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2022年5月の5件の記事

E501の今

 E501系電車は、1995年から1997年にかけて60両が製造され、混雑が激しい常磐線の上野〜土浦間の普通列車で使用された。常磐線は石岡市の柿岡に地磁気観測所があり、首都圏で多く用いられている直流電車が使用できず、取手以北(土浦、水戸、いわき方面)に乗り入れるには交流電化と直流電化の両方に対応できる電車が必要であり、コスト高になっていた。その一方で1970年代から茨城県内の常磐線沿線にある藤代町、竜ヶ崎市、牛久市、土浦市などの宅地化が進み、常磐線は慢性的な混雑に悩んでいた。

 E501系電車はドアの数を増やし、ラッシュ時に多くの人が乗れるようにした。座席は通勤電車でよく見かける形状だが、最近の電車に比べるとクッションが柔らかく、かけ心地は悪くない。

 2007年以降は、活躍の場を常磐線の土浦〜水戸〜いわき間と、水戸線に移し、2018年には水戸線での運用も終了したが、常磐線では、水戸周辺を中心に乗客が多く、スムーズに乗り降りができるこの電車はまだまだ重宝されている。

魅力多い只見線、再び

 久しぶりに喜ばしいニュースが入った。水害の影響で一部の区間で運転を休止していたJR只見線(会津若松駅〜小出駅)が10月に全線で運転を再開する。

 JR只見線は、福島県と新潟県にまたがり、会津若松駅を起点に、西若松駅、会津坂下(あいづばんげ)駅、会津川口駅、只見(ただみ)駅、小出駅を結ぶ全長135.2kmの路線である。会津若松駅では磐越西線、西若松駅では会津鉄道(ただし、会津鉄道の列車は会津若松駅まで乗り入れるため、会津若松〜西若松間は地元の人にも列車本数の多い会津鉄道の一部と認識されている場合が多い)、小出駅では上越線に接続している。

 沿線は極めて魅力的で、起点の会津若松駅と次の七日町駅周辺は、今なお城下町の面影を伝え、歴史と伝統工芸の町会津若松市の中心部にある。会津本郷駅周辺は本郷焼の窯元が並ぶ。会津盆地は歴史のある寺社が多く、駅から歩いて行けるものも多い。会津坂下駅で会津盆地が終わり、只見川に寄り添いながら山地に分け入る。会津柳津駅周辺には日本三大虚空蔵である柳津虚空蔵と、会津の雪景色を描いた作品で知られる、版画家の斎藤清の作品を集めた美術館がある。

 ここまでが只見線の序章と言っていいだろう。只見線の本領を発揮するのはむしろここからで、只見川に沿った狭い谷を走るようになる。ここは日本有数の豪雪地帯で、冬は相当な豪雪になる。実はこれが利用者の少ないローカル線ながら只見線がここまで生き残ってきた理由である。並行する国道252号が、福島県と新潟県の県境で冬季に通行止めになることが多く、只見線が唯一の交通機関になることが多い。そのような厳しい気候であるが、四季を通して景色は美しく、冬の雪景色は言うまでもなく、春の新緑、夏の只見川、秋の紅葉、いずれもすばらしい。沿線にはいくつも温泉があり、地酒や郷土料理も豊かな地方である。私も只見線運転再開後、新型コロナウイルスの感染状況を見ながらこの地域を再訪してみたいと思う。

沖縄、復帰から50年目に

日本の多くの地域では、旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代と歴史が進んできましたが、沖縄では旧石器時代→ 貝塚時代→グスク時代と歴史が進んできたことをご存知でしょうか?

15世紀から1879年まで、沖縄は琉球王国という国であったことをご存知でしょうか?

