2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

おすすめBLOG

  • Time is up
    りっちさんのブロクです。心と体、音楽、ファッション・美容など、色々な内容の記事が書かれています。
  • 旅は道連れ 気まま日記
    養護学校の教師をしている橘みかんさんのブログです。学校での生活の様子や、旅行が好きということで、これからは旅行の情報も期待できそうです。
  • 黒瞳のうさぎ
    お酒、心理学、旅行、温泉を愛するうさぎさんのブログです。写真付きの楽しい生地が多いです。
  • いい酒・夢気分♪
    アメリカのお住まいのモリビルさんのブログです。大好きなビールのことを中心に、楽しい話題が満載のブログです。
  • ちゃつねの独り言と写真館
    多趣味なちゃつねさんのブログです。アウトドア、クルマをはじめ、話題の豊富なブログです。
  • おしゃれまっちのすてきせいかつ
     旅の大好きなまっちさんのブログです。膨大な旅行記は読み応えがあります。旅の途中で撮った写真を見るのもとても楽しいですよ。
  • UME Blog
     旅行が好きなUMEさんのブログです。毎回テーマのしっかりとした旅をされていてとても興味深い旅行記を書いています。
  • 日常彩彩
    エムエムさんのブログです。社会の出来事について、気になったことを鋭く、それでいて優しい視点で書いています。時々掲載する写真もとてもいいです。
  • five-half blog
    福島県いわき市で美容室「five-half」を経営している谷口さんのブログです。家族のこと、お客さんとのふれあいなど興味深い記事が満載です。
  • 岡本パンスタジオ
    仙台市で自宅および福祉施設等でパン、ケーキ作りの講師を行っている岡本さんのホームページ&ブログです。これを読むと今すぐパンを作りたくなること確実!

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月の14件の記事

東日本大震災~福島県飯館村・南相馬市・相馬市の今

 昨日、福島県うち、放射線量が高く、計画的避難地域に指定された飯舘村と、津波の被害が大きかった相馬市、そして、福島第一原子力発電所から30km圏内にある南相馬市の現状を見てきた。これは、私が教師として、生徒たちに語りたいし、そうしなければならないとする使命感によるものである。私がそこで目にしたものは、あまりにも悲しいものばかりであった。

 はじめに訪れたのは飯舘村である。この村は、人口6000人あまり、阿武隈山地の真ん中にある村です。特産品は牛肉である。私は、郡山市から国道288号線、田村市の船引から349号線と走り、川俣から福島県道12号線に入った。郡山では既に散り果てた桜が、船引、川俣と行くうちに咲きだし、飯舘では満開になった。村の様子は特段変わったところはない。それどころか桜は満開で、山中の小さな村は平和そのものであった。逆にそれが悲しい。間もなく村を離れることになる人々はどんな思いだろうか。

Photo


Photo_2

 飯舘村から石ポロ坂トンネルという変わった名前のトンネルをくぐり、急な坂を下り、平野にでるとそこは南相馬市である。南相馬市は大部分が福島第一原子力発電所から30km圏内に入っている。そのため、東日本大震災の直後は物資が極度に不足し、市長が窮状を全国に訴える事態となった。大震災から49日が立った今も、開いている店はまだ少なく、震災前の姿を知っている私にはあまりにも寂しい姿だった。南相馬市の中心部には常磐線原ノ町駅があり、運行上の拠点駅になっている。町は小さいが駅の規模は大きく、にぎやかであった。しかし、私が訪れた時の原ノ町駅はひっそりしており、人の気配がまったくなかった。レールは赤く錆つき、廃線廃駅のようであった。

