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2011年2月の11件の記事

ルーズな人間のこだわり

ブログネタ: 時計の時刻、いつもぴったりに合わせてる?参加数拍手

 私はかなりルーズでユルい人間です。しかし、どういうわけか時間にだけは妙なこだわりがり、時計はきっちり時間を合わせます。私の目覚まし時計は電波時計なので、その時計の時間を基準に、月に1度、腕時計2つ、壁掛け時計、クルマの時計、ミニコンポの時計を1秒違わず正しい時間を示すように調整します。別に多少ずれていたって、早めの行動さえ心がければなんてことはないのに。

「魏志倭人伝」の国々へ 5

【筑肥線から弥生時代へ 12月28日】

 福岡市博多区、午前7時、まだ薄暗い。東京は東経140度、一方福岡は東経130度30分、おおざっぱにいって40分弱の時差があるのだ。12月末とはいえ、福島や東京の午前7時は既に明るい。遠くに来たんだなと改めて実感する。博多駅からシルバーと赤に塗られた電車に乗る。道路を行くクルマは少なかったが、電車はほとんど席が埋まっていた。昨日行った西新を過ぎると席が空き始め、高架上にある姪浜駅でだいぶ空いた。ここまでが福岡市地下鉄空港線、ここからがJR筑肥線になる。姪浜を出発すると間もなく海が見える。沿線は新しい住宅が多い。国鉄の財政難で、福岡という恵まれた条件下にありながらローカル線同然であった筑肥線は、1983年の福岡市地下鉄との乗り入れ開始で、都市圏輸送を担う路線として急成長した。同様な例に、札幌近郊の札沼線(学園都市線)や仙台近郊の仙山線がある。
 美咲が丘を過ぎると住宅も途切れる。ここからは海のそばを走り、カーブが多くなる。その代わり、車窓は楽しくなる。やがて、遠くの海岸沿いに長い松林が見えてくる。虹の松原である。ここを過ぎると右手に唐津城が見えてくる。唐津の市街地を通り、終点の西唐津で電車を降りる。電車を降りて、少し歩く。今度目指すのは菜畑遺跡である。ここは、縄文時代晩期から弥生時代にかけての遺跡で、日本で最初に水稲耕作がおこなわれた遺跡である。住宅地の中を歩くことおよそ15分、大きな屋根を持つ高床式倉庫のような建物が見えてきた。これが菜畑遺跡の資料を展示するための建物、末盧館(まつろかん)である。この建物は、「魏志倭人伝」に出てくる末廬国(まつらこく)にちなんだものである。さっきまで乗っていた筑肥線は、「魏志倭人伝」線と言ってもいいような路線で、福岡市には奴国、糸島市には伊都国、そしてここ唐津市には末廬国があった。地図を見ればすぐにわかるが、朝鮮半島から船出すると自然とこの沿線にたどりつくのである。

Photo

 屋外に竪穴式住居と水田があるのでそれを見る。水田の風景は、現在のそれとあまり変わらない。まぁ、変わりようがないものなのだろう。末盧館の展示はなかなかおもしろかった。土器、当時の景観の復元、当時の食生活などがあった。復元された当時の生活のジオラマがあまりにもリアルだったので、写真に撮ってきた。

Photo_2

 菜畑遺跡の見学を終え、唐津駅前のバスターミナルまで歩いた。今度目指すのは、ずっと時代が進んで、16世紀である。

東北は赤みそ圏

ブログネタ: 「みそ汁」の味噌はどれが好き?参加数拍手

 東北はやっぱり赤みそ文化圏。味噌汁といえばやっぱり赤みそ。あのコクがなければ味噌汁を飲んだ気にはなりません。とはいえ、関西に行ったときに白みその味噌汁を飲むと、それはそれで「美味しいな」と思うのだから、無節操なものである。