太平洋戦争末期には沖縄では過酷な地上戦が行われたことをご存知でしょうか?この戦い(沖縄戦)では、米国側に2万人、日本側には軍人と市民を含めて15万人以上の多大な犠牲を出した。中学校や女学校の生徒も戦争に参加させられた。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊に参加した生徒に多大な犠牲者が出た。

太平洋戦争終結後、沖縄県は日本から切り離されたことをご存知でしょうか?琉球政府が設置されたが、実質的にはアメリカの統治下に置かれた。通貨は初めは「B円」と呼ばれる日本円とは違う通貨が用いられたが、後にアメリカドルが使われた。そのため、沖縄に行くのにパスポートが必要であった。

1978年7月29日まで、沖縄では人は左、車は右側通行だったことをご存知でしょうか?アメリカ統治下で、様々な制度がアメリカに合わされており、交通についてもアメリカのルールが適用されていました。1972年5月15日、沖縄県は日本に復帰しましたが、交通に関するルールはその後6年以上日本の他の地域と異なっていました。

そして今でも沖縄県には185㎢におよぶ米軍基地があり、決して広いとはいえない沖縄県に全国の米軍基地の7割が集まっています。

沖縄は非常に魅力ある地域です。観光地として多くの人が訪れています。美しい海岸、独特の文化などが多くの人を魅了しています。沖縄が日本に復帰して50年を迎えます。この機会に沖縄の歴史、沖縄の現状、少しでも関心を持ってほしいと思います。

結婚記念日に

私たち夫婦の結婚記念日は5月4日です。先日4回目の結婚記念日を迎えました。この日を選んだのには理由があります。5月4日はみどりの日で祝日で必ず休みであること、仮に祝日法が改正になって、みどりの日がなくなったり他の日に移動しても、5月3日の憲法記念日と5月5日の子供の日に挟まれているから自動的に国民の休日になるため、夫婦でゆっくり過ごせるからです。

今年の結婚記念日はしないの寿司店で美味しい寿司をいただきました。他の夫婦よりも遅く結婚した分、一緒にいれる期間は短いかもしれませんが、美味しいものを食べ、美味しいお酒に良い、綺麗な景色を見て、美しい花を眺め、そして、たまには喧嘩をして、後悔なく一緒に生きたいと思います。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その5

 常磐炭鉱内郷坑専用線は、常磐線内郷駅からいわき市内郷宮町峰根を結ぶ2.9kmの炭鉱専用鉄道である。比較的平坦で炭鉱の名残も残り、ゆっくり歩いても片道1時間少々のお手軽なコースである。

 内郷駅で電車を降り、跨線橋を渡る。まもなく新川にかかる橋を渡る。ここから廃線跡の散歩が始まる。新川の橋を渡るとまもなく福島県道66号に出る。かつての線路は県道66号の道幅を広げるのに使われたのだろう。マルト内郷店というスーパーマーケットの先で廃線跡は県道からななれ、狭い道路になっている。すぐに宮川を渡るが、道路の右側に当時の橋台がしっかり残っている。しばらく進むと、内郷坑の選炭場の跡がある。コンクリート造りの構造物は今でも健在で迫力がある。ここで地下から掘り出した石炭から不純物を取り除き、貨車に積み込んだ。非常に貴重な産業遺産だろう。しばらく見物をした。

 廃線跡は緩やかに左にカーブをしながら内郷第二中学校の前を通る。ここで廃線跡を外れて瑞芳寺というお寺に行く。このお寺には炭鉱事故で亡くなった人の慰霊碑がある。大きな石でできた慰霊碑にしばらく手を合わせる。

 再び廃線跡に戻るが、かつて鉄道は宮川に橋をかけて対岸に渡っていたが、今は橋がなく、しばらく廃線跡から離れる。私は宮川に沿って進む。それにしても暑い日だ、まだ4月だというのにすっかり初夏の陽気である。そのかわり花は綺麗だ。芝桜、藤、あやめ、つつじ、牡丹桜これは花のオーケストラだ。

 県道66号に合流してしばらく進み、上町田のバス停の先で県道から右にそれる。そのまま道なりに進むと峰根の終点である。道路の左側にレンガの構造物があり、石炭の積み込みを行なっていた。私はそこから少し足を伸ばして小さなお堂を見に行った、お堂にはお地蔵様がいて満開の牡丹桜があった。少し涼しい風が吹いてきた。

https://www.hotetu.net/haisen/Tohoku/100109jyoubanuchigousen.html
地図はこのページを参照してください。

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