Photo_3


Photo_4

 最後に相馬市に向かう。相馬は、この震災で7.3mの津波が押し寄せ、大きな被害が出た。震災当日は、宮城県から岩手県にかけての三陸海岸からの情報が入らなかったから、ずっと相馬の津波の高さがもっとも高かった。私は相馬に何度も行ったことがあるから、おおまかに7.3mの津波で浸水した地区の様子が想像できた。もちろん想像したくないような恐ろしい想像であった。相馬市だけで400名以上の方が命を失った。国道6号バイパスをこえて松川浦に沿った道路に入ったとたん景色は一変した。津波で基礎だけを残して倒壊した家、陸上に打ち上げられた漁船、反対に流れれて水面から顔をのぞかせている家、一見して無事そうに見える建物も、1階部分がきれいに流されていた。松川浦の漁港を過ぎ、原釜の市場の前でクルマをとめた。鉄筋コンクリートの市場の建物は原形をとどめていたが、屋根の上に漁船があり、津波の激しさを物語っていた。そして、原釜の集落に行ってみると、そこは一面のがれきの荒野と化していた。たしかここは家が密集して、民宿もいくつかあったはず。私は茫然として立ちつくした、涙が出てきた、顔を覆って押さえようとしても次から次へと涙が出てくる。私は頭を下げ、手を合わせた。そんなことしか出来ないけれど、せめて亡くなった方々のご冥福を祈り、今回の災害の教訓を伝えていきたい。そして、これらの地域が元気になったら、その姿をみんなに伝えたい。

Photo


Photo_2


Photo_3

 ※被災地を訪れる方へ
 ・放射線量の高い地域があります。あらかじめ十分な情報収集の上、自己責任でおとずれてください。
 ・道路事情の悪い地域があります。信号が機能していない地域もあります。運転には十分気をつけてください。
 ・復旧のための工事や被災地の住民の迷惑にならないように十分気をつけて行動してください。また、被災者の方のプライバシーには十分配慮してください。

東日本大震災~私の3.11 下

 やがて、学校周辺の方々が体育館に集まってきた。私たちはありったけのセラピーマットを体育館に敷いて、対応した。近くの老人福祉施設のお年寄りもやってきた。停電しているのに薄明るい明りがともった。誰かが発電機を持ち込んだそうだ。それだけでは暗いので、公用車のプリウスのヘッドライトで体育館の外から明りを照らした。そのうちに、炊きたてのご飯が届けられた。私たちは家庭科室や教室から持ち寄った塩でおにぎりにした。体育館に避難した方におにぎりを配った後、私もおにぎりを食べた。「ごはんってこんなに美味いんだ」普段何気なく食べているものの本当のありがたさに気付いた。
 
 ひと段落したのが午後10時過ぎか。時々新たに来る避難者もまだあった。私たちは体育館の隅に座り、ラジオのスイッチを入れた、このラジオは手回しで充電できるから停電も関係なく使える。そればかりか、携帯電話の充電もできる。これまでは車内泊のドライブの時使ったくらいだが、本来の目的は災害時の対応である。もっともこんなに大きな災害が来ることは予想していなかったが。

 余震はひっきりなしにあった。時には大きな余震もあった。しかし、みな疲れているのか、声を出す人はほとんどいない。ラジオから流れてくる情報は、想像を絶するものであった。「○○県◆◆市の◎◎地区は津波で壊滅状態です」、「□□地区は孤立しています」、「○○地区は△△メートルの津波がきました」、私も、近くに座っていた職場の人も、呆然として聞いていた。人の出入りがほぼなくなり、体育館にいた人もほとんどが横になった午前1時過ぎ、私たちもよこになった。ひどく疲れてはいたが、神経が高ぶっているのかなかなか寝ねつけ  なかった。ようやくうとうとしてきた頃大きな余震がきて目が覚めた。そんなことを繰り返しているうちに夜が明けてきた。2011年3月12日。歴史的な大震災の翌日になった。
    
                 (この後は、「東日本大震災~3.11 その後」として書く予定です。
 

 

これをどう解釈したらいいのか

 福島県は24日、これまでの調査で一定の放射線量を上回った学校や公園計46カ所で行った再調査の結果を発表した。福島市の信夫山子供の森公園など五つの公園で屋外活動を制限する暫定基準値の毎時3・8マイクロシーベルトを上回ったため、県は、設置する自治体に利用の制限などを要請した。

 これまでの調査で毎時3・4マイクロシーベルト以上となった施設を対象に22日に実施した。13カ所の公園のうち基準値を超えたのは【表】の通り。県は各市に対し、公園の利用を1日1時間程度に制限することなどを市民に周知するよう指導した。今後は1週間以内にモニタリング調査を再度行う。
 (以上、福島民報4月25日より転載)