喜多方ラーメンフェスティバル

 今日、喜多方市でらーめんfエスティバルが行われた。私は卒業した生徒と喜多方駅で待ち合わせて行ってきた。久しぶりに会った卒業生は、ずいぶん大人っぽくなった感じである。お互いの最近の近況を話す。私が担任していた時代には見られなかった点がいろいろ見える。いろいろあるが、将来に希望を持って生きている姿は頼もしささえ覚えた。
 喜多方駅近くの公園は、ラーメンフェスティバルのテントのほか、たくさんの屋台が並んで水分にぎやかだった。食券を買ってさっそくラーメンを。ここでは、喜多方ラーメンのほか、札幌(みそ)、仙台(みそ)、横浜(塩)、富山(醤油)、福岡(豚骨)が味わえるとあって、すごい行列だった。まずは喜多方から。うん、採算度外視で良い材料を使ったと謳っているだけあって、なかなかのスープである。私も、卒業生も「うまい」を連発しながら頂く。腹ごなしに、体育館で行われている物産展やよさこいソーランを見る。第2ラウンドは、福岡の豚骨ラーメンと横浜の塩ラーメンに分かれる。私は横浜の塩ラーメン。あっさりとしたスープに細麺が良くあった。楽しい時間を終え、喜多方駅で再会を約束して別れた。次に会う時にはどんな姿を見せてくれるか楽しみである。そして、私も彼らに恥じないよう頑張ろうと思った。

ガーナからのお客さん

 アフリカにガーナ共和国といういう国があることを御存知でしょうか。ロッテにガーナチョコレートという商品があるのでそれでご存知の方のいらっしゃると思います。頭蓋骨のような形をしたアフリカ大陸の後頭部にある国です。この国の特産物はカカオと綿花です。とくに、チョコレートやココアの原料となるカカオは、同じアフリカにあるコートジボワールに次ぐ世界第二位の生産量を誇ります。かつてはイギリスの植民地でしたが、1957年に独立。IMFによると、2010年のガーナの1人当たりの国民所得は762ドル(同年の日本は42,325ドル)。統計のある182カ国中151位とあまりふるわない。逆にいえば、それだけ発展の余地を残した国だと言える。このガーナ共和国、実は福島県とえんが深い。福島県が生んだ医学者、野口英世がアフリカに蔓延する黄熱病の研究のために赴き、そこで命を落としたのが当時イギリス領であったガーナである。そんな縁で、福島県はガーナ共和国からの各種研修や視察を受け入れているのである。

 先日、私の勤務する学校にもガーナの教職員の方々が視察に見えられた。熱帯の国ガーナと比べると日本の冬はとても寒いのであろう、みんな厚着でもこもことした格好でやってきた。私はちょうど生徒とともに、保健室に健康観察カードを届けた帰りで、2人の生徒はびっくりして固まった。彼らはアフリカの人に会うのは初めてだったのかもしれない。私は、ガーナの国旗を用意しておけばよかったと思った。その後、ガーナの方と少しだけ話す機会があった。私の英語ではおぼつかないので、ちょうど英語の教員がいたので、一部通訳してもらいながら話した。日本に来て驚いたのは、雪が降っていること、学校がよく整備されていることだという。チョコレート色の肌に白と黒の澄んだ眼が目の奥には、日本人が失いかけているパーワーが感じられた。の学校で見学したことが、ガーナの教育の発展に少しでもつながることを願っています。

霙降る東京の街角で

 昨日東京に行きました。昨日の東京は寒く、霙が朝から降り続いていました。
 私は新鹿沼駅から浅草まで東武鉄道の電車に乗って、さらに地下鉄に乗り換えて、とある駅近くのファストフード店で朝食にしました。祝日の朝とはいえ店内には通勤途中のサラリーマンやOL、学校に向かう学生が多く、食事をすませるとそそくさと店をあとにしていました。そんな店内に、何人か全く違った雰囲気の人がいました。店のテーブルに突っ伏して寝ている人が何人かいました。着衣もこぎれいな姿の人が多い中で彼らだけはうすよごれているし、店の入り口のすぐそばにいた人からは酸っぱいような体臭がしていました。おそらく、寒さと霙を避けるためにファストフード店で1杯のコーヒーで粘っているのだと思います。お世辞にも座り心地がいいとは言えない椅子。テーブルに突っ伏しての姿勢で果たして疲れが取れるのだろうか。どんな夢を見ているのだろうか。路上生活をいている人にはまだ少ないが。その一歩手前であるマック難民やネットカフェ難民には女性も多いという。

