2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

おすすめBLOG

  • Time is up
    りっちさんのブロクです。心と体、音楽、ファッション・美容など、色々な内容の記事が書かれています。
  • 旅は道連れ 気まま日記
    養護学校の教師をしている橘みかんさんのブログです。学校での生活の様子や、旅行が好きということで、これからは旅行の情報も期待できそうです。
  • 黒瞳のうさぎ
    お酒、心理学、旅行、温泉を愛するうさぎさんのブログです。写真付きの楽しい生地が多いです。
  • いい酒・夢気分♪
    アメリカのお住まいのモリビルさんのブログです。大好きなビールのことを中心に、楽しい話題が満載のブログです。
  • ちゃつねの独り言と写真館
    多趣味なちゃつねさんのブログです。アウトドア、クルマをはじめ、話題の豊富なブログです。
  • おしゃれまっちのすてきせいかつ
     旅の大好きなまっちさんのブログです。膨大な旅行記は読み応えがあります。旅の途中で撮った写真を見るのもとても楽しいですよ。
  • UME Blog
     旅行が好きなUMEさんのブログです。毎回テーマのしっかりとした旅をされていてとても興味深い旅行記を書いています。
  • 日常彩彩
    エムエムさんのブログです。社会の出来事について、気になったことを鋭く、それでいて優しい視点で書いています。時々掲載する写真もとてもいいです。
  • five-half blog
    福島県いわき市で美容室「five-half」を経営している谷口さんのブログです。家族のこと、お客さんとのふれあいなど興味深い記事が満載です。
  • 岡本パンスタジオ
    仙台市で自宅および福祉施設等でパン、ケーキ作りの講師を行っている岡本さんのホームページ&ブログです。これを読むと今すぐパンを作りたくなること確実!

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月の15件の記事

「魏志倭人伝」の国々へ 6

【嵐の中で見たものは 12月28日】

 唐津発呼子経由波子岬行きの昭和バスの路線バスは、さっき列車を降りた西唐津駅を右に見ながら国道204号線を進む。ちょうど席は埋まっているが、地方のバス路線の常で、平均年齢が非常に高い、30人くらいのっているが、私は、おじいちゃんに連れられた5歳くらいの男の子と、部活帰りの女子中学生2名に次いで若い。唐津の市街地をでると、海沿いに走る国道ではなく、山間部をショートカットする県道に入る。さっき菜畑遺跡に行く時にも土砂降りの雨と突風に悩まされたが、再び風雨が強くなってきた。
 バス停ごとに少しずつお客を下し、再び海が見えると深い入り江の奥にある港町、呼子に着く。ここで客の入れ変わりがある。呼子を発車したバスは、坂を駆け上がり高い橋を渡る。川かと思って見てみたら波が立っている。深い湾である。橋を渡るとすぐに名護屋城であるが、バスは湾の入り口近くの集落に寄ってから名護屋城に向かう。まだるっこしいが景色がいいのでそのままバスに乗る。

 名護屋城でバスを降りる。ここには博物館があり、日本と朝鮮半島の文化交流を中心にさまざまな文物が収蔵されている。面白かったのは、朝鮮のトーテムポールのような人形や安宅船とよばれる当時の軍船だった。名護屋城は1592年、豊臣秀吉によって朝鮮遠征の基地として建てられた城である。かなり大きな城だったようで、5重7層の天守のほか、各大名の陣屋があり、当時の城としては、大阪城に次ぐ規模だったそうである。金箔を貼った屋根瓦も見つかっており、豊臣家のけた外れの経済力を物語っているといっていいだろう。私はいよいよ城内を散策し、豊臣秀吉の夢の跡をたどろうと思ったら、チケット売り場の女性から嬉しくない知らせを聞いた。「どちらからいらっしゃいましたか?」「福島からです」と答えた。女性はしばらく考え込んで「竜巻注意報がでているそうですから早めに戻ってきてください、無理だと思ったらすぐに引き返してください」と注意を受けた。おそらく、近県からの人だったら引きとめるつもりだったのであろう。