 さて、今回利用の制限が実施された公園は、福島市2か所、二本松市1か所、本宮市1か所、郡山市1か所の計5か所である。当然のことながら、放射性物質は公園にだけ飛んでくるわけではない。民家の庭にも、畑にも、学校の校庭にも、道路にも等しく飛んできているはずである。そうすると、たとえ公園の活動時間を制限したとしても、道路を歩いている間、学校の校庭にいる間、絶えず高い線量の放射線にさらされることになるわけである。放射線の身体に対する影響は、年齢が若いほど大きい。それは、放射線は細胞のDNAを破壊する。新陳代謝の活発な、言い換えれば細胞分裂の多い乳幼児から第二次成長期の人ほど将来がんや白血病になるりスクが高いのである。しかし、リスクの高い子どもたちに、公園で遊ぶな、外に出るな、部活をやるなと言えるだろうか。また、そのような状況の場所に子どもたちを生活させることが果たして適当なことなのだろうか。どうか、国の責任ある立場にいる方はよく考えてほしい。最優先にすべきは人命、とくに未来を担う子どもたちなのだから。

なぜ選択肢にないのだろう

ブログネタ: ホッとする温かい飲み物は?参加数

 やっぱりコーヒーです。ブラックのコーヒーに、クッキーの1枚もつければ、最高のコーヒーブレイクです。次点で僅差でお茶(緑茶、烏龍茶)かな。

東日本大震災~JR東日本運転再開状況 4月23日版

【東北・山形・秋田新幹線】

 現在の運転区間は東北新幹線が東京~福島、一ノ関~盛岡~新青森、山形新幹線が(東京から直通)福島~山形~新庄、秋田新幹線が盛岡~秋田です。

 今後の再開見込み
  福島~仙台  4月25日
  仙台~一ノ関 4月29日

 今後大きな余震が無ければ、ゴールデンウイークには全線で運転再開できそうです。
 当面の時刻表は以下のリンクを参照してください(ゴールデンウィークの時刻表も発表されました)
 http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/shinkansen_timetable.pdf

【在来線特急列車】
 在来線特急列車のうち、池袋・新宿・大船・東京~成田空港を結ぶ「成田エクスプレス」、上野~水戸・いわき・仙台をむすぶ「スーパーひたち」「フレッシュひたち」、東京・新宿~熱海・伊東・伊豆急下田を結ぶ「踊り子」「スーパービュー踊り子」には。運休や大幅なダイヤの変更があります。なお、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の運転は当面は上野~高萩間のみになります。

 ダイヤは以下のリンクを参照してください。
http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/nex_timetable.pdf

【在来線】

○運転再開見通し

(長野県・新潟県)
  飯山線 戸狩野沢温泉~十日町 4月末運転再開予定 (バス代行輸送はありません)

(宮城県)
 仙石線 東塩釜~高城町 5月下旬運転再開予定  (東塩釜~石巻間代行バスを実施)
 石巻線 前谷地~石巻 5月中旬運転再開予定  (涌谷~石巻~女川間で代行バスを実施)
 気仙沼線 前谷地~柳津 4月末運転再開予定 (涌谷~柳津、石巻~柳津間で代行バスを実施)

○運転再開の見通しの立たない路線

 常磐線 四ッ倉~亘理 (相馬~亘理で代行バスを実施)
 仙石線 高城町~石巻 (東塩釜~石巻間で代行バスを実施)
 石巻線 石巻~女川 (バス代行輸送を実施)
 気仙沼線 柳津~気仙沼 (バス代行輸送はありません)
 大船渡線 気仙沼~盛 (岩手県交通バスに振り替えを実施)
 山田線 宮古~釜石 (バス代行輸送はありません)
 八戸線 階上~久慈 (バス代行輸送を実施)