 東京は都市圏人口、そして都市圏の経済規模でも世界一の大都市である。この町には、「勝ち組」といわれるわが世の春を謳歌する人がいる一方で、疲れをいやす風呂に入ることも、手足を伸ばして寝ることもままらなない人が大勢いる。人生に計画性がないとか、努力が足りないとか、だらしない人だとか、批判をする人がいる。しかし私はそうは思わない。人の心は弱いものだ。家族もいて、定職も持って、社会の中で立派に働いている人だって、本当にささいなきっかけから転落する人は多い。私だって、あなただって、数年後には彼らのようになっているのかもしれない。だから、決して他人事だと思わないでほしい。まず、あなたの身近な人で救いを求めている人はいないか、見回してみてください。

最後はさっぱりと

ブログネタ: お酒を飲んだ後のシメといえば?参加数拍手

 お酒を飲んだ後のしめにラーメン、という時期もありましたが、さすがに、この歳になるとヘビー過ぎてきついです。ということで、最近のお気に入りのしめは、シャーベットです。キーンと冷たいシャーベットでお酒でぼんやりした頭を復活させる。これはなかなかいいですよ。

さて、春場所が中止になったわけですが

 ついに大相撲春場所(3月、大阪市)が中止になることが決定しました。今回の八百長事件は、これまでも再三問題を起こしてきた日本相撲協会にとって、絶体絶命のピンチになってしまったようです。このピンチを招いたのは、相撲協会の体質そのものではないかと思います。昨年の野球賭博事件を受けて、ようやく外部の方を理事として招きましたが、それまでは身内だけの閉鎖的な運営に終始してきたツケが一気に噴出してきた形になりました。以前あった時津風部屋の序の口力士への「かわいがり」という名の下の殺人事件に対しても、名門である「時津風」という名跡を守ることにこだわり、本質的な解決をはからなかった相撲協会、世間とのあまりの感覚のズレは、現在の体制のままでは直しようがないのだろうか。

 とにかく、必要なことは関係者の処分よりも、相撲協会の運営体制の抜本的な見直し。外部の人材を登用し、一般のファンの声に耳を傾け、親方、力士その他関係者が一丸となって信頼回復に努めること。これに尽きると思います。そうしなければ、こんどこそ、相撲が過去のものとして消滅してしまうかもしれません。それは、相撲を愛する者としてあまりにも悲しいことです。

大相撲ファンとして

 昨年の野球とばく事件、そして今回の野球賭博事件と、日本相撲協会は揺れ続けている。特に今回の事件は、日本相撲協会の存続が問われる事態に発展しそうな雰囲気である。金の力で勝負の行方が左右されているという事態は、スポーツとして絶対に合ってはならないことだと思う。今回、八百長に関わった力士には厳しい処分が下されてしかるべきだと思う。

 ただ、外部から見て、今の相撲のあり方に若干の疑問点がある。

1、力士の待遇が悪すぎないか

 十両の力士の月給が1月100万強と聞けば、一般的なサラリーマンから見れば、相当な高給に見える。しかし、一般のサラリーマンが60歳まで働けるのに対し、力士の場合、30歳を過ぎるとそろそろ次の生活の心配をしなければならない。実働期間が極端に短いのである。それであれば、真剣勝負ばかりをして力士生命を短くするよりは、多少八百長をして力士生命を延ばす方が賢明ではないかと考える力士がいてもおかしくはないだろう。何せこの不況で、有力なタニマチ(後援者)は減って、力士の懐はさびしくなる一方であるから。

2、力士を酷使しすぎていないか

 本場所は年6回行われる。1場所は15日制で、十両以上の力士は2週間以上毎日戦い続けることになる。私が国技館で相撲を見たときに感じたのが、立ち合いの力士の身体がぶつかるパチーンという音が2階席まで聞こえたことである。これは、見た目以上に過酷なスポーツだと感じた。場所の日数を削減したり、場所数を削減して、力士の負担を減らし、その分相撲の中身を充実させた方がいいのではないかと思う。

3、番付のあり方が疑問

 力士にとって番付は命である。幕下以下の力士には月給はない。十両に上がるといきなり月給100万円強。そりゃ、十両の地位が危ない力士は、お金を払っても十両の地位を守りたいよ。そうしなければ、最低でも200万円を不意にするのだから。もう少し番付による待遇の差を埋められないものかと思う。