Photo

 歩きだして間もなく、強い風の直撃を受ける。この風は福島のへろへろ台風よりよほど強い。立ち止まって両足で踏ん張っていないと吹き飛ばされそうである。そのうち、風が強くなるタイミングがわかるようになるった。なんとか天守跡までたどり着いたが、あまりの強風に秀吉の野望に思いをはせるどこどころではない。ほうほうの体で名護屋城を後にする。呼子までは歩いていこうと思っていたが、それどころではない。釣り餌のアオメエソの匂いのするタクシーを見つけてそれに乗って呼子まで行った。

カエルの唄

 今年は原子力発電所の事故が起こったので、あまり外に出ることはなかった。しかし、暑くも寒くもないこの時期、家の中ばかりにいるのはあまりにもったいない。夜、風が原子力発電所の方から吹かない時をみはからって、少し散歩をしてみた。夜の散歩は大好き!別に昼間堂々と表を歩けないようなやましいことはないが、夜の住宅地や田んぼを、涼しい夜風にあたりながら30分くらい歩く。歩いているうちに心の底にたまったおりがすうっと抜けていくような気がする。久しぶりに夜の散歩をしてみると、いつのまにかカエルの唄があちこちから聞こえるようになっていた。中にはうっかりしたカエルなのか、どぶの中で鳴いているカエルもいる。そんなカエルの唄を聞きながら歩いた。原発事故以来、季節感がおかしくなっているが、カエルの唄を聞いたことでようやく元に戻りつつあるのかもしれない。

特急「スーパーおおぞら」

 昨晩、あわや大惨事になりかねない鉄道事故があった。JR北海道の石勝線で、釧路発札幌行の特急「スーパーおおぞら」14号が、エンジンの動力を車輪に伝えるプロペラシャフトの部品が脱落し脱線、トンネル内に停車し、床下から発火し、6両編成の列車が全焼した。幸い、240名あまりの乗員、乗客に犠牲者はなかったが、トンネル内の車両火災なので、一酸化炭素中毒になった乗客があった。事故現場の直後には長いトンネルがあり、その中央部分で事故が起きたらいったいどうなったことか、私は背筋の凍る思いがした。
 「スーパーおおぞら」は、札幌、南千歳(千歳空港乗り換え駅)と、新夕張、帯広、釧路を結ぶ特急列車でる。ライバルの航空機は空港までの移動時間と輸送力の面で不利に、自動車は定時性と冬季の峠越えに難があり鉄道が優位となっており、JR北海道のドル箱列車となっている。JR北海道は、この特急に、軽量ステンレス車体に高出力のディーゼルエンジン、カーブを高速で走れるように車体を傾斜させる機構を備えた車両を投入した。この車両が今回事故を起こした車両である。製造後10年を超え、長距離の高速運転による疲労が現れる頃なのかもしれない。それを早期に発見するための車両のメンテナンス体制は十分だったのか、十分検討してほしい。
 「スーパーおおぞら」は、南千歳から新得までの無人地帯に近い森林地帯、帯広の先の池田から釧路までの海と湿原が織りなす荒涼とした車窓、間違いなく日本屈指の素晴らしい場所を走る列車である。安全を確保して、たくさんの旅人を楽しませる存在として復活することを心から願う。

再開します

 昨年末の九州への旅行を書いた、「魏志倭人伝の国々へ」ですが、東日本大震災などのため、一時中断していましたが、再開します。2日目の途中、唐津で止まったままでしたが、これからイカで有名な呼子、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地とした名護屋に向かいます。

 それでは、過去の分です

 1(旅の出発まで)http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2011/01/post-02b3.html

 2(羽田空港~福岡空港)http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2011/01/post-e7ca.html

 3(天神・福岡タワー)http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2011/01/post.html

 4(福岡城址)http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2011/01/post.html

 5(筑肥線・唐津)http://gami-yuki.cocolog-nifty.com/weblog/2011/02/post.html

故郷に帰る日まで

 最近、各地でB級グルメを生かした町おこしが盛んである。秋田県の横手焼きそば、栃木県の宇都宮餃子、東京都のもんじゃ焼き、静岡県の富士宮焼きそばのほか、各地のご当地ラーメンもそれに当てはまるだろう。福島県の浜通り、太平洋に面した浪江町のなみえ焼きそばも最近知名度を上げたB級グルメのひとつである。特徴はもちもちとした食感が楽しめる太麺、それにやや甘口のソースと豚肉ともやしだけのシンプルな具である。しかし、3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故により、浪江町は全域が避難地域になり、この焼きそばも失われた味になってしまうかと思われた。しかし、そうではなかった。どっこい生きていたのだ。

