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2019年4月の4件の記事

さようなら、クルマ中毒

   最近、高齢者による交通事故のニュースをほぼ毎日耳にするようになった。今月も、東京で高齢の男性が運転するクルマが暴走し、複数の人をはね、このうち自転車に乗った母娘が死亡するという痛ましい事故があった。また、同じ東京で、高齢の女性が運転するクルマが西武新宿線の線路に入り、あわや電車と衝突という事故もあった。
   これに対し、「高齢者から免許を取り上げろ」という声も多い。しかし、高齢者の身体機能や認知機能は非常に個人差が大きく、一律に年齢で区切るのはあまりに乱暴な話である。とはいえ、このまま無為無策では、ますます高齢者は増える一方なので、減少を続けている交通事故の夜死者数が増加に転じることさえあり得るだろう。
まずは、免許制度の改善が必要だろう。現在75歳以上のドライバーが免許更新をするときには認知機能検査を受ける必要があるが、これをもう少し引き下げて、70歳以上にしてもいいと思う。これに加えて、実技試験を加えてもいいと思う。高齢者が増える中、検査官の確保は大変そうだが。
   次に必要なのが、高齢者に優しいクルマにすること。近年ハイブリッド車に多く用いられている小型のチェンジレバーは誤操作を生む要因を持っている。小さくて操作しにくいし、Dレンジに入れてもそこで止まってくれず、中央に戻ってしまう、Dに入っているのか、Rに入っているのか知るには、メーターパネルの小さなランプを見るしかない、しかし、メーターパネルとチェンジレバーの位置は離れている。やはり「見てわかりやすい」ことは大切だと思う。ペダルについてもそうで、アクセルとブレーキという全く違う働きをするペダルが踏み込むという同じ動きで作動するというところに潜在的なリスクがあるが、それに加えて、近年は車内を広くするためにペダルが前寄りに設置されるクルマが多くなってきた、そうなると、ドライバーの右前方にはタイヤがあるから、それと干渉を避けるためにアクセルペダルがやや左寄りに付いているクルマが見られるようになった。これも誤操作を招く危険性がある。人間はミスをする生き物だ、アクセルとブレーキの踏み間違いは高齢者に限らず若い人にも起こりうる、ある程度以上の力でアクセルペダルを踏み続けた場合、異常な操作として無効にするシステムがあってもいいのかもしれない。ゼロヨンなどをやっている人からは文句が出そうだが。
   私たちが出来る対策もある。クルマは高齢者にとってこそ便利な道具だ、高齢になれば足腰にガタがくる、そういう人にとってクルマは歩かずに目的地に行ける魔法のじゅうたんのような存在である。地方に行けばわずか数百mのコンビニに行くのにさえクルマを使う人が多い。いわばクルマ中毒である。若くて元気なうちから、歩いたり、自転車に乗ったり、バスや電車を使ったりすることで必要以上にクルマに依存しない生活を送ることが必要だと思う。そうすれば認知機能や身体機能が落ちた時クルマの運転をやめる決断がいくらかでもしやすくなるだろう。

あの日の桜

331cd8e24dc24c0797816918735fbe55 207fb36301b249b58437e72fad5bd834     昨日、福島県三春町の滝桜を見に行った。滝桜は、樹齢1000年以上と言われる巨木で、福島県内はもとより、全国から人が集まる名所になっている。昨日は満開でたくさんの人が訪れていた。私達は寒さを我慢しながら夕方から夜にかけて暮れゆく空の下、ライトアップされて姿を変えていく滝桜の様子を楽しんだ。

   滝桜を見ながら、8年前の春を思い出した。2011年4月、東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故が起きてから1月半が過ぎて、当時住んでいた郡山市でもようやくガソリンが手に入るようになった。私は土曜の夕方、ふと思い立って滝桜を見に行った、昨日と同じように満開だったが、ひとつ違うのは、滝桜を見ていたのは私1人だけで、他には人の気配がなかったことだ。寒々しい光景だった。あれから8年、滝桜を見るたびにあの日の光景を忘れてはいけないと思う。

空気を読む、いいことですか?

   去年亡くなった映画監督の高畑勲さんの言葉。「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。歩調を合わせることが絶対の価値になっている。

   最近の入社式の様子で話題になっているのが、みんな同じような服装、同じような髪型で金太郎飴のようになった新入社員たち。別に若い人だけじゃない、大人だってそうだろう。マニュアル通りに動き、周りの様子を伺い、人と違うことを恐れる。いわば減点主義の社会。そろそろマニュアル通り、みんなと同じがい ...もっと見る

足元の花

  昨日の夕方、自宅の近くの多分個人でやっている桜の名所に行った。道路から階段を上がると、さほど広い敷地ではないがソメイヨシノをはじめ何種類かの桜が咲いていた。見頃には若干早かったが、それでもきれいだし、高台になるから、夏井川や磐越東線の線路が見えて気持ちがいい。これはいい眺めだと楽しんでいたら妻が声をかけた。何事かと思ったら、足元にかわいらしいスミレの花が咲いていた。しかし、上には桜の花が咲いているから、踏まれてしまったスミレの花も多い。もちろん、その踏み跡のうちいくつかは私のものかもしれない。

  人は何かというと上を見がちだ。優れたもの、強いものが本能的に好きな生き物なのだと思う。しかし、美しいものとはそれだけではないだろう。私たちの足元にもそんなものがあって、しかしそのことに気づかないで通り過ぎていく、あるいは踏みつけて行っているだけなのかもしれない。そんなことに改めて気づいた。

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