 この他にもダイヤの変更があります。列車や代行バスの情報はについては、以下のJR各支社へのリンクを参照してください。

・水戸支社(常磐線、水郡線)
 
 http://www.jrmito.com/top.html

・仙台支社(東北本線、仙石線、石巻線、気仙沼線

 http://www.jr-tabi.com/eq.html

・盛岡支社(大船渡線、山田線、八戸線)

 http://www.jr-morioka.com/
 


 JR東日本の清野社長はこれらの路線の復旧を目指すことを明言しました。JR東日本の皆様、その他関係者の皆様には敬意を表します。

東日本大震災~私の3.11 中

 ラジオから流れる情報は、私の想像を絶するものだった。地震のエネルギーを示すマグニチュードは8.4(後に9.0に修正)。8.4だって、信じられない数字だ。新潟県中越地震でM(マグニチュード)6.8、阪神大震災でM7.3、宮城県沖地震でM7.4、関東大震災でM7.9である。マグニチュードが1増えると、地震のエネルギーはおよそ32倍になるから、文字通り桁違いの大地震である。震源地は宮城県沖だそうだ。なに、宮城県沖だって。震源地から200kmくらい離れた福島県郡山市でこれだけ揺れたのだから、石巻や仙台は一体どうなっているのか、考えるのも怖い状況になっている。クルマの外は吹雪、車内の生徒は恐怖で声も出ない。ここは私がしっかりせねば。落ち着いて、生徒の保護者に電話をかけて見るが、まったく通じない。次いで、宮城県内に住む友人にメールを発信する。無事でいてほしいと願いながら。そのうちに、津波の情報が入り始めた。なんと福島県の相馬港で7.5メートルだそうだ。信じがたい数字だ。この数字なら防波堤では防ぎきれないだろう、今はため息をつきながら聞くしかない。そのうちに、体育館が安全そうだという知らせが入り、各学級の担任のクルマに避難していた生徒は体育館に集まることになった。

 このころになると、保護者も徐々に迎えに来て、道路の様子や市街地の様子について情報を聞くことができるようになってきた。建物に若干の被害が出ているほか、道路はおおむね無事だが、交通の殺到で渋滞になっていることが分かった。体育館にセラピーマットと言う柔らかいマットを敷いて、そこに生徒を集めた、その頃には近所の住民の方や老人福祉施設の方も本校体育館に集まり始めた。つい3時間前まで卒業式の予行練習やら表彰式をやったことが嘘みたいであった。そのうちに、職員が集められ、泊りこめる職員は協力してほしいという話が管理職からあった。私はそれに志願した。そのために、一時帰宅することにした。

 クルマに乗って自宅に戻った。外観上とくに被害は見られなかった。ただし、室内はひどい状況だった。箪笥は倒れ、食器棚は倒れなかったものの、中の食器は半分くらいが割れていた。その他色々なものが床にぶちまけられていた。買って間もないテレビは無残にも落ちていたが、今はそれにかまっている暇はなかった。とりあえず、スーツを脱ぎ、ウインドブレーカーに着替え、停電でも問題なく使える手回し発電の懐中電灯とラジオを持った。食料がすぐに手に入るかわからないから、家の中にあった菓子パンなどを口の中に詰め込んでおいた。

 学校にもどると間もなく私のクラスの保護者が迎えに来た。ほっとした様子で帰って行った。

東日本大震災~私の3.11 上

 3月11日、14時35分ごろ、私は職員室の自分の席にもどり、スーツの上着を脱いでネクタイを少し緩めた。金曜の午後の職員室は、普段よりもすこしだけ穏やかな空気が漂っていた。私は、この日出勤してからはじめて穏やかな時間を過ごしていた。今日の私はずっと忙しかった。午前中は卒業式の予行練習があった。放送・記録係の責任者であった私は、朝から機材の点検、放送機器の操作をしていた。幸い、とくに目立ったトラブルはなく、このまま卒業式を迎えることができそうだ。午後は学校の後援者から卒業生代表とOBの代表のうち、とくに活躍のみられた者への表彰式があり、そちらでも放送の係をつとめた。表彰式が終わったのは14時20分過ぎ、すぐに学級の生徒と共に教室に戻ったのが14時30分前、生徒の荷物を持って寄宿舎まで送っていき、寄宿舎職員に伝達事項を連絡して、生徒と「さようなら」の挨拶をして職員室に戻った。コーヒーでも飲もうと思ったが、疲れがどっと出たので、しばらく机に座って休むことにする。このあとは、写真撮影、ビデオ撮影をした同僚から、今日の予行練習で気づいたことはないか話を聞いて、体育館の片づけをしなければならないと考えていた。さて、そろそろコーヒーを飲んで仕事だと思った14時46分過ぎ、近くの席の同僚の携帯電話が緊急地震速報を知らせた。


