売をしている男である。この再会によって、松子は転落人生のペースに拍車をかけることになるのだが、松子はわかっていながら孤独に耐えきれなかったのだろう。そんな赤羽時代の松子の足跡をたどってみた。

 赤羽周辺の地図を穴があくほ眺めながら、どこに行こうか考えた。この時代、赤羽でのエピソードはあまり多くない、あってもアパートの中での出来事だから、私がたどりようがない。銀座を歩いてもしょうがないし。そう考えるうちに、荒川に行ってみようと思った。松子は福岡県大川市の大野島に生まれた。大野島は筑後川とその分流の早津江側に囲まれた中州にある。ゆったり流れる荒川は、ずっとかえっていない故郷の風景に似ているだろう。孤独な松子は荒川を見て、かろうじてつながっている故郷や故郷の人々のことを思い出したに違いない。私はそう思った。11月3日朝、地下鉄赤羽岩淵駅に降り立った。階段を登ると東京都豊島区と日光市を結ぶ国道122号線の太い道路である。太い道路を避け、細い路地をたどって荒川を目指す。松子が最後に住んだ北千住よりはややゆったりとした住宅地である。少し向こうには銭湯の煙突も見える。

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 そんなところをしばらく歩くと新河岸川にかかる橋を渡る。新河岸川と荒川に挟まれた堤防を歩く。天気が良く気持ちのいい散歩である。しばらく歩くと中州にかかる橋があり、遠くには水門が見える。ちょうど、荒川と隅田川が分流するところである。正確にいえば、かつては現在の隅田川が荒川本流であったが、水害を防ぐために荒川放水路が作られた。この放水路は1930年に完成した。松子が晩年に故郷を思い出して涙を流した北千住の荒川は、この荒川放水路である。中州に渡り、太陽と風を思いっきり受ける。気持ちがいい。遠くには川口市、高層マンションが立ち並んでいる。それもずいぶん向こうである。東京でこんなに空が広い場所はそうそうないだろう。荒川の堤防近くに河川事務所があり、そこに資料館もあった。荒川に住む生物、防災などの資料があってなかなかおもしろかった。

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 帰りは赤羽駅に向かう。再び細い路地をたどり、国道122号線を渡り、赤羽駅に続くアーケードのある商店街を歩く。商店街は地方にあるようなシャッター街なっておらず、まだまだ活気があったが、閉校になった学校があったところはわびしかった。

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 松子は、洋一に覚せい剤の密売と使用をやめるように迫る。松子の言葉に動かされ、洋一はヤクザから足を洗う決意をするが、組織からの制裁を受ける。追い詰められた松子と洋一は渋谷の円山町のラブホテルで覚せい剤を使用し、わざと逮捕される。さすがのヤクザも警察に逮捕された人間に手出しはできない。こうして松子は懲役1年、洋一は懲役4年の判決を受け、再び刑務所暮らしに戻ってしまった。


手話劇

 仙台市で友人がやっている手話サークル主催の手話劇の公演があった。その友人は2年くらい前から手話をやっていたと聞いていたが、一体どんな劇をやるのか興味しんしんであった。

 名取のイオンモールにクルマをとめ、電車で仙台に入る。仙台に来たのは夏休み以来かな。ずいぶん懐かしい気がする。駅前のロフトやジュンク堂書店、アエルにある文具店などを見て歩く。さすがに郡山と違い、仙台は文具関係も充実しているので、商売道具を購入する。
 私が学生のころ、駅の北側にある花京院は、その優雅な名前と裏腹にアナーキーな雰囲気を漂わせる古い建物と薄暗くて危険なにおいのする地下歩道と工事中なのか取り壊し中なのか分からないだだっ広い空間が広がっていた。それが、いつの間にか大塚家具が出店し、JALCITYホテルができ、その他きれいな建物が立ち並んだ。今回の公演場所もその一角にあった。

