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東日本大震災~私の3.11 中

 ラジオから流れる情報は、私の想像を絶するものだった。地震のエネルギーを示すマグニチュードは8.4(後に9.0に修正)。8.4だって、信じられない数字だ。新潟県中越地震でM(マグニチュード)6.8、阪神大震災でM7.3、宮城県沖地震でM7.4、関東大震災でM7.9である。マグニチュードが1増えると、地震のエネルギーはおよそ32倍になるから、文字通り桁違いの大地震である。震源地は宮城県沖だそうだ。なに、宮城県沖だって。震源地から200kmくらい離れた福島県郡山市でこれだけ揺れたのだから、石巻や仙台は一体どうなっているのか、考えるのも怖い状況になっている。クルマの外は吹雪、車内の生徒は恐怖で声も出ない。ここは私がしっかりせねば。落ち着いて、生徒の保護者に電話をかけて見るが、まったく通じない。次いで、宮城県内に住む友人にメールを発信する。無事でいてほしいと願いながら。そのうちに、津波の情報が入り始めた。なんと福島県の相馬港で7.5メートルだそうだ。信じがたい数字だ。この数字なら防波堤では防ぎきれないだろう、今はため息をつきながら聞くしかない。そのうちに、体育館が安全そうだという知らせが入り、各学級の担任のクルマに避難していた生徒は体育館に集まることになった。

 このころになると、保護者も徐々に迎えに来て、道路の様子や市街地の様子について情報を聞くことができるようになってきた。建物に若干の被害が出ているほか、道路はおおむね無事だが、交通の殺到で渋滞になっていることが分かった。体育館にセラピーマットと言う柔らかいマットを敷いて、そこに生徒を集めた、その頃には近所の住民の方や老人福祉施設の方も本校体育館に集まり始めた。つい3時間前まで卒業式の予行練習やら表彰式をやったことが嘘みたいであった。そのうちに、職員が集められ、泊りこめる職員は協力してほしいという話が管理職からあった。私はそれに志願した。そのために、一時帰宅することにした。

 クルマに乗って自宅に戻った。外観上とくに被害は見られなかった。ただし、室内はひどい状況だった。箪笥は倒れ、食器棚は倒れなかったものの、中の食器は半分くらいが割れていた。その他色々なものが床にぶちまけられていた。買って間もないテレビは無残にも落ちていたが、今はそれにかまっている暇はなかった。とりあえず、スーツを脱ぎ、ウインドブレーカーに着替え、停電でも問題なく使える手回し発電の懐中電灯とラジオを持った。食料がすぐに手に入るかわからないから、家の中にあった菓子パンなどを口の中に詰め込んでおいた。

 学校にもどると間もなく私のクラスの保護者が迎えに来た。ほっとした様子で帰って行った。

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