 「ん、地震がくるな」と身構えた瞬間揺れが来た。最初は大した揺れではなかったが、30秒ほど続いた頃、急に大きな揺れが来た。振幅の大きいゆっくりとした、しかし鉄筋コンクリートの校舎がねじられるような揺れが来た。一瞬にして机の上の書類が落ち始めた。私は席を立って出口に向かおうとしたが、歩くこともままならない。机にしがみついて倒れるのを防ぐことしかできなかった。職員室には10人以上の職員がいたはずだが、不思議と悲鳴のひとつも出なかった。ただひたすら地鳴りのような恐ろしい音と共に職員室は嵐の中の小舟のように揺れ続けていた。私も妙に冷静で、窓の外を見て、「あ、雪が降っている。積もらないといいな」と思った。
 どのくらい揺れていたかはわからないが、やっと揺れがおさまった。私は、寄宿舎にいる生徒が気になって、散乱している書類や事務用品を飛び越えて寄宿舎に走った。生徒は押入れの中に逃げ込んでいて無事だった。とりあえず胸をなでおろした。しばらく様子を見てから校庭に避難した。雪が降っているが、建物の安全が確認されていない以上どうしようもない。生徒を毛布でくるんだ。このとき、みんな妙に多弁だった。話すことで不安な気持ちを紛らわせていたのだろう。やがて、とうざ、生徒を駐車場に止めてある担任のクルマに避難させることにした。寄宿舎指導員の手を借り、車いすに乗せて駐車場に移動する。クルマのエンジンをかけて、ラジオでNHK第一放送にダイヤルを合わせた。

東日本大震災~福島県いわき市の津波被害


 今日、いわき市に行く用事があったので、ついでに、津波の被害がひどかったいわき市の久之浜地区に行ってきた。この地区は、いわき市の北端にあり、漁業と農業をおもな産業とする地区である。山がちな地形で、海沿の狭い平地に人口が集中し、JR常磐線、国道6号線も海沿いにはしっている。この地区の北部は福島第一原子力発電所の半径30km圏内に入っている。
うづく
 初めに訪れたのは、この地区最北端の末続(すえつぎ)地区。JR常磐線の末続駅を周辺に小さな集落が存在するのどかなところである。かつて、私がいわき市に住んでいた時、海を見たくなったら常磐線の電車に乗って末続駅で降り、静かな集落を通って海を眺めたものである。私は末続駅前にクルマをとめ、集落の様子を見に行った。桃源郷のような小さな集落は、無残にも破壊されていた。かつては狭いながらも住宅が密集していたはずなのだが。今はわずかに家が残るのみである。向こう側に見える濃紺の海がうらめしい。私は、ただ立ちつくした。

Photo

 次いで、久之浜漁港に向かった。いわき市は水産業が基幹産業である。黒潮と親潮の潮目にあたるいわきの海は豊かな海で、多くの種類の魚が獲れる。しかし、今回の大震災で漁業で働く人や漁港や漁船が壊滅的な打撃を受けた。久之浜漁港は、陸に打ち上げられた船がいまだに片づけられずにいた。それだけ損害の大きさを雄弁に物語っている。しかも、それに加えて、放射性物質漏れによる海洋汚染。いわきの漁業はかつてない危機に見舞われている。

Photo_2

 久ノ浜駅にクルマをとめて、常磐線と久之浜市街地の様子を見に行く。久ノ浜駅から数百メートル四ッ倉駅に行ったところに4両編成の電車が止まっている。時刻表で該当する列車を探すと、地震発生とほぼ同じ14時47分に発車したいわき行きの電車がある。幸い、電車に大きな損傷はないから、乗員乗客は無事に避難できたものと思われる。常磐線は、ローカル輸送のみならず、首都圏と東北地方を結ぶ広域輸送も担う幹線鉄道である。いわき駅までは運転を再開したが、いわき~相馬間は原発の影響で、復旧には相当期間かかりそうである。いつの日か、常磐線の中でも車窓の良いこの区間が復旧することを心から願う。

