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2011年11月の5件の記事

私がクルマに望むこと

 私が乗っているスバル・フォレスター(SG-A型、XT、AT)の走行距離がいよいよ15万kmを突破した。今のところ、大きなトラブルはないが、走行距離が走行距離だけに今後に関しては要注意だろう。大きなトラブルが発生しない限りまだまだ乗り続けたいと思っているが、不意の別れは覚悟しておくようにしている。

 そんなわけで、最近自動車の雑誌や各自動車会社のホームページはよく見るようになった。国内の自動車各社はかなりの数の自動車を販売しているが、その中でほしいなと思えるクルマは意外と少ない。どんな条件のクルマが好きなのか、ちょっと挙げてみた。

 ①走って楽しいこと
 ②長距離の旅行に耐えられること
 
 最近の国内のクルマ市場は、走行性能よりも居住性や経済性を重視する方向に向かっているが、やっぱり走行性能も大事だ。そんなにすごいスピードが出なくてもいい。日常的な場面で、走る、曲がる、止まる性能がしっかりとしたクルマに乗りたい。じつは、それこそ、衝突安全ボディやエアバックよりも大事なことなんだと思う。クルマの中には、操作しているという感覚が希薄すぐるクルマもあるし、居住性を重視したあまり走行性能が怖いクルマもあった。そういうクルマは私はちょっといただけない。

 長距離の旅行に耐えられる車は、先述のクルマの基本性能がしっかりしていることに加えて、できのいいシート、豪華ではなくとも、使いやすいインテリア、視界の良さなどが必要であろう。これも、今まで乗った車の中には、このシート、短距離専用なのかと思うようなひどいシートを持ったクルマもあった。

 今乗っているクルマは、これらの条件をほどほどに満たしている。だから、15万km過ぎても気に入っているのだ。次にどんなクルマと出会って、どんな場所に行けるか、いまからワクワクしている。その前に、今のクルマとたくさんの景色を見てみようと思う。頼りにしていますぜ、相棒!

流れ星

 夕方、買い物を終え、クルマをアパートの駐車場に止めて、自分の部屋に入ろうとした時、東の空に流れ星が見えた。「あ」と言葉を出している間に流れ星は北東の方向に消えてしまった。その間、1~2秒くらいだった。流れ星が飛んでいる間に願い事を言えばそれはかなうというが、この短時間に願い事を言える人はいるのかなと思った。願い事を言うことはできなかったけれど、流れ星、本当にきれいだった。流れ星の本当の効能は、人の願いを叶えることではなく、流れ星を見た人の気持ちをすこしだけ幸せな気持ちに帰ることなのかもしれない。
 気が重い日曜の夕方が、すこしだけ幸せな気持ちになった。また明日から頑張ろう。

春はまだ先か

 政府は、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い立ち入りを禁じている同原発20キロ・メートル圏内の警戒区域のうち、放射線量が特に高い地域を長期にわたって居住が困難な地域として指定する方向で検討に入った。将来的な帰宅を希望する住民を対象に、国が土地の借り上げを行う一方、当面の措置として、周辺の低線量の地域に住宅を建設するなどの支援策作りにも着手する。周辺に数十年間居住した上で、帰宅を果たす2段階での帰還を目指す考えだ。居住困難として指定する地域は、年内達成を予定する事故収束の工程表「ステップ2」にあわせて公表する。政府は警戒区域の環境調査を進めており、放射線量が低い地域に関しては警戒区域の指定を解除し、除染を進めて早期帰宅の実現を目指す。(2011年11月9日14時43分 読売新聞)

 覚悟はしていたけれど、長期にわたって居住が困難な地域は出るようですね。とくに高齢者ほど生まれ育った土地への執着は強くなるのでしょうが、今後も数十年単位で別の土地での居住を強いられる人が多数発生するのでしょう。ここまで事態が進行してしまった以上、長期間居住困難な地域に住む人には十分な支援をお願いします。

人の名前を覚えるの苦手なんです


ブログネタ: 話しかけてきた人の名前が思い出せない! どうする? 参加数

 私は教員ですが、この仕事をする上で必要な能力の一つに、人の顔と名前を一致させるのがうまい、ということもあるような気がします。私はこれが徹底的にだめで、そう言えばこの生徒誰だっけ、ということが良くあります。そんな時には車いすや持ち物をに名前が書いてあることが多いのでそれを一生懸命に探します。

信楽高原鉄道に乗る

 今日は滋賀県内のローカル鉄道に乗った。甲賀市の貴生川から焼き物の町、信楽までの信楽高原鉄道と、貴生川から東近江市の八日市、彦根市の高宮、湖北の交通の要衝の米原および、近江八幡、八日市間、高宮、多賀大社前を結ぶ近江鉄道に乗った。

 信楽高原鉄道は、関西の大動脈であるJR東海道線から草津線に乗り換えて30分、貴生川からの路線である。信楽から見れば、大津に行くにも、京都に行くにも、大阪に行くにも遠回りの路線である。勾配とカーブの多い鉄の細道を20分少々、信楽は小さな町だった。それでも、窯業で町おこしをしようという熱意が感じられる町だった。この小さな鉄道会社も、町を盛り上げていくべく奮闘している様子が伺えた。この会社は、1991年に列車が正面衝突事故を起こし、42名が亡くなった。現在では、車両の改良などの安産対策に力を入れている。この小さな、そして過去の悲惨な歴史を教訓として、安全な鉄道としてこれからも歩もうとしているこの会社を心より応援したい、そう思った。

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