 開演15分ほど前に会場に入る。まっ平らな部屋に仮設の舞台を作って公演を行うものかと思っていたら、予想以上に立派な会場に驚いた。驚いている間に公演が始まった。最初はダンス、聴覚障害を持つ方の3人組、キレの良い動きとユーモラスな表現がなかなか良かった。その後が本日メインの演劇。泥棒がサンタクロースになってしまうという奇想天外なストーリーであった。主なキャストは聴覚障害のある方で、それに別の場所から台詞をいれるという方法で行われた。友人は裏方さんとして、この演劇を支える立場にいる。彼女の姿は見えないけれど、緞帳の陰から彼女の息遣いが聞こえてくるような気がした。面白い演出あり、感動の場面あり、みんなが仕事や学校を抱えている中でこれだけの演劇が、しかも聴覚障害を持つ方と健聴者の混成チームでできたのだから、素晴らしい以外の言葉がない。小さな身体の彼女がとてつもなく大きな存在に見えた。

 会場で、他の友人とそのダーリンのような方にあったので、駅の近くの店に移動して、小一時間お話をした。最期にアエル31階から仙台の夜景を見ようと思ったが、こちらは残念ながら終了していた。
 電車でイオンモールに戻り、買い物をして、イオンモールを22時過ぎに出発し、郡山の自宅に戻ったのは23時45分を回っていた。さすがに疲れたがなかなか良い休日だった。

東京で松子の足跡をたどる その2 三鷹

 11月2日午後3時過ぎ、私は中央線の三鷹駅にいた。駅前のファストフードの店でコーヒーを飲み、3時30分ごろ腰をあげた。日の短い季節にしては悠長なことだが、これはねらってのことであった。
 
 1974年、松子は大津のマンションでヒモの男を殺害した。その前日、かつて勤めた博多のトルコ風呂のマネージャーだった人から、かつての同僚の死を知った。将来に不安を持った松子は、大金を稼げるが身も心もすり減らすトルコ風呂の仕事を辞め、小料理屋を開いて静かに暮したいとヒモの男に言った。それを聞いた男の態度に疑問を持った松子は、男を問い詰めた。男は、覚せい剤を打って落ち着くことを勧めたが、かつての同僚の死が覚せい剤によるものであったので、松子は激しく抵抗する。男は松子が稼いだ金を女子大生に貢いでいることを白状する。もみ合いの末、松子は包丁を男の首に刺し、殺害してしまう。
 殺人を犯した松子は、生れてはじめて新幹線に乗って東京に向かった。私はこの旅を単なる逃走だとは思っていない。風俗嬢に身を落とし、殺人まで犯した松子だが、この期に及んでも過去と決別し、自分の心の居場所を必死で探していたのだと思う。しかし、我に返った松子は爪の中に赤黒い血の汚れがあるのに気付き、我に帰る。そして、大津から着てきたジャンパーにしみついた匂いを嗅いだ。そのジャンパーはかつて同棲した八女川という文学青年のものだった。八女川の自殺によって同棲生活和終わったが、松子は八女川の後を追おうと思った。太宰の生まれ変わりだと自称ていた八女川の後を追うのだから、自殺するとなれば場所はひとつ、三鷹しかない。つまり、松子は山崎富栄(太宰の愛人、1948年6月13日に太宰と共に三鷹の玉川上水で入水自殺をした)になろうとしたのだ。松子は26歳だった。

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 三鷹駅南口の駅前広場は狭い。その広場の東の端に小さな橋があり、小川が流れている。これが玉川上水である。玉川上水はかつて江戸に飲料水を供給していた上水道である。太宰が自殺したころはかなりの水量があったようだが、今は深いところに少し水が流れているだけである。その代わり、土手は深い森林になっている。両側にはおしゃれで、東京にしてはゆったりとした敷地の民家が並んでいる。私の給料ではとても住めそうにないなと苦笑しながら歩く。歩く人の身なりもよく、私はかなり場違いな雰囲気である。しばらく歩くと「むらさき橋」という橋がある。橋の真ん中に立ち、玉川上水を見下ろす。そういえば、太宰と山崎が入水自殺したのはこの橋付近であったことを思い出す。更に歩くと前方に大きな森が見えてくる。井の頭公園である。吉祥寺駅からジブリ美術館を経て杏林大学病院方面に伸びるバス通りを横切り、公演の中に入る。かつての武蔵野の森はこんな感じだったのだろうなと思わせる深い森である。11月の午後4時過ぎだから、既に陽はだいぶ傾き、森の中は薄暗い。松子がここを歩いたのは1月の午後4時半くらいだろうから、もっと暗かったかもしれない。少々薄気味悪いが、ときどき犬の散歩などで歩く人がいるとほっとする。