Photo_3

 最後に、久之浜市街地を歩く。そこには、この世の終わりのような光景が広がっていた。私にはいったい何ができるのだろう、そして、何をなすべきなのか考えた。結局私は祈ることしかできないのだろう。両手を合わせ、この震災で亡くなられた方々のご冥福を心から祈った。そして、生存された方の生活が早く安定することを心から祈った。久ノ浜駅に戻ると、いつの間にか災害派遣の自衛隊の車両が止まっていた。久ノ浜駅前ではJRの社員が打ち合わせをしていた。確実に小さな光は見えている、その光が消えることのないように願う。

Photo_4

こんな時でも花が咲く

 昨日、仕事を休んで、実家の片付けに行った。実家は私の住む町から阿武隈山地を越えておよそ80km、太平洋に面した町である。3月11日の東日本大震災の本震で大きな被害を受け、4月11日の余震で危険な状態になった、両親が住む家の片づけをするためであった。あまり愉快な用事ではないし、正直気が重かった。地震のせいであちこちぼこぼこになった道路を走り、故郷の町が見えてきた。おや、いつの間にか桜の花が咲いている。私自身、この大震災が起きてから桜のことを気に掛ける余裕もなかったから、いつの間にかそんな季節になったことに驚いた。

 駅前の建物は、土台にひびが入っていたり、傾いたりしていて散々な状況であった。店の中には震災以来一度も開いていないと思われる店もあった。私が住む郡山市の被害も小さくないが、ここの状況はさらに良くなかった。両親の家のある団地はかつて田んぼだったところを埋め立てたところで、地盤が悪いことは承知していたが、道路に大きな亀裂ができていた。液状化が起きたのかもしれない。そして、更に愕然としたのが、両親の家の敷地内に、母屋とは別に物置があるのだが、その屋根の庇が完全に落ち、軽トラックが下敷きになっていたことである。まさかこんなことになっているとは、私は夢を見ているような気がした。冗談にしては悪質過ぎると思った。物置の庇の下には、今年で16歳になる老犬がいたが彼はうまく隙間に入っていて無事だったそうだ。ただし、私が以前の勤務校で拾って、いまはすっかりこの家の居候になっている猫は昨日の余震以来行方不明になっている。

 家に入ってみると、妙な感覚に気がついた。完全に家が斜めになっているのである。北側が沈み込んでいるのである。そのせいか、家全体の壊れ方も北西側がひどいように思われた。幸い、父も母もけがはなく、疲れてはいるものの、気力を失っているわけでもないのでほっとした。まずは作業内容を打ち合わせした。今日中にやることは2つ、この家の中の散乱しているものを片づけること、2つめは今後の仮住まいとなるアパートの清掃をすることだった。私は主にアパートの清掃をした。つい最近まで別の方が住んでいって、出て行ったばかりのようで、水周りを中心に汚れがひどく、清掃するのに骨が折れた。こちらをなんとか片づけて、住める程度の状態にして、両親の家に戻ろうとした途端、再び大きな余震が来た。後で知ったが、震度6弱ということだった。とりあえず柱にしがみついて地震をやり過ごした。両親の家は、せっかく片づけた荷物が再び崩れ、壁の一部が崩落していた。結局、今後も余震がありそうで、これ以上の作業は断念した。夕方、自宅に戻ったが、大した進展もなく戻ることと、猫の安否が不明なまま帰るのは心苦しかったが、この時期にこれ以上休むことはできなかった。

 家に帰って間もなく、良い知らせがあった。押入れの奥から猫が出てきたそうだ。揺れにおびえていたのだろう。嫌なニュースが続く中、やっと訪れた良いニュースは本当にうれしかった。

台湾から日本への応援歌

 まず、以下のリンクの映像をご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=ufWzjnZJN0M&feature=related

 この歌は、台湾の歌手の方々が歌う東日本大震災復興支援チャリティーソング「Believe(相信愛)」です。歌の最初と最後にメッセージを語る男性は台湾(中華民国)の総統である馬英九氏です。この度の東日本大震災では、多くの国々の方々から物心両面にわたって多大な支援を頂きました。台湾からも百億円を超える義捐金と、この歌にあるような暖かいメッセージをいただきました。日本人の一人として心より御礼申し上げます。まだ余震や原発事故におびえる被災地の方々にぜひ見ていただきたい映像です。

