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キセキ

 kiroroに「キセキ」という歌がある。kiroroの歌の中ではちょっと変わり種の歌である。彼女たちの歌と言えば、青春の「長い間」とか、「未来へ」とか、「Best Friend」とか、青春の光の部分を、明るく、健康的に歌うのが持ち味である。ところが、「キセキ」はちょっと違う、青春の影の部分がちょっとだけ見え隠れする歌なのである。「~タバコの煙が涙を誘う~」なんて歌詞はkiroroの他の歌にはたぶんないだろう。この歌に「~奇跡なんてありえないと思っていた~」という部分がある。そりゃ、ありえないから奇跡って言うんだろうと思うけれど、長年生きていれば小さな奇跡は何回かおきている。今回は、そんな小さな奇跡の話です。

 3月11日、東日本大震災発生、その直後から、私の勤務校の体育館は被害はごく軽微であったため、避難所として開放されることになった。はじめは学校周辺の人が、13日以降は津波の被害が多かった地区やや原子力発電所の避難区域になった地区の人が主に利用した。私たち職員は、避難所の運営を行った。避難者の数が落ち着いたある日、ある避難者のご夫婦が私に声をかけてきた。「もしかして○○さん(私の本名)ではありませんか?」。私は9年間の時間が短絡した。「△△さんですよね」。その後、夫婦は私が9年まで住んでいた借家のお隣さんだった。そこは、4軒の借家が並んでいて、全部20代の夫婦ばかりであった。年齢が近いから、よく立ち話をするなど、仲良くさせてもらった。当時奥様のお腹の中には赤ちゃんがいたが、もう小学校中学年になっていた。その後、私たち夫婦は離婚し、あいさつもそこそこに引っ越していったから、その後みんながどうしていたかは気になっていた。△△さんの話によると、私たちが住んでいたところまで津波が押し寄せてきたそうだ。その場所は、海から1㎞も離れていないところだが、小高い砂丘があるから大丈夫だろうと思っていたが、そうではなかったようだ。その後、仕事の合間にお話しさせてもらった。災害のためとはいえ、お会いできたことは奇跡といっていいかもしれない。

 昨日、△△さんが避難所である本校体育館を去ることになった。お互い名残を惜しんだ、奥様は涙を流して感謝の言葉を言っていた。今度は、お互いこんな形ではなく、通常の生活をしているときにお会いしましょう。それが本当の奇跡なのだと思います。

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