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 死を決意した人間の心理は私にはわからないが、やっぱり暗い道は怖いのではないかと思う。36年前に松子が怖々歩いた道を今度は私がたどる。急に公園が途切れると住宅地が現れ、コンクリート製の小さな橋が現れた。この橋を新橋という。ここは62年前に太宰治と山崎富栄の遺体が発見された場所である。松子もここから玉川上水を見下ろしていた。しかし、当時の玉川上水には水が流れていなかった。これでようやく八女川のそばに行けるとおもった松子は拍子抜けしただろう。そして、橋の真ん中に立ちつくしていた松子に声をかけた人物がいた。近くで理容店を営む島津賢治だった。松子はそのまま島津と同棲する。そして2ヶ月後殺人と覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕される。この間、松子は殺人を起こしたことを忘れるくらい穏やかで幸せな毎日を送った。松子の人生の中で、数少ないひだまりのような時間であった

 島津の店は、井の頭線の井の頭公園駅から5分少々のところであるようだ。今いる新橋からはどんなに早足で歩いても10分以上かかる。もっと井の頭公園よりだと思って問題ないだろう。私は北東の井の頭公園駅を目指して歩く。さっきよりも家は小さく、普通のつくりの家が多いが、私なら住むならおしゃれなところよりもこういうところが好きだ。間もなく私立の小学校が見える。公立小学校で育った私は、校門に守衛がいて、ひとりひとりの児童に挨拶をしていく様子を見いてたじろいた。細い道をしばらく歩く。道の両側には商店があり、島津の店はこんなところにあったのかと思う。しばらく歩き、井の頭公園駅前に続く道に入ると、ふたたびゆったりとした作りのお屋敷がが多くなる。やがて、井の頭公園駅と小さな商店街が見えてきた。

掃除したいものは…

ブログネタ: この冬、あなたが一番大掃除したいのは?参加数拍手

 早いものでもう年末です。掃除したいもの…皮下脂肪。浴室の汚れ、窓ガラス、いろいろありますが、最も掃除したいものは、心の奥底にたまったたくさんのもの。38年生きていれば、それはいろいろあるもので、心の奥底にはドロドロモヤモヤしたいろいろなものがたまっています。これをすっきりできれば仕合せだろうなと思います。
 あなたなら何を大掃除したいですか?

初雪…かな

 「雨降りは好き」というと、ヘンな奴だと思われそうだけど、私は割と雨降りが好き。雨が降るなら土砂降りよりもしとしと降る雨が好き。冬のはじめの雨は胸の奥がぎゅっとしめつけられるような寂しさがある、でもそこがたまらなく好き。そんな夜は、熱いコーヒーでも淹れて、テレビと部屋の明かりは消して、カーテンを開けてしとしと降り続く様子を頬杖をつきながら眺める。けだるいような、寂しいような、それでいてなんだかほっとするような時間が流れていく。今夜もひときわ冷たい雨が降った。PCの画面を見ると22時に4.4℃、23時に3.0℃、ずいぶん気温が低くなってきた。もしかしたら、明日の朝は初雪かな。

