東日本大震災~その後(終)
3月14日
3月18日に予定されていた卒業式、中止決定する。
避難所の空気重い。福島第一原子力発電所は最悪の状況が続く。昼前3号機が爆発。体育館に設置された大型テレビに避難者、職員が集まる。爆発の瞬間にはため息とも悲鳴ともつかない声が上がる。子どもたちの元気さだけが救いか。
3月15日~20日
避難所になった体育館と自宅を往復する毎日。夕方、自転車を駆使して買い出しをする。相変わらずの物不足であったが、地元資本の小さなスーパーマーケットが頑張っている。冷凍品を解凍したり、仕入れに奔走したのだろう。ありがたいことである。全国から支援物資が届き始める。避難者の食糧事情はだいぶ改善する。しかし、着の身着のままで避難してきた人が多く、衣類の不足が目立ち始めた。
3月21日~27日
山口県職員の方が応援として学校に入る。また衣類、生理用品、衛生用品などが届き、物的な面では相当充実してきた。避難者の方々にも少し気持ちの余裕が出てきたか。一方、小さなトラブルも現れ始めた。私が住む郡山市にも、26日に磐越西線が復旧して、貨物列車での石油輸送がはじまり、ガソリン事情が急速に改善してきた。街中もクルマが増え、ゴーストタウンのようだった町にも活気が戻る。
3月28日~4月3日
避難所の運営を山口県職員の方、地域の方々や避難者有志のボランティアの方々に徐々に委譲する。とくに人手の必要な炊事に陸上自衛隊の方々が入るようになり、私たちは学校の再開に向け動き出す。このころから閉まっていた店も次々に開き、生活が通常に戻る。ガソリンを入れるのに行列する必要がなくなった。
4月4日以降
4月11日に授業が再開。4月6日に予定されていた入学式は4月28日に場所を変えて実施。4月以降も体育館は避難所として開放されているが、徐々に避難者の方は減少する。福島第一原発の情勢は相変わらず先が見えない。長期戦を覚悟する。
最後は簡単になってしまいましたが、これが私の震災体験記です。この記事をもって東日本大震災関係の記事はひと段落させたいと思います。福島県内の町の復興状況や、東北地方の鉄道の運転再開状況は今後も折を見て掲載します。まだ、避難所にいる方、家族を亡くされてショックから立ち直れない方、農林水産業や自営業などの方経済的な危機から脱していない方が多数いらっしゃると思います。また、福島第一原発の事故は、まだ終息の見通しすら立っていません。健康被害を心配されている方、生活基盤を失い、今後の生活に頭を抱えている方も多いと思います。私も子どもと接する職業の者として、福島県の子どもたちの今後を心から心配しています。そんな方が少しでも早く笑顔になれることを心から願っています。(終)
« 気持ち年齢は18歳のつもり…だけど | トップページ | 南相馬市・相馬市への交通機関の案内 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- モアベターな選択をすること(2019.12.15)
- 台風19号、その後(2019.10.19)
- 野鳥の王国、フォーエバー(2019.07.28)
- 親友のこと(2019.06.23)
- 自己責任の国(2019.06.15)
長い間のご苦労がしのばれますね・・・本当にご苦労様でした。問題が山積でどうやって復興に向かっていくのかこれからのことを考えると暗澹としますね。特に、原発もんだいです・・菅首相の発言は信頼できませんし・・原発問題は福島県のみならず全国民もどうなるのかと心配しています。この、原発問題が進展しないと福島の復興は遅れてしまうと思っています。そうおもいながらも半歩でも進んでいかなければいけないだろうと思いますが・・・未曾有の出来事とはいえ、政府の対応の悪さにあきれ返ります。今、そんなことを言っていても仕方ないと思っていても言いたくなりますね。みんなで応援しています・・これからの子供たちの笑顔のためになんとかしたいですね。
投稿: | 2011.05.21 00:11
ご心配をおかけしました。原発の問題は、本当に先が見えません。これまでもさんざん危険性を指摘する人がいたのに、十分な対策をとってこなかったことには怒りを覚えます。
大人が元気じゃないと子どもだって元気になれません。スマイルを心がけています。いつの日か、元気な福島が戻ってくるとおもいます。
投稿: やえもん | 2011.05.21 22:14