東京で松子の足跡をたどる その3 府中・国分寺
赤羽駅から埼京線の電車に乗り、武蔵浦和で武蔵野線に乗り換える。荒川にかかる長い橋を渡り、「となりのトトロ」の舞台であるといわれる所沢市松郷の近くの森をかすめて電車は走る。西国分寺で中央線と交差すると右側に東芝の大きな工場が、左側にはベージュ色の塀に囲まれた府中刑務所が見えてくる。
1983年、暴力団に追われた松子と洋一は、生き延びるために覚せい剤を使用し警察に逮捕される。松子は懲役1年、洋一は懲役4年の判決を受け、服役する。1984年、36歳になった松子は、府中刑務所で服役している洋一を待つために、刑務所に近い国分寺市西元町のアパートを借り、北府中駅前の美容室に勤めることになる。ここで、洋一との生活を夢見ながら生活を送ることになる。この時代の松子はかわいい、30代後半の女性にかわいいというのはおかしいのかもしれないが、それ以外にうまく表現する言葉を私は持っていない。しかし、この時期は、松子がその一生の中で、人を信じ、未来を信じることのできた最期の時期でもある。そんな松子のあしあとをたどってみたいと思う。
北府中駅で電車を降りる。都心に近い赤羽と違い、郊外の府中は風が冷たい。階段を登り改札口を通ると、右側の通路は東芝の従業員専用通路である。私は左側の通路を歩き、府中街道にかかる立体歩道をわたる。北府中駅には駅前広場がない。その代わりに小さな公園がある。府中街道沿いには雑居ビルが並んでいる。松子が勤めた美容室はまさにそんな場所である。お昼には少し早いが、北府中の駅前の店で昼食をとる。腹が満ちたところで、府中街道を北に進む。私は、満腹するまで食べたが、この時期の松子は、3年後に会えるはずの洋一のためにいじらしいほどの努力をする。30代後半になって以前の体型を維持することが難しいことは、この年齢になった方なら誰でもわかると思う。そして、それを3年間完璧に続けたのだ。
府中街道を北に進むと、間もなくベージュ色の高い塀が現れる、府中刑務所である。「塀の中の懲りない面々」でご存知の方も多いと思うが、この刑務所は犯罪傾向の進んだ成人男性の受刑者を処遇する施設で、ひらたくいうと暴力団関係者が多い。刑務所の塀だから、もっとくすんだ鼠色の塀を想像していた。しかし、どんなに明るい色の塀でも、この塀の内側は社会と完全に隔絶された場所である。愛する男がこの塀の内側にいる、それなのに、満期を迎えるまでは決して会うことが許されない、そのうえ、松子自身は既に36歳、決して若いとはいえない。だからこそ、松子は洋一との生活という、最後のチャンスに賭けたのだろう。朝晩の仕事の行き帰りには、刑務所の塀を見上げながら「おはよう。今日も1日がんばろうね」「おやすみ」と塀の向こうにいる洋一に声をかけ続けた。私には、府中刑務所にいる知り合いはいない(はずだ)が、松子と同じように塀を見上げてみる。そこまで深く人を愛せる松子のことを考えると涙が出そうになる。しばらくして、制服を着た刑務所の職員がやってくるが、私の方をちらりと見るとそのまま通り過ぎて行った。
府中刑務所の塀が尽きると、まもなく東八道路という道路と交差する。この交差点の少し先から国分寺市である。右側に学校が見えてくる。国分寺四中である。この学校の一角に史跡の展示スペースがあり、一般に公開している。ここから、かつての武蔵国分寺を目指す。この国分寺四中と武蔵国分寺があった一帯が国分寺市西元町、つまり松子が住んだ場所である。このあたりは、住宅地の中に林や畑が混じり、東京の郊外としてはのんびりとした場所である。ここを松子は毎日自転車で通ったのだなとおもう。気候が良ければ快適なサイクリングができそうである。。私は、国分寺を参拝して、近くにある資料館を見た。武蔵国分寺は、現在は小さい建物になっているが、かつてはかなり大きく、武蔵野線の西側まで遺構が広がっているのだそうだ。これが、現在まで畑や林が残っている理由なのかなと思う。武蔵国分寺から、国分寺駅を目指す。しばらくは曲がりくねった道に、農家風の家と新しく建てた家、アパートが混じった住宅地が続く。
やがて、国分寺駅のバス通りにでると、商店やマンションが立ち並ぶようになる。国分寺駅の手前は急な坂になっている。国分寺駅は北府中駅とは比べ物にならないほど大きな駅で、ずっとのどかなところを歩いてきたから、その違いに驚いた。
1987年、洋一出所の朝、松子は洋一のために食事を用意して、この日のために体型を保つ努力をして、洋一を迎えに行った。しかし、愛情を知らないで育った洋一は、結局松子と一緒に生活をすることはなかった。松子の愛情が洋一にとってあまりにも重すぎたのだろう。この後、松子の人生は急速に崩壊に向かうことになる。わたしはやるせない思いを抱えながら中央線の電車に乗り込んだ。
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