波乱の開業日

 今日は東北新幹線八戸~新青森間開業のひであった。これにより、東北新幹線は全線が開業した。そんな記念すべき日なのだが、今日の東北新幹線は散々な1日だった。昼前福島駅に行ったら、何があったの?というくらいのお客さんの数。新青森駅まで行くはやて号は福島県内には停車しないから、今日の開業の影響は全くないはずと思っていたら、なんと強風の影響で運転を見合わせているという。その後、昼食を食べて、福島の街中の映画館で映画を見て、4時半少し過ぎに福島駅に戻ったら、運転は再開していたが、福島駅に停車する列車は軒並み1~2時間程度遅れて運転されていた。はやて号が福島県内の駅に全く止まらないから、福島県民が拗ねてこの記念すべき日に強風を吹かせた、なんて言われそうだが、はやて号が福島県内に止まらなくても、目出度いことには変わりない。今日新幹線に乗った方や、JR東日本の社員の方には散々な1日でしたが、東北新幹線の全線開通で、東北地方がもっともっと元気になることを願っています。

東京で松子の足跡をたどる その1 松子の年譜

 11月2,3日、東京都の三鷹、赤羽、府中、国分寺に行った。目的は、山田宗樹の小説「嫌われ松子の一生」の主人公、川尻松子の住んだ町を歩いてみたいと思ったからである。松子は53年の生涯のうち、さまざまな場所を流転し、さまざまな男たちと関わった。簡単に年表風にまとめてみたいと思う。

1947年 
 福岡県大川市に生まれる
1966年 
 福岡市にある国立K大学(九州大学か?)文学部に入学。福岡市箱崎周辺に住む。
1970年 
 福岡県大川市立大川第二中学校の国語科の教諭となる
1971年 
 修学旅行中の窃盗事件の処理の不手際をきっかけに教師を辞職させられる。
 実家から失踪し、福岡市雑餉隈(ざっしょのくま)に住み、文学青年の八女川と同棲する
1972年 
 八女川の自殺後岡野と不倫関係になる。岡野との関係破たん後、福岡市南新地のトルコ風呂で働く
 雑餉隈から福岡市住吉に移る
1973年
 トルコ風呂の経営方針の変更後、常連客の小野寺と共に滋賀県大津市の雄琴に移る
 雄琴のトルコ風呂で働く
1974年 
 小野寺が松子の金を他の女に貢いでいたことを知る。松子は小野寺を殺害する。
 殺害後、自殺をするために三鷹に行くが、理容師の島津に止められる。その後島津と同棲する。
 2月ほど同棲するが、松子は指名手配され逮捕される。
 殺人と覚せい剤取締法違反で懲役8年の判決を受ける(和歌山刑務所?)
1982年 
 刑務所内で美容師の資格を取得する。
 東京の赤羽に住み、銀座の美容室で働く
1983年
 かつての教え子でヤクザになった龍洋一と出会い、同棲をする
 洋一がヤクザから足を洗うように説得するが、逆に組織に追い詰められる
 渋谷の丸山町のラブホテルで覚せい剤を摂取し、警察に逮捕される。
 松子は懲役1年(栃木刑務所?)、洋一は懲役4年(府中刑務所)の判決を受ける
1984年
 府中刑務所近くの国分寺市西元町に住み、北府中駅前の美容室に勤め、洋一の出所を待つ
1987年
 出所した洋一に同居を拒絶される
 児童誘拐の疑いで警察の取り調べを受ける。この件でアパートを追い出される
 故郷の大野島に戻るが、妹の死を知る。弟からは帰郷を拒絶される
 東北の各地を放浪する
1988
 東京都足立区の日ノ出町(北千住)に住む
 人とのかかわりを拒絶し、荒んだ生活を送る。この時期「嫌われ松子」と呼ばれる
2001
 千住旭公園(北千住)の公園で暴行を受け、自宅に戻るも死亡する。

 このうち、1988年(40歳)~2001年(53歳)の部分は、2月に「松子と歩く北千住」として掲載した。
   http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2010/02/post-4199.html
   http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2010/02/post-c84b.html
   http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2010/02/post-fabc.html
 
 今回は1974年(26歳)に三鷹に住んだ時代、1982年(34歳)~1983年(35歳)に赤羽に住んだ時代、1984年(36歳)~1987年(40歳)の国分寺に住んだ時代の松子の足跡をたどってみたい。

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