 今日の午後、私は駅前に買い物に行った。デパートの催事場で何かやっていないかと覗きに来た。すると福島県物産展をやっていることがわかった。福島県に住んでいる者が福島県で福島県物産展に行くのはなんだかおかしな気もしたが、福島県の経済はいまやがけっぷちの状態、美味しそうなものがあったら買って帰れば、少しは福島の経済を回すことができる。何かないかなと見ていると、なみえ焼きそばというのぼりを見つけた。なんだか懐かしい名前を見て嬉しくなった。しかし、私はついさっき、ざるそばの昼食を食べたばかりで、胃に焼きそばが入りそうなスペースは残っていなかった。残念だが、なみえ焼きそばが無事であることを確認できてよかった。今後もイベントに出展することが予想されるので、情報収集に努め、次回は焼きそばを食べてみたいと思う。関係者の皆様も、たいへんだと思いますが、浪江が安全になる日まで、この味をぜひ守ってください。

南相馬市・相馬市への交通機関の案内

福島県南相馬市・相馬市は、東京~水戸~いわき~原ノ町(南相馬市)~相馬~仙台と関東地方から東北地方の海岸線に乗って走る、JR常磐線、国道6号線、常磐自動車道(3月11日の時点で三郷~常磐富岡、山元~亘理が開通済)が主な交通路であった。しかし、3月11日に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、これらの地域への交通機関は大きな打撃を受けた。JR常磐線は現在、久ノ浜駅(いわき市)~亘理駅間が運休。国道6号線も避難地域にあたる広野町~南相馬市間が通行止、常磐自動車道が広野IC~常磐富岡IC間が通行止になっている。このため、南相馬市、相馬市と関東地方の交通が大幅に不便になっている。そこで、公共交通機関利用者のための情報としてこれらの地域と関東地方を結ぶ交通機関について情報提供をする。

【新幹線~仙台経由~相馬・南相馬】

東京駅(東北新幹線 所要2時間5分~2時間30分 1時間に2~5本運転)仙台駅
仙台駅(常磐線 所要30分 1時間に1本程度)亘理駅
亘理駅(常磐線代行バス 所要55~1時間10分 1時間に1~2本運転)相馬駅
相馬駅(常磐線代行バス 所要55分 1日9往復運転)原ノ町駅
  代行バス 相馬駅発 7:00 8:30 10:15 11:10 13:50 ※15:25 17:00 18:40 ※20:05
         原ノ町駅発 5:00 ※5:35 6:40 ※8:35 10:50 12:30 14:50 ※16:45 18:30
      ※印のバスは、亘理~相馬~原ノ町間を直通運転するバスです
      代行バスの時刻は5月23日からの時刻です。5月22日までは亘理~相馬間のみの運転です。

コースの1例 東京駅7:56 はやて119号 10:03仙台駅
         仙台駅10:24 常磐線 10:56亘理駅
         亘理駅11:10 代行バス 12:05相馬駅
   料金は11,430円(新幹線は指定席利用の場合)です。

【新幹線~福島経由~相馬・南相馬

東京駅(東北新幹線 所要時間1時間45分~2時間 1時間に2~4本運転)福島駅
福島駅(福島交通路線バス 所要福島から相馬まで1時間20分 福島から南相馬まで2時間 1日6往復運転)
   福島発 6:30 8:45 10:00 15:30 18:00 19:30
   南相馬発 6:00 7:00 9:30 13:30 17:10 18:30

コースの1例 東京駅8:00 MAXやまびこ17号 9:47福島駅
         福島駅10:00 福島交通バス 11:20相馬営業所・12:00南相馬市役所
   料金は新幹線8,700円(指定席利用の場合)福島交通バス1,000円(相馬まで)・1,500円(南相馬まで)

