2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

おすすめBLOG

  • Time is up
    りっちさんのブロクです。心と体、音楽、ファッション・美容など、色々な内容の記事が書かれています。
  • 旅は道連れ 気まま日記
    養護学校の教師をしている橘みかんさんのブログです。学校での生活の様子や、旅行が好きということで、これからは旅行の情報も期待できそうです。
  • 黒瞳のうさぎ
    お酒、心理学、旅行、温泉を愛するうさぎさんのブログです。写真付きの楽しい生地が多いです。
  • いい酒・夢気分♪
    アメリカのお住まいのモリビルさんのブログです。大好きなビールのことを中心に、楽しい話題が満載のブログです。
  • ちゃつねの独り言と写真館
    多趣味なちゃつねさんのブログです。アウトドア、クルマをはじめ、話題の豊富なブログです。
  • おしゃれまっちのすてきせいかつ
     旅の大好きなまっちさんのブログです。膨大な旅行記は読み応えがあります。旅の途中で撮った写真を見るのもとても楽しいですよ。
  • UME Blog
     旅行が好きなUMEさんのブログです。毎回テーマのしっかりとした旅をされていてとても興味深い旅行記を書いています。
  • 日常彩彩
    エムエムさんのブログです。社会の出来事について、気になったことを鋭く、それでいて優しい視点で書いています。時々掲載する写真もとてもいいです。
  • five-half blog
    福島県いわき市で美容室「five-half」を経営している谷口さんのブログです。家族のこと、お客さんとのふれあいなど興味深い記事が満載です。
  • 岡本パンスタジオ
    仙台市で自宅および福祉施設等でパン、ケーキ作りの講師を行っている岡本さんのホームページ&ブログです。これを読むと今すぐパンを作りたくなること確実!

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月の9件の記事

日の丸ジェット、世界の空へ

 日本の自動車工業は生産高では中国、アメリカに次ぐ世界第3位である。中国が約2200万台、アメリカが約1100万台、日本が約1000万台(2013年)である。このうち中国は自国の自動車メーカーはまだまだ発展途上で、多くが外国のメーカーとの合弁企業である。アメリカにはGM,、フォード、クライスラーがあるが、トヨタ、ホンダをはじめ日本のメーカーの現地生産も盛んである。一方日本の生産台数はほぼすべてが日本のメーカーの生産台数であり、日本の自動車メーカーが世界市場で有力であることの表れと言ってよい。また、鉄道も台湾高速鉄道や中国高速鉄道の車両(一部)など、新幹線で培った高速鉄道車両や、日本の厳しい都市環境で育てられた都市圏の鉄道や地下鉄車両の輸出が盛んである。また、船舶においては、かつては日本は世界一の造船王国であったが、現在では量では韓国と中国に抜かれたが、金額ベースでは依然として世界一である。一方、航空機では、アメリカのボーイング社の旅客機の胴体や主翼などを三菱重工や石川島播磨、富士重工などの企業が受注しているが、1965年に就航したターボプロップ機(ジェットエンジンでプロペラを回す)のYS-11を最後に日の丸印の旅客機の開発は途絶えている。

 しかし、21世紀に入り、いよいよ日の丸印の旅客機の開発が始まった。三菱重工を中心に、100席未満の小型ジェット旅客機の開発の機運が高まり、経済産業省の後押しもあり、開発が行われた。従来このクラスの旅客機はターボプロップ機が州劉であったが、1990年代から、カナダのボンバルディア社のCRJやブラジルのエンブラエル社のERJが高い経済性や安全性を武器に、このクラスのジェット機をメジャーなものにした。三菱重工を中心として開発が始まったこの旅客機はMRJと名付けられた。2008年に全日空からの受注を受け、正式に開発が開始された。その後、アメリカやミャンマーの航空会社から受注を受けた。そして、今日日本航空から受注を受け、受注数の合計が230基を超えた。ただし、初飛行はこれからで、全日空で路線に就航するのはもう少しだ気になりそうだ。いずれにせよ日の丸ジェットが無事に就航し、世界の空へ羽ばたく日を首を長くして待つとしよう。

あなたの周囲は安全ですか?

 広島の土砂崩れは、22日夜の時点で死者40名、行方不明者47名と深刻な災害になっている。広島の地形を大まかに言うと、市街地と工業地域は太田川とその分流が作る三角州にあり、住宅地はその周囲の丘陵地帯に多く分布している。海岸近くも太田川の両岸もあまり平野はない。今回土砂崩れが起きた地域も、さほど特殊な地形と言うわけではなく、広島の郊外としてはよくある環境だと考えてよい。いろいろな不幸が重なった災害で、無くなった方のご冥福と行方不明の方の救出を心から祈りたい。

 広島に限らず、どこに住んでいても災害の危険性から逃れることはできない。それでも、少しでも災害の被害を軽くする方法はあると思う。その第1歩は、自分が住む地域がどんな災害の危険があるのか知ることである。津波や洪水、土砂崩れに関しては市町村がハザードマップがあるので、市役所等でもらうこともできるし、インターネットで閲覧することもできる。また、内閣府がインターネットで地震のゆれやすさ全国マップを公開しているから、それも参考にすればいいと思う。まずは災害の危険性を知って、出来ることからをしていけば、少しでも災害の被害を軽くすることができると思う。

旅のその後

 8月10日、宮崎はまだ風が強いものの、雨はすっかりあがり、晴れ間さえ見えていた。テレビをつけると三重県や高知県では大雨でひどいことになっている。申し訳ない気もするが、私は旅を続けることにする。
 3日間泊まったホテルを出て、宮崎駅を発着する列車を眺める。昨日は1日全列車が運休して活気がなかった宮崎駅が、今日は見違えるようにいきいきとしている。私は日南線の特急「海幸山幸」に乗った。この特急は速さよりも観光に重点を置いた列車で、室内のみならず外装にも沿線の名産の飫肥杉を使っている。温かで居心地のいい車内である。宮崎を出発して間もなく、大淀川の橋を渡ってすぐに列車は停止した。ダイヤの乱れによる信号停止だろう。少し離れたところにあるマンションのベランダから子どもが列車に向かって手を振っている、列車が止まっているからこちらも手を振り続ける、2,3分間列車は停止していたが、その間手を振り続けた。青島や鬼の洗濯板などの景勝地を楽しみ、1時間少々で飫肥に着いた。ここは飫肥藩伊東氏の城下町である。飫肥城の苔むした石垣や日本刀、城下町の街並みなどを見て歩いた。次の列車を逃すとこの後のフェリーに間に合わなくなるから、最後は急ぎ足で飫肥駅に戻った。飫肥駅からは志布志行きの普通列車に乗る。日南、南郷でお客を下し、串間を過ぎると車内はガラガラになった。終点の志布志はかつては、日南線のほかに志布志線、大隅線が乗り入れる鉄道の要衝であったが、現在は両線とも廃線になっていて、広い敷地をもてあましている。近くのタクシー会社の営業所からタクシーに乗り、フェリーターミナルに向かう。
 私が乗る、「さんふらわあ きりしま」は1万2千トンクラスの大きな船で、埠頭から見ると見上げるほど大きかった。狭いターミナルの中には少年サッカーのチームや高校の部活動の団体がいてにぎやかだった。16時に乗船が始まり、個室のカギを受け取って部屋に収まった。シングルベッド、デスク、テレビ、クローゼットが備わっていた。これに冷蔵庫もあれば文句なしだろう。窓からは志布志の海と遠くの山並みが見えた。17時出港、私を見送る人はいないが、それでもデッキに出てみて一緒に手を振ってみた。その後、浴室に向かう。動く景色を見ながらの風呂は格別だった。就職のバイキングには鰹のたたきやチキン南蛮などが出た。鰹は新鮮で臭みがなく美味かった。今日はやめておこうと思ったが、うまい魚を前にしてビールを飲まないのはもったいない。揺れのせいかビールがいつもよりずいぶん早く回った。少し足元は頼りないが、真っ暗やみのデッキに出てみた。満月の月が南の空に大きく出ていた。満月ってこんなに明るいんだと今更ながら知った。そして、満月に照らされた海面は妖しくもきれいだった。部屋に戻るとすぐに眠くなった、まだ22時少し前である。

 8月11日目が覚めると6時少し前、和歌山の沖である。洗面を済ませて部屋を片付ける。朝食を食べているうちに関西空港の沖合に来た。もうあまり時間がないが、大阪南港に着くまであと1時間、デッキに出たり、船室でのんびりしてみたりした。遠くに明石海峡大橋が見えた。大阪南港着7時40分、14時間40分の船旅は楽しく、あっという間に過ぎてしまった。その後私は夕方まで大阪で過ごし、福島行きの飛行機で戻った。

宮崎より 第3夜

ものすごい風の音で目を覚ました、何時かと思って時計を見るとまだ深夜2時、テレビをつけると台風11号は種子島近海でもう少しで私がいる宮崎県を暴風雨域に飲み込もうとしているところだった。今日は宮崎を起点に霧島連山の周りを列車で一回りするつもりでいたが、これでは列車が動かずダメだろう。ただし、これは私のせいでこうなったわけではないし、昨日に夕方の段階で覚悟はできていたから落ち込むことはなかった。

朝食を済ませた後、バスターミナルと駅に行って運行状況を確認した。高速バス、路線バス、電車ともに今日1日運休ということだった。台風の接近は午後だということはわかっていたから、少しでも電車やバスが動いていればその範囲で動いてみようと思っていたが、これではどうしようもない。止むを得ず、午前中のうちに徒歩範囲内で行けるところに行こうと思ったが、あまりにひどい雨のために、駅にほど近い博物館に行くのがやっとだった。ますます風雨は激しくなり、駅にも駅前にもほとんど人影がなくなった。私はホテルに戻り、本を読んだり、昼寝をして過ごした。午後4時過ぎに目が覚めると、風はまだ強いが、雨はすっかり上がっていた。徒歩でホテルから駅周辺を回って、1時間半ほどの散歩を楽しんだ。いつの間にかうるさいほどセミが鳴いていた。

宮崎から 第2夜

8月8日朝、宮崎は厚い雲に覆われ、暑く湿った風が吹いていた。奄美諸島近海には台風11号があり、九州から四国への上陸を伺っていた。今日は台風の北上の状況を見ながらの1日になるだろう。レンタカーのエンジンをかけ、北西の西都市を目指す。宮崎市外を出ると車の速度が上がる。目指す西都市は山の麓にある。中心部は妻といい、魏志倭人伝に出てきた投馬国はここだという説がある。妻を過ぎると古墳が現れてきた。小さな円墳が多いが、やや大きな古墳もある。これだけ古墳が集中しているとはどういうことだろうか、私は、ここに相当大きな政権があったのではないかと考える。重機などない時代、相当大きな経済力と統率力が無ければ古墳などできるはずがないのだ。資料館で土器などを見た後、山沿いの道を通って日向市を目指す。途中の道の駅でシラスやトビッコが乗った海鮮丼を食べた。日向市の美々津はは、神武天皇が東へ船出した伝説もある港で、耳川という川の河口にある小さな集落である。ここは昔ながらの街並みが残っているので、汗を書きながら歩いた。この頃になると風が強くなり、バケツをひっくり返しやような雨も降り出した。台風の影響がいよいよ現れた。これ以上長居は危険だ。車に戻り、宮崎を目指しクルマを走らせた。宮崎市内に入ると少し天気が持ち直してきたので、県立博物館を見て、宮崎神宮を参拝した。まだ若干消化不良の感があるが、早めにレンタカーを返し、駅前の店を見て歩いた。

宮崎より 第1夜

宮崎県延岡市と福島県いわき市、共通点といえば太平洋に面していることと、工業都市であることぐらいに思えるが、意外なところで共通点がある。磐城平藩主であった内藤氏が大規模な百姓一揆として延岡に転封になった。江戸時代を通じて最長距離の転封と言われている。朝食を摂ると、城跡まで散歩に行った。五ヶ瀬川の橋を渡ると、川風が気持ちいい。延岡城は石垣や門などがよく残っていた。延岡駅から宮崎駅までは普通電車で移動するが、九州の普通電車はシートの枠が木製であったり、クッション部分には本革が使われていたりとなかなか凝っている。宮崎までの1時間30分があった言う間だった。

宮崎駅でレンタカーを借りた。宮崎市街地を出て、左側に太平洋が見えてくると青島である。青島は島全体が亜熱帯植物園になっている。濃い緑の中を歩くのは楽しい。島の周りは鬼の洗濯岩と言われるギザギザの岩になっている。ここから25km先にある鵜戸神宮までは海に沿ったドライブを楽しむ。鵜戸神宮は面白い神社で、海岸の洞窟の中に本殿がある。神社、つまり神様のいらっしゃるところは高いところが普通だが、ここは階段を降りたところに本殿がある。すぐしたには波が打ち寄せている。津波が来たら一巻の終わりになりそうな神社である。夕方宮崎に戻り、洗濯をした。そのうちに風雨が強くなって来た。明日以降が思いやられる。

延岡より

今日の朝食は熊本の郷土料理のだご汁、味噌仕立ての汁に小麦粉の平べったい団子と根菜が入った汁で、コクがあり美味かった。最近のホテルは朝食に力を入れているところが多いが、このように郷土料理を出されるのはとても嬉しい。熊本から豊肥本線のディーゼルカーに乗って、阿蘇山の外輪山に入った立野で南阿蘇鉄道に乗り換える。箱根もそうだが、火山のカルデラの中に人が住み、経済活動が行われている。地球の雄大さと人間のたくましさを感じる。終点の高森からは延岡行きのバスに乗る。山、山、どこまで行っても山の道を入り高千穂に着く。高千穂は史跡が広い範囲に散らばっているのでレンタカーを借りる。はじめに岩戸神社に向かう。日本神話そのままの世界を歩く。その後、高千穂神社、高千穂渓谷を歩く。高千穂渓谷はコンパクトながら深い渓谷で見ごたえがあった。最後に国見が丘から高千穂の盆地を見下ろした。
高千穂から延岡に向かうバスは、旧道を通るが、この旧道が五ヶ瀬川に沿った眺めのいい道路であった。ただし路線バスの座席がチープで腰が痛くなった。夜は延岡駅近くの居酒屋で焼酎を飲んだ。吸収はやっぱり焼酎が美味い。地鶏のたたきも美味く、酒が進んだ。

熊本より

今日から夏休み恒例の旅行が始まりました。今年のテーマは太陽。陽光あふれる熊本、宮崎、鹿児島の南九州3県を訪れます。特に宮崎県は旧国名が日向、まさに太陽がいっぱいの国です。とはいえ、皆様ご存知の通り、台風11号がフィリピンの東海上から九州をうかがっている状況です。数日前から台風に関する情報を集めて一喜一憂していました。結局台風は予想以上にスピードが落ち、状況がわからないまま旅行の初日を迎えました。

羽田空港で飛行機を待っている間、理化学研究所の笹井氏の自殺という衝撃的なニュースが飛び込んできました。今回乗った飛行機はソラシドエアと全日空の共同運行の飛行機。ボーイング737は長い間生産が続いている飛行機だが、最新型はインテリアの進歩が著しい。大阪あたりから雲が出て、下界が見えなくなった。熊本空港からバスで市街地に入った。路面電車が並走すると市街地に来たと実感する。西日本は路面電車が元気な街が多い。ホテルで一休みして熊本電気鉄道に乗りに行く。古い電車を大事に使っているが、ターミナルの場所の悪さと、駅設備の老朽化が課題である。夕食はとんこつラーメン。コクがあってうまい。

マツダRX-8 フォーエバー

 かつて夢のエンジンと言われたエンジンがあった。そのエンジンはなめらかに吹け上がり、高出力が期待され、振動や騒音も少なくなることが予想された。当然そのエンジンにたくさんの会社が実用化を目指ししのぎを削った。しかし、それに成功した会社はほとんどなかった。そのエンジンの名はロータリーエンジン。1964年に西ドイツのNSUという会社がヴァンケルスパイダーという世界初のロータリーエンジン搭載のスポーツカーを発売したが、エンジンの耐久性、信頼性に問題があり、数年で撤退した。次いで、日本のマツダがNSUのエンジンをもとに改良し、耐久性、信頼性についてようやく実用のレベルを満たすロータリーエンジンを開発、1967年コスモスポーツを発売した。その後、ファミリア、サバンナ(後のRX-7)、ファミリア、ルーチェとロータリーエンジン搭載車を徐々に増やしていった。その後、石油危機の逆風もあったが、燃費、環境性能を改善し、ロータリーエンジンはマツダの代名詞となった。しかし、ロータリーエンジンには、低回転でのトルクの薄さという欠点があり、スポーツカー以外には展開しずらい欠点もあった。市場もスポーツカーからミニバン、エコカーと嗜好が変化し、ロータリーエンジン搭載車はRX-7のみに絞られた。そして、2003年、RX-7の後継としてRX-8が誕生した。大きな特徴は、スポーツカーでありながら4ドアであることである。全体的なスタイルズ崩さすに、後部座席に大人が座れる実用性も確保した。スポーツカーにとって厳しい時代になったが、RX-8は販売面でも健闘した。厳しくなる排ガス規制に適合できず、特殊なエンジンを搭載しているため、コストがかかることもあり、2012年に生産終了、マツダから、そして地球上からロータリーエンジン搭載の自動車の販売が消滅することになった。

 タイムズカーレンタル(マツダレンタカー)でRX-8が借りられることを知ったのはしばらく前だった。貴重なロータリーエンジン車に1度乗ってみたいと思っていた。今回、1日レンタルして、ロータリーエンジンの味わいを試してみたくなった。シートに座り、エンジンをかける。まず、ニュートラルでアクセルを吹かしてみる。おお、なんて軽やかに回るエンジンなのだろう。まずは市内の少し混んだ道を走る。低回転ではややトルクが薄い気がするが、それでも必要十分なパワーを出している。高速道路に入ると、スムーズに回るエンジンのおかげで気持ち良く加速する。しかし、このクルマにとってもっとも「らしさ」を味わえるのはワインディングだろう。今回の車はATであったが、マニュアルモードで走るのが楽しい。「頭文字D」でも知られる榛名山の県道33号線のカーブを、気持ち良く曲がっていく。少しだけスピードを上げたくなった。

 マツダRX-8、現在は新車で買うことはできないが、レンタカーで気軽に体験することができる。あなたも1度いかがですか?

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

フォト
無料ブログはココログ

BlogParts

  • 投票お願いします!
  • Forester Network
  • クリック募金
  • BlogPet

-占い-

ウェブページ