 いろいろ言ったけれど、やっぱり私は相撲が好き。勝負に情がからむのはやむを得ないが、お金がからんだ八百長だけはごめんである。

「魏志倭人伝」の国々へ 4

【12月27日 福岡の古代と未来を行く】

 福岡タワーを後に、福岡市博物館に向かう。このあたりは、未来都市のようなおしゃれな建物が続く。ただし、師走の昼間、人通りはあまり多くない。福岡市博物館の前に行ったら「本日休館」という表示が出ていた。そういえば今日は月曜日、博物館のような公共施設は休館日だった。私としたことがうっかりしていた。
 博物館のある通りから1本南に移動すると未来的な都市から、しっとりと古びた住宅地に変わる。西南学院大学のキャンパスを左に見て南下し、地下鉄西新駅に向かう。地下鉄に乗り、今度は大濠公園で降りる。目指すは福岡城、ただし、福岡城は江戸時代のもので、今回の旅のテーマとは関連性が薄い。私が目指すのは福岡城の中の鴻臚館(こうろかん)である。ここには、6世紀から10世紀にかけて、中国や朝鮮からの施設を接待し、宿泊させる場所として機能した。トイレの遺構からは、当時の食生活をうかがう発見もあってなかなかおもしろかった。それにしても、重要な地点とは時代が変わっても変わらないものである。鴻臚館の資料館に着いたのは16時32分だった。このような資料館は17時閉館、16時30分最終入場の場合が多く、ここもそうだったが、受付のおじさんは黙って私を通してくれた。博物館には入れなかったが、これで1勝1敗のあいこになった。

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 その後、福岡城を歩いた。5時を過ぎてもまだ明るい。ずいぶん西に来たものだと実感する。30分くらい歩いているとすっかり体が冷えたので、バスを乗り継いで住吉にあるホテルにチェックインした。
 その夜はホテル近くの居酒屋でフグのてんぷらと焼き鳥で酒を飲んだ。九州はやっぱり焼酎がうまい。ほどよく酒がまわったところで、博多川を渡り、南新地をぶらぶら歩いた。これを読まれている方の中には、南新地と聞くと眉をひそめる方もいるかもしれない。しかし、これも意図してのことだった。店の前には女の子の写真が並んでいる。呼び込みのお兄さんが「社長、店はお決まりですか」と声をかける。ちょっと気になる、枯れかけても男だからね。その後どうしたかは秘密です。とにかく、そうして旅の最初の夜は更けていきました。

この言葉を知っていますか

 「行旅死亡人」という言葉を知っていますか?あまり聞きなれない、あるいは始めて聞いたという方もいらっしゃると思います。ここでいう「行旅死亡人」とは、飢え、寒さ、病気、もしくは自殺や他殺と推定される原因で、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指すもので、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称でもある。例えば、私が旅の途中で何らかの原因で死亡した場合、自動車運転免許証や健康保険証を携帯しているため、どこのだれであるか明らかだし、本籍地に連絡すれば遺体の引き取り手が存在するから行旅死亡人にはならない(はず)である。

 行旅死亡人が発生すると、発生した市町村では、遺体の特徴や所持品などの情報を官報に掲載し、遺体の引き取り手を探すことになる。この官報に記載されている行旅死亡人の情報を集めた「行旅死亡人データベース」というホームページがある。無機質な文字だけのページなのだが、その無機質なページの裏側から色々な人の人生が透けて見える。男性もいる、女性もいる。70歳代以上の年老いた方もいれば、20歳代の若い方もいる。山の中で亡くなった方もいれば、住宅の中で亡くなった方もいる。あまつさえ、白骨化して性別も年齢もわからない人もいる。この人たちは一体どんな事情で、家族や友人の縁が切れ、一人孤独に人生を終えてしまったのだろうか。限られた文字情報から色々想像してみた。

 今、家族が、地域社会が、大きく変わっている。ホームレスになった方、ネットカフェ難民やマック難民、車上生活者など、事実上ホームレス化した方を含めて30万人以上いるのではないかという推計もある。これらは単に経済的な問題ではなく、身近な人との縁を失ってしまった人の数である。そして、その危険性は誰にでもある。例えば、失業、倒産、派遣切り、病気、交通事故、離婚、障害…。たぶん、将来ホームレス化する危険がない人はほとんどいないと思う。だからこそ、今、自分に何ができるかは考えておく必要があると思う。

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