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駒吉機関車が走った時代

 以前、キワ90というローカル線の効率化を目指しながら失敗に終わった車両の紹介をしたが、今回は内燃機関という新しい技術に挑戦した福岡式石油発動機関車、通称駒吉機関車について取り上げます。

 内燃機関とは、シリンダーなどの機関内でガソリンなどの燃料を燃焼させてそれによって発生させた燃焼ガスをエネルギーを得る原動機である。エンジン内でピストンを往復運動させるレシプロエンジンの他、ローターを回転させるロータリーエンジンの他、ガスタービンエンジンやジェットエンジンなども含まれる。

 時は19世期末、機械を動かす動力源は蒸気機関から内燃機関に移り変わりつつあった。1885年、ドイツのゴットリープ・ダイムラーはガソリンエンジンを搭載したオートバイを発明した。また、同年同じくドイツのカール・ベンツはガソリンエンジンを搭載した3輪自動車を発明した。この両名は奇しくもドイツを代表する自動車会社の名前に今に至るまで名前を留めている。1889年には小型でも馬力を出せる2ストロークエンジンが、1891年は簡易な構造である焼玉エンジンが開発された。そして20世紀、内燃機関は人類を空に連れていくことになる。1903年には人類初の動力付きの飛行機、ライトフライヤー号がアメリカのライト兄弟によって初飛行に成功した。20世期は内燃機関の時代といっても間違いはないだろう。

 20世期に入り、内燃機関の活用が広がるとこれを鉄道の動力源とする試みを広がった。当時の日本の鉄道の動力源は石炭を燃料とする蒸気機関が一般的であったが、ローカル鉄道では馬に車両を引かせることや人が押す場合もあった人が押す鉄道車両というのは今では考えられないが、現在の京成金町線の源流になった帝釈人車軌道や小田原と熱海を結んだ豆相人車鉄道などもあった。しかし、19世紀末、日清戦争が起きると軍馬の需要は増え、餌の経費も上がり、馬力の使用はあまり経済的なものではなくなった。そこで馬に変わる経済的な動力源として内燃機関の使用を考えたのが大阪にあった機械メーカーの経営者であり技術者であった福岡駒吉氏であった。彼は蒸気機関車に似たボディーに出力5馬力の焼玉エンジンを搭載した福岡式石油発動機関車(駒吉機関車)を制作し、主に九州地方の軌道事業者に採用された。当時は各地に道路上に軌道を敷設し、物資や旅客の輸送に従事していた事業者が多数あった。5馬力とはあまりにも非力すぎる気がするが、当時は道路上を走る列車は、機関車の他、1両の客車か貨車しか牽引できないという規則があり、歩行者や荷車など他の交通と一緒に走る以上スピードは出せない状況ではわずか5馬力でもそこそこ使えたのだろう。しかしあまりに非力すぎたようで後に出力は7馬力に引き上げられた。

 この機関車は日本初、世界でも相当早い時期に内燃機関を使用したものであった。世が世なら福岡駒吉氏とこの機関車は鉄道史に刻まれる存在になったのだろうが、福岡駒吉氏の死去により開発と改良がストップし、使用された事業者が零細な事業者が多かった。また、この機関車が登場して間もなく、道路上を走る列車の連結両数の規制が緩和された。こうなるとこの機関車は7馬力にパワーアップしたとはいえ、数十馬力は軽く出る小型蒸気機関車に太刀打ちできず、多くの事業者から姿を消すことになる。ただし、福岡県の南筑軌道という会社では1940年までこの機関車が使用された。「ポン、ポン」と排気音を立てながら八女茶の産地を走るこの機関車が牽引する列車、タイムマシンがあれば乗ってみたいものである。

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