総理、こういうことこそトップダウンでお願いします

【4月9日現在の放射線量は】

(福島県内)
 浪江町( 20km北西)  47.5マイクロシーベルト
 南相馬市(20km北)     1.2マイクロシーベルト
 田村市常葉(30km西   5.5マイクロシーベルト
 飯館村( 40㎞北西)   5.9マイクロシーベルト
 田村市船引(40km西)   1.2マイクロシーベルト
 いわき市(45km南)    1.5マイクロシーベルト
 川俣町(50km北西)    1.8マイクロシーベルト
 福島市蓬莱(55km西北西) 2.8マイクロシーベルト
 郡山市(60km西)     2.1マイクロシーベルト
 福島市(60km北西)    1.0マイクロシーベルト
(福島県外)
 水戸市    0.15マイクロシーベルト
 宇都宮市   0.08マイクロシーベルト
 新潟市    0.05マイクロシーベルト
 山形市    0.06マイクロシーベルト
 仙台市    0.08マイクロシーベルト

 となっている。(文部科学省の調査による)

 この数字は、屋外で1時間に被ばくする放射線量である。
 例えば、浪江町の人が1年間屋外にいたとすると、47.4マイクロシーベルト×24時間×365日になる。すると、1年間で、416,100マイクロシーベルト(416.1ミリシーベルト)になる。人体に影響が出る放射線量は年間250マイクロシーベルト位からのようなので、浪江町は現在危険な状態にあると言える(実際に浪江町の人口が多い平野部は避難指示地区になっている)。日本国内で、避難指示を出す基準は、年間100マイクロシーベルト、屋内退避は50マイクロシーベルトとなっている。これを当てはめると現在とくに指示が出ていない飯館村も年間被ばく量が51.7マイクルシーベルトになり、屋外退避が必要な状態になる。現在避難指示や屋外退避指示が出ている地域外でも、実態に合わせて指示を出してほしい。

 しかし、問題はこれだけではない。
【年齢や性別によって放射線の影響が違う】
 放射線業務従事者(妊娠可能な女子を除く)が1年間にさらされてよい放射線の限度は100ミリシーベルト、しかし、妊娠可能な女子の放射線業務従事者が3か月間にさらされてよい放射線の限度は5ミリシーベルト(年間換算で20ミリシーベルト)となる。これは、生殖腺などへの影響を考慮したものだと思われる。これを適用すると、妊娠可能な女子に限っては20ミリシーベルトを避難した方がいいとすると、許容される1時間当たりの放射線量は2.28マイクロシーベルトになる。こうなると、福島県浜通り、中通りのうち、避難指示地区以外にも相当広がることになる。また、子どもはどうだろうか。子どもの被ばくしてよい放射線量は明らかにされていない。これも、早急に明らかにして、子どもは最優先に、次いで妊娠可能な女子を避難させてほしい。

【子どもは放射線の影響を受けやすい】
 チェルノブイリ原子力発電所の事故の数年後から、周辺の子供の甲状腺がんや白血病が増えたことは既に常識となっている。放射性ヨウ素は甲状腺に、放射性セシウムは骨髄に蓄積するのであるが、これらの影響を受けやすいのは乳幼児から成長期の子供たちである。大人には大して影響のない放射線量でも、子どもには十分危険であることも考えられる。さらに、この数字を見てほしい。福島市のある小学校の放射線量、地面から1mの高さでは3.2マイクロシーベルト、地面から1cmの高さでは5.3マイクロシーベルト。大人と子供のどちらが危険な空気を吸っているか、考えてみるだけでわかるだろう。

【最後に総理にお願いします】
 総理や官房長官、その他の皆様は、この1ヶ月間相当な負担がかかっていると思います。ここで、総理にお願いいたします。福島県の放射線量は決して低いとは思えません。大人は後回しでいいです。子どもに放射線障害の恐れが無視できない確率であるのなら、ぜひ避難指示を発令してください。不安を抱えている人が多くいます。この原子力発電所の事故により、経済的な損失、社会的な混t乱など様々な被害が予想されますが、最も憂慮すべきは人々の、とくに子どもたちの生命です。「避難したけれど実際は大丈夫だった」なら笑って許せます。しかし、「判断の遅れで数年後健康被害が出た」は決して許されることではありません。総理、どうか福島県内のうち、子どもたちの健康被害が予想される場合はためらわずに子どもたちだけでも避難させてください。どうかよろしくお願いします。