【高速バス~福島経由~相馬・南相馬】

新宿駅新南口(高速バス 所要時間5時間 1日に6往復運転)福島駅東口(JRバス関東・JRバス東北・福島交通)
   新宿発 8:00 9:50 14:10 17:10 18:10 19:10
   福島発 6:43 7:18 9:23 10:18 15:28 17:08

横浜駅東口・東京駅八重洲南口(夜行高速バス 所要時間下記参照)福島駅東口
   横浜23:05・東京23:59~福島6:10
   福島22:50~東京5:00・横浜5:55

福島駅~相馬・南相馬…上記のコースを参照

コースの1例 新宿駅新南口9:50 (高速バス) 14:49福島駅
         福島駅15:30 (路線バス) 16:50相馬営業所・17:30南相馬市役所
         料金は 高速バス4,800円、福島交通バス1,000円(相馬まで)・1,500円(南相馬まで)

関係各社のリンク
・JR東日本 http://www.jreast.co.jp/index.html
 東北新幹線時刻表http://www.jreast.co.jp/index.html
 常磐線時刻表(仙台~亘理)http://www.jr-tabi.com/eqpdf/jb3-time.pdf
 常磐線代行バス時刻表http://www.jr-tabi.com/eqpdf/bus-ws2-time.pdf
・福島交通http://www.fukushima-koutu.co.jp/
 福島~相馬・南相馬間時刻表http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/pdf/20110516_smfs.pdf
 (高速バス)東京~福島http://www.fukushima-koutu.co.jp/highway/area_10.html
・JRバス東北 (夜行高速バス)横浜・東京~福島 http://www.jrbustohoku.co.jp/express/detail/?PID=8&RID=27

 なお、福島県の公共交通機関に関する質問に対し、可能な範囲でお答えします。メッセージ欄にお書きください。

東日本大震災~その後(終)

 3月14日

 3月18日に予定されていた卒業式、中止決定する。
 避難所の空気重い。福島第一原子力発電所は最悪の状況が続く。昼前3号機が爆発。体育館に設置された大型テレビに避難者、職員が集まる。爆発の瞬間にはため息とも悲鳴ともつかない声が上がる。子どもたちの元気さだけが救いか。

 3月15日~20日

 避難所になった体育館と自宅を往復する毎日。夕方、自転車を駆使して買い出しをする。相変わらずの物不足であったが、地元資本の小さなスーパーマーケットが頑張っている。冷凍品を解凍したり、仕入れに奔走したのだろう。ありがたいことである。全国から支援物資が届き始める。避難者の食糧事情はだいぶ改善する。しかし、着の身着のままで避難してきた人が多く、衣類の不足が目立ち始めた。

 3月21日~27日

 山口県職員の方が応援として学校に入る。また衣類、生理用品、衛生用品などが届き、物的な面では相当充実してきた。避難者の方々にも少し気持ちの余裕が出てきたか。一方、小さなトラブルも現れ始めた。私が住む郡山市にも、26日に磐越西線が復旧して、貨物列車での石油輸送がはじまり、ガソリン事情が急速に改善してきた。街中もクルマが増え、ゴーストタウンのようだった町にも活気が戻る。

 3月28日~4月3日

 避難所の運営を山口県職員の方、地域の方々や避難者有志のボランティアの方々に徐々に委譲する。とくに人手の必要な炊事に陸上自衛隊の方々が入るようになり、私たちは学校の再開に向け動き出す。このころから閉まっていた店も次々に開き、生活が通常に戻る。ガソリンを入れるのに行列する必要がなくなった。

 4月4日以降

 4月11日に授業が再開。4月6日に予定されていた入学式は4月28日に場所を変えて実施。4月以降も体育館は避難所として開放されているが、徐々に避難者の方は減少する。福島第一原発の情勢は相変わらず先が見えない。長期戦を覚悟する。

