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「魏志倭人伝」の国々へ 5

【筑肥線から弥生時代へ 12月28日】

 福岡市博多区、午前7時、まだ薄暗い。東京は東経140度、一方福岡は東経130度30分、おおざっぱにいって40分弱の時差があるのだ。12月末とはいえ、福島や東京の午前7時は既に明るい。遠くに来たんだなと改めて実感する。博多駅からシルバーと赤に塗られた電車に乗る。道路を行くクルマは少なかったが、電車はほとんど席が埋まっていた。昨日行った西新を過ぎると席が空き始め、高架上にある姪浜駅でだいぶ空いた。ここまでが福岡市地下鉄空港線、ここからがJR筑肥線になる。姪浜を出発すると間もなく海が見える。沿線は新しい住宅が多い。国鉄の財政難で、福岡という恵まれた条件下にありながらローカル線同然であった筑肥線は、1983年の福岡市地下鉄との乗り入れ開始で、都市圏輸送を担う路線として急成長した。同様な例に、札幌近郊の札沼線(学園都市線)や仙台近郊の仙山線がある。
 美咲が丘を過ぎると住宅も途切れる。ここからは海のそばを走り、カーブが多くなる。その代わり、車窓は楽しくなる。やがて、遠くの海岸沿いに長い松林が見えてくる。虹の松原である。ここを過ぎると右手に唐津城が見えてくる。唐津の市街地を通り、終点の西唐津で電車を降りる。電車を降りて、少し歩く。今度目指すのは菜畑遺跡である。ここは、縄文時代晩期から弥生時代にかけての遺跡で、日本で最初に水稲耕作がおこなわれた遺跡である。住宅地の中を歩くことおよそ15分、大きな屋根を持つ高床式倉庫のような建物が見えてきた。これが菜畑遺跡の資料を展示するための建物、末盧館(まつろかん)である。この建物は、「魏志倭人伝」に出てくる末廬国(まつらこく)にちなんだものである。さっきまで乗っていた筑肥線は、「魏志倭人伝」線と言ってもいいような路線で、福岡市には奴国、糸島市には伊都国、そしてここ唐津市には末廬国があった。地図を見ればすぐにわかるが、朝鮮半島から船出すると自然とこの沿線にたどりつくのである。

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 屋外に竪穴式住居と水田があるのでそれを見る。水田の風景は、現在のそれとあまり変わらない。まぁ、変わりようがないものなのだろう。末盧館の展示はなかなかおもしろかった。土器、当時の景観の復元、当時の食生活などがあった。復元された当時の生活のジオラマがあまりにもリアルだったので、写真に撮ってきた。

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 菜畑遺跡の見学を終え、唐津駅前のバスターミナルまで歩いた。今度目指すのは、ずっと時代が進んで、16世紀である。

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