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「機長の航跡」 諸星廣夫 イカロス出版

 1945年、太平洋戦争に敗れた日本は、民間航空を含むすべての航空活動を禁止された。1951年、日本航空が設立されて、民間航空が復活したが、この時点ではアメリカのノースウエスト航空(現在のデルタ航空)の乗務員による運行だった。翌年には日本人の乗務員が誕生するが、戦時中と戦後の空白期の間に、民間航空の技術は大きく進歩していた。当時の日本航空はアメリカの航空会社をお手本にする世界の片田舎の小さな航空会社だった。

 著者の諸星さんは1958年、片田舎の小さな航空会社から飛躍しようとしていた日本航空に入社、ダグラスDC-4型機の副操縦士になる。この機体は、日本航空の初期の主力機で、レシプロ(ピストン)エンジンを4機積んだプロペラ機で、、最高速度は350km/h,、定員64名、中には雨漏りもする機体もあったそうだが、当時としては世界の水準からやや遅れていたが、それでも戦災から復興した日本にとってはあこがれの存在だった。諸星さんはその後ダグラスDC-6という、やや大型化した国際線用のプロペラ機の機長、コンベア880という、操縦の難しいじゃじゃ馬的なジェット機、ダグラスDC-8という、国内線、国際線で広く活躍したジェット機、世界の空を変えた通称『ジャンボ』と呼ばれたボーイングB747,ジェットエンジンを3機積んだ特徴的なスタイルのマクドネルダグラスDC10の機長を歴任し、1991年に日本航空を定年退職した。この間、日本航空は世界有数の航空会社に成長した。戦後の日本が世界有数の経済大国になるのと歩調を合わせるかのように。

 諸星さんの文章は、徹底的に冷静で、自社の事故についても技術的な視点から分析している。また、その時代時代の日本航空が抱える問題について、自分の考えをもって仕事に当たっている。空の旅が好きな人にとって、パイロットというプロフェッショナルの仕事を知るためにも、戦後の航空史を知るためにも貴重な資料となる1冊だろう。

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