 最後は簡単になってしまいましたが、これが私の震災体験記です。この記事をもって東日本大震災関係の記事はひと段落させたいと思います。福島県内の町の復興状況や、東北地方の鉄道の運転再開状況は今後も折を見て掲載します。まだ、避難所にいる方、家族を亡くされてショックから立ち直れない方、農林水産業や自営業などの方経済的な危機から脱していない方が多数いらっしゃると思います。また、福島第一原発の事故は、まだ終息の見通しすら立っていません。健康被害を心配されている方、生活基盤を失い、今後の生活に頭を抱えている方も多いと思います。私も子どもと接する職業の者として、福島県の子どもたちの今後を心から心配しています。そんな方が少しでも早く笑顔になれることを心から願っています。(終)

気持ち年齢は18歳のつもり…だけど

ブログネタ: あなたの“気持ち年齢”は、いま何歳?参加数

 気持ち年齢は永遠の18歳でいたいけれど、現実にはそんなこと無理ですよね。せめて、いつも実年齢ー10歳でいられたらいいかなと思っています。

東日本大震災~3月13日

 目が覚めて、まわりを見渡す。あたりまえのように布団があり、あたりまえのようにたんすがある。しかし、顔を洗おうとして洗面台の水道の蛇口をひねったが水はでない。そうだった、これまでのような日常ではないのだ。あらためて実感した。浴槽から水を少しだけ汲んでタオルを濡らす。それで顔を拭く。今日も午後から避難所になっている体育館に行くつもりだが、午前中は少しだけ身体を休めることにする。テレビからは相変わらず津波で壊滅した町の様子が流れてくる。私は自宅も無事であるが、自宅を流された人はどうやって生活を再建するのだろうと心配になる。そして、福島第一原発の情報。1号機は既に爆発したが、他の原子炉も危険な状態が続いているそうだ。「冗談じゃないよ、これ以上爆発したら福島、終わるぞ」とテレビに向かって悪態をつく。

 昨日炊いたご飯の残りと、野菜の浅漬けの残りで朝食にして、買い出しと町の様子を把握するために出かける。昨日までの情報で、スーパーマーケットはほとんど閉店、コンビニエンスストアも商品が売り切れたら今後の入荷の見込みが立たないと聞いていたので、その前に少しでも買っておきたかった。
 
 私が走った道路は、あまり被害が無かった、しかし、街中の建物の中にはほとんど崩壊状態のところもあった。コンビニエンスストアは残念ながら酒くらいしか残っていなかった。駅近くの駐車場にクルマを止めた。駅前はほとんど開いている店はなかったが、コンビニエンスストアが1軒だけ開いていた。駄目もとで入ったら、案に相違して商品があった。自家用車が中心の地方では、駅前こそ穴場と言えるのか もしれない。カップラーメンとカップ入りのスープ、カロリーメイトなどを購入する。駐車場に戻る途中、自動販売機で飲み物を買う。ミネラルウオーターやお茶は売り切れていたが、炭酸飲料や果汁飲料は残っていたあので購入した。

 午後学校に入ると、体育館はがらがらだった。地元の人はほとんどが帰宅し、これからは原発の避難区域の方や、津波で被災した方を受け入れることになったと説明があった。私たちは食事の準備や会場の準備、避難物資の受け入れのために走り回った。夕方から避難者が押し寄せ、体育館はたちまちいっぱいになった。津波がきてから50時間以上、原発周辺に避難指示が出てから40時間以上が経過していた。避難してきた方は一様に疲労困憊していた。とくに、老人保健施設の方が施設ごと避難してきたときには、めを疑うような惨状であった。
 

キセキ

 kiroroに「キセキ」という歌がある。kiroroの歌の中ではちょっと変わり種の歌である。彼女たちの歌と言えば、青春の「長い間」とか、「未来へ」とか、「Best Friend」とか、青春の光の部分を、明るく、健康的に歌うのが持ち味である。ところが、「キセキ」はちょっと違う、青春の影の部分がちょっとだけ見え隠れする歌なのである。「~タバコの煙が涙を誘う~」なんて歌詞はkiroroの他の歌にはたぶんないだろう。この歌に「~奇跡なんてありえないと思っていた~」という部分がある。そりゃ、ありえないから奇跡って言うんだろうと思うけれど、長年生きていれば小さな奇跡は何回かおきている。今回は、そんな小さな奇跡の話です。

