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東京で松子の足跡をたどる その2 三鷹

 11月2日午後3時過ぎ、私は中央線の三鷹駅にいた。駅前のファストフードの店でコーヒーを飲み、3時30分ごろ腰をあげた。日の短い季節にしては悠長なことだが、これはねらってのことであった。
 
 1974年、松子は大津のマンションでヒモの男を殺害した。その前日、かつて勤めた博多のトルコ風呂のマネージャーだった人から、かつての同僚の死を知った。将来に不安を持った松子は、大金を稼げるが身も心もすり減らすトルコ風呂の仕事を辞め、小料理屋を開いて静かに暮したいとヒモの男に言った。それを聞いた男の態度に疑問を持った松子は、男を問い詰めた。男は、覚せい剤を打って落ち着くことを勧めたが、かつての同僚の死が覚せい剤によるものであったので、松子は激しく抵抗する。男は松子が稼いだ金を女子大生に貢いでいることを白状する。もみ合いの末、松子は包丁を男の首に刺し、殺害してしまう。
 殺人を犯した松子は、生れてはじめて新幹線に乗って東京に向かった。私はこの旅を単なる逃走だとは思っていない。風俗嬢に身を落とし、殺人まで犯した松子だが、この期に及んでも過去と決別し、自分の心の居場所を必死で探していたのだと思う。しかし、我に返った松子は爪の中に赤黒い血の汚れがあるのに気付き、我に帰る。そして、大津から着てきたジャンパーにしみついた匂いを嗅いだ。そのジャンパーはかつて同棲した八女川という文学青年のものだった。八女川の自殺によって同棲生活和終わったが、松子は八女川の後を追おうと思った。太宰の生まれ変わりだと自称ていた八女川の後を追うのだから、自殺するとなれば場所はひとつ、三鷹しかない。つまり、松子は山崎富栄(太宰の愛人、1948年6月13日に太宰と共に三鷹の玉川上水で入水自殺をした)になろうとしたのだ。松子は26歳だった。

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 三鷹駅南口の駅前広場は狭い。その広場の東の端に小さな橋があり、小川が流れている。これが玉川上水である。玉川上水はかつて江戸に飲料水を供給していた上水道である。太宰が自殺したころはかなりの水量があったようだが、今は深いところに少し水が流れているだけである。その代わり、土手は深い森林になっている。両側にはおしゃれで、東京にしてはゆったりとした敷地の民家が並んでいる。私の給料ではとても住めそうにないなと苦笑しながら歩く。歩く人の身なりもよく、私はかなり場違いな雰囲気である。しばらく歩くと「むらさき橋」という橋がある。橋の真ん中に立ち、玉川上水を見下ろす。そういえば、太宰と山崎が入水自殺したのはこの橋付近であったことを思い出す。更に歩くと前方に大きな森が見えてくる。井の頭公園である。吉祥寺駅からジブリ美術館を経て杏林大学病院方面に伸びるバス通りを横切り、公演の中に入る。かつての武蔵野の森はこんな感じだったのだろうなと思わせる深い森である。11月の午後4時過ぎだから、既に陽はだいぶ傾き、森の中は薄暗い。松子がここを歩いたのは1月の午後4時半くらいだろうから、もっと暗かったかもしれない。少々薄気味悪いが、ときどき犬の散歩などで歩く人がいるとほっとする。

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 死を決意した人間の心理は私にはわからないが、やっぱり暗い道は怖いのではないかと思う。36年前に松子が怖々歩いた道を今度は私がたどる。急に公園が途切れると住宅地が現れ、コンクリート製の小さな橋が現れた。この橋を新橋という。ここは62年前に太宰治と山崎富栄の遺体が発見された場所である。松子もここから玉川上水を見下ろしていた。しかし、当時の玉川上水には水が流れていなかった。これでようやく八女川のそばに行けるとおもった松子は拍子抜けしただろう。そして、橋の真ん中に立ちつくしていた松子に声をかけた人物がいた。近くで理容店を営む島津賢治だった。松子はそのまま島津と同棲する。そして2ヶ月後殺人と覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕される。この間、松子は殺人を起こしたことを忘れるくらい穏やかで幸せな毎日を送った。松子の人生の中で、数少ないひだまりのような時間であった

 島津の店は、井の頭線の井の頭公園駅から5分少々のところであるようだ。今いる新橋からはどんなに早足で歩いても10分以上かかる。もっと井の頭公園よりだと思って問題ないだろう。私は北東の井の頭公園駅を目指して歩く。さっきよりも家は小さく、普通のつくりの家が多いが、私なら住むならおしゃれなところよりもこういうところが好きだ。間もなく私立の小学校が見える。公立小学校で育った私は、校門に守衛がいて、ひとりひとりの児童に挨拶をしていく様子を見いてたじろいた。細い道をしばらく歩く。道の両側には商店があり、島津の店はこんなところにあったのかと思う。しばらく歩き、井の頭公園駅前に続く道に入ると、ふたたびゆったりとした作りのお屋敷がが多くなる。やがて、井の頭公園駅と小さな商店街が見えてきた。

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