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2020年8月の3件の記事

P居酒屋賛歌

 旅の楽しみはいろいろあるけれど、旅先の居酒屋でのひとり酒も大きな楽しみのひとつです。夕陽が西の空に落ちかける頃ホテルを出て、向かうのは駅前や市街地の中心部。ガイドブックに載っているような観光客向けの店はできるだけ避け、仕事帰りのサラリーマンが仕事の疲れを洗い流したり、サンダルばきのおっさんが1杯ひっかっけにくるようなローカルな店を選ぶ。店を物色しながらぶらぶら歩くのは楽しいし、そういう旅をしているうちに少なくとも大外れを引かなくなった。
 店に入ったらカウンターに座る。テーブルだと。そのテーブルだけで世界が完結してしまって1人旅には好ましくない。カウンターなら向こう側にいる店の大将と話すこともできるし、横にいる他のお客との会話も楽しむことができる。基本的に私はそんなに積極的に他人に話しかけることはしないが、アルコールが入ると楽しくなるし、様子を見ながら話しかけるようにしている。もちろん、地元の人の話に聞き耳を立てるのも楽しい。
 飲むお酒は最初の1杯はよく冷えたビールに限る。暑い日に1日歩き回り火照った身体に冷たい水脈を作る。その後はその土地の日本酒を楽しむ。九州なら焼酎がいい。料理は肉でも野菜でもいいが私はやはり魚が好き、日本はどこに行っても大差がなくなったという人もいるがそれは違うと思う。地域によって魚が全く違うから、その土地土地で驚くほどおいしい魚に出会うことができる。広島で食べた瀬戸内海のイワシは美味かったし、長崎では酢でしめていないサバを味わった。高知のドロメと日本酒は絶品だったし、鳥取の白イカもまた味わってみたい。
 今、新型コロナウイルスで居酒屋業界はかつてない危機にあるという。どうかこの危機を乗り切って新型コロナウイルスまた日本のどこかでおいしい酒と美味しい料理の数々にさいかいしたい。

戦争と平和について考えるヒント

 75年前の今頃は歴史が猛スピードで動いた時期だった。 

 1945年は、ドイツや日本などの枢軸国にとっては戦況が絶望的な中でのスタートだった。枢軸国のひとつイタリアはムッソリーニ政権がすでに倒れ、ムッソリーニらはイタリア北部にイタリア社会共和国を立てたが、ドイツの強い影響下にあった。ドイツ、日本とも既に主要都市への空襲が始まり、日本では本土決戦の方針が決められた。
 2月にはソビエト連邦のヤルタでアメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相のチャーチル、ソビエト連邦首相のスターリンが会談を行い。まだ日本と中立条約を結び戦闘状態になかったソビエト連邦が日本との戦闘に加わることが決定された。
 4月にはアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、凄惨な沖縄戦が始まった。ドイツでは首都のベルリンが戦場になり、4月末には総統のヒトラーが妻のエヴァ・ブラウンと自殺した。また、イタリア社会共和国が崩壊し、ムッソリーニが処刑された。
 5月にはドイツが連合国に降伏、その後スロベニアでの戦闘が終わることでヨーロッパにおける戦闘は終結した。
 6月には沖縄戦が日本側の敗北という形で終結した。日本側19万人、アメリカ側2万人の犠牲を出す凄惨な戦いだった。
 

 7月17日には、第二次世界大戦の戦後処理を決めるため、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソビエト連邦のスターリン首相がドイツのポツダムで会談を行った。
 7月26日にはポツダム会談の結果としてポツダム宣言が発表された。ポツダム宣言は、アメリカ、イギリス、中華民国の共同宣言の形で出された。内容は日本の武装解除、戦争犯罪車の処罰、日本の領土を本州、北海道、四国、九州とその他諸小島に限る、民主主義の復活、基本的人権の強化である。これらの条件を受け入れた上で日本側からの条件を受け入れない形での降伏を要求した。なお、この時点ではソビエト連邦はポツダム宣言には署名していない。
 7月28日には日本政府はポツダム宣言を黙殺(無視)すると発表した。この時点でまだ中立国であったソビエト連邦を通じての交渉に望みをかけていたとされる。
 8月6日にはアメリカにより広島への原爆投下が行われた。
 8月8日には日ソ中立条約の破棄を発表、日本へ宣戦布告を行った。
 8月9日にはアメリカにより長崎への原爆投下が行われた。同日、ソ連が満州(現在の中国東北部)への侵攻を行った。
 8月10日には御前会議(天皇も臨席して行われる会議)が行われ、国体の護持(天皇制の維持)を条件にポツダム宣言の受け入れが決定される。
 8月14日には、日本政府はポツダム宣言の受け入れを海外に向けて発表、国民向けには明日の正午に重大発表があることを通知。
 8月15日には玉音放送が行われた。天皇が肉声で終戦の詔書を読み上げ、それをレコードに収録したものをラジオで放送した。同日、終戦に反対する陸軍の一部がクーデター未遂を起こす。同日、鈴木貫太郎内閣が総辞職をする。
 8月17日には東久邇宮内閣が成立。皇族が首相となる内閣であった。
 8月18日には満洲国皇帝溥儀が退位。1931年の満州事変で日本が建国した満洲国はここに崩壊した。
 8月22日には灯火管制(空襲の標的になる理由で夜間の照明の利用を制限すること)が廃止、一方ラジオでの天気予報が3年8ヶ月ぶりに復活(天気予報も軍事機密だったのだろう)
 8月30日にはマッカーサー連合国最高司令官が厚木飛行場(神奈川県)に到着。
 9月2日には重光葵外務大臣が戦艦ミズーリの艦上で降伏文章に調印した。(本当の意味での終戦はこの日)

 この時期を描いた小説、随筆、日記、映画、テレビ番組などは数多くあります。これらの作品に触れ、戦争とは何か、平和とは何かを考える良い機会だと思います。年表風にまとめたのは、これらの作品に接するときに世の中の動きをある程度知っておいた方がより理解しやすくなると考えたからです。どうか新型コロナウイルスで家にいることが多いこの夏、少しだけ戦争と平和、考えてみませんか。

私たちに突きつけられたもの

 衝撃的な事件が起きた。難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)闘病中の女性が、2名の医師に依頼し、この医師によって致死量の鎮静剤が投与され、女性は死亡し、鎮静剤を投与した医師は嘱託殺人の容疑で逮捕された。ALSは神経変性疾患のひとつで、運動に関する神経が侵され、筋肉の萎縮や筋力の低下をもたらす疾患である。この女性の場合、口から食事の摂取ができなくなり、胃ろうで胃に直接食物を注入していた。また、身体の中で自力で動かすことができるのは眼だけだったようで、視線入力装置でパソコンを操作していた。呼吸は人工呼吸器の装着の必要はなかった。

 亡くなった女性は大学を卒業後、百貨店での勤務を経て、建築家を志しアメリカに留学、帰国後は設計事務所に勤務していた。40歳を過ぎてこれから仕事もプライベートも充実だという時にALSを発症したようだ。途切れてしまうキャリア、徐々に言うことを聞かなくなっていく身体。この方が味わった絶望感は如何程のものだろう。症状が進めば、食事、排せつ、更衣、日常生活全ての行為を他人の世話にならなければならなくなる。この方のツイートで「自分はもはや何の生産性もなく、税金を食い潰しているだけの人間だから死にたい」と訴えている。その感情が今回の事件の伏線になっているのだと思う。

 今回の事件は大きな衝撃を与えたが、元東京都知事の石原慎太郎氏は今回の医師の行為を切腹する武士の介錯(切腹する武士の苦痛を少なくするために首を切り落とす行為)に例えて賞賛しているが、私は違うと思う。医師らは女性のマンションに到着して鎮静剤を投与しておよそ10分後にはマンションを後にしている。こんな乱暴な方法があるわけがない。また、ネットでも色々な議論が巻き起こっているが、安易にこのようなことを認めると、人の手を煩わせる難病の患者や、重度の障害を持つ人などが自分の意思に反して死ぬことを強制されるようになることを強いられることを強く危惧する。

 まず、私たちや生命倫理や死生観、宗教について考えたり人と話すことから始めなければならない。これらのことから逃げてきた結果がこの事件だと思う。そこで、この条件ならという最低限の合意ができた時はじめて尊厳死についての議論ができるようになると思う。

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