 3月11日、東日本大震災発生、その直後から、私の勤務校の体育館は被害はごく軽微であったため、避難所として開放されることになった。はじめは学校周辺の人が、13日以降は津波の被害が多かった地区やや原子力発電所の避難区域になった地区の人が主に利用した。私たち職員は、避難所の運営を行った。避難者の数が落ち着いたある日、ある避難者のご夫婦が私に声をかけてきた。「もしかして○○さん(私の本名)ではありませんか?」。私は9年間の時間が短絡した。「△△さんですよね」。その後、夫婦は私が9年まで住んでいた借家のお隣さんだった。そこは、4軒の借家が並んでいて、全部20代の夫婦ばかりであった。年齢が近いから、よく立ち話をするなど、仲良くさせてもらった。当時奥様のお腹の中には赤ちゃんがいたが、もう小学校中学年になっていた。その後、私たち夫婦は離婚し、あいさつもそこそこに引っ越していったから、その後みんながどうしていたかは気になっていた。△△さんの話によると、私たちが住んでいたところまで津波が押し寄せてきたそうだ。その場所は、海から1㎞も離れていないところだが、小高い砂丘があるから大丈夫だろうと思っていたが、そうではなかったようだ。その後、仕事の合間にお話しさせてもらった。災害のためとはいえ、お会いできたことは奇跡といっていいかもしれない。

 昨日、△△さんが避難所である本校体育館を去ることになった。お互い名残を惜しんだ、奥様は涙を流して感謝の言葉を言っていた。今度は、お互いこんな形ではなく、通常の生活をしているときにお会いしましょう。それが本当の奇跡なのだと思います。

東日本大震災~3月12日

 3月11日の震災発生直後から勤務校の体育館で避難者の対応にあたっていた私は、翌12日の午後まで体育館にいた。午後になって昨日帰宅した職員が戻ってきたので、私たち泊まり込んだ職員は引き継ぎを済ませ帰宅した。私も帰宅することにした。これから暗くなるまで4時間ほど、この間に当座の食料の確保、自宅の片づけをおこなわなければならない。ひどく疲れているが、のんびりしている暇はない。幸い、クルマのガソリンは給油したばかりで当面心配はいらない。しかし、冷蔵庫の食材は空っぽに近い。しかし、電気がきていないかもしれないから、衛生面を考えるとあってもなくても同じことかもしれない。

 幸い私が通った道路はおおきな損傷はないようだった。しかし、道路沿いの建物のなかには、壁にひびが入ったり、塀が崩れたものも多い。コンビニエンスストアに入ったらもっと驚いた。見事に商品が無かった。残っているのは、酒とアイスクリームのみであった。こんな状態で酒を買ってもしょうがないから、とりあえずアイスクリームを2,3個買っておく。これでいくらか腹の足しになるだろう。

 家に帰って、まず最初に電気が使えるか試した。「やった!思わず声を上げた。電気は無事使えたのだ。次いで水道はどうか、こちらは、水がちょろちょろと流れるだけ、断水である。とりあえず、水が出るうちに水を少しでも確保したかったので、浴槽に貯めることにした。
 次いでテレビを見ながら昼食としてアイスクリームを食べた。福島第一原子力発電所は、昨日の地震と津波で大きな損傷を受け、外部電源を失い原子炉が冷却できない危機的な状況になっていた。私は心臓が押しつぶされるような不安な気持ちになった。とっさに思ったのが、こんなことで死にたくない、それだけだった。
 テレビをちらちら見ながら家の片づけをする。倒れたたんすを元に戻し、散乱したものを収めていく。食器棚は倒れなかったものの、中の食器が半分くらい壊れていた。中には九谷焼の高価なものもあったが、諦めるしかない。電気が使えるから、掃除機も使え、作業は思いのほかはかどった。片づけが終わり、お湯を沸かしてお茶を飲みながらテレビを見ていると、ぞっとするような光景に出合った。ついに福島第一原発1号機が水素爆発を起こしたのだ。私は茫然とした。言葉もない。身体中から血の気が引いて行くのがよくわかった。とりあえずPCも立ち上げてテレビと同時進行で情報収集に努めた。夕方、原発の半径20kmに避難指示が出るという報道があった。私は原発からおよそ55km離れているが、貴重品や着替え、備蓄している食料や飲料水をクルマに積み込んでいつでも避難できる体制にした。夜になって、いつ停電になるかわからないので、ありったけの米をおにぎりにした。この状態で冷凍すればしばらくは持つ。私はお茶とおにぎりと、冷蔵庫の野菜で作った浅漬けで軽い夕食をすませた。結局水は浴槽の底に20cmほど溜まっただけだから、入浴はしばらくできない。とりあえずかたく絞ったタオルで身体を拭く。これでもずいぶんさっぱりした気持ちになる。
 夜は自宅の布団で寝る。体育館の薄いマットの上で寝た昨晩と違い、なんと快適なことだろう。まだ余震は多いし、原発の動向は気になるが、疲れが出たせいか、ぐっすりと寝ることができた。