この教訓を忘れてはならない

 3月11日におきた東日本大震災では津波で多くの人が亡くなりました。北海道から四国までの極めて広い範囲に津波が押し寄せ、岩手県宮古市田老では38メートル、同県大船渡市の綾里湾では30.1メートルの津波が押し寄せたと推定される。他に、北海道えりも町、宮城県石巻市鮎川、福島県相馬市、同県いわき市小名浜、茨城県大洗町などでも非常に高い津波を観測した。房総半島に遮られ、津波の被害を受けにくいと思われていた東京都中央区の晴海でも1.3メートルの津波を観測した。

 下の画像は仙台市若林区藤塚から名取市閖上(ゆりあげ)にかけての地区を津波が襲う様子を映した映像です。津波が町や田畑を飲みこんでいる様子が良くわかります。きわめてショッキングで残酷な映像ですが、津波の恐ろしさ忘れないために、できるだけ多くの方に見てもらいたいと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=ll9x7LLkqPU

ラモスが来た!

 私の学校の体育館には現在200名弱の方が避難している。避難生活は不安で、変化の少なく、退屈なものである。そんな中でも、秩序を保って生活している姿を見ていると本当に頭の下がる思いである。そんな毎日に、ちょっとした変化をもたらす出来事が起きた。元日本代表、ヴェルディ川崎、京都パープルサンガ選手のラモス瑠偉が避難所の方々を応援するためにやってきた。

 ラモスが体育館に入ってきたとたん、澱んでいた体育館の空気は活気づいた。子どもたちだけでなく、大人たちもラモスを取り囲んで、握手、記念撮影、サイン、スターが来るってこんなに違うんだなと改めて実感した。そんな私もデジタルカメラを取り出してラモスの姿をカメラに収めた。わずか20分ほどの滞在で、次の避難所に向かったが、単調な毎日にとても良い刺激となった出来事であった。

怒り

 あらかじめお読みの方にお知らせします。この文章を読んで不愉快になる方がいらっしゃると思います。原子力発電を推進している方、および原子力政策に賛同されている方はこれ以降の文章は読まないでください。

 私の故郷は福島県の浜通りです。福島県は太平洋側から阿武隈山地までの地域(いわき市、相馬市、双葉郡など)を浜通り、阿武隈山地から阿武隈川流域の平地を経て奥羽山脈まで(福島市、郡山市、白河市)を中通り、奥羽山脈以西(会津若松市、喜多方市)を会津といいます。浜通りは、東北地方の中では温暖で雪も少なく過ごしやすい気候です。この地域の海は、暖流である黒潮と寒流である親潮の潮目にあたり非常に豊かな海です。春と秋のエメラルドグリーンに輝く穏やかな海は、なによりも私が大好きなものです。

 3月11日に発生した東日本大震災は、この地域に大きな被害をもたらした。大きな揺れで建物やインフラに大きな被害をもたらしただけにとどまらず、最大15メートルの津波が沿岸部を襲った。Google earthで被災地の画像を見ることができるが、相馬市、いわき市など何度も歩いたことのある海沿いの集落が無残にも破壊されている様子が分かった。しかし、この地域を襲った災害はそれだけではない。既にテレビでも新聞でも散々報道されているが、福島第一原子力発電所の事故により、周囲に放射性物質がまき散らされている事態になっている。既に放射性物質は偏西風に乗り、太平洋の向こうのアメリカでも観測されている。既に福島県浜通りの一部地域では、チェルノブイリの周辺を上回る放射性物質が観測されているそうだ。しかも、現在でもこの事態の終息の見通しはまったく立っていないという。

 この土地に生まれ育った人間の一人として、この土地と海が汚されていき、そこに住む人の健康と安全が脅かされている、あまつさえ原発周辺では津波で亡くなった人の遺体回収さえできないでいる。何もできずにいることが悲しく情けない。この気持ちをいったい誰にぶつければよいのだろうか。せめて原子力発電所さえなければ人々の気持ちももう少し前向きになれるし、復興に向けてうごきだすことができるのに。悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

フォト
無料ブログはココログ

BlogParts

  • 投票お願いします!
  • Forester Network
  • クリック募金
  • BlogPet

-占い-

ウェブページ