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東日本大震災~私の3.11 下

 やがて、学校周辺の方々が体育館に集まってきた。私たちはありったけのセラピーマットを体育館に敷いて、対応した。近くの老人福祉施設のお年寄りもやってきた。停電しているのに薄明るい明りがともった。誰かが発電機を持ち込んだそうだ。それだけでは暗いので、公用車のプリウスのヘッドライトで体育館の外から明りを照らした。そのうちに、炊きたてのご飯が届けられた。私たちは家庭科室や教室から持ち寄った塩でおにぎりにした。体育館に避難した方におにぎりを配った後、私もおにぎりを食べた。「ごはんってこんなに美味いんだ」普段何気なく食べているものの本当のありがたさに気付いた。
 
 ひと段落したのが午後10時過ぎか。時々新たに来る避難者もまだあった。私たちは体育館の隅に座り、ラジオのスイッチを入れた、このラジオは手回しで充電できるから停電も関係なく使える。そればかりか、携帯電話の充電もできる。これまでは車内泊のドライブの時使ったくらいだが、本来の目的は災害時の対応である。もっともこんなに大きな災害が来ることは予想していなかったが。

 余震はひっきりなしにあった。時には大きな余震もあった。しかし、みな疲れているのか、声を出す人はほとんどいない。ラジオから流れてくる情報は、想像を絶するものであった。「○○県◆◆市の◎◎地区は津波で壊滅状態です」、「□□地区は孤立しています」、「○○地区は△△メートルの津波がきました」、私も、近くに座っていた職場の人も、呆然として聞いていた。人の出入りがほぼなくなり、体育館にいた人もほとんどが横になった午前1時過ぎ、私たちもよこになった。ひどく疲れてはいたが、神経が高ぶっているのかなかなか寝ねつけ  なかった。ようやくうとうとしてきた頃大きな余震がきて目が覚めた。そんなことを繰り返しているうちに夜が明けてきた。2011年3月12日。歴史的な大震災の翌日になった。
    
                 (この後は、「東日本大震災~3.11 その後」として書く予定です。
 

 

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