たくさんのハートに触れる

 3月11日に東日本大震災が発生した。明日で震災から2カ月になるが、この2カ月の間に本当に色々なことがあった。これまで体験したことのない災害の前に、人間の無力さを感じたこともあった。棚が空っぽになったコンビニエンスストアを見て、私たちの便利な生活がいかにもろい基盤の上に立っているものかを思い知った。福島第一原子力発電所の事故以降、見えない放射性物質の恐怖を改めて思い知った。放射線量の高い福島県の中通りに乳幼児や妊婦が残っているのは本当に心配で気の毒であった。原発の周辺から疲れ切った表情で避難してきた人たちを目の前にして、何もできないことにいらだったこともあった。嬉しいことと悲しいことを比べれば、圧倒的に悲しいことが多かった2ヶ月間であった。それだけに嬉しいことはより印象に強く残った。
 避難所になった学校の体育館で、生命の危険にさらされ、これからのことで不安がいっぱいだったはずの避難者の方々は、おおむね規律を守って生活をしていた。このことは諸外国のマスメディアでも報道され、驚きをもって受け止められた。そして、寒くてプライバシーのない状況の中で、私たちへの感謝の言葉を忘れなかった。このことは特筆されてよいことだと思う。そして、私自身にも、震災発生当日から安否を気遣うメールが多数寄せられた。普段疎遠になっている友人も。私のことを忘れないでいてくれた。目の前が真っ暗になりそうな日々、友人たちにどれだけ励まされたことだろう。そして、市役所職員として働く弟は自分の職責を果たし、妊娠している義妹と2歳の甥を抱える弟、は自分の家庭をしっかりと守る姿は私の眼にとても頼もしく映った。この兄弟はむかしからそうだったけれど。そして、避難者の対応にそれぞれのもてる力を発揮した職場の仲間たち。このような状況でもプロフェッショナルに徹した姿はr一派だったと思います。そして、福島のためにチャリティーパーテーィを開いてくれた友人、これから岩手県の被災地にボランティアとして入る友人。ほんとうに数えきれれれないくらいのたくさんの人の暖かいハートに触れた2ヶ月間でした。

あまりにも厳しく、過酷なこの現実

 昨日、菅総理大臣の記者会見で、中部電力に浜岡原子力発電所の停止を要請したそうだ。これは、非常に勇気ある決断だと思う。浜岡原発は東海地震の震源域にある。福島第一原子力発電所は、地震の震源域から離れていたから、原子炉の緊急停止にはほぼ成功したようだが、浜岡の場合には緊急停止すらできないうちに外部電源の喪失、揺れや津波による機器の破壊にみまわれ、よりひどい状態になるかもしれない。まずは、これでひと安心といったところであろう。

 さて、福島県の問題に戻ろう。下のリンクの「別紙2」という地図を見てほしい。この地図は福島県内の土壌に含まれるセシウムセシウム134と137の量である。単位はベクレル/㎡である。(以下ベクレルと表記する)

http://xepid.com/src/up-xepid17434.pdf

 原発周辺と北西方向の浪江町、葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町、伊達市と、南西側の川内村、いわき市に向かって土壌汚染がひどいことがみてとれる。ちなみに、1985年にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故では、当初148万ベクレル以上の地域が強制避難地域に指定された。強制避難地域は後に55万5000ベクレル以上の地域に変更された。そして、事故から25年が経過した今でもそれは解除されていない。(一部解除されてたかどうかは不明)

