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2020年5月の2件の記事

走れ!キワ90

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 「帯に短し、襷に長し」というか、アイディアは素晴らしいが出来栄えは残念というかそんな話。今は日本国中どこに行っても立派な道路があり、トラックがバンバン走っているが、1960年代までの日本の物流を支えていたのは貨物列車であった。今は貨物列車が走るのは幹線ばかりになったが、かつてはローカル線にも貨物列車が走っていた。貨物は貨車に積まれるが、貨車にはモーターやエンジンなどの動力装置が積んでいない、そのため、機関車に牽引されることになる。ローカル線はお客の数が少ないが、貨物の量も少ない、蒸気機関車やディーゼル機関車が2、3両の貨車を牽いてトコトコ走っている様子はそれは美しい光景だっただろう。しかし、当時たくさんのローカル線を抱える国鉄にとってはそんなのんきなことは言ってられなかった。ちょうどこの時期、ローカル線の旅客列車はディーゼルエンジンを床下に積んだディーゼルカーが普及していた、ディーゼルカーは蒸気機関車よりも速度が速く、少ない人数で走らせることができ、終点で機関車を付け替える必要が無かった。ディーゼルカーはローカル線の旅客輸送のサービス水準と効率の向上に貢献した。それなら貨物輸送も床下にディーゼルエンジンを積んだディーゼル貨車を開発したらローカル線の貨物輸送の効率化が図れるのではないかと当時の国鉄の人は考えた。

 早速ディーゼル貨車は試作されて、宮崎県の妻線で運用された。しかし運用された結果は芳しいものではなかった。まず、エンジンのパワーが不足していた。180馬力のエンジン1基搭載では、比較的軽い旅客ならまだしも、重い貨物の輸送には力不足であった。さらに、妻線だけで完結する輸送ならともかく、幹線である日豊本線を経て福岡、北九州、大阪方面への輸送では他の貨車に積み替える必要があった。これでは効率化もへったくれもない。結局、キワ90は短期間使われただけで持て余される存在だった。

 私がこの哀れな存在の車両を知ったのは、子供の頃読んだ鉄道図鑑だった。当時はキワ90の写真の下に「現在は使用されていません」という表記がされているのが気になった程度であるが、今は妙にこの哀れな存在の車両が気になるようになった。それに、他の車両の半分以下の8mのボディに飾り気の全くないデザイン。これはこれで好ましく思えるようになった。もし、キワ90が登場した60年前の宮崎に行くことができれば、昼にはこいつが走っている姿をじっくり眺め、夜には芋焼酎で美味い地鶏料理を味わいたいものである。

楽しみは身近にある

 ゴールデンウィークには毎年どこかしらに遠出していた。例えば去年は、福島県いわき市の自宅から、クルマで秋田県・山形県に2泊3日で出かけた。横手焼きそばは美味かったし、増田の古い町並みも良かった、菜の花畑の向こうにそびえる鳥海山は美しかったし、旅館の部屋から見る日本海に沈む夕日は最高だった。遠くにいかなければ、見たり味わったりできないものはたくさんあると思う。

 しかし、今年は一変して新型コロナウイルスの蔓延で外出の自粛が続いている。私も自宅とその周辺で過ごしている。つまらない連休かと思う人もいるかもしれないが、意外とそうでもない。毎日1度か2度は徒歩や自転車で自宅周辺の散歩に行っている。そうすると色々いいものが見えてくる。フジの花は見頃になっているし、ツツジの花も萌えるようだ。自宅からさほど離れていないとこに麦畑があることは知らなかったし、田んぼに水が張られるようになると賑やかなカエルの合唱が聴こえるようになってきた。時間があるから普段よりもずいぶん時間をかけてクルマをピカピカにすることができたし、テイクアウトで自宅で美味しいものを食べることができた。自宅やその周辺で過ごすゴールデンウィーク、それはそれで案外悪くないと思う。

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