2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

« 高校野球は変われるか | トップページ | 鉄道開業150周年企画② 我が思い出の急行「ときわ」水戸〜我孫子 »

鉄道開業150周年企画① 我が思い出の急行「ときわ」湯本〜水戸

 子ども時代の最大の楽しみは、年に1度くらいの割合で家族みんなで東京に行くことであった。私の実家の最寄りの常磐線湯本駅からローズピンクとクリーム色に塗られた急行「ときわ」に乗る。湯本駅は今では自動改札になってしまったが、当時はステンレスの柵の中に駅員さんがいて、鋏で切符に切り込みを入れていた。切符を切る「パチン」という乾いた音、この音を聞くと私の旅気分が盛り上がる。

 急行「ときわ」の車内は4人掛けのボックスシートがずらりと並んでいた。今では窮屈に感じるボックスシートも、子供のこれには大きくて、やわらかいクッションが心地いい最高の空間だった。

 ものごころついた時から鉄道が大好きだった私は、夢見心地で乗っていた。車窓に映る山、川、町並み、田んぼ、全てが美しかった。そして、朝早い電車に乗ると、勿来駅を過ぎたあたりで太平洋から顔を出す朝日を見ることができる。真っ赤な朝日と光を受けてキラキラ輝く太平洋の水面は例えようもないくらい美しかった。

 茨城県に入り、大津港駅を過ぎると国道6号と並走する。急行「ときわ」は国道を走るクルマをビュンビュン抜いていく。子どもだった私は、「どうだ、電車は速いだろう」と得意になりながら国道を走るクルマを見下ろしていた。

 日立を過ぎると、左側に小さな駅があって古びた電車が停まっていた。日立電鉄の電車である。この古びた電車に乗ることは叶わなかったが、後に地下鉄のお下がりの車両に変わった後乗ることができた。その日立電鉄も既に無く、思い出の彼方に去ってしまった。

 水戸が近づくと楽しみがあった。1つ目は、勝田駅の手前にある車両基地を見ること、普通列車に使う電車から、特急「ひたち」に使う電車まで見られ、ちょっとした鉄道博物館状態である。そして、2つ目は、勝田駅では、これまで7両編成で走ってきた急行「ときわ」は、乗客が増えることに備えて4両増結する。その作業を見物する。そろそろと4両編の電車が近づき、安全に連結をする。双方の車両が連結されたら手早くブレーキのホースや電気系統のケーブルが繋がれていく、感心しながら見ていた。勝田駅では茨城交通の列車が左に分岐するとまもなく那珂川の鉄橋を渡る。しばらくすると、水戸の町中に入り速度を落とす。右側から水郡線が合流するとまもなく水戸駅に着く。

« 高校野球は変われるか | トップページ | 鉄道開業150周年企画② 我が思い出の急行「ときわ」水戸〜我孫子 »

旅行・地域」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 高校野球は変われるか | トップページ | 鉄道開業150周年企画② 我が思い出の急行「ときわ」水戸〜我孫子 »

フォト
無料ブログはココログ

ウェブページ