 これを福島県と周辺地域にあてはまたらどうなるか。ソ連のウクライナやベラルーシと違い、日本は雨が多いので、土壌の汚染物質を洗い流す力が強いと考えられる。そこで、60万ベクレル以上の地域が今後長期間にわたって人が住めなくなる地域と仮定しよう。「別紙2」で赤、黄色、緑の地域である。

【全ての地域が長期間住めなくなる自治体】

 富岡町、大熊町、浪江町、葛尾村、飯舘村

【一部の地域が長期間住めなくなる自治体】

 いわき市、川内村、広野町、浪江町、南相馬市、相馬市
 田村市、本宮市、二本松市、川俣町、福島市、伊達市、宮城県丸森町

 浪江町は常磐線の線路から東側だけは居住可能。ただし、この地域は津波の被害が大きかった地域が含まれる。
 南相馬市は小高、原町、鹿島の市街地とその周辺の平野部は居住可能。ただし、浪江町ともども東側は海、南側と西側は長期間人が住めない地域と言うことで、ほぼ陸の孤島と化す。
 福島市は松川に沿った地域と、阿武隈川の東側に土壌汚染が高い地域がある。人口の多い地区なので心配である。

 いずれにせよ、福島の場合、いまだに放射性物質の放出は止まっていないし、今後の情勢の急激な変化の恐れは消えていない。また、ソ連の基準をそのまま日本に適用できるのかという問題もある。いずれにせよ、故郷や経済的基盤を失う人が多数出ることは確実なので、長期的な対策を政府と東京電力には求めたい。

 蛇足であるが、私の住んでいるところはほぼ30万ベクレル。ソ連基準の半分強である。やれやれ…

 

この国の偉い方のレベルはこんなもの

あるところからのコピペです。


(水俣病)
1970年 政府:「有機水銀はただちに健康に問題はない」

2004年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

(アスベストによる健康被害)
1980年 政府:「アスベストはただちに健康に問題はない」

2005年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

(薬害エイズ)
1985年 政府:「薬害エイズはただちに健康に問題はない」

2002年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

(福島第一原発事故)
2011年 政府:「放射能はただちに健康に問題はない」←イマココ!

 この国の偉い方の対応はまいどこんなものです。人がバタバタと倒れてからではないと動きません。どうか、自衛をしてください。国はあなたの命を守ってくれません。楽観的な情報を鵜呑みにしないでください。

これはどういうこと?

まずは以下の文章をお読みください


 現状では、牛・鶏・豚の「生食用」食肉は流通していません
生食用食肉として提供できるのは、平成10年の厚生労働省通知「生食用食肉等の安全性確保について」で示された指導基準に基づいて処理された牛と馬の肉・ レバーのみです。平成20年度に国内のと畜場から生食用としての出荷実績があるのは馬の肉・レバーだけでした。
輸入牛肉の一部を除き、牛・鶏・豚の肉や内臓肉は生食用食肉としての出荷実績はなく、生や半生で提供すると食中毒が起こる可能性があります。
食中毒を起こした店が負うべき責任は多岐にわたり、営業停止の行政処分を受けたり、被害者への賠償責任等が生じます。生食用食肉以外の肉を生で提供しないでください。(東京都福祉保健局ホームページ、食品衛生の窓サイト内掲載の事業者向けリーフレット「正しく知ろう!生肉の取扱い」から引用)

 私は馬刺しが好きです。馬刺しといっても地方によってはなじみの無い方もいらっしゃると思いますが、福島県ではわりとよく食べられているもので、居酒屋のほかスーパーマーケットで売られていることもあります。その他、鶏刺し、レバー刺し、タルタルステーキ、そして今問題になっているユッケなどの形で食肉の生食がされている。しかし、上の文書によると、馬肉と馬のレバー、輸入牛肉の一部を除き生食用の食肉は流通していないことになっています。ということは、今まで食べた鶏刺しやユッケは加熱用である可能性が高いわけですね。(鶏の場合は100%ですね)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

フォト
無料ブログはココログ

BlogParts

  • 投票お願いします!
  • Forester Network
  • クリック募金
  • BlogPet

-占い-

ウェブページ