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東日本大震災~福島県飯館村・南相馬市・相馬市の今

 昨日、福島県うち、放射線量が高く、計画的避難地域に指定された飯舘村と、津波の被害が大きかった相馬市、そして、福島第一原子力発電所から30km圏内にある南相馬市の現状を見てきた。これは、私が教師として、生徒たちに語りたいし、そうしなければならないとする使命感によるものである。私がそこで目にしたものは、あまりにも悲しいものばかりであった。

 はじめに訪れたのは飯舘村である。この村は、人口6000人あまり、阿武隈山地の真ん中にある村です。特産品は牛肉である。私は、郡山市から国道288号線、田村市の船引から349号線と走り、川俣から福島県道12号線に入った。郡山では既に散り果てた桜が、船引、川俣と行くうちに咲きだし、飯舘では満開になった。村の様子は特段変わったところはない。それどころか桜は満開で、山中の小さな村は平和そのものであった。逆にそれが悲しい。間もなく村を離れることになる人々はどんな思いだろうか。

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 飯舘村から石ポロ坂トンネルという変わった名前のトンネルをくぐり、急な坂を下り、平野にでるとそこは南相馬市である。南相馬市は大部分が福島第一原子力発電所から30km圏内に入っている。そのため、東日本大震災の直後は物資が極度に不足し、市長が窮状を全国に訴える事態となった。大震災から49日が立った今も、開いている店はまだ少なく、震災前の姿を知っている私にはあまりにも寂しい姿だった。南相馬市の中心部には常磐線原ノ町駅があり、運行上の拠点駅になっている。町は小さいが駅の規模は大きく、にぎやかであった。しかし、私が訪れた時の原ノ町駅はひっそりしており、人の気配がまったくなかった。レールは赤く錆つき、廃線廃駅のようであった。

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 最後に相馬市に向かう。相馬は、この震災で7.3mの津波が押し寄せ、大きな被害が出た。震災当日は、宮城県から岩手県にかけての三陸海岸からの情報が入らなかったから、ずっと相馬の津波の高さがもっとも高かった。私は相馬に何度も行ったことがあるから、おおまかに7.3mの津波で浸水した地区の様子が想像できた。もちろん想像したくないような恐ろしい想像であった。相馬市だけで400名以上の方が命を失った。国道6号バイパスをこえて松川浦に沿った道路に入ったとたん景色は一変した。津波で基礎だけを残して倒壊した家、陸上に打ち上げられた漁船、反対に流れれて水面から顔をのぞかせている家、一見して無事そうに見える建物も、1階部分がきれいに流されていた。松川浦の漁港を過ぎ、原釜の市場の前でクルマをとめた。鉄筋コンクリートの市場の建物は原形をとどめていたが、屋根の上に漁船があり、津波の激しさを物語っていた。そして、原釜の集落に行ってみると、そこは一面のがれきの荒野と化していた。たしかここは家が密集して、民宿もいくつかあったはず。私は茫然として立ちつくした、涙が出てきた、顔を覆って押さえようとしても次から次へと涙が出てくる。私は頭を下げ、手を合わせた。そんなことしか出来ないけれど、せめて亡くなった方々のご冥福を祈り、今回の災害の教訓を伝えていきたい。そして、これらの地域が元気になったら、その姿をみんなに伝えたい。

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 ※被災地を訪れる方へ
 ・放射線量の高い地域があります。あらかじめ十分な情報収集の上、自己責任でおとずれてください。
 ・道路事情の悪い地域があります。信号が機能していない地域もあります。運転には十分気をつけてください。
 ・復旧のための工事や被災地の住民の迷惑にならないように十分気をつけて行動してください。また、被災者の方のプライバシーには十分配慮してください。

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コメント

Didn’t know the forum rules allowed such brillinat posts.

That's way the besestt answer so far!

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