熊本・宮崎で見たえとせとら 2 九州横断特急
1987年4月、多額の赤字を抱えた国鉄は分割民営化され、JR九州が誕生した。当時のJR九州は、福岡都市圏では西日本鉄道や同社の路線バスという手ごわいライバルがいた。博多と熊本、長崎、大分を結ぶ特急列車は高速道路の延伸に伴い、自家用車や高速バスとの熾烈な競争に晒されていた。博多と鹿児島や宮崎を結ぶ特急列車はこれに加えて航空機と競合していた。それ以外の路線は、古い車両が少ない乗客を乗せて走る状態であった。
JR旧友はまず、博多と各地を結ぶ特急列車に新車を導入し、スピードアップとサービスアップを図った。ドル箱になる都市間輸送を固めようとした。次いで、福岡・北九州都市圏のサービスアップを図った。人口が多い地域なので鉄道の需要は高く、取りこぼしていた需要を確実に手中に収めようとした。これらの策はおおむね成功し、この2つはJR九州にとって経営の柱となった。現在は九州の背骨ともいえる、博多~熊本~鹿児島中央間が新幹線になり、より強固な経営の柱となった。
一方、ローカル線についてもJR九州は奮闘した。鹿児島や熊本、大分などの都市圏で駅の新設や列車の増発を行った。例をあげると、熊本から阿蘇、豊後竹田、大分に至る豊肥本線の場合、国鉄分割民営化の前の1985年には熊本発の列車は急行4本、普通15本であったが、2014年には特急4本(多客期には6本)、普通は50本を超えた。さらに、SL列車の復活、「ゆふいんの森」や「いさぶろう」など列車に乗ることを目的にできる愉快な列車を数多く走らせた。
私が乗った「九州横断特急」も、ローカル線の活性化を担う列車である。大胆に赤を使ったエクステリアはなかなかおしゃれである。車内はふかふかしたリクライニングシートが並び、アームレストやシート背面のテーブルは木が奢られている。速度こそあまり早くはないが。この列車が観光特急であることを考えるとなかなか悪くなかった。熊本から40分の立野で降りたが、もっと乗っていたい列車だった。
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