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産経新聞に反論する

  

 福井地裁による高浜原発3、4号機(福井県)の再稼働を認めない仮処分決定を受け、関西電力は異議や執行停止を申し立てる見通しだ。当然だろう。高浜原発は今年2月、政府が「世界で最も厳しい」と強調する原子力規制委員会の審査を通り、年内の再稼働を目指していた。判決が確定するまで法的効力を持たない本訴訟とは違い、仮処分の決定はただちに効力を持つ。このため、地裁での異議審や高裁の審理で決定が覆らなくては、再稼働はできない。異議審や高裁には、迅速で正常な審理を求めたい。同時に政府や関電はその間も、再稼働に向けた準備を進めてほしい。この決定は速やかに見直されるべきだ。それほど特異な内容である。決定は、高浜原発に対する規制委の審査内容をことごとく否定し、新規制基準に対しては「適合していれば万が一にも深刻な災害は起きないといえる厳格さ」を求めた。いわば、ゼロリスクの証明を迫ったものだ。だがゼロリスクを求めては、車は走れず、航空機も飛べない。一方で決定は、再稼働を認めないことによる経済的リスクや地元への影響などには言及していない。最高裁は平成4年、伊方原発訴訟の上級審判決で安全基準の適合性について「科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う行政側の合理的判断に委ねると解するのが相当である」との見解を示している。大飯原発の再稼働差し止めを求めた仮処分の即時抗告審では昨年、大阪高裁が「裁判所が差し止めを判断するのは相当ではない」として却下した。今回の決定は、あまりに突出している。福井地裁の同じ裁判長は昨年、大飯原発3、4号機の運転差し止め訴訟でも再稼働を認めない判決を言い渡し、安全性の判断は「必ずしも高度の専門的な知識を要するものではない」と言及した。また、原発の運転停止で多額の貿易赤字が出ても「これを国富の流出というべきではない」とし、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活できることが国富である」と定義していた。国富とは国の総資産のことであり、経済力のことである。思想家や哲学者の素養まで、裁判官には求めていない。司法が、暴走をしていないか。
          (産経新聞4月16日「主張」より引用)

 読んでみて、まぁ、産経新聞らしいなと思った。しかし、突っ込みどころがいくつかあるので、私なりの反論をしてみよう。

①原発のリスクを車や飛行機と比較していいのですか?
 現代の科学技術は私たちに便利で快適な生活を保障しています。しかし、どんな技術にもリスクがあります、例えば車は事故のリスクがあります。事故は過失によるものもあれば故意によるものもあります。しかし、衝突安全ボディやエアバッグ、ABSなど、事故のリスクを減らす技術が次々と開発されています。もちろんそれで事故のリスクを0にすることは不可能だと思います。一方原発についてはそのような話は聞いたことがありません。冷却不能になった原子炉で燃料棒のメルトダウンを防ぐ技術が開発されたという話を聞いたことがないし、メルトスルーして原子炉の外に出てしまった燃料を回収する方法もない。原子力発電は車や飛行機と比べてもリスクの規模が違い、同列に論じることは詭弁だと思う。

②原発の停止による多額の燃料費を国富の流失としたことについて
 原発の停止によって火力発電所の稼働率が上がり、燃料の輸入のため貿易赤字が増え、国内の富が海外に流出したというのが原発推進論者の言い分である。たしかに火力発電の燃料である石炭、重油、液化天然ガスは多くを輸入に頼っている。しかし、原子力発電の燃料であるウランも同じことである。また、貿易赤字も火力発電の燃料の輸入だけとは考えにくい。日本の貿易黒字はそれ以前から縮小が続き、近い将来貿易赤字になることは私は予見していた。したがって、産経新聞の主張は詭弁にすぎないと思う。

③裁判所の判断を「司法の暴走」としたことについて
 これに関して私の意見は「中学校の社会科をもう一度勉強しましょうね」の一言です。裁判所が法と正義に基づいて判断を下すことに何の問題があるのですか?

④結局…産経新聞が言いたいのは、核武装をしたいから、核のゴミにして原爆の材料になるプルトニウムを算出する原発はどうしても動かしたい、僕の大好きな安倍総理に逆らう裁判所は屑ということなのではないでしょうか。

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