イソ/BMWイセッタ
クルマにどうしても必要な部品はいろいろある。走るためにはモーターなりエンジンなり動力源が必要だし、走れば止まるためのブレーキも必要だ。道路はまっすぐとは限らないから何らかの舵取り装置は必要だし、将棋の歩のように前進しかできないのは不便なので前進と後退を切り替える装置も必要だ。他にも前照灯がなければ夜間の走行はできないし、ドアがなければ人が乗り降りしたり荷物を積むことができない。そのドアに大きな特徴があるのがイソ/BMWイセッタである。
時は第二次世界大戦後、ヨーロッパにもクルマが普及し始めた。しかし、当時のヨーロッパは戦争の傷跡が大きく、またクルマは多くの人にとって高価なものであったため、小さく簡易なクルマが求められた。これらのクルマは丸いボディをしていた。小さな車体でできるだけ広いキャビンを確保し、非力なエンジンでも空気抵抗を減らしてできるだけ走行性能を確保するにはこの形が最も合理的だったのだろう。これらのクルマはバブルカーと呼ばれた。
イタリアの自動車メーカーであるイソ(1974年に倒産)は、1952年に初の4輪自動車としてイセッタを開発した。イセッタは全長2300mm、全幅1400mm程度の極度に小さいクルマで(現在の軽自動車は全長3400mm、全幅1480mmだから、2回りほど小さい)、エンジンを車体後部に置いた。わずか236ccのエンジンは9.5馬力の出力を発生させた。ずいぶん非力に見えたがこれでも85km/h程度は出たようだ。驚くのはドアの位置で、車体前面にドアがあり、乗員はそこから乗り降りするようになっている。
イソでの販売台数はさほどおおくなかったが、ライセンス生産でベルギー、スペインなどでも生産された。その中で最も成功したのは西ドイツのBMWによるライセンス生産である。現在はメルセデスベンツ、アウディと並ぶドイツの高級車メーカーになっているBMWであるが、1950年代は経営状態が非常に悪かったようだ。1916年に航空機エンジンメーカーとして設立されたBMWは、後にバイク、クルマと会社の規模を拡大する。しかし、1945年にナチスドイツが第二次世界大戦に敗れるとBMWは航空機生産に関わった企業として3年間の操業停止処分を受ける。操業停止処分が解ける頃にはソ連を中心とする社会主義国とアメリカを中心とする資本主義国のいわゆる冷戦が始まり、主力工場は東ドイツの国営企業になった。西ドイツに残ったBMWは主力工場を失い、1951年にやっと戦後初の501の販売にこぎつけたが、経営は苦しかった。BMWはイセッタに目をつけ、イソからライセンス生産の権利を獲得した。BMWはイセッタのエンジンを298ccに拡大し、後にはエンジンを582ccに拡大し、ボディを大型化したBMW600も販売した。販売台数はイソが販売した数よりBMWが販売した数の方がはるかに多い。私がこのクルマを知ったのは西岸良平氏の「三丁目の夕日」だった。氏は乗り物にも造詣が深く、昭和30年代のクルマや列車をしばしば作品の中に登場させた。前面にドアがあるという奇想天外なデザインに驚いた。現在は1950年代と安全基準は違うから前面にドアがあるクルマが簡単に出せるとは思わないし、ボディももっと大きくしないといけないだろうが、いずれイセッタのデザインテイストを引き継ぐ車が出ることを楽しみにしている。
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