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時間は短絡する

 今日、水戸のデパートに行った。そこで、懐かしい文字を目にした。「長崎物産展」という文字である。長崎か、懐かしいな。私が長崎を旅したのは2002年の夏、同年2月に離婚をして、何とか再起しようともがいていたころだ。

 

 この旅はとても素晴らしい旅だった。長崎の平和記念公園、浦上天主堂、原爆の惨禍をいつまでも語り継ごうという長崎の人々の思いと、惨禍を繰り返してほしくないとする祈りが感じられた。島原の原城では、藩主の圧政と宗教弾圧から人々を守ろうと立ち上がった14歳の少年、天草四郎に思いをはせた後、雲仙普賢岳の災害から立ち直った島原鉄道に乗り、湧水のきれいな島原の町を歩いた。佐世保は九十九島の風景が美しかった。長崎で食べたサバの刺身と焼酎の美味しさも忘れられない。

 

 しかし、私が「長崎」の文字を見て最初に思い出したのは、東京駅から長崎駅に向かう夜行列車、さくら号での出来事だった。東京発18時3分、当時、夜行列車は廃止に向けてのカウントダウンの時期で、食堂車などのサービスはほとんどなくなっていた、唯一、ロビーカーといって、ソファーなどを置いて談話するためのスペースが残されていたことが唯一のサービスだった。駅弁やビール、おつまみなどを買い込んで列車に乗り込み、自分の寝台に座ったが、まだ18時過ぎでは寝るには早すぎる、駅弁やビールを抱えてロビーカーに行き、風景の良く見える位置のソファーに座った。そのうちに、他の車両か三々五々時間をもてあましたお客が集まっていた。いつのまにか、見ず知らずの旅人、私も含めて5人で小さなテーブルを囲み宴会になっていた。ちょうどロビーカーにはビールやソフトドリンクを販売する自動販売機があったから、どこのだれかお互いによくわからない5人、しいて言えば旅が好きなこととビールが好きなことくらいしか共通点のない人だが、旅のことで大いに盛り上がった。私も、この旅に出ることに若干のためらいがあったし、離婚前後のつらい状況から脱却できていなかったが、お酒を飲みながら話し込んでいるうちにそんな気持ちも吹き飛んでしまった。そのうちに、さくら号は横浜を過ぎ、熱海を過ぎ、静岡を過ぎていた。もう、夜遅くなったし、他のお客さんの迷惑にもなるので、浜松の手前で解散した翌朝、下関の手前でロビーカーに行ってみたが、昨夜のメンバーには会えなかった。しかし、この出会いが無ければ、私は心にわだかまりを残したまま旅を続け、ここまで思い出深い旅にはならなかったのかもしれない。そう考えると、さくら号での一夜は、私という平凡な人間に起きた小さな奇跡だったのかもしれない。そして、このタイミングでそんなことを思い出したのも本当に不思議な気がする。

 

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コメント

その百貨店、もしかしたらホーリーホックのスポンサーかも?

そうです。たしかケーズデンキスタジアムに